繋いだ二人の手
ほんの少しですが、九十九と真紅の場面です。
その日の夕刻、真紅は出掛けるというのにバタバタとしていた。
それで仕舞いには祖母に、
「これ”! 忙しなく動き回るでない!」
と、お叱りを受けた。
その真紅、持っている簪に帯締めなどを見せながら、
「だって、まだ決まらないんですもの」
と、だだっこのような物言いをする。
「これから一働きをしようというのに、何を着飾ろうと言うんだ? そんなんだから昼間の男のように目違いをするんだよ。少しは……」
と、祖母が話している最中だというのに真紅はどこかに行ってしまった。
そして遠くの部屋から、
「だって、九十九も来てくれるというんですもの!」
と、まだなにやら探している様子だった。
「それなら、わしの簪を使うが良い。それと扇に一葉も持っていくが良い」
そこで驚いたように真紅の声で、
「え? 簪に扇に一葉って、三種を使うの? それほどのことなの?」
祖母はやはり目頭を押さえながら、
『本当に大丈夫なのか?』
と、自問自答すれば、
そこにあるものが、
『お婆様、我らもお供いたしましょうか?』
と言いだした。
しかし、祖母は、
『いや、それには及ばぬだろう。九条のところの主が出張ってくるはずじゃからの』
するとあるものも驚きつつ、
『九条の主でございまするか? それなら安心でございまするも、本当に来るのでしょうか? いえ、お婆様を疑うわけではございませぬが、主は主ですから、九条家を離れるとは思えないので』
それを聞いて祖母が、
『主は家ではなく人に憑くものじゃぞ』
『そうしますと、九条家の主は九十九殿に? と言う事でございまするか?』
『今後来た時に聞いてみたらどうだ? おぬしらも語り合わねばなるまいに』
『心得ましてございまする』
そう言ってあるものは気配を消していった。
そこに真紅が、
「お婆様? 主様ですか?」
と、気になって尋ねる。
祖母は、
「お前を遠くから見守ろうかと言ってきたんだが、丁重にお断りしておいた」
と、あっさり言ってのける。
「そうよね。お婆様の方が大切ですものね」
と、未だに幾分すねたような真紅の言い方だ。
「そんな子供みたいなことを言っていると、すぐにでも九十九殿が来てしまうぞ」
「あら、それは大変。お婆様、では、お借りいたします」
と、真紅は丁寧に頭を下げた。
時刻通りにやってきていた九十九より遅れること一刻、朝比奈真紅は牛車に揺られてやってきた。
「どうも遅くなりました?」
と、まるで遅くなっていないかのような聞き方だ。
だが、九十九も、
「俺も今来たところだが、約束の刻限って酉の刻、初刻で合ってたよな?」
「そうだったかしら?」
と真紅は空惚けてから、
「あそこに弾正台様がいらっしゃるからお聞きになれば?」
などと少し冷たくあしらう。
そんな真紅の周りで尚も九十九が、
「その簪って変えたの? もしかして?」
「お婆様のをお借りしたの。どう? 似合って?」
「似合う似合う! とっても良いよ」
「もしかしてとっても老けて見えるとかじゃないわよね?」
「違う違う。それにお婆様はかなり若く見えるよね。あれじゃ、真紅殿の姉上でも通りそうだけど、それをやったら空恐ろしい」
真紅は扇子で口元を隠し、少し笑った後、
「その言葉、そっくりお婆様にお伝えしますからね」
「待て! 待ってくれ! それはないだろう真紅殿!」
と、九十九は泣きそうな声を出して懇願する。
「どうしようかしらね? 私、この前、九十九殿のお母様にこっぴどく虐められましたからね。その腹いせもしたいですし!」
「それこそ言いがかりというもの。女の戦いに男を巻き込まないでもらいたい!」
と、急に頑なになった。また、それだけ女事に危機感を抱いている様子だ。
それを読み取った真紅が、
「あぁ!!! お母様の味方をするつもりね! まさか九十九殿って母親の尻に敷かれているわけじゃないでしょうね?」
