男と女の話
女と別れたいならという話です。
藤原司弾正台を上座に、その右側に坂上田村武官が座を占め、朝比奈真紅は下座に畏まって座っている。
その様子は弾正台の威光に恐れをなしているようにも見える。それで、
「朝比奈殿、我らの要請は理解してもらえたか?」
と上から目線で聞いてくる。
その真紅は澄ました顔で、
「ところで藤原司弾正台様、このまま手ぶらでお帰りになされば、この朝比奈の力量が分からず、不安になられるのではありませぬか?」
「うん? それはどう言う意味じゃ?」
「先ほど面妖なもの、と仰いましたね。その意味を教えて差し上げようかと思いまして」
「ほう!? 朝比奈殿にそれが解明できると申すのか?」
「面妖な出来事は日常茶飯事。それを見抜けぬようでは陰陽師などやっていけませぬ」
そこで藤原司は膝を叩き、
「よし、やってみせよ!」
真紅は深々と頭を垂れた。
しかし、端から見れば、これほど驚異的な美女が凜としている姿は一見に値する。が、これから面妖なものを見せるというから背筋が妙に冷たくなった。
『もしや、目の前にいるものは妖怪変化かも?』
と、思えてくる弾正台に武官であった。
そこで真紅は灯火台を指し示し、
「よく見てください。火のないところに火が付きます」
と、言っているうちにロウソクの芯に明かりが見えだしたと思えば、それが火となって揺らめきだした。
武官はすかさず、
「面妖な!」
と言っては刀の柄に手を添えた。
「坂上田村殿、早とちりしてはいけませんよ。これはほんの見えないものの仕業。驚くには価しません。それより、あるものをお示ししましょう」
弾正台も武官も緊張のために喉を鳴らした。
すると、この部屋の周囲一帯に何者かが座っているような気配が漂い始めた。
武官は冷や汗をかきながら、その殺気を受け止め、
「うむむ、何やつ?????」
と、すでに刀を抜いていた。
真紅は持っていた懐紙を細かく切り刻めば、それを部屋中にまき散らすように、
「えい!」
と掛け声を挙げ上に投げ上げた。
細かな紙切れになった懐紙は空中でバラならになり、下に落ちるかと思えばそうではなく、部屋の隅々にまで飛散していった。
そしてその紙切れはまるで誰かがいるかのように、その顔の部分辺りにくっついた。
それを見て驚きを隠せぬ弾正台は、
「これは一体どう言うことだ? そこには何がいるんだ?」
「見えぬものですよ。それを紙切れで象っただけです。これでいる事がお分かり頂けましたか? 先ほどの面妖なものも、こう言った類いでしょう」
「なるほど、狐憑きのようなものか? だったら?」
と、藤原司が思いついた言葉を出してきた。
「その通りですね。きっと暴徒共も物の怪に憑依されたのでしょう。だから、憑依されたのなら引きはがせばよいだけ」
「おぉ、それなら解決されたも同然とな?」
「一匹や二匹ならそうでしょう。しかし、此度の数は偶然にしては多すぎます」
そこで藤原司弾正台の顔色が変わった。
「だとすれば、朝比奈殿は此度の事件には裏で操っているものがいると?」
その時には真っ正面から答えずに真紅は、
「ところで皆様方は、ここにいるあるものたちから憑依されないとお思いか?」
それには言葉を失う弾正台たち、その場から崩れ落ちるようにして、
「そのような悪ふざけは好きではないぞ!?」
と、慌てふためく。
真紅は恐怖すら抱いている弾正台と武官に満足したのか、
「ここのものどもは大丈夫にて、ご安心召され。なれど!!」
と、言葉を途切らせ、彼らの表情を読み取った後、
「坂上田村殿には少しばかりおなご遊びが過ぎるご様子。ほら、そのお体におなごの怨念でできた糸が絡みついていますよ」
坂上田村は体裁のためか声高に、
「いや、そのようなことはないはず。我は人畜無害でござるし、ましておなごになど下手なては出し申さぬ!」
