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結納

姑の当て擦りの場面です。

まだ、許嫁の身分なんですがね。

姑のいびりがすごいです。


「真紅さん? 倅の九十九はどうなってます?」

 と、奥方が気をもんで再び問い掛けてきた。


 何年も前のことを思い出していた真紅はいきなり現実に引き戻された感じで、

「九十九殿とは?」

 と、下世話な物言いになっていた。


 それで呆れかえった奥方が、

「真紅殿、九十九とは許嫁ってことになってますけどね。そんな調子じゃいつ破談になるか分かりませんよ! 本当に、もっとしっかりしてもらわねば、九十九が可哀想過ぎます」

 と、そっぽを向いた。


 しかし、それにはすぐに苦情当主の方がきつい言葉で、

「これ! 滅多な言葉を使うもんじゃない! 九十九はまだ書生の分際だが、真紅殿は正八位なんだぞ!」


「でも、あなたは正七位なんでしょ。なら、うちの方が上じゃないですか」


 そんな世間知らずな言葉を聞いて恥ずかしくなったのか、

「もう良い。お前はあっちに行ってなさい。これからはお役目の話故」

 そう言って主は奥方を追い出していった。


 ひときわ静かになった部屋で、

「いや、真紅殿、申し訳なかった。あれも九十九のことになると鬼か般若になる故に、許してやって欲しい」

 と、またしても薄い頭を掻きだした。


 真紅は落ち着き払って、

「おなごは誰しも心に鬼を宿しておりますれば、一向に構いませぬ」


 主は背筋に冷たいものを感じた。

 これほど可愛い顔をした乙女の口からこうも物騒な、『鬼を宿す』という言葉が出てくるとは思いもしなかったからだ。


「またまた、真紅殿、話を誇張しすぎですよ。家人が聞いたら本気にしてしまう。話半分、いや、話一分で結構ですから、ね!」


 主は嫁姑の葛藤を知らないのか、それとも見て見ぬ振りをしてきたのか、この場でもやり過ごそうと真紅に釘を刺してきた。


 真紅も女の戦いにこれ以上は男を引き込む気もなく、

「オッホホホ」

 と華やかに笑った後、

「おなごのたわいのない話ですよ」


 それを聞いて主はホッとしたのか、

「それで宝珠の件はいかがいたす所存か?」


 真顔で聞く主には、事件を知っても動こうとしない真紅に不審を感じている節がある。


 それで真紅はたとえ話を持ってきた。


「九条様、池にいるメダカの大群を捉えるのにどうしますか? 勇んで突進するのですか? それとも追い込みまするか?」


「池の? メダカか。それなら……」

 と、確かに主は考え、

「投網を打つのが一番なのじゃが、メダカが逃げられない目の細かな網となれば、そうそうないだろうな。そうなれば三角網を使うのが一番だな」

 と、本気で漁の話に持ってきた。


「三角網をもって、どういたします?」


 主は再び考え、

「どうって、網を動かすのは愚の骨頂、編みは動かさず、他方から追い込む形でだな」

 と言い終えたときに漸く気が付いたようで、

「とすると、真紅殿は追い込んでいると言うのか?」


「そこまではまだ出来ないでしょう。今し方の話ですから、ですが、下手な動きは厳禁ですよ。メダカがちりぢりになり逃げてしまいますからね」


「あぁ、左様ですか。ふむふむ、して真紅殿が打った手とは?」


 真紅はそれには答えず、

「時に天宮中納言様はいかがいたしておりまするか?」


 天宮と聞いて主の雲行きが怪しくなってきた、が、表上は和やかに、

「至って壮健そうでござったが?」


