取り憑いた娘
死んだ娘の過去です。
部屋の中は陰湿で霊気が漂っているようだ。だから決して坂上田村にしてみたら居心地が良いとは言えない。が、自分の身のためであると、ここは我慢するしかない。
「あの、お婆殿」
と、坂上田村の方から話しかけた。が、祖母は振り向きもせずに仏壇に向かい経を読み上げたままでいる。
もう一度声をかけようかと迷っていると、香の白い煙が帯となって動いた気がした。
『ひぇぇ!!!』
と、思わず声が出そうになり慌てて手で口を押さえた。
まだ、経が続くのかと思うと、すっと止まった。
そして、「そのままにしておれ」と、祖母がいえば、再び経を唱えだした。
坂上田村にしてみたら、この部屋はあの世のように感じられた。まるで地面より亡者が湧き出るような死者の国だ。
座布団の上で身震いしながら口を押さえていると、どれくらい経ったのかも分からないのだが、心身共に疲労困憊した時、漸く経が途絶えた。
向き直った祖母が、
「長い間よう辛抱なさった。その甲斐があって、坂上田村殿に取り憑いていた亡者と話が出来申した」
それを聞いて喜んだ坂上田村が、
「それでなんと言ってましたか?」
その前に祖母はかなり厳しい視線を投げ、
「坂上田村殿、こう言ってはなんだが、おぬしかなりげすな男よのう!」
男盛りの坂上田村は俯いたままそっぽを向いた感じだ。
「そのおなごが取り憑くのも無理からぬこと、で、話をしどうすれば許しが得られるのか聞いたところ、おぬし、子があるじゃろ?」
坂上田村は驚いたように顔を上げ、
「え? 我にですか? いえ、まだ祝言も挙げておらぬ身なれば!」
「真紅もまだまだ未熟よのう。こんな読み間違えをするとは、祖母として本当に情けないわ。坂上田村殿、取り憑いた女の正体を話して進ぜようか?」
その坂上田村は恥のためか黙って下を向いたままでいる。
「おぬしは坂上田村家で奉公していたそこな娘の祝言が決まるやいなや、急に惜しくなり手籠めにしたのじゃろう。そして身籠もった。その娘におぬしは何をした?」
坂上田村は苦虫を噛みしめた以上の苦渋を浮かべていた。
「そこな娘は産んだ子を隠して嫁ぐ覚悟をしたというのに、そう、おぬしに言ったはずじゃ、全てをなかったことにするからこのまま行かせて欲しいと。なのに、ぬしは生まれた子をどこかに隠し娘を座敷牢に閉じ込めた」
「えぇい!!!!! 黙らぬか!!! 黙れ黙れ!!!!」
気が狂ったかのように坂上田村は抜いた刀を振り回した。
祖母はそんな坂上田村などを気にもとめず、
「坂上田村なんとかやら! うぬをこの場で殺してやってもよいし、数日後に殺してやってもよいし、一月ほどいかした後、殺してやってもよいし、さて、どれがよい?」
と、ニタニタと笑みを浮かべている。
そこで始めて坂上田村は祖母をまじまじと見入った。
坂上田村の目にはとても祖母と呼ばれる歳には見えない。もしかすれば真紅の姉と言われても納得するほど若く見える。
それは顔からだけではない。
座布団の上に凜と座った真紅を杜若と称せば、目の前の祖母は菖蒲と称しても遜色無い程である。いや、存在から発する気品で言えば、祖母の方が数段上をいっているようにも感じ取れる。
それで坂上田村はこれ以上無い程の驚きと衝動に駆られ、
「おぬしこそ物の怪か? 我を誑かすつもりか?」
そう言っては刀を上段に構え、今にも振り下ろしそうな気配をしてみせる。
祖母は尚も笑っている。
それがまさしく妖気の鬼気と伝わった坂上田村は、
「おのれ!!!」
と、振りかぶった刀を振り下ろそうと一歩前に踏み出した。
その瞬間、急に胸の辺りが苦しくなり、
「グギャァガァァァ!!??」
と、畳の上でもがき苦しみだし、残っている力で、
