家に棲む主
春の日差しを受けた時の出会い
襖を開けると香と一緒に円やかな霊気が外に流れ出る。
(香は邪気を払う力があるために欠かされたことがない)
すっと白い足袋を履いた少女の足が部屋の中に入る。
帯に差してある懐剣の鈴が軽やかに鳴り、その日の心模様が音として現れた。
部屋の仏壇を前に座っていた祖母が向き直り、
「もう出掛けるのかい?」
少女は落ち着き払ったように座り、
「はい、これから安西のところまで参ります」
「安西とな? 九条のところで何かあったのかい? わしの見立てでは京極なのだが」
少女はほんの僅かに首を振り、長い髪が軽やかに靡く。
「その京極の鬼相を裏で操っているのが安西なので、先に潰してきます」
「そうかいそうかい。真紅も曼荼羅を詠めるようになったのかい」
「いやですわ。お婆様ったら何時までも子供扱いして」
「フフフ、わしの目は節穴じゃないぞ……、だが、いくが良い」
と、祖母は意味ありげな物言いをして打ち切った。
少し高揚とした真紅だが、深めにお辞儀をしてから部屋を出て行く。
襖の前でしゃがんだ姿勢で伸ばした腕の袖が少し下がり真っ白な腕が見えた。それをすらりと腕を戻して隠せば、すっくと立ち上がり玄関まで真っ直ぐに進んでいく。
玄関まで行く間に、諸々に得体の知れないある者達が彼女を見送っている。このある者達はこの家に棲み着いているものではあるが、邪気がないが故に払われないのである。
彼女としてもそのある者達の気配を訓練として利用している向きもある。彼女が担う役目上、広範囲な識別能力が要求されるからだ。この屋敷の中にいて、それらある者達の全てを把握するには研ぎ澄まされ張り詰めた精神力が必要になる。それを彼女は歩き始める前からやっていた。
玄関先で草履を穿くとどこからか鼓が聞こえてくる。
『見送りのつもり?』
と、真紅は綺麗な唇でえくぼを作る。
門扉をくぐるとそこに人力車が待っていた。
真紅はその人力車に乗り込み、
「九条」
とだけ軽く言いつける。
男は単に、
「へい!」
と言うなりゆっくり持ち上げ走り出した。
九条までは小一時間の距離だ。
彼女が外の景色に飽きてきた頃には着くと言った手頃な具合だった。
九条に到着すると男は膝掛けを取りのけ草履を揃えると、彼女の手を取り降りる手助けをする。それから彼女が草履の具合を整えている間に、九条家に到着を知らせる。
「朝比奈真紅様が到着されました!!!」
幾分大きめの触れである。
すると中から家人がいそいそと出てくる。一人は玄関前で止まり、もう一人は門扉の先まで出迎える。
「ようこそおいてくださいました。どうぞ、主がお待ちしておりまする」
中間が深々とお辞儀をしている。
真紅が先に門扉に差し掛かると内側に控えていたもう一人の中間が扉を開けた。彼女はその門をくぐり玄関へと入っていく。
式台に足を乗せ上がり框で膝を付くと草履の向きを変える。そして立ち上がると廊下の地板に足を忍ばせた。
『お邪魔いたします』
こう彼女は誰もいない先に断りを入れる。
誰もいない先から、
『許す。入るが良い』
静かな波のようでいて噴火する山のような力強い振動音が伝わってくる。
中間は何も知らずにその廊下を進んでいく。
幾つかの渡り廊下を通った先に穏やかな座敷に行き着いた。そこは四つの面があり、それぞれに個性があった。
真紅が案内された部屋は西に面した部屋であった。そこからの眺めは竹林と言えるほど竹林で趣向が施されている。所々に竹細工で造られた垣根が面白いように道筋を造り、まるで竹林の枯山水と言った具合だ。
真紅は床の間に向かって正座して待っている、と、九条当主がふくよかな体を揺すりながら入ってきては床の間を背に座った。
二三の軽い無沙汰の挨拶の後、主が、
「お婆様は壮健でいらっしゃるか? もうお年ですから」
と、祖母を気遣うようなことを言うのだが、最後のところが歯切れが悪い。多分、歳ににつかぬ容貌を当てこすっているのかも知れない。
「ありがとうございます」
と、真紅は深々と頭を下げた後、
「祖母なりに養生しているようですが、お恥ずかしい話、何分、私が心許なく負担ばかりかけている次第でございます」
「いえいえ、真紅殿に至っては、立派に朝比奈家の重責を担っておられる。それに比べ、わしのところの小倅はいつまで経っても遊びに夢中でして」
と主は頭を掻きだした。その頭はかなりお寒くなっている。
それを見て真紅は、
「それで九十九殿はどちらへ?」