「いえ、遙様でございまする」


「あぁ、天宮遙様ですか。さて、どうでしょうか?」


 と、惚けようとしたのだが、そこに再び奥方が勝手に襖を開け、

「あなた、もうお忘れですか? 先日お越しになったではございませぬか」


 真紅の腹の中では、

『出たな妖怪』

 と、嘯いた。


 主は思い出した素振りをするものの、ばればれの演技で、

「そうだったか、のう?! わしは急ぎの用事があったせいか、とんと記憶にないがの」


 そこでも譲らない奥方は、

「嫌ですよ。あなただって一緒に夕餉を頂いたではございませぬか。その席で、さらに」


 と、言いかけたとき、主は大きな咳払いをし、

「そんな話はどうでも良い」


 と遮ったものの、奥方に取ったらここは主戦場とばかりにとどまらず、

「あなたったら遙お嬢様にお屠蘇まで勧めて、やれ、めでたいな、とか仰って大層上機嫌だったじゃありませぬか」


 これは真紅に取って不穏な兆しに他ならないのだが、ここで騒げば揚げ足を取られると黙って見過ごそうとしたのだが、相手はそうは問屋が卸さないとばかりに、


「そうしたら遙お嬢様ときたらお酔いになったらしくて、ねぇ、あなた!?」


 と、意味深に話を盛り上げようとしてくる。


 それにはいたたまれぬと主の方で、

「これ止さぬか! そのようなことが漏れたら天宮様になんと言い開きできる? 最悪、お家断絶などと言うことも有り得るのだぞ」

 と、頭ごなしに押さえつけようとした。


 が、ここは女の主戦場、主といえども男など取るに足りぬと、

「オーーーホホホホ!!!」

 と、蹴飛ばすが如くに一蹴し、

「遙様のお心が一大事!!!! ですよね? あなた!」

 と、五寸釘を打ち込んでくる。そして打ち込んだ五寸釘を、『ウリウリ』とグルグル回しては打ち込んだ傷口をいたぶるのだ。


 狼狽える主はいけないところに踏み込み、

「しかしだ、九十九の許嫁は……」


「あなた、今、許嫁と仰いましたか? え? 九十九の許嫁と?」


 驚く主は顔面蒼白になりながら、

「それが? どうしたと言うんだ?」


「遙お嬢様のことを、九十九の許嫁と仰ったんですよね?」


 と、完全に空惚けの話をでっち上げてくる。


 大慌ての主は両手を振り回しながら、

「馬鹿者! なにを血迷ったことを、目の前に真紅殿がいるんだぞ!」


 奥方は澄ました顔で、

「あら、そうでした。これはとんだ失礼を、ば!」

 と、ちょこんとお辞儀をした。


 さすがの真紅も心穏やかではないのだが、それを表には出さず、

「天宮様のところにだって数多の良いお話しがあるでしょう。それを思いますれば、ね。危ういお話しはどうかと思います。遙様のお名前にも関わることでしょうし」

 と、扇子で口元を隠してみせる。


 真っ赤になる奥方を見ると些かは気分が晴れると言うもの。


 が、ことはそれほど単純ではない。


「それくらい分かってますよ! えぇ、分かってますとも、遙様はどなたと違って、それはそれはお美しい方ですし、麗しいというにも相応しいでしょう。でもね!」

 と、奥方は強いて力点を置き、

「あちらが九十九のことを放っておかないんですよ。私もね、そんなことしていると良縁から遠ざかりますよと、ご忠言申し上げたことも、一度や二度ではないんですよ。なのに聞いてはくださらず、返って足繁くお通いになる。こちらも無下にするわけにもいかず、困り果てているところなんです。そこでどなたかが引き下がってくれたなら、こんな良いことはないじゃないかと、思えるほどなのよ!」

