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北枕で眠る朝比奈真紅

空蝉状態となった真紅。

事態を打開せんと動き出す祖母の場面です。

 朝比奈家では九条と朝比奈家のあるじ同士でまだ言い合いをしていた。


「おぬしの所為だ!」


「いや、おぬしの所為だ!」


 こう言い合いし時には手まで出し合って三日が経っていた。


 真紅は北に枕を置かれて寝かされていた。


 が、まだ真紅の体は死んだわけではない。しかし、このまま行けばいずれは死ぬ運命に間違いない。


 祖母がしきりに真紅の唇を綿棒で濡らしている。彼女に水分を取らせるためだ。


 その席には九十九もいた。彼も自分の責任を痛感しているのだろう。あれからこの場を離れたことがない。


 もし、ここに祖母がいなければ、安らかな顔をしている真紅に抱きついたかも知れないし、泣きついたかも知れない。


 されど真紅の横には祖母がいる。畳一畳分以内には近寄れない。


(これは祖母が取り決めた事柄だ。そうでもしなければ九十九が真紅にしがみつくことが分かりきっていたからだ。放置していれば何をしでかすか分かったものではない、と言う思いが祖母にあったのだろう)


 だから祖母は、

「明鏡止水の術で空蝉になっための子の側に、男の子が近寄ると悪影響がでる。女の子の体は安んじ清らかにしなければならぬ」

 と、さも本当のことのように言い切った。


 そう言われた九十九は必死に自分と戦っていたのだ。


 そこに彼の体を心配した父と母親が朝比奈家を見舞いに来た。


 九十九の顔を見た母親は真っ先に彼の体の心配で言葉をかけた、が、それを制止て父親は祖母を前に深々とお辞儀をし、

「此度のこと、倅の不徳を心より詫び申す。真紅殿に関し、我らに出来うる事があれば何なりと申しつけてくだされ!」


 祖母は全く悲観していない様子で、

「陰陽師のお勤め上のことなれば、この結末はこの子の未熟さが招いたこと。九条殿はお気になさずともよろしかろう」

 それから祖母は九十九に視線を移し、

「婿殿にも気にされぬように申しつけておるのじゃが、何分気弱で困ったものじゃ」

 などと、九十九をかの扇子でパタパタと扇いで見せた。


 その『婿』と言う言葉で硬直した九条当主が、聞き間違いかと、

「今、婿とか申されましたか? そこの九十九は九条家の跡取り息子。九条九十九でございます。決して他家に行ったりなどいたしませぬ」


 母親も瞬時に、

「それはこうなっては真紅殿もどうなるか分かったものではない、ことは分かりますよ。でも、我が家の跡取りを横取りしようなどとはもっての外!! 外道も良いとこです」

 と、今にも飛びかからんばかりである。


 そんなことはお構いなしに祖母は、

「朝比奈家も九十九殿が婿養子に入り、真紅と夫婦縁組みが調えば、この上ない万々歳でござれば、九十九殿もそう覚悟を決められた様子。そうなれば九条家もお困りでしょう。その暁には分家から養子を迎えられたが良かろうて」