と、単刀直入に聞いてくる。
主はお寒い頭を再び掻きながら、
「烏天狗と遊んでくると言ったっきりでして、どこに行ったのやら?」
「そうですか?! それで何日目になるのです?」
「もう、三日になりますか!?」
と、記憶もおぼつかない様子だ。
その日にちを数えた真紅は大きく納得したように、
「三日前に異兆がございまして、もしかしたらそれと関係があるのかも知れませんね」
主は驚いたように、
「例の曼荼羅にですか?」
「えぇ」
と俯き加減に視線を落とし、表情を読み取られないようにしてから顔を上げ、
「京極に鬼相が現れました。もしや、九十九殿はそれと戯れているのやも知れませぬ」
「ほう!?」
とわざとらしくも驚く主。
「しかし、その鬼相を操っているものがおりまして、私はこちらに参った次第です。そこで九条様にもお力をお貸し頂きたく、お邪魔した次第でございます」
「なんなりと仰ってください。例の宝珠ですか? 今、持ってこさせます」
と、立かけたとき、襖から声がした。
「お茶菓子をお持ちいたしました」
それで主人が、
「入りなさい」
そう言ってから主が、
「ではわしが持ってくるとしよう。粗相があると大変なことだしな」
入ってくる奥方と、襖のところですれ違う主は、二三言葉を交わしていた。
奥方は主がいた座布団に座り、そこから茶菓子を真紅の前に差し出し、
「口に合えば良いのですが。どうぞ、お上がりなさい」
と、どこにも緩やかな視線はない。
真紅は頭を下げ、
「いただきまする」
そう言って白い腕を伸ばす。
奥方は彼女の爪の先にまで睨みを利かせ、
「祖母様はお達者でおりますか?」
と、主と同じような質問をするも、内容が全く違う。
「お陰をもちまして、日々の勤めに励んでおります」
そこに光るような目を向け、
「元気なようでいてもお年もお年、心からのお世話を怠っては成りませぬよ。まして、近頃の若いおなごはややともすると浮き足立ちする癖があります。真紅殿もそうだとは言いませんが、気を緩めてはなりません。その懐剣の意味はご存じでしょ?」
と言い、一向にお茶に手を伸ばさせはしない。
「はい」
と、真紅のはっきりした言葉が響く。
「では、その舞を見せて頂戴な」
完全な上から目線な物言いだ、がしかし、九条家と朝比奈家は同格の家柄だ。
それでも厳密な役柄で言えば、九条家が宝珠の守護者であるのに対し、朝比奈家はその宝珠で成し遂げている結界を支配している陰陽家だ。
だから、この関係だけ見れば陰陽家の方が格上にも見えるのだが、九条家が明法博士で正七位相当、朝比奈家が陰陽博士で正七位相当と同じなのだが、官職の造りが明法博士の方が上になっていることから、明法博士の方が格上ともいえる。
そしてなにより真紅は家督を継いだとは言えまだ正八位相当だ。
真紅は懐剣を包みから取り出し、
「はい」
と、静かな物言いの後、すっと立ち上がれば、抜き身の刃が光る。
奥方は何時持ち出したのか鼓を構え、一声、
「よぉおーー!」
と言った後、鼓を、『ポン』と鳴らし、
続けざまに、
『ポンポンポン』
更に続けて、
『ポンポコポン』
真紅はその鼓に調子を合わせ舞踊するも、鋒だけをみていると演武のようにも見える。
しかし、それは鼓の所為とも言えなくもない。何しろ勇ましい鼓なのだ。
そして最後の静止画が真紅の喉にピタッと鋒が止まった。
それを見て満足したのか奥方が、
「良く稽古しておりますね」
と言うのだが、あれだけ激しい鼓を打っておきながらも息切れ一つしていない。
「つたない舞で恐縮いたします」
と、額を畳に大接近させた。
そこに主が宝珠を乗せた座布団を持って入ってきたのだが、
「朝比奈殿、いかがいたそうか?」
と、取り乱している様子。
見れば、
「これは……」
と、真紅も息を飲む。
奥方に至っては、
「何としたこと!!!」
と言って気絶してしまった。
真紅が静かに見詰める先にある宝珠は白濁している。
「いかがいたしましょう????」
主はそう言うのが精一杯と言った感じだ。
真紅は、奥方を気遣いながら、中間を呼び、
「しばらく、私と宝珠とだけにしてもらえませぬか?」
その口調には鬼気たるものがあった。
その気迫に押され、中間と一緒に奥方の肩を担ぎ部屋から出て行った。
庭先の竹笹がサラサラと揺れ始めた。
真紅は主がいなくなった座布団に向かい普通のお辞儀より深めに頭を垂れた。
『そうなったのはわしの不徳のいたすところなれど、委細が不明だ。その方の見立てはいかなるものか?』