 と、本音のところをスパッと言ってしまった。


 奥方の目は大きく見開き、

『これでどうだ!!!!!!!!!!!!』

 と、言わんばかりだ。


 真紅は持っている扇子で顔に風を送り、香りと上気した頭を冷やしている。


 そこで玄関先の方から、

「若様のお帰り!!!」

 と言うのが聞こえると、

 太鼓の音が、

「ドン~~ドン~~ドン!」

 と打ち鳴らす音まで聞こえてきた。


 程なくすれば見慣れた顔の九十九が顔を出し、その場の雰囲気を察した。


『ははぁん! またやらかしているな』


 部屋に入るなり適当な場所にあぐらをかき、

「母さん、おにぎり四つ頼むよ」

 そう言っては真紅に視線を向ける。


 見るからに地べたを転げ回ってきた感がする九十九に、


「それなら私が作って来ましょう」


 と言うのだが、九十九は、

「良いから真紅殿はそこに座っていんしゃい。この家ではまだお客様なんだし」

 そう言って母親に向き直り、

「頼むよ、母さん、母さんの作ったおにぎりが食べたいのじゃ」


 母親は急に花が咲いたような明るさになり、

「何時までも子供なんだから」

 と言うなり席を立ち、そのまま襖の向こうに消えていった。


 真紅はその瞬間に扇子で顔を隠し、何も言わない。

 その唇は強く閉じられたためか、僅かばかり震えている。


 九十九はそれでもと思い、烏天狗の勘九郎をとり出し、

「ほら、勘九郎殿の好きな真紅殿じゃ、挨拶しろ!」


 と言うのだが、その九十九に父親の方が、

「馬鹿もん、挨拶を欠かしているのはお前の方じゃぞ!」


 それを受け、九十九は真紅の方に向き直ったがあぐらはそのままで、

「真紅殿! よく参られた。おかわりはないか?」


 真紅は深々とお辞儀をし、変わらぬ笑顔で、

「はい、お陰様をもちまして恙無く暮らしておりまする。九十九殿に至っては……」

 と言った先で言葉が掠れ途切れた。


 それを主の方で呑み込み、

「そこでじゃ、九十九!」

 と、至極活気ありそうな声で言う。


 九十九としては真紅の言葉を聞いておきたかったのだが、顔だけは向け、

「どうかいたしましたか? 父上」

 と、微妙な表情を見せる。


 それで父親が、

『二人っきりになりたいだろうが、今は無理じゃ。あれがすぐに戻ってくる。だから、それまでに話を作らねばならぬ。分かるよな?』

 と、主は極力声を落とした。


 九十九は怪訝そうに、

『何があったんですか?』


『この前、天宮様がおいでになっただろ。それをあいつが大袈裟に吹聴してな』


 九十九はぼんやりと考え、烏天狗に、

『勘九郎殿、そんなことがあったか?』

 その烏天狗が、首を振り振り、

『うんにゃ、わしは知らぬぞ!』

 と言っては九十九の肩の上にちょこんと乗る。


 父親は呆れたように、

『馬鹿者。大事な話を茶化しおって!』

 と、主は大層怒りだした。


 が、真紅の方から、

「九条様、もうよろしいのです。それより宝珠のお話をしませぬと、もしや、九十九殿がなにか知っているやも知れませぬ」

 と、仲を取り持つ。


「おぉ、そうじゃった!」


 宝珠と聞いてただ事ではないと直感した九十九も、

「どうしたのです? 宝珠とは我が家の家宝ですよね?」


 主は座布団に乗せられた宝珠を取り出してきて九十九にも見せる。


「これは!!!!!!!!!」


 と、九十九も絶句し、と同時に真紅に視線を送り、


「これでは結界は破られた状態ですよね?」


「お恥ずかしい話、結界の異変に気が付きませなんだ。これは私の失態」


 そう真紅が言い終えるやいなや、襖がピッシャーンと凄い音を立てて開き、

「そうです! 真紅殿の落ち度です。この始末どう付けるつもりですか?」

 と、奥方が凄まじ勢いで入ってきた。


 その音に心臓が飛び出るほど驚いた主が、

「馬鹿者! 宝珠は我が家の宝。それがこうなったのには我が家の汚名に他ならぬ。これが余所に知られたらお取り潰しもあり得るのだぞ」

 幾分誇張した部分もあるが、主は真剣に奥方を押さえつけた。


「しかし、今、真紅殿が自分の落ち度だって!?」

 と、奥方は不承知の様子。


