私の人生はここから始まるんだ!
1話のみ1万字程度の短編としても完結しています。
2話以降は1000~2000字で投稿する予定ですが、よろしければ1話だけでもご覧ください。
銀髪碧眼の美少女に転生したと知ったとき、「私」の人生はここから始まるんだ。そう思った。
なにしろ「俺」の人生は大変だった。就職難、圧迫面接、勧奨退職、二重派遣、派遣切り、新卒優遇、待遇格差、無給残業、およそあらゆる社会的不公正を味わった末に辿り着いたブラック企業で終わりのない過重労働。
「俺」の名前も最期の記憶も定かではないが、「11時から会議?今11時半ですけど・・・」「11時っつったら夜11時に決まってんだろ」という会話で頭のどこかが弾けたような気がする。絶望のあまり自席で力尽きたか、屋上から飛び降りたか、電車に飛び込んだか、いずれにしてもろくな最期ではないだろう。
そしていつの間にか始まっていた「私」の人生も、それ以上に辛い記憶となった。
殴る蹴る、火で炙られる、食事を与えられない、冷水をかけられる、酒瓶で殴られる、髪をつかんで引きずられる、雪の中に放り出される、両親からおよそあらゆる虐待を受けて育った。碧色の大きな目は落ちくぼみ、銀色の髪はばさばさに乱れ、身体はあばらが浮いて痣だらけ、生傷だらけ。一見すると少女ではなく病んだ老婆のようだ。
でも、そんな日々も明日で終わる。15歳の誕生日を迎えれば、エルトリア王国法第6条により就職、結婚、移動、宿泊、住居、飲酒、あらゆる自由が与えられるのだ。今度こそ私の人生はここから始まるんだ。
私は欠けた陶器の皿を洗い終えると、まだ葡萄酒を飲み続けている両親に深々と頭を下げた。
「お父様、お母様、おやすみなさい」
返事はなかったが、酒瓶が飛んでこなかったので今日は上機嫌なのだろう。旅立ちの前に傷が増えなくて何よりだ。
ぼろぼろに崩れかけた木の扉を開け、後ろ手に閉めると大きく息をつく。硬い土の上を3歩も歩けば石壁に当たるこの狭い空間が今の私の全てだ。
「天に瞬く光の精霊、来たりて闇を照らせ。【照明】」
川で拾った石英の原石に手をかざすと、淡い光が灯った。私は7歳のときに拾った「基礎魔術指南書」のおかげで魔術と呼ばれる力を使うことができる。
光に映し出されたのは木箱を並べて作った寝台、5歳の頃から使っている毛布、寒いときその上に乗せる藁、裾が裂けた着替えと破れた下着。私は毛布をめくり、木箱の蓋を開けた。
「今すぐ役に立つ応急処置」
「女性のための剣術教本」
「食べられる野草図鑑」
「基礎魔術指南書」
「やさしいよみかき」
「異種族言語の分類と考察」
ぼろぼろという言葉では足りないほど崩れ壊れ、ページの順番さえ定かではない数冊の本。これが私の宝物であり、命の恩人だ。でも明日の旅立ちにはこの子達を連れて行くことができない。ごめんね、今までありがとう、と一冊ずつ手に取り表紙を撫でる。
「しかし買い手がついてよかったわね。不細工だから売れないかと思ったわ」
「生娘はそれだけで価値があるからな。客を取らせないで良かったぜ」
隙間だらけの扉のむこうから両親の言葉が漏れ聞こえてきた。どうやら私は明日の夜、奴隷商人に売られることになっているらしい。
それはともかく、父の言葉の半分は嘘だ。あの男に限らず、性的虐待を受けそうになったことは一度や二度や十度や二十度ではない。【施錠】、【苦痛】、【睡眠】の魔術がなければ私は純潔ではいられなかっただろう。
『魔術の才は遺伝によるところが大きく、初級魔術を修めることができる者は1000人に1人、中級魔術は1万人に1人、上級魔術に至っては10万人に1人と言われている・・・』