(今で言うマザコンと言うつもりらしい)
とごり押し気味に押してくる。
(多分なのだが、こうやって女の戦いが繰り広げられていくのだろう)
九十九は上気した顔で、
「そんな分けないだろ。なんたって俺は我が儘小僧様なんだぞ!」
と、どういうつもりで威張っているのか分からないが、とにかく威張る。
「はいはい、情けない母親の尻に敷かれた小僧様ね。あぁ、恥ずかしい!」
と、何時までも詰りそうな真紅だ。
その茶番を遠くから眺めていた藤原司弾正台が呆れながら近づき、
「朝比奈殿、加勢かたじけない」
と言いつつ九十九を見ながら、
「そこもとは確か九条家の、でしたな? 今宵は何用で?」
そこで九十九が答える前に真紅が、
「婚約者とは言え妻も同然、その妻の一大事とあっては、夫たる我が身も粉骨砕身の働きを見せようと罷り越した次第でございます」
とここで一息入れてから、
「そうですよね、九条九十九殿?」
そう話を振られた九十九も同意するしかなく、
「九条九十九、一世一代の大仕事をやり遂げて見せます」
そう言われた弾正台も少し呆れ気味に、
「ここで尽きてもらっても困るので、ぼちぼちでお願いいたしまする」
そんな話をしているとことに、怪訝な表情で見ていた坂上田村が恐る恐るやってきて、
「朝比奈殿、その節はお世話になり申した」
祖母から話を聞いていた真紅は、おかしさを押し殺しながら、
「坂上田村殿、お加減は如何でしょうか?」
少しばかり勘違いをした坂上田村は慌てて、
「あれしき大丈夫でござるよ」
と、体の元気さを誇張しだした。
それで気になった弾正台が、
「坂上田村殿? どこか具合でも悪いのか?」
と、気にかける様子。
坂上田村は真紅が何か言う前に、
「元気元気、気合が溢れる程ですよ。しかし、暴徒共は遅いですね」
と、周囲を警戒する振りまでしてみせる。
弾正台に九十九はその言葉に乗せられ周囲を警戒しだした、が、真紅だけは、
『坂上田村殿、祖母から聞きましたよ。だからお体の心配をしたんですよ。そこな娘子が座敷牢の子かえ。なるほど、意味ありげな娘子よの。それで空目になったのか!』
などと一人で納得している様子だ。
坂上田村はなんと答えたが良いか悩んでいたのだが、先に真紅の方が興味が失せたと言わんばかりに立ち去ってしまった。
坂上田村は、その後ろ姿を見送っていたのだが、その真紅の後ろ姿の艶やかなことと言ったら普通の男でも堪らないほどだから、色欲の坂上田村では尚のこと悪い考えが浮かんできた、その時、急激な悪寒が体中を駆け巡った。
『ギャァァァ!!!』
言葉にならぬ叫びを上げる。
のたうち回る坂上田村が必死の形相で真紅を手招きする。
その茶番劇をしばらく堪能した真紅は二三歩近寄り、
「どういたしました?」
と、分かりきったことを聞き出した。
「お頼み申す!! この苦境をなにとぞお助けを!!!」
真紅は致し方無しと肩をすぼめ、
「そこのおなごにまずは詫びよ。それから邪な思いを止めよ。さすれば癒やされよう」
『しかし、お婆様に癒やしてもらったはずなのでは?』
と、病人が医者に悪態をつくような感じの物言いだ。
『こうも言いませんでしたか? 女は取り憑いたままだと』
『それはそうですが、だが、呪いの糸は解けたはず』
その時の真紅は、まさしく小賢しい悪知恵ばかりつけおってと思うし、こんな男がいるところで我が身を空にしても大丈夫なのかと心配しつつ、
『生きているおなごたちが怨念の糸は殆ど無くなっている、が、そこに悪いことが重なったというのか、悪い方向に進んだというのか、取り憑いているおなごの怨念が入り込み、うぬの臓物を握り締めている、と言った具合じゃ。何時、殺されるか分かったものではないぞ。だから、大人しゅうしていることだ』
『では、どうやったら治るのでしょうや?』