 そんな母親をおいてけぼりにした九十九は、

「我が家の守り神は? この事を知っていたんですか?」

 と、真紅に詰め寄るような真剣さだ。


 真紅は、

「知りませなんだ。それで他家に出向いてもらった次第です」


「おぉ、さすがは真紅殿、すでに手は打ったというわけですな」


 主も感心しているのだが、奥方は納得せずに、

「そうなりますと我が家の守りは手薄ではありませぬか? その責任を真紅殿がおとりになると言うのですね?!」

 と、嫁候補いびりにご執心だ。


 ここで頭を下げれば自分の見栄えが良いことも、九十九も主も味方してくれることも知っているのだが、そうなれば姑候補の立場がどんどん悪くなることも分かるが故に、

「家は主様が守るもの。奥は奥様が守るもの。そして未来は九十九様が守るもの。私など入る隙間もありませぬ」


 こう言われれば矛を収めるしかなくなった奥方が、

「はい、おむすび四つです」

 と、笹の葉にくるまれた握りを差し出した。


 それを受け取った九十九は、早速と立ち上がり、

「では、これにて!」

 と行きかけたのだが、


 真紅が澄み切った声で、

「お待ちください九十九殿、三条殿がお見えになります」

 そういったなり後は無言だ。


 九十九は驚き入って、

「三条殿とは、夕奈殿ですか?」

 と幾分狼狽気味だ。


「そうです、が、三条家当主道三様も一緒です」


「それはやばいな。俺は苦手なんだよな。じゃ、そう言うことで、後は許嫁の、いや、婚約者の真紅殿と親父殿に任せるとしよう。では、これにてご免!」

 そう言うが早いか、勘九郎を伴い庭先に駆け出していった。


 それを止めようとしたのだが手遅れで、

「本当に仕様がない倅だ。真紅殿、申し訳ないが、九十九の名代で同席してもらえないか? わしも三条殿が苦手でな。それに此度のこと大分分が悪そうで」


 そこで真紅も落ち着き払い、

「どちらの身分ででしょうか?」

 と、チラ見で奥方に視線を向けた。


 主は当然というようなのだが、一度は奥方を睨みつけ、立ち上がってどこぞに行って戻ってきてから、真紅に何かを手渡し、

「これは代々嫁から嫁に受け継がれし家宝の懐剣、これをもって略式だが結納品としてお納めいただきたい。あくまで仮にだが、真紅殿がそれでよければの話なのだが?」

 と言って主は備に真紅を見入っている。


 それを受け取った真紅を確認してから、主は座布団から降り、

「幾久しくお納めください」

 と、深々と頭を下げた。


 その真紅は手渡されたものを手に取り、敷いていた座布団を脇に避け直に畳の上に座り直してから、渡された家紋が入った懐剣を手前に置き、畳に額を付けるほど深々と頭を下げ、こう謳うような口上を申し上げた。

「生まれたときから幼馴染みになり、幼少の時には許嫁となり、そして今、結納を迎えし二人の契りは永遠になりました。幾久しくお受けいたします」


宝珠の封印


 そして再び太鼓が打ち鳴らされた。が、今度は、

「ドドンドンドン」

 と、九十九の時とは違っていた。

 太鼓の叩きにも区別があるようだ。


 そして中間が、

「三条様がいらっしゃいました!!!」

 と、大きく叫びながら離れの一角まで走ってきた。


 その中間に二言三言いえば、中間も再び走り去って行った。


「では、真紅殿、参りましょうか。九十九は万事逃げおおせたようだ」


「はい、九条様」


 主は少し困ったような照れるようなで、

「その真紅殿、結納も済ませたのだし、その、呼び方なんじゃが、その、義父さんと呼んではもらえないか?」


「はい、お義父様」


 主殿の嬉しそうな顔と言ったら近年見たことがないほどだった。それだけにその笑顔で奥方を見たときの高揚感も格別だったろう。


 その反面、奥方はこれ以上寄せられないほどの皺を顔面一杯に作っていた。


 主と真紅は連れだって迎賓棟に向かった。


 九条家にはおもてなしををするための館があり、最上位の高貴な方をお迎えする別邸があり、その次に上役とかをお迎えする上位の客間、そしてこれから向かう九条家と同等の、それでいて格式高く迎える場合の離れ庵があり、そのほかには格下でも格式を重んじる場合に使う客間などがあった。