「基礎魔術指南書」から序文のページが抜け落ちた。さんざんお世話になった本だが、この部分には異論がある。
この本に照らし合わせると、どうやら私は魔術の才に恵まれてはいないらしい。通常1ヵ月で修得できるはずの技術に3ヵ月を要するほどだ。にも関わらず初級魔術、どころか極一部の上級魔術さえ使うことができる。ならば魔術の才能はすべての人にあるが、初級魔術を使えるようになるまで努力を重ねた者が1000人に1人しかいないのではないか、というのが私の持論だ。
努力。前世で酷い目に遭ったのは運の影響もあったかもしれないが、自分が限界まで努力したかと言われればそうではない。厳しい時勢でも起業して成功を収めた同級生、上場企業の役員に上り詰めた友人、果ては数億円の年俸を得るに至ったアスリートがいる。彼らは不断の努力と工夫の末に成功を勝ち取ったのだ、「俺」が心折れ力尽きたのは自分の努力不足と言われても仕方ない。
だから「私」は努力した。
文字を土に書いて読み書きを学んだ。捨てられた本を拾い集めて何度も何度も読みふけった。剣に模した棒切れを血豆が破れるまで振り続けた。魔術に使われる特殊な文字も自分で解読した。
殴られ蹴られこき使われながら、環境を言い訳にせず、誰に頼ることもなく。もしもう一度生まれ変わることがあってもこれほどの努力は二度とできない、そう言い切れる。
だから「私」は幸せになっていいはずだ、こんな場所で不幸なままでは終われない。
それに「俺」は子供じゃない、巣立つ準備はもう整えてある。
「お父様、お母様、行って参ります」
食卓に散らかっていた皿やグラスを片付け、洗い物を済ませると、私は寝室に向かって一礼した。
まだ夜も明けきらぬ時間だ。まだ眠っているに違いないが、万が一父親が起きていようものなら機嫌を損ねて蹴り飛ばされることになる。
静かに玄関の扉を閉め、向かう先は町外れの牧場だ。乳牛に餌を与え、身体を洗い、乳を搾り、子牛に乳を飲ませ、放牧している間に牛舎の掃除をする。
長閑な牧場のお仕事、などというものではない。朝は寒いし、水は冷たいし、搾った牛乳は重いし、仕事が終わる頃には糞尿まみれだ。洗ってもこすっても着替えても匂いが取れない。でも。
「今日までありがとう。お前たちのおかげで助かったよ」
ミルティと勝手に名付けた乳牛の頭を抱き締めると、気持ち良さそうにすり寄ってきた。
私が今日まで生き延びられたのは、この子たちが毎日出してくれる乳のおかげだ。お腹いっぱいに飲めば1日くらい食事をもらえなくても何とか耐えられる。もし飲んでいるところを見つかれば牧場主にしこたま殴られるのだが・・・。
近くの川で汚れた身体と衣服を洗い着替えを済ませると、ようやく起きてきた牧場主から今日の給金を渡された。100ペル大銅貨が2枚。15歳未満の労働は手伝いと見なされ、どんなに働いても大人の半額というのが相場だ。これだけでは両親の酒代にも足りず、当然私の食べ物など買えるはずもない。
「今日までありがとうございました」
ミルティに向けた100分の1程度の誠意を込めて牧場主に挨拶を済ませ、次の目的地に向かう。
いつもならじゃがいも農家の手伝いに行くところだが、今日は違う。町の中心部にある二階建て総レンガ造りの大きな建物、冒険者ギルドだ。痩せ細った私には大きく重すぎる扉を開け、カウンターの奥に向けて声を掛ける。
「失礼します。レナータさん、いらっしゃいますか?」
「待ってたよ、ユイちゃん。書類は用意できてるからね」
「ありがとうございます。お世話かけます」
「いえいえ。それじゃ行こうか」
