朝比奈家の日常
その日も真紅は祖母の部屋に入り挨拶を終えていた。
「それでは坂上田村殿のことはお願いしますね」
そう言って真紅は部屋を出て行った。
まだ、坂上田村の件が終わっていなかったのだが、真紅はそのことに関わろうとしないし、祖母も男と女のいざこざなど教えたくはないと思ったのだろう。だから、祖母は気前よく承諾したのだ。
時を移して坂上田村が朝比奈家にやってきた。
「ご免くだされ。坂上田村でございます」
そう言っては家人に土産やらを手渡してから奥へと進んでいった。
玄関を入ればすぐさま誰かの気配がすれども姿は見えない。なのにこの家の家人は気にする素振りは全くない。それだから余計に気味が悪くなる。
一度だけ、家人に聞いたことがあった。
「この家に来ると誰かに後をつけられている気がしませんか?」
その家人は笑いながら、
「お婆様が仰ってましたよ。悪人ほど後ろめたいんですってね」
と、まるで坂上田村が悪人かのような口振りだ。
そんなことを言われたら二の句が継げない坂上田村は押し黙ってしまった。
祖母の部屋の前まで来ると、その家人は役目は終わったと言わんばかりにすたすたと元の廊下を戻って行ってしまった。
その後ろ姿を呼び止めようとした坂上田村だったが、すぐに祖母の声で、
「お入りなさい」
と、言われてしまい、入らざる得ない。
それで怖々部屋に入ると、そこにいたのは真紅とおぼしき女性が仏壇を背に座っている。その凜とした姿より、艶やかな振り袖に目が奪われた。
坂上田村が下座に回り込み、まじまじと座の女人を見るも、真紅に見えるのだが、どうも風格がそぐわない。それで、
「あのう、お婆様でしょうか?」
と、聞かざるを得ない。
座の人は、
「カッカカカ」
と、大笑いし、
「わしじゃよ。真紅と見間違いしたのかのう?」
と、何時もの爛爛と光る目を向ける。
その光で縮こまった坂上田村は、その場に平伏し、
「左様でございまする。見間違えるほどのお美しさでございまする」
と、なかなか頭を上げようともしない。
だから、祖母の方から、
「そう畏まらずとも良い。これは戯れ事よ。時に、腹は決まったかえ?」
坂上田村は本題に入ったと察し、
「はい、我が子はすでに我が屋敷に引き取りましてございまする」
「うむ、その上で認知の義を執り行うのじゃぞ! さすれば、そのおなごも自然に離れるであろう」
しかし、坂上田村は、
「あのう、お婆様がお祓いになってくださらないので?」
「愚か者! そこまでになってしまえば、祓ったところでぬしまで祓われてしまうのじゃぞ。それでも良いのか?」
「えぇ? どう言うことでしょうか?」
「あれから何日が経過したのじゃ? わしは早く決めるように言わなかったか? 一日一日が寿命を縮めると言わなかったか?」
坂上田村は思い出したようで、
「いえ、早くに決めろと言われました」
「うむ、それでも良い方向に進んだからぬしの命も損なわずにしんだのじゃ。これで良しとするのじゃな」
それでも自分の境遇がどうなっているのか知りたくなった坂上田村は、
「それでわれはどうなっているのでしょうや?」
「そこなおなごと同化しているようなものじゃ。あの時、おなごが入り込んだというたじゃろ。その時にはほんの一部分が触れたに過ぎなんだ。なのに日に日にうぬの臓物は侵食されていったのよ。そしてついには、分かるよな。だから、祓いなどすればうぬごと祓わねばならなくなる。わしはそれでも良いのじゃがな」
そう言って祖母は扇子に隠れて笑い声を洩らしていった。
坂上田村が帰った後、真紅が祖母の姿を見て驚いていると、
「これで九十九殿を誘惑してみようかの! ホッホホホホ」
と、祖母の快活な笑い声がいつまでも聞こえるのだった。
終わり