 彼らの歩む速度と合わせながら、中間は三条を案内していく。そして時折、時間稼ぎの拍子木のような合いの手を入れ、立ち止まってはまた進んでいく。


 こうして主と真紅が先に離れ庵に入った。


 迎えた九条当主は床の間を背に、その左側に真紅が座り、三条当主は彼女の真正面に位置する形となった。当然、三条家は庭園を背にしている。


 その三条当主の横には夕奈が座を占めた。


 この三条家も五芒結界の一つに数え上げられている。他にも一条家に五条家、そして七条家と続き、全部で五家で五芒星を象っている。


 各居住の位置関係も正五角形をなし、それぞれに宝珠が備えられていた。


「ようこそおいで下された」


 主の屈託のない笑顔がまた、場違い感を漂わせている。


「九条殿、そんな悠長なことを……」

 と言いかけた三条当主が真紅が気になったのか、

「こちらのお方は、確か朝比奈殿でしたよね? 家督を継がれたとは聞き及びましたが」


 と、ここまで言ったのには分けがあった。


 突き詰めれば三条としては、自分より格下の朝比奈が上座に座っているのが気に入らないというのだ。


 それもそのはず、三条当主は正七位、この真紅は正八位なのだから格下だ。だから、九条の真正面に三条当主、その後方に夕奈、あるいは朝比奈が控えるべきだと、考え不満に感じたのだ。


 その不満が顔面表に出ていれば鈍い九条当主と言えども分かる。


「そうそう、こちらは陰陽博士の朝比奈真紅殿です。我が九十九の正式な結納を済ませた婚約者として、九十九に成り代わりご同席を願った次第で、これは九条家に取りましても、三条家にとっても大問題の凶事ですからな」


 三条の慌てようは度を超し、

「凶事というからにはすでにご存じなのですね? 宝珠の異変に」


「左様、それもありまして朝比奈殿は陰陽師、なんとも心強い限りではござらんか」


「しかし、帝になんと言い開きをして良いやら。陰陽師の朝比奈殿、これはどうしたことなのです? 正式なご返答はあるのでしょうな?!」

 と、三条当主はすり寄らんばかりの剣幕だ。


 が、そこに九条当主が、不思議そうに、

「時にそちらのご婦人は夕奈殿ですな?」

 と、今度はこちらの番と言わんばかりの責め口上だ。


 この三条夕奈は、大人しく座っていても大人しくしていなくとも、今風のお転婆お嬢様を絵に描いたような飛び跳ねた婦女子だ。


 しかしながら、どこからでも縁談が舞い込むほどの器量よしである。


 それが嫌で夕奈本人は普段では男勝りな羽織袴で馬を駆っては憂さを晴らしている。それなのに今日に限ってどうしたことは振り袖姿だ。それも普段しないお化粧もし紅まで引いている。


 これ見よがしな夕奈に、真紅の逆鱗が震えぬ分けがない。


 もっとも、この場に真紅がいる事など、夕奈に取ったら想定外なはずだが、


「これはこれは真紅殿、お久しゅうございまする。お婆様は壮健でございましょうか?」


 真紅は正八位なれど、立派な官職持ちだ。それなのに無官職の夕奈が同等扱いして許されるはずがない、のだが、一向にわるびれる気配がない。


 しかしながら、三条当主の額に滲む脂汗が彼の心境を物語っている。


 ちょこんとお辞儀をした真紅も、

「夕奈殿のお気遣いの賜でしょう、祖母も息災で居りまする。夕奈殿も元気そうですね。見るからに太陽の申し子と言った感じですよ」

 と、これは日焼けしているという皮肉らしい。


 ここ古都京都では日焼けした婦女子などいない。いるのは農村部くらいだ。


「真紅殿に至りましてはご婚約おめでとうございます。最も九十九殿にしてみたら婚約も許嫁も、幼馴染みって言う飯事遊びの延長なのでしょうけど、それでもおめでたいことには違いはないわよね」