と、全否定しだした。
「そうですか、私の勘違いでしたか」
と、真紅はあっさりと引き下がり、
「引き込まれぬよい妙案をお教えしようと思いましたに」
そう言って真紅は藤原司に何事かを言いかけるも、坂上田村は手真似までし、
「いえいえ、折角ですからお話しください。後学にもなりますし」
そんな御託を並べ、坂上田村は涼しい顔をしている。
しかし、真紅は自分の知識を安売りするほど愚かではなかった。
「坂上田村殿、薬剤師でもないものが生半可な知識で薬を扱う危険をご存じでしょう。見えないものたちは、それよりも非常に危険なんですよ。生半可な知識など使えば、返って重大な災いを呼び寄せるやに知れませぬ」
これで引き下がると思った真紅は、そこで話を切り上げるつもりだ。
なれど坂上田村は深々と頭を下げ、
「我が嘘をつきました。申し訳ござらぬ。我にはおなごに関して些かの揉め事がございます。最近になってどうも体の調子までおかしくなってきたところでございます。ですから、なにとぞお教えください。我はどうすれば良いのでしょう?」
「まだ、正直に申してはくれぬようですね。些かではありますまい。一人が死に、もう一人は重傷、他にまだ三名のおなごが蠢いている、違いますか?」
ひっくり返るほど驚いた坂上田村が、
「どうしてそれを???????????」
と、口をパクパクさせている。もう少しすれば泡を吹きそうだ。
「お体に纏い付く怨念の糸ですよ。それがあなた様のお口の中にまで入り込んでいます。そうですね。五臓六腑の一臓二腑くらいまで縛り上げているでしょうね」
坂上田村が座布団から飛び出し、畳に額を擦り付けながら、
「お願いします。どうぞお助けくださいませ!!!!!」
「それは造作もないこと、なれど……」
「いかがいたした? 何か問題でも?」
「これは私事、後ほどでもよろしいか?」
と、真紅はさらりと言ってのける。
脂汗だらけの坂上田村は、何度も頭を下げ、
「ありがとうございまする!!!」
こうして一段落が付いたかと思えば、まだ真紅には言うことがあったらしく、
「藤原司弾正台様にもお教えしたき義がございます」
と、改まって言い出した。
今までの遣り取りで冗談ではないと思ったのか、藤原司は、
「存分にお教え願いたい」
「おなごに関してです。藤原司様にもおなごでの揉め事がございましょう。でも、坂上田村殿のような惨憺たるところまで発展してはいない。されど、これを放置しますれば、どのような悲劇を生むか分かりませぬぞ」
「うむむ!!! では、その対策とは?」
「単純な話でございまするよ。飽きたおなごに色男を宛がえばよろしいのです」
「色男を宛がう? とは、どう言う意味なんじゃ?」
「飽き飽きしたおなごを足蹴にして追い払おうとするから揉めるのでございます。だったら、色男を宛がい、おなごの気をそっちに持って行かせれば良いのです」
「おぉ!!!!!!!!!!!!!」
と、感嘆の声を上げる藤原司だった。
「その手があったか! 確かにおなごを袖にすれば恨まれる、が、余所に男が出来るとさっと冷たくなるものだ。まさしく名言だ」
と、膝を打って喜んでいる。
その後は淡々と、今宵の取り決めを話し合って決めただけだった。
そして、それぞれが引き上げようかと言うとき、真紅は坂上田村に少し待つように促した。
「坂上田村殿には、祖母を紹介するに、お会いなされよ」
坂上田村は喜びながら、
「お願い申し上げる」
そう言って真紅の後に付いていく。
香がかなりきつめにする部屋の前で、
「お婆様、お連れしました」
中から、
「入るがよい」
しゃがんだ真紅が襖を静かに開け、合図のように軽く頷く。
坂上田村は入る前に、
「ご免!」
と会釈をし中に消えていった。
真紅は襖を閉め、そのまま奥の部屋へと、彼女もまた消えていった。