「頼む、殺さないでくれ!!!!!」
と、涙ながらに懇願し始めた。
「それはわしの仕業じゃないぞ。そこのおなごたちの怨念という糸がなせる技じゃ」
「頼む!!!!! 助けてくれ、何でも差し出すから助けてくれ!!!!!!」
冷たい眼差しで見詰める祖母は、
「仕方がないの!」
そう言って香の煙でできた真っ白い糸を指先で動かしだす。
その真っ白な糸は坂上田村の体に纏わり付けば喉の奥から入り込み、
「うむうむ、これじゃな」
と祖母は言いながら、指で絡ませるように螺旋を描いたり、ピクピクと引っ張ったり、仕舞いには二の腕で力強く押さえつけ、
「ここまでにしいや!」
と言って何かを裁断した。
と、一気に胸の苦しさから解放された坂上田村が、畳の上で転がったまま、心臓辺りを手の平で押さえつけながら、
「終わったのか? 我は無事なのか?」
その顔には安堵の表情が色濃く出ている。
「まだ怨念の糸は何本か残ってはいるが、問題無かろう。それよりもじゃ」
起き上がりその場に正座した坂上田村は、
「なんでしょうか?」
「なんでしょうかではない。おぬしの殺した娘のことじゃ」
「あぁ、そうでしたね。で、どうしたら良いのでしょうか?」
祖母は情けなさそうな目で坂上田村を見据えると、
「男というものはこれだから生きる値打ちがないと言うのだ。座敷牢に閉じ込めた、その娘をどうしたのか、自分の口で言ってみるんじゃ」
坂上田村は恐ろしさのあまり、この死地を何とかくぐり抜けようと平伏しだし、
「申し訳ありませぬ! 色欲の溺れた我が悪いのでございます」
「悪いのは分かっている。で、何をしたのじゃ!」
「恩情をかけ手厚いもてなしをしたにも関わらず、あまりにも逆らうがため……」
と言い訳を始めたが、その後、
「殺しましてございまする」
と、尻窄みになって終わった。
「そうよの。横恋慕した挙げ句に子まで取り上げ、仕舞いには殺してしまいよる。これをなんと言うんじゃったかの?」
「鬼畜の所行にございます」
「うむ、そうよの。で、あの子は今どうしておる? おぬしの子ぞ!」
またしてもしばらくの沈黙の後、
「里子にだしてござる」
と、か細い声で答えた。
「わしはそこな娘と話をした。その娘は我が子をぬしが育てるのなら、自分に犯した罪を許そうとまで言っておる。そこでだ、うぬはどうしやる?」
坂上田村は平伏したまま、
「しばし時間をもらえますぬか?」
と、逃げの算段を始める。
「わしを甘く見るというのか。しかし、それもよかろう。甘く見るがよかろう。じゃがな、わしの術はあまくはないぞ」
「どのような業でしょうか?」
「まぁ良いではないか。答えがでるまでその娘はお前に取り憑いたままじゃ。そして日一日と事態は深刻になっていくじゃろう。出来るなら早めに答えを持ってくることじゃ」
その後、坂上田村が帰った後のこと、真紅はこっぴどく祖母にお小言をもらった。
「真紅、ぬしの見立てでは死人が一人に怪我人が一人に、数人が取り憑いているってことだったな? だが、実際にはどうじゃ?」
真紅にしてみたら、ここまで込み入った具合になっていれば、見誤りをして当然、いや、そこまで看破したのだから大したものとも思えるのに、怒られるなんてと、不平不満もあり、言葉尻がきつくなる。
「私が悪うございましたよ!」
そう言ってそっぽを向いてしまう。
祖母はそんな真紅が情けなくも可愛く見えるようで、
「まぁ、あれほど酷い男も滅多にいるものではないが、だからといって為損ずるのは陰陽師として恥でもある。そこのところをよくよく肝に銘じることだ。分からぬなら分からぬで良いではないか。良くないのは分かったふりをすることなのだから、な!」
こう、言葉が多くなると、言葉のきつさもどんどんすり減っていった。