 それにはさすがの三条当主も、

「これ! 口が過ぎるぞ」

 と、窘めてから、座布団から降り、

「わしからも、九条殿にも朝比奈殿にもお祝い申し上げまする。こうと知っていたらお祝いの品など用意したものの、お恥ずかしい次第で、時にいつ結納を?」

 と、深々と礼を尽くす。


 そこを突かれると痛いとばかりに課を背ける九条当主も、座布団から降り、真紅共々になり、頭を垂れながら、

「三条殿から祝って頂けるとは、光栄至極、大変喜ばしいですな」

 と、口上的な返礼をする。


 そこにいつも以上に上等な茶菓子などがだされ、幾分場も和んだところで、


「それで三条殿の宝珠も禍禍しくなりましたか?」


 三条も苦渋の選択と言わんばかりに持参した宝珠を公開し、

「見ての通り玉が石になってしもうた」


「我が家の宝珠も同様ですじゃ。三条殿のところの宝珠もこうなったと言う事は?」


 そう言った九条当主は真紅に目をやり、何事かの返答を待つ。


 真紅は一礼し、

「もうしばらくお待ちください。あと半時には子細が分かりましょう」

 と、言い切るのだ。


 それには驚く九条当主、

『真紅殿、大丈夫なのか?』

 と、いたく心配している。


 真紅は笑みと共に頷き、

『お任せください。今、知らせが届きました』


『誰からです?』


 真紅は俯いて真っ赤になっている。


 それで事情を察した九条も納得したようだ。


 そんな遣り取りなど面白くない三条当主は、

「ウッホン」

 と、咳払いをした後、

「こうなったれば、他家の方々とも話を通した方が良いのではなかろうか?」


 それに飛びつこうとする九条当主に、真紅は場違いな話を振り出した。


「時にお義父様。九十九殿は何時お帰りになりましょうや?」


 九十九の名を聞いて九条当主も他家との話し合いをひとまず置いておく気になり、

「三条殿がおいでになったと聞けば、早々に戻ってくるのではなかろうか?」

 と、思ってもいない事を口にする。


 それが妙におかしくなった真紅は、

「使いの者を出しましょうか?」

 と、謎めいたとこを言い出した。


 それに飛びついたのは夕奈の方だった。


「真紅殿、いやさ、朝比奈殿! 九十九殿の居場所をご存じか?」


 その鋒の鋭いことは甲高い声色がよく表している。


 その時、漸く真紅も夕奈に向き直り、

「九十九殿は烏天狗を引き連れています。それすなわち蛇の道は蛇というもの。ならば、空蝉でありながらも『ある』ものに頼れば良いとは思いませぬか?」


「それは……?」

 と、夕奈の範疇にない分野のためにはぐらかされた気がする、それで、

「適当なことを言って誤魔化そうとしても無駄よ!」


 幾分感情的になった夕奈を落ち着かせようとしてか、

「実際にその手が使えるなら使ってはくださらぬか? これは一刻を争う事態ですぞ」

 と、三条当主の出番だった。


 それを聞き及び真紅は悠々と、

「分かりました。三条様の宝珠をお借りしてもよろしいですか? それと、お義父様の宝珠もお願いします。単独では駄目ですが、複数なら発動するはずですから」


 何が起こるのか興味津々となった三条当主は伴ってきた中間を呼び寄せ、持参した大包みを持ってこさせた。


「この中に入れてきましたので」

 と、なにやら独り言のようにブツブツと言いながら、

「ありました。これです」

 と言って白化した宝珠を取り上げた。


「やはり同じですな。うちの宝珠も同じく白っぽくなってしまって」


 九条当主は中間に持ってこさせたはずなのに、持ってきたのは奥方だった。


「三条様、お久しゅうございます。倅の九十九もお世話になっているようで、何時もありがとうございます」


 馬鹿丁寧に挨拶するものだから、三条当主も決まり悪そうに、

「これはこれは、うちのじゃじゃ馬娘もなにかとお世話になっているらしく、ご迷惑をおかけしていなければいいのですがと、何時も心配しているところです」