『お婆様に言われておるだろうに。後は私の知ったことではない』
そう言い捨てるとさっさと歩き出し九十九の元に向かってしまった。
それを一部始終見ていた九十九がかなりむくれて、
「真紅殿!? わしがいるというのに他の男と気さくに話すのはどうかと思うぞ!?」
と、夫らしい振る舞いをして見せた。
それに感激した真紅も、
「妻の身でありながら出過ぎた真似をし、申し訳ございませなんだ」
と、ゆっくりと頭を垂れた。
そんな二人は見つめ合い笑いに包まれたとき、遠くの方で人の叫び声が起こった。
藤原司弾正台がすぐさま、
「面妖な! 誰か、見て参れ!」
と、下知を下すも、
武官の坂上田村が、
「ここは纏まっていた方がよろしいかと。もし、陽動作戦だとしたら手遅れになるやも知れませぬぞ!」
そこまで気後れする意味が分からず、
「偵察に向かわせるだけなのだが?」
と、坂上田村の真意を聞いてみた。
それには坂上田村が、
「我らの勤めは討伐でございますれば、民衆には堪えてもらわねばなりますまい」
そう言われれば弾正台とて命が最重要なのだから、
「うむ、武官殿の言われる通りじゃな。では、その通りにいたそう」
こう言ってその場から動くことはなかった。
そうこうしていると叫びがあった方角から火の手があがった。
「あら? あちらが明るくなりましたね」
と、真紅は少し暢気な物言いだ、が、
「藤原司弾正台様、いかがでございましょうか。私に思惑があるのですが、お乗りになりませぬか?」
藤原司の好奇な目が光った。
「おぉ、それはありがたい。で、どのような子細なのですか?」
「この先に結界を張ってあります。先日、破壊された結界の代わりになるものです」
藤原司は始めて聞いたように驚き、
「それは真ですか? 真なればさすが陰陽博士ですな!」
大喜びする藤原司に言いにくそうな真紅は、
「それなんですが、皆さんには誘導係になってもらいたいのです。直接誘い込んでも誘導に乗ってこないでしょうから、戦いながら後退してゆき結界の中心部まで引き連れてきて欲しいのです」
「その場所はどこですか?」
「三十三間堂」
「では、そこで落ち合いましょう」
そう言う弾正台が心配で、
「いえ、私も参りますから」
と、引率を買って出る。
しかし、意外にも弾正台は、
「いえ、朝比奈殿がいれば向こうも警戒するのでは、と危惧しているのです。そこで我らだけで、いえ、大丈夫ですって、必ず奴らを誘導してきます。その代わり、後のことはお願いいたします」
しかし、真紅は暗い顔で、
「いいえ、多分ですが結界は破られるものと思います。何分急拵え。それほどの威力はありませぬ」
「では……?」
「そう、今回は奴らにとっての消耗戦。こちらも結界という決め手を失いますが、それでも戦力差を埋められれば、それに越したことはありますまい」
「左様か、では、朝比奈殿の立案通りに!」
こう言って藤原司弾正台は、坂上田村武官を伴って火の手が上がった区域に向かったのだった。
後に残った二人、九十九は暗い顔をした真紅を労りながら、
「なに、俺がついているって、そう心配しないでもよいさ!」
それなのだが、真紅は九十九の母親と交わした約束を気にかけていたのだ。
「ありがとうございます、あなた様だけが頼りでございますれば、私を、その力強い手で守ってくださいませ」
「任せておけ! なんにしても俺には勘九郎も付いているしな」
と言った九十九なれど、その勘九郎を探しても見つからない。
それでジタバタしている九十九なんだが、勘九郎がいないから慌てている分けではなかった。その時、本当に久しぶりに二人っきりになったために上がってしまっていたのだ。
それなのに真紅は、京の町を、少しばかり火事に悲鳴のために騒がしくはなっているものの、二人で歩くことで格段の喜びを感じ取っていた。
