説教部屋
真紅が勝手に約定を結んだことで祖母から咎められる場面です。
真紅は祖母に言いつけられた一室で待っていた。
そこは一昔前、祈祷とかで使っていた床板が敷き詰められている寒々とした部屋だ。そこに真紅は座布団も敷物もない、床の上に正座している。
(この部屋を真紅は説教部屋と呼んでいた)
しばらくして祖母が音も無く入ってきたと思えば床の間の段差に腰を落とし、
「どうして呼ばれたか分かっているな?」
と、きつい言い方だ。
「だってお婆様、あんまりなんです、あの人って!」
「これ!!! お前の義理母親になる方だろうに!」
「だって……」
「なら、いっそこの話しなかったことにしやるか?」
「それは嫌!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「本当に、もう! わしがこの家に嫁いできたときなど、それはもう大変だったんだからな。この床面を日に三回も雑巾がけを命じられ、冬の寒いときは涙を枯らしたものさ」
「なんとお可哀想なお婆様! そうよ。みんなあの姑が悪いのよ。私たちであの悪辣な姑をやっつけて仕舞いましょう!」
それにはうんざりした顔の祖母が、
「わしも姑だったときがあるんじゃぞ!」
「てへ!」
と、真紅が可愛い舌を出した。
「これ! 本当にぬしには事の重大さが分かっているのか?」
「分かっていますとも!」
「本当か?」
「はい!」
と、真紅は至って元気よく答える。
「わしが甘やかした所為かの! ほんにぬしの母親に合わせる顔がないわい!」
そこで真紅が改まって、
「お婆様、お願いがあります」
「禁忌のことだろ? それは駄目じゃ! なんのための禁忌だと思っている!」
「そこを何とか、今度だけは許して! ね、お願い!」
この時の真紅は、あの奥方と対峙したときとは全くの別人のようだ。
「どの禁忌じゃ?」
「ありがとう!!」
「馬鹿め、聞いただけじゃ、どれじゃ?」
「明鏡止水!」
祖母は飛び上がって、
「馬鹿者!!!!!!!!!!!! それだけは駄目じゃ!!!!!!!!!」
「だって! ね、お願い!!!!」
「駄目じゃ、駄目じゃ、術を発動させている間、その体は無防備なんじゃぞ!!!!!」
「九十九殿だっていらっしゃるし、大丈夫だよ!」
「九十九??? 尚更駄目じゃ、あいつは邪心の塊じゃぞ! お前の体を虎視眈々と狙っているに決まっておる。それに、それに……」
と、祖母はワナワナと震え出しながら、
「もし、口を吸われたらどうするともりじゃ!」
「口って、そんなことしないよ!?」
「馬鹿者、口を吸われたら魂までも吸われてしまうのじゃぞ!」
「そんなことしないよ! 九十九殿は私をそんな目で見たことないから、意識がない私の体を預けても大丈夫だよ! それに、口って」
と言う真紅は自分の真っ赤な唇に指を宛がった。
そこで腑に落ちないと言った顔の祖母が、
「それって、もしかしてぬしに興味がないというのと変わらぬのでは?」
身振り手振りの大慌てで打ち消す真紅だ。
表現しにくいが、こんな彼女は見たことがない。
「そんなことないよぉ! 私を見る九十九殿の視線は熱いもの!」
その慌てようを見抜いた祖母は話を切り上げようと、
「しばらく様子をみよう。だから術書は渡せぬ。よいな!!!!!!!!!」
と、一方的に結論を出していった。
その後、禁忌についての話し合いはなかった。その替わりに最善策が祖母との間で交わされていった。
「これには真紅には話していなかった裏の陰陽師が関わっているやも知れぬ」
この時は本気でビックリした真紅で、
「裏の陰陽師?」
と、少し声が裏返ったような聞き方だ。
祖母はその驚きように怒ったように、
「これ、はしたない! 乙女の恥じらいを忘れるな!」
こう言って一度息を整えてから、
「それで聞いたこともないのか?」
と、改めて聞き直す。
「ないけど? そんなものがあるの?」
と、どこか幼げな表情をする。
そんな真紅に祖母は頼りなさげさを感じ、ついつい強い口調で、
「陰陽師が自分だけだと思ってか?」
真紅は軽く首を振って、