 それを聞いて一瞬だけ真紅が笑ったのだが、奥方と三条当主との視線を受け、ピタッと止めにした。


 また、それを垣間見た九条当主がクスッと笑えば、


「あなた!」

 と、奥方が厳しいお叱りを飛ばした後、

「じゃじゃ馬などととんでもない。うちの九十九は溌剌なご婦人を特に気に入っているようでして、夕奈殿のことをたいそう褒めていましたよ」


 それに飛びつく夕奈は、

「本当ですか!? お母様! あ、いえ、おばさま!??」

 完全に舞い上がってしまった。


 それを見てほくそ笑む奥方は、

「まだ気が早いですよ、夕奈殿」

 と口では言うのだが、


 それに呼応するかのような夕奈が、

「おばさま、そこに落ち目の……」

 と最後の部分を掠れさせ、

「いると言いますのに」


 奥方も子細納得と言った具合で、

「そうでございました。私としたことが失礼しました」

 と、二人し、

「オーーーーホホホホホ」

 と、笑い合った。


 その無軌道に嫌気がさした九条当主が、

「おまえは良いから下がっておれ!」

 と、きつめの言葉で追い払おうとしたのだが、


 ここには奥方の味方が沢山いた。


「そんなつれないことを言わずに」

 と、仲を取り持とうとする三条当主は、

「今から朝比奈殿がなにか見せてくださるそうで、みなで堪能しましょう」


 それで奥方が、

「おぉ、それなら尚のこと同席させて頂かないといけませんね。今後のこともありますし。そうですよね、あなた!???」

 と、意味深な発言をしながら当主を睨んだ。


 九条当主は、

「いても良いが、邪魔はするなよ」

 と言うのが精一杯だ。それで、

『真紅殿、大丈夫であろうか?』


 そのヒソヒソ話が聞こえたようで、奥方が改まって、

「小細工は無しでお願いできませんでしょうか? ここには三条様もおいでのこと、我が家の恥にでもなったらそれこそ一大事です。その時は親類縁者の総出をお願いし」


 と、進んだ辺りで九条当主が堪えきれずに、

「えぇい、分かったと申すに!」

 と、遮った。


 が、それが墓穴を掘ると言うのだろう、それとも揚げ足を取られたと言うのか。


 三条当主が前屈みになり、

「それは本当でしょうな!? 我が耳がしかと聞き申したぞ!!!」

 と、迫る迫る。


 九条当主が額に脂汗を流し、

「真紅殿!」

 と、か弱い声で問い掛ける。


 その真紅、澄ました顔で右と左に置いた宝珠を見詰めている。


 その不動の姿勢に業を煮やした三条夕奈が、

「ちょっと聞いているの? なんなら私が乗馬の稽古を付けてあげましょうか!」

 などと、いじめっ子のような物言いに変わりだした。


 奥方も溜飲が下がったのか、

「それが良いわね。真紅殿もお馬さんにも乗れませんと、いざという時に困りますから」


「馬鹿も休み休み言いなさい!! 真紅殿は九条家の跡継ぎを産む大事な身、何かあったら取り返しがつかぬではないか!」


 と、夫婦喧嘩が一触即発しそうな雰囲気の中、真紅が物静かに、


「用意が調いましてございます」


 そう言った真紅、左右の宝珠をほんの僅か近づける。


 すると薄暗くなった部屋にあって微かに何かが光って見えだした。


 それを見た真紅が、

「宝珠事態はまだ生きているようですね。共鳴し合っています。とすれば、何かが宝珠そのものを封印しているとみた方が良いでしょう」


 それに噛みつくような勢いで夕奈が叫ぶ、

「封印って、そんなの無理に決まってるじゃない!!!」


 それでも真紅は、九条当主に小声で、

「どなたかに宝珠を見せたり、触らせたりしませんでした?」

 と、優しく問い掛ける。


 身動きできないような九条当主に三条当主だ。


 その彼らが互いを見合わせ、

「来たよな?」

 と言い合った。