そう。私はユイという名だ。前の世界では「ただ一つの」や「結ぶ」を意味する良い名前だと思うが、両親も雇い主もみな「おい」とか「こら」とか「おまえ」とか「あいつ」とか「あれ」と呼ぶので、名前で呼んでくれるのは世界にこの人だけだ。
事務員レナータさんは豊満な身体を揺らして市街地を歩き、貧相な身体の私がそれに続く。いよいよこの時がきた、緊張で手に汗がにじむ。
「ここだね?」
「はい」
短く答え、自宅の古い木の扉を押し開ける。
正午に近い時刻だというのに母が寝間着のまま葡萄酒をあおっていた。父は今日も賭博場に行ったのだろう、予想通りだ。
「ただいま戻りました。今日のお給金です」
「あん?これだけかよ、農家の手伝いはどうした」
「お母様、今日までお世話になりました。お父様にもよろしくお伝えください」
「何言ってんだてめえ!また殴られたいのかい!」
既にかなり酔っているのか目の焦点が定まらず、進み出たレナータさんにようやく気付いたようだ。
「ユイさんは今日で成人されました。エルトリア王国法第6条『成人の条件と権利および義務』に定められた権利により、アカイア市冒険者ギルドが身柄を引き受けます」
「誰だてめえ。こいつはまだ14歳だよ、誕生日は明日だ」
「いいえ、こちらを御覧ください。既に成人証明書と冒険者ギルドの身分証が発行されています」
これが私の作戦だった。本当は15歳の誕生日は明日だが、冒険者を志望する旨と虐待の事実をレナータさんに伝えたところ行政府に掛け合ってくれて、「緊急かつ特別な事情ありと認め」今朝には成人証明書が届くよう手配してくれたのだ。
行政官のサイン付きの書類を提示された母は何やら意味不明なことを喚き散らし証明書を奪い取ろうとしたが、豊満な事務員は意外にも軽く身をかわし、とどめの一言を投げつけた。
「これは行政府発行の正式な書類です。当然ながら発行記録も残っていますし、みだりに破損させた場合は王国法9条『公式書類の記録とその取扱い』により罰せられます」
母はなおも喚き散らし暴れ回ったが、私達は構わず立ち去り扉を閉めた。何かが扉に当たって砕けたようだが、もはや知ったことではない。
「レナータさん、色々ありがとうございます」
「いいのよ。さあ、戻って準備しようか」
「はい!」
数刻の後、古いが手入れの行き届いた革鎧と小剣、厚手の衣服を身に着けた私は鏡の前でくるりと一回転した。
いずれも少しずつ貯めた保証金で借りたギルドの備品だ。この痩せ細った貧相な身体には違和感が甚だしいが、経験を積めば似合ってくるだろう、たぶん。
「ユイちゃん、ラゴスさん達が来たよ。用意できたら下に降りてきて」
「はい!」
レナータさんは事前に、ギルドの依頼と共に未経験の私を引き受けてくれる仲間を募集してくれていた。今回の依頼内容は山間部に巣を作り家畜を襲ったゴブリン数匹の討伐、仲間は男性の戦士2人と女性の魔術師1人だそうだ。依頼や人数構成がどうだろうと構わないと思っていたが、やはり同性が一緒というのは安心だ。
どんな人達だろう、やはり私と同じような若者ばかりなのか、それとも未熟者を受け入れる余裕のある方々なのか。私は期待に胸を弾ませて階段を降り、深々と頭を下げた。
「お待たせしました、ユイと申します。今回はよろしくお願い致します」
「おう、さっそく行くぞ」
短い返事だった。褐色の肌をした逞しい禿頭の中年男性、この人がラゴスさんだろう。後ろに背の高い痩せた男性と黒いローブをまとった小柄な少女もいるが、一言も発しない。
「あ、はい。レナータさん、行ってきます」
「うん。気を付けてね」
重そうな胸を受付のカウンターに乗せた事務員は心配そうな目を向けてくる。それはそうだ、ゴブリン数匹といえど油断はできないし、道中も野獣や魔物などに襲われないとも限らない。