しかし、何時まで経っても九十九が平常心を取り戻さないため、何時まで待っても手を握ってはくれないため、ついに真紅の方から、
「あっ!」
と言ってよろけた振りをした。
それを優しい腕で抱き抱えた九十九も、
「大丈夫かい? 普段から歩き慣れていないから」
そう言いながら真紅の手を取り、
「俺が支えてやるから」
と、少し前を歩き出した。
真紅にしてみたら掴まれている左手に、右手を添えながら、
「もう少しゆっくり歩いてくださいまし。男衆は早歩きで大変です」
と、どこか甘えるような声色だった。
その仕草、真紅が両手で自分の手を握っていることと、なんとなく自分に寄りかかってくるような素振りで、
「なんだか何時もの真紅と違うようなんだが? 何かあったのか?」
と、これから起こるであるこことを含めてもいない聞き方だ。
「少し緊張しているのかも知れません。相手が相手ですし」
それでも九十九は、
『いやいや、何時もの真紅ならこれくらいの艱難などすまし顔でやってのけるだろう。決して俺になどに弱みなど見せることはないはず。いや、今まで自分に弱みを見せたことすらなかった。母親との遣り取りも、俺には事後報告しかしなかったし』
と、不審がり、
「緊張って、ますますおかしいぞ? どんなときだって平常心でいるくせに?」
そう言われて恥ずかしそうに、
「いやですわ。まるで私が恥知らずみたいじゃないですか」
などと言って、九十九の背中に隠れようと回り込んだ。
それこそ九十九にしてみたら背筋が震え上がるほど、鳥肌が立つほど驚くことだ。
「本当に良いから、本当のことを言ってみなさい、怒らないから」
そう言うとなんだか真紅の手は汗をかいているような気もする。だから九十九はその手にほんの少しだけ力を込めた。
その思いが伝わったのか真紅は尚も九十九の背に隠れ、
「実はお婆様から明鏡止水の術書をお借りしてきたの」
と、声を少し震わせてていた。
その頃、朝比奈家ではお婆がいつも通りに経を上げているとぬしがその部屋にやってきた。
これは珍しいことだった。
それで祖母が、
「ぬしよ。どうかしたのか?」
と、軽めの聞き方をした。
ぬしはその場で正座をし、
「これは真紅殿には口止めされたのじゃが」
と、そこで言葉を途切れさせた。
その真紅という言葉で祖母ははっとし、
「まさか、おぬし!??」
と、婆様とも思われぬ早さで駆け出し、奥の書庫まで全速疾走し、扉を開け放てば、
「なんと言うことをしたのじゃ!」
そう言って某かは入り込んだ形跡が残る書庫に入り、一番大切な経典、術典、法典をくまなく探っていくと、
「ない! ないぞ! ぬし! ないではないか!!! そなた、何をしたのか分かってやったのか? 明鏡止水の法典、術典がない!!! が、経典はある! これがどう言う意味か分からぬのか! 分からぬとは、愚かよ。愚かよのう、真紅よ! これでは、この経典がなければ戻れぬのだそ! 戻れぬのだぞ!!」
そう言ってその場に泣き崩れる祖母だ。
その声は地獄の蓋が開くかのように重く、そして鈍い響きを伴い、地の底から湧き上がるような陰湿な呻き声だ。
その心底悲しいと言う響きのある声を聞くぬしはどうしたら良いのか分からず、とりあえず慰めの言葉をかけようと、
「そう噎び泣くと体に悪い。とにかく部屋に戻ろう」
と、優しく言ったのだが、それが祖母には悠長に聞こえたのだろう。
「ぬし!!! おぬしはここで何をしておるのじゃ! 早う行って真紅を止めぬか! 早う行け早う行って真紅を止めてくれ!!!」
ぬしは気が付いたかのように瞬時に飛び跳ね、けたたましくも駆け出していった。
後に残った祖母は、静かに体を起こし、先ほどの仏間に赴き、
「一縷の望みよ」
こう言って部屋にある曼荼羅の巻物を開き、上からじっと見据えだした。
「まだ間に合う。ここに真紅がおる、まだじゃ、まだ間に合う!」
祖母はそう言いながら曼荼羅を見詰めていた。