「来ましたな」

 これも同時、そして、

「触っていったよな?」

 と、これは三条で、九条の方は、

「いや、わしは席を立ってので見ていなかったが!?」

 それに答えるように三条が、

「それって、どうぞ触ってくださいとって言っているようなものだろ?」

 そう言われた苦情当主だが、

「しかし、あのお方が、そのようなことを?」


 そこに奥方が感想のようにポツンと、

「その封印を解けば問題無いんでしょ? 真紅殿、解いたら嫁と認めてあげましょう」


 それには全力で抵抗する夕奈が、

『おばさま!??? そのようなこと、危険では!』

 と、奥方の袖口を引っ張ってまで阻止しようとする。


 しかし、奥方は目で合図を送り、(この時代にはウインクという認識はなかった)

『大丈夫よ。何しろ相手はあの天宮家よ。中納言の天宮様なのよ。こんな小娘に勝てるわけがないでしょ! 負けを認めて田舎に引き籠もれば良いのよ!』


 内緒話のはずが、何時しか気合が入りすぎでダダ漏れになっていた。


 それで九条当主までもが呆れかえり、

「お前という奴は……」

 と、そこで思考が働き、

「もしや? お前は天宮様と繋がっていたのか? それでわしを中座させたのか?」


 それでも惚ける奥方は、

「さぁ、何のことか分かりませぬねぇ」

 と、そっぽを向いたと思えば、

「でもね、そうやって根も葉もないことで私をお責めになると、後で手痛い目に遭いますよ。それが嫌なら変な詮索はしないことね」

 と、噛みつくことを忘れない。


「うぬぬぬ……」

 と、怒りをかみ殺す九条当主には、奥方に誰がついているのかが分かっていた。


 その騒動が収まったところで真紅は春の桜の花弁が舞い踊るように、

「お義母様、先の話は本当ですね?」

 と、穏やかな靡く風のように聞いている。


 そのすっとんきょうな言い分の毒気を抜かれたのか奥方は素直に、

「えぇ、言いましたとも、もう一度言って聞かせましょうか? その封印を解いたら、九条家の嫁として認めましょう、と、言ったのよ!」


「その言葉に二言はありませんね?」


「ないわよ。しかし、出来なかったら婚約の話も、許嫁の話も、いっその事、幼馴染みの過去さえも消し去ってもらいますからね! 良いですね!??? 二度と九十九に合わないと誓ってもらいます。それが出来なければ、そのお命を頂戴しますからね」


 かなり物騒なこともさらりと言ってのけた奥方だった。


 これを虫も殺さぬ顔をして、という奴なのだろう。


 とかく女は恐ろしい。


 その片方の女子の真紅も負けてはおらずに、

「私もお約束いたします。この封印を解いて差し上げまする。解けぬ時は潔くこの身を退きましょう。神仏にまさしく誓いました」


 奥方も負けじと、

「今の宣言をお聞きになりましたね?」


 すぐさま呼応する夕奈も、

「はい、はっきりと聞きました。解けぬ時は身を退くと確かに言いました」


 奥方は嬉しそうに、

「誓書にしたためるまでもありますまい。さぁ、祝いの準備をしなくては」

 そう高笑いし部屋から出て行った。


 そして夕奈もその後に付いていき、少し離れたところからか、大爆笑する二人の声までが流れてきた。


 決まりが悪い顔をする二人のおじさんたちは顔を見合わせ、

「とんだことに……」

 と、詫びのつもりかペコンと頭を下げ、

 もう一人のおじさんも、

「お恥ずかしいところをお見せした」

 と、こちらもペコンと頭を下げた。


 その二人を別にし真紅は悠々としていた。


 この家の主が戻ってきたのはそれから半時ほど経ってからだった。しかし、返ってきたときにはすでにことは決し、あるじが持ってきた、『全ての宝珠が白化していた』と言う情報も重要さを失っていた。



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