しかし何だろう、常々思い描いていた旅立ちとは少々異なるようだ。未熟な若者同士で希望に満ちた言葉と握手を交わし、世間話でもしながら依頼内容を確認し、準備を整えていよいよ出立・・・などという光景は現実には無いのかもしれない。
ともかく私の旅は始まった。期待よりもはるかに大きく膨らんだ不安と違和感に首を傾げながら。
目指すゴブリンの巣は町から徒歩で半日ほどの距離で、今日は道中で野営するとの事だった。
毎日土間で寝ていた私にとって野営は苦にならないし、手馴れた様子で天幕を張り火を起こす先輩達は頼もしい。それに有り合わせの食材で作った豆スープや野草入りの麦粥を文句も言わず食べてくれた。
「あの、ラゴスさん、スープのお味はどうでしたか?」
「あ?まあ、いいんじゃねえか?」
「そうですか。あまり豪華なものはできませんが、何でも一通り作りますので・・・」
「ん?おお。頼むわ」
頑張って話しかけてみたが、どうやら相手にされないようなので引き下がる。
ここまでの道中で一度も話しかけてくれなかったのは周囲を警戒していたからではないか、などと考えていたのだが、それも違うようだ。
ラゴスさんともう一人の男性、ゲイルさんは葡萄酒を飲みながら談笑している。がははは、ぐははは、という中年男性特有の笑い声が気にならなくもないが、これから一緒に旅をする仲間なのだ。どのような人物かという判断は、少なくとも今回の依頼が終わるまでは保留にしようと思う。
それよりも私には黒いローブの少女の方が気になった。同年代に見えるこの子はルカと名乗っただけで、やはり話しかけても反応に乏しい。
「ねえ、ルカちゃんは何歳なの?」
「・・・15歳」
「そうなんだ、私も15歳になったばかりだよ」
「・・・」
「出身はアカイア市?」
「・・・うん」
「ラゴスさん達とはいつから一緒に旅してるの?」
「・・・」
「その年で魔術が使えるなんてすごいね。誰に習ったの?」
「・・・誰にも」
「独学なんだ?すごいね」
「・・・」
私が魔術を使えることは誰にも、レナータさんにも伝えていない。魔術師は希少なため多くの職業で優遇され、特に軍や冒険者に重宝されるが、それは同時に大きな危険を伴う。【開錠】【睡眠】【不可視】など悪用が可能な魔術も多いため、身辺で犯罪が起きると真っ先に疑われてしまうのだ。そのため多くの者は各地の魔術師協会に所属し、魔術を犯罪に使えば厳罰という条件のもとに身分を保証されている。
「おい、お前ら早く寝ろ。見張りしとくからよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
女性陣に気を使って早く休ませてくれるとは、厳つい外見と不愛想な言動の割に意外と優しいのではないか。
それに横幕もある天幕、柔らかい毛布で眠れるなどいつ以来だろう。私は革鎧を外し、小剣を抱えて横たわった。
異変を感じとったのは夜半過ぎだ。これほど環境が変わっても熟睡できるほど図太くはないし、二度の辛い人生経験から人を信じることに慎重になっている。・・・それにこの際言わせてもらえば、この人達は私の信用を得るための言動を何一つとっていない。疑われ用心されて当たり前だ。
隣で寝ていたルカが起き上がり天幕を出て行ったのには気づいていた。見張りの交代ならば私も起こしてくれるはずだ、小用だろうか。そう思い外の気配を探ると、魔術の素となる精霊の流れに変化を感じた。何者かが魔術を行使しようとしている、おそらく対象は私だ。
「・・・なる生命の・・・霊よ、・・・の者を・・・・・・に誘え」