「ううん、そうじゃないの。あまり私は自分の役職を意識したことがないのだけれど、この世界には様々な力が働いているでしょ」
「うむ、その言い方もできるな。それで?」
と、幾分、祖母も感心しだした。
「私の曼荼羅には、様々な力がお互いに作用し、時には渦を巻き、時には衝突し、打ち消したり迎合したり、それはそれは賑やかで滞ることがないの」
祖母は表情を変えずに、
「それで? 何が見えたのじゃ?」
「大きな力が裏返り大いなる災いを呼び寄せたの。その災いは別なものの後ろ盾になり始め、お婆様が仰った京極でその力を発揮しだした、ここまでは先日までの見立てだったのよ。本来の結界が有効であれば災いそのものを駆逐できたでしょうに」
「ほう!? おぬしに出来たのかえ?」
「出来ました! 結界さえその力を発揮できれば!」
「しかし、その宝珠が封印されていたことに気が付かなかったんだろ? ぬしの手落ちじゃないか、え? そうじゃろ!」
「そうです。そうやって孫を虐めて楽しいんですか!?」
と、ふくれっ面の真紅がそっぽを見せる。
「これ! そのようにすぐ甘えるもんじゃないぞ!」
「でも、私がこうしないとお婆様は寂しゅうなるでしょ」
真紅の言い分はよく分かる。確かに自分に取ったら可愛い真紅の方が心が絆される。だが、それでは厳しい陰陽師を全うできないと言う危機感が、ひしひしと我が身に襲いかかる。それで祖母は心を鬼にするのだ。
「しかしな、真紅よ。世には化け物がうようよいるんじゃぞ。それを今のままでは甘すぎて食われてしまうぞ!」
こう祖母は真顔で言う。
その目には憐憫の情が宿っている。
真紅にも分かっている。九条家での人と人との争いに関してではない。
見えざるものを見える真紅たちは、見えざるものにとったら天敵なのだ。見えなければ自分たちの仕業が邪魔されなくて済む。だから、見えないものは放置できる、が、見えるものは干渉してくるのだ。それが見えないものにとっては煩わしくて仕方がない。
だから見えざるものは、見える真紅たちに、
『仲間になるか? それとも敵対か?』
と接触してくるのだ。
見えざるものは全部が全部、悪者ではない、が、全部が全部、良いものでもない。悪いものもいるし、良いものも(無害か、協力的)もいる。
それで接触するときは慎重にする必要がある。悪くすれば取り込まれてしまうのだ。
そしてこれが一番肝心なことなのだが、この見えないものはいなくはならないのだ。どうやっても湧いてでる、どこにでもいる、人がいなくても奴らはいるのだ。
「分かってるって! だから安心して!」
ほんのり笑ってえくぼを作る真紅だ。
祖母と真紅とは相対して座っている。その真紅から祖母を見れば、『どうしてこうも若く見えるのだろう?』と疑問に思えてならない。
その祖母は外見だけでは真紅と殆ど瓜二つなのである。
が、中身が全く違う。真紅など思いもしないほどの経験を積んでいる。だから、若い真紅が脆く、危なく映って仕方ないのだ。
それで、祖母の手が僅かに震えた。
彼女はその手で真紅を抱きしめたいと強く思ったのだが、それは叶わぬ夢だった。
祖母は心で強く拳を握り締め、
「それで曼荼羅はどうなったのじゃ?」
「これは私の落ち度なんだけど、曼荼羅には封印された事実が映らなかったのね。それって不思議でしょ。五芒結界に異変が起これば曼荼羅に現れるはずですもの。でも、現れなかった。それは曼荼羅に欠陥があったわけじゃなく、偽の封印だったのよ」
「なんと? 封印自体が偽物だと? どう言うことだ?」
「結界自体は消滅したわけではなく、宝珠の働きが疎外されただけだったの。だから五芒結界は生きてはいるの、ただ、極力弱められているけど」
「なるほど、我らに知られぬ程度に弱らせたと言うのだな。しかし、そのような高度な術が使えるものなど?」
と言った祖母は、思い出したように、
「裏の陰陽師か!?」
「きっとそうでしょうね。陰陽師ならできる業ですもの」
「それには宝珠を直に触れなければ成らぬのじゃぞ? 裏の陰陽師風情に……」
「もし、天宮中納言様が関わっていたとしたら?」