 そう言って祖母が大いに納得しだした。


 そこに今まで影に隠れて見えなかった天宮遙が前に進み出、真紅の枕元に座った。


「あら? この子はまだ生きているように見えるのだけれど、これはどういう分けなんじゃ? 死んだのではないのか?」


 確かに家柄はこの中で随一の中納言である。が、その家の娘というにすぎないのだが、彼女はそんなことはお構いなしにずけずけとものを言った。


 その言いぐさにはさすがの九十九の母親も開いた口が塞がらないと、様子を見ることにした。そして父親も同じく、祖母の対応に注視した。


 その祖母、カッカと笑いながら、

「中納言の娘子」

 と、遙の気を引きつけてから、

「喧嘩を売って良いのは人間にだけでございまするよ。そして関わっても良いのは人間だけでしょう。この意味がお分かりでしょうや?」

 祖母の目には人を吸い込んでしまいそうなほど深い闇が広がっていた。


 それまで用人に言いたい放題の悪態をついていた遙だが、急に自分の周りに冷たい空気が流れてきた気がし、背筋に悪寒を感じて震えそうな声で、

「な、何を言っているのじゃ? 人以外になにがいると申すのか?」


 祖母は扇子で煙を立ち上げるようにすると、

「そう思えるのなら関わらぬことですじゃ。特に、元陰陽師の横溝には近づかないように。あれは人に見えて人に非ずですじゃ」

 と言いつつ煙を蛇の様相をさせ遙の方へ忍ばせる。


 躙り寄ってくる蛇のような煙に怯えだした遙は、すぐさま用人に命じ、

「はよ、始末するのじゃ!」


 その言葉で用人は白刃でもって煙に襲いかかるも、煙は断ち切れもせずに遙にドンドン接近していく。


「キャァァ!」

 と叫ぶのだが、用人の白刃ではいかんともしがたく、それでついに、

「お婆様、なんとかしておくれ、はよはよ!」


 祖母は再びカッカと声を出して笑い、

「これしきのことで怖がっていたら、横溝に食われてしまうぞ!」


「しかし、あやつは人間ぞ!?」

 と、自分が横溝と関係があったと暴露してしまう。


「今は人間に見えるかも知れぬが、中身はもはや人に非ず、物の怪よ! だから、その関係を断ち切らねば、中納言のお嬢様とて、あなた様のお命も危うございますよ」


 そう言って祖母は尚も扇子で煙を操作していると、遙に何かの紐というか縄というか、そのようなものが繋がれているのが見えだした。


「ほら、みえるじゃろう。これが横溝とうぬとの繋がりよ。この蛇がうぬを呑み込むその時が自らの命日と思うが良い」


 そのあまりにも恐ろしげなお婆の言い方で、天宮遙はその場で卒倒してしまった。


 その遙が気を取り戻すまで九条当主は居残り、祖母と話をしていた。


「……、そうするとその横溝というのがこの事件の首謀者という分けですな?」


「他にいなければ、の話ですがな。後、確かに安西に化け物がいる事は間違いがない。真紅はそれを先に叩こうとしたのじゃが、頼りの結界が、先手を打たれて潰されていたために失敗したというわけじゃな。横着するからこういうことになるのじゃ!」

 と、忌々しげに断罪した。


 それでも九条当主は、

「それなんですが、我らが宝珠を蔑ろにしていた所為もありますし、なにも、真紅殿が全て悪いわけではありますまい」


「うむ、それは確かに言えなくもない。わしにも見抜けなかったのじゃからな。しかし、だからといって九条殿と誓約を交わすなどもっての外じゃ。宝珠は宝珠。結納は結納と分けて考えられぬとは、この未熟者めが!」

 と、祖母の怒りは尚も収まっていなかった。


「しかし、それは我らにも非があること。ですので、此度の誓約はなかったことにしたいのですが、祖母様のご意向はいかがでしょうや?」


「それはならぬ。我らで話をつけてはならぬのじゃよ。これは真紅自身が話に決着をつけねばならぬ。そうしなければ真紅は囚われのにとなろう」


「しかし、お婆様、真紅殿はあのような姿。ここは大人の我らで……」

 そう言って九条当主は彼女への情けを主張した。


「無論今度の戦いにはわしが出向くしかあるまい。しかし、これで最後というわけにもいかぬのよ」


 お婆の実力を知っている九条当主が驚きを隠せずに、

「それはどう言う意味なんですか?」

 と、少年のような質問をする。


「答えは簡単じゃ。今、手のつけられぬ化け物が三匹、京を徘徊しておる。これを一度に始末するのは不可能じゃ! そうは思わぬか?」


 それを聞いて九条当主が重ねて、

「どうして三匹と? 取り逃がした九尾の狐と、天宮殿を誑かした物の怪だけでは?」


「それだけならここまで大がかりな仕掛けは出来なんだだろう。横溝に狐を操る性悪がどこかに潜んでいるのよ。こいつを炙り出さねば終わりは見えぬな」


「左様で……」

 と、九条当主は恐れ入って言葉にも出来なかった。


 そうしていると漸く天宮遙が意識を取り戻した。

「私としたことが?!」

 と、無理に起き上がり、自分の体に異常がないか。意識に混濁がないかを、瞬時に自己点検しだした。それから、

「お恥ずかしいところをお見せしました」

 そう言ってお婆に頭を垂れた。


 祖母は、それを見て、

「もう大丈夫そうだの?」


「はい、もう大丈夫です。もしかして私にお話しがあるのですか?」


「あるとも、遙殿は自分の身がどうなっているのかが分かり申したな?」


「はい、おぞましくも呪われた境遇ですか?」


「それも御身が蒔いた種じゃな。それでその繋がりを断ち切らねばならぬのも分かるな?」


「はい、それでどうやったら切れるのでしょうか?」


「相手を葬るしかあるまい。つまり術者を始末するのじゃ」


「あの、私に出来るでしょうか?」


「やるしかあるまい! で、遙殿には囮となってもらう。籠の中の小鳥といった具合か」


「そこに横溝を呼び出すのですね。でも、横溝です。大丈夫でしょうか? 宝珠の結界もないのでございますよ?」


「結界はない。が、同じような結界を配置する。だから心配には及ばぬよ。それと、その準備が整うまで、遙殿には我が屋敷にとどまってもらう。それは良いな?」


 起き上がりで体がまだ完全ではない遙だが、

「はい、ご面倒でもお願い申し上げます。ここしか頼るところがないのです」

 と、この天宮遙が生まれて初めてだろう、人にものを頼んだ。


 祖母は快く承諾し、

「遙殿には身代わり地蔵を授けます。その地蔵があなたの代わりに最悪の場合、殺されてくれるでしょう。しかし、その時、注意してくだされ。決して声を発してはなりませぬ。声を出せばそれで地蔵が身代わりだと露呈してしまうのです」


 遙は指を畳に付け丁寧にお辞儀をし、

「分かりました。何から何もでお手数をかけまする」


「全てはこれから、これから……」


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