【睡眠】の魔術だ。詠唱はたどたどしく、精霊の動きにも乱れがある。魔術師としての技量も【睡眠】の練度も未熟に違いない。
「内なる生命の精霊よ、我が魔素と共に宿りて魂の輝きとなれ。【魔術抵抗】」
おかげで私の魔術の方が先に完成した。魔術師は仕組みを理解しているぶん他者の魔術が効きにくい上に、抵抗力を高める【魔術抵抗】を上乗せすればまず格下の魔術は無効化できる。
術者はおそらくルカだろう、なぜ私に【睡眠】の魔術を使ったのか?・・・いや、もう自分をごまかすのはやめよう、私は最初から違和感を感じていた。相手が明確に害意を向けてきた以上、自身を守らねばならない。
「内なる生命の精霊よ、我は勝利を渇望する。来たりて仮初めの力を与えたまえ。【身体強化・腕力】!」
次の魔術を完成させたと同時に天幕の入口が開き、人影が2つ入ってくる。もう何をしようとしているのか明白だ。
静かに覆いかぶさろうとしてきた大きな影を待ち構え、側頭部を小剣の柄で思い切り殴りつけた。私の腕は細く貧弱だが、今だけは魔術の効果で怪力男性並みの腕力になっている。影は悲鳴を上げることもかなわず盛大に転がった。
もう一つの細長い影を力ずくで組み伏せ、右手首を関節の可動域を超えて折り曲げる。ごきりと鈍い音が響き、今度は盛大な悲鳴が上がった。
「さっきの【睡眠】の魔術、ルカちゃんだよね?」
「ひっ・・・あう・・・あ・・・」
小剣と革鎧を手に天幕から出てきた私を見て、ルカは地に尻をついたまま後ずさった。天幕の中から漏れる呻き声を無視して鎧を身に着ける。
「怒らないから答えて。あの人達にやらされたんだね?」
「・・・」
「せっかくの魔術の力をこんな事に使うなんて良くないよ」
「・・・はい・・・」
革鎧を着け終わり、ルカの目を正面から見つめる。艶のない金色の髪と恐怖に濁った青い瞳、この子が今どのような生活を送っているか私にはよくわかる。
「ルカちゃん、あの人達に酷い事されてるんだね?逃げないように脅されてるんだね?」
「・・・」
「ねえ、私と一緒に来ない?ギルドに報告するとき証言してくれると助かるし」
「・・・」
しばらく待ってみたが返事はなかった。冷たいようだが、辛い状況から抜け出すのも留まるのも自身の選択だ。この子がそれを選ぶなら仕方ない。
大きく溜息をついて月明りの道を一人引き返す。私の初めての旅は、目的地にたどり着くことさえできず終わってしまった。
早朝、ギルドの前の道端にうずくまる私を起こしてくれたのはレナータさんだった。
簡単に事情を伝えると職員休憩室に通され、部屋の隅で休ませてもらう。ギルド長が来たら対応を検討するとの事だったが、もう私には結論が見えている。その時のための準備を整えると、やはり疲れていたのかいつしか眠ってしまったようだ。再びレナータさんに起こされ、ギルド長の部屋に向かう。
アカイア市はエルトリア王国中央部の中核都市だけあって、この冒険者ギルドは他町のギルド機能を集約してもいる。十数名の職員を抱えるほどだが、その長は無気力を絵にかいたような印象の人物だった。灰色の制服に灰色の頭髪をした無表情な老人は無感動にこう告げた。
「あー。ユイ・クレイマー、同行者を傷害せしめたことは間違いないね?」
「はい」
「では協調性に難ありと認め、内規違反により除名処分とする」
「・・・わかりました。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
予想通りだ。ラゴスさん達が戻ってきて嘘を並べ立てたに違いないが、あちらは何度も依頼を果たした実績のある3人、こちらは登録を済ませたばかりの新人1人だ。証言の信憑性に雲泥の差がある。
「レナータさん、いろいろお世話してくれたのにご迷惑をおかけしてしまいました。申し訳ありません」
私はギルドから借り受けた小剣と革鎧、厚手の衣服を受付のカウンターに乗せた。
これら借り物を丁寧に手入れする時間があったのは幸いだった、衣服は少々汚れたままだが洗う場所が無かったので許してほしい。
「ユイちゃん、待って!」
深々と一礼した私をレナータさんが呼び止めた。カウンターから走り出てきたかと思うと力いっぱい抱き締められ、私は息が詰まった。
「ごめんね、ごめんね、力になってあげられなくて・・・」
「いえ、私が悪いんです。ラゴスさん達に怪我をさせたことは事実ですから」
「ユイちゃんが悪いんじゃないのにね。こんなの許せないよね・・・」
「はい。でも・・・」
私の頭を強く抱きかかえたまま、震える声で彼女は謝り続けた。
「辛い思いをさせちゃって、ごめんね、ごめんね・・・」
「私は大丈夫です。だい・・・っ・・・うう・・・」
大丈夫なわけあるか。私が悪いわけあるか。辛くて苦しくて一回死んで、また辛くて痛いだけの日々が続いて、それでも諦めず努力して努力して、ようやく光が見えたと思ったのに。また人に裏切られて、貶められて、なのに私が悪いという。今度こそ、今度こそ私の人生はここから始まるんだ、そう思ったのに。
柔らかくていい匂いがするレナータさんの胸で泣いた。服の皺が戻らないほどしがみついて。
最後に泣いたのは10年前だ。空腹に耐えかねて店先のパンを盗んでしまい、走りだそうとしたとき目を回してそのまま倒れてしまった。気が付くとパン屋さんの家で、看病してくれた奥さんはもう1個パンをくれた。私は泣きながらそれを食べて何度も何度も謝り続け、もう何があっても二度と人のものは盗まないと誓った・・・。
「ねえユイちゃん、私の家に来ない?」
「・・・いえ、これ以上ご迷惑はかけられません」
有難い言葉だったが、そうもいかない。このギルドの決定にも関わらず私を住まわせれば彼女の印象は悪くなるだろうし、最悪の場合職を失う可能性もある。それに逆上した両親が怒鳴り込んでくるかもしれない、ギルドの庇護があればまだしもレナータさん個人にお世話になるのは危険だ。
「でも・・・」
「私のことは自分で何とかします。レナータさんもお元気で」
重すぎるギルドの扉を開けて外に出た。既に午後になっていたようで、強い陽射しに目が眩む。
自分で何とかすると言ったものの、全く当てはない。さてどこに向かって歩き出そうかと考えた瞬間、お腹を蹴り上げられ壁に叩きつけられた。さらに倒れるよりも早く横面を殴り飛ばされて地に転がる。
「う・・・ぐ・・・げほっ・・・うえっ・・・」
「やってくれたな、クソガキ」
見上げるまでもなく声でわかった、ラゴスさんだ。
苦痛で身体に力が入らない私はうずくまる事すら許されず、髪の毛を掴まれ引き起こされた。
「10日間の活動停止だとよ、てめえのせいだぞ。わかってんのか、ああ?」
私のせい?お腹と顔と頭の激痛で遠ざかっていた意識を、その言葉が引き戻した。
違う。悪いのは私じゃない、こいつだ。こいつらだ。この男は自分の欲望のために弱い人間を踏みにじり、偽証までした上に逆恨みするクズだ。前世で社会的不公正に殺され、今世で理不尽な暴力に殺される?そんな事が許されてたまるか。前世から数十年間、胸の奥で煮えたぎっていた怒りがとうとう爆発した。
「・・・こんな所で・・・こんな奴らのせいで・・・」
「あ?」
「終わってたまるかああ!!!」
両膝を曲げ十分に力を溜めて、禿げた中年男の顎を思い切り蹴り上げた。ぶちぶちと髪の毛がちぎれる音が聞こえたが、そんな痛みには慣れている。なお髪を掴んで離さない男に人差し指を向ける。
「我が内なる生命の精霊よ、来たりて彼の者に耐え難き苦痛をもたらせ!【苦痛】!」
「ぐおあっ!・・・ってえ・・・!?」
男は頭を抱えて仰向けに転がった。私は迷いなく石畳の街路を駆け出す。
対象に一瞬だけ激痛を与える【苦痛】の魔術は、心ならずも一番使い慣れてしまった魔術だ。身の危険や貞操の危機を感じるたびに使い習熟した結果、今では指一本と数を3つ数えるよりも早く発動できる。
おかしな表現かもしれないが、私は怒ってはいたが冷静だった。昨夜は相手が油断していたところを不意打ちで制したが、それなりに修練を積んだであろう男性2人が相手では分が悪い。未熟とはいえ魔術師のルカが敵に回っているなら尚更だ。それに彼らを打ち倒したところで意味はない、いま私がすべきは「生き延びること」だ。
細身の男がかなりの速度で追ってくる、ゲイルさんだろうか。掴みかかる手が髪をかすめてひやりとしたが、ぎりぎりで走りながらの詠唱が間に合った。
「内なる生命の精霊、我に疾風のごとき加護を。来たりて仮初めの力を与えたまえ!【身体強化・敏捷】!」
ただの貧弱な少女だった私は鍛え上げられた競走馬のように加速して追手を置き去りにし、路地を駆け抜け、置いてあった樽を足場に身体を跳ね上げた。軽業師のように宙で一回転して壁の向こうに消える。
だが魔術は万能ではない、私は地面に手をつき激しく咳き込んだ。【身体強化】の効果時間は100秒程度、当然ながら身体に無理をかけた反動が後から表れる。それに体力が強化される訳ではないので、栄養失調の私は長い時間を走ること自体ができない。
追いつかれる前に身を隠さなければ。よろめく足で路地を彷徨っているうち、壁の向こう側から「いたか?」「どこに行ったあのガキ」という声が聞こえてきた。もう余裕がない、近くにあった馬車の荷台に潜り込んで布をかぶった。
どれくらい時間が経っただろうか、ラゴスさん達に見つかることはなかったと思う。
だが不意に馬車が動き出して驚いた。身動きせず様子を伺っていると、どうやらアカイアの町を出たようだ。既に夕方のはずだが、この時間に町を出るとは何事だろう。急ぎの事情でもあるのだろうか。
いずれにしても夜が迫る道中で放り出されるわけにもいかない、馬車が止まるまで少し休もう。布にくるまって蛹のように丸くなる。
私はどこで間違ったのだろう。冒険者などを志すことなく無難な職業を選べば良かったのだろうか、レナータさんに魔術が使えると明かせば違う仲間に出会えただろうか、ラゴスさん達に違和感を感じた時点で断れば良かっただろうか。おとなしく彼らの言いなりになっていれば・・・などという選択肢はさすがに無い。
「おい、着いたぞ。起きろ」
近くで野太い声がして驚き目が覚めた。いつの間に眠ってしまったのだろう、白々と夜が明けかかっている。
恐る恐る荷台から降りると、外には逞しい髭面の男が立っていた。
「あ、あの・・・」
「事情は聞かんぞ、早く行け」
「すみません、ありがとうございました」
まだ頭がはっきりしないが、どうやらどこかの町に着いたようだ。
深く頭を下げて立ち去ろうとした私に、男は何かを投げてよこした。薄い胸に跳ね返って両手に収まったそれは硬くて大きなパンだった。
「無料じゃないぞ。大人になったら返せよ」
街道を去る馬車に向けて、私はもう一度深く頭を下げた。
家々の隙間から朝日が顔を覗かせ、視界いっぱいが黄金色に輝く。
ここは何という町だろう。私は左手に食べかけのパンを、右手に拳を握り締めた。
今度こそ、今度こそ、今度こそ。
私の人生はここから始まるんだ。