真紅はゆっくり頭を擡げ、真っ直ぐに座布団に居座るものと向き合う。
『結界そのものが死にました、としか言いようがありません』
『その方の落ち度と言うことか?』
『そうかも知れませんし、管轄外の出来事かも知れません。少なくとも宝珠に異変があったのは確か、他の宝珠と連動しての異変かも知れませんし、何者かの仕業かも知れませぬ。この点、主殿の存念はいかがなものか?』
上座に座るあるものの形相は一言で言えば鬼そのものだ。体中から湯気のように湧き上がる妖気はその強さを表している。そこいらの物の怪などではすぐさま干からびてしまうだろう。それほどの気を発しているのだ。
そしてその顔面だ。憤怒を表しているのだろう、が、真紅の前ではどこか糸を牽くような丸みを感じさせる。
なれど鬼は鬼だ。
その口は生やさしさなど微塵もない。その口が開き、
『わしにも配下もいるし放たれた手のものもいる、が、なにも知らせは届いてはいない』
と言いきり、その後は口を真一文字にして終わる。
真紅はその鬼の目を睨みつけるようにじっと見据えてから、
『分かりました。そのお言葉を信じましょう』
と、口では下座の言い回しなのだが、虚ろなものを骨壺にいれ蓋をするような、威圧感をもってしての裁量だ。
『それは助かり申す』
と、真っ赤な顔をし鼻から息を吐く。
『そうなると他の四家に異変が生じたのかも知れませんね。急がれたがよろしいかと』
そう言う真紅なのだが、言葉とは裏腹に動こうという意思が全くない。で、
『あの? わしが?』
と、鬼は自分の顔を指差す。
真紅はお茶にお茶菓子に手を伸ばし、
『主殿がここにいてなにか役にお立ちですか?』
そう言うと嫌味のように宝珠に視線を向ける。
『いや、これはわしとしたことが面目ない。では、これにて!』
赤鬼は深々とお辞儀をして走り去って行った。
屋敷では姿が見えない鬼の足音がドタドタと大きな音を立て、中間などの家人が驚いて腰を抜かす場面などがあった。
赤鬼が座っていた座布団に家の主が戻ってきた。
「あれは主様ですか?」
「さぁ、何のことですか、分かりかねますが?」
と、涼しい顔した真紅。
「またまた、ご冗談を。朝比奈殿には見えているのでしょ?」
「それは陰陽師ですから」
「やっぱり、で、どんな主なのですか?」
「弁財天様のような神道ではありませんよ?」
その言葉になにが含まれているのかを察した九条家当主、恐れ入って、
「見ない方がよろしいようで」
と、禿げた頭をまたしても掻きだした。
その援護のつもりか奥方が入り来たりて、
「真紅殿」
「はい?」
と、少しトーンが上がってしまった真紅だ。
「息子の九十九はどうなってます?」
質問内容がいかようにも取れる質問だ。
真紅はほんの少し右側に視線を送り、この部屋から見渡せる竹林で心を和ませる。
そこには幼い二人で追いかけごっこをした記憶が綴られている。
その最中、真紅は始めてここの主と出会ったときのことを思い出した。
広い庭の中、九十九とはぐれた真紅は垣根と垣根とで我知らぬ間に結界を張っていた。多分幼少の彼女自身が無自覚で自己防衛本能が働いたのだろう。
その結界のために主が動き出した。
『ぬしは、何者じゃ?』
これがここの主の第一声だ。
幼いながらも真紅も陰陽師だ。いや、術を会得してなくとも血筋がそうさせる。垣根で造った簡易の結界とて彼女一人だけなら守り切れるだけの備えをしていた。
『私はここ、九十九殿の許嫁じゃ』
『ほう! 許嫁とな。であるなら、何故、この家相を乱す?』
言われて真紅も気が付いたようで、周囲の曼荼羅を覗き込んだ。すると確かに自分の造った結界が、この家の平安を乱していた。
それで真紅は一度冷静になり、自分とこの家の周囲とを読み解き、安全性を再吟味し、吟味し、吟味した後、
『分かりました。私が間違えておりました』
そう言って自分が張った結界を易々と解き放った。
主は、その潔さに感心し、
『わしがいても恐れを感じぬのか?』
と、主は自分の鬼の容姿で威圧する。
その威圧は鬼の体から立ち上る妖気加え、睨みつける視線からでも放たれていた。
それでも真紅は涼しい顔で、
『あなたが仰った家相に狂いはありませぬ。さしずめあなた様は、この家の主なのでしょう。主ならこの家と関わりがある私には何もできはしないはずです』
そう口では言うものの、彼女には彼女なりの根拠があった。それは曼荼羅に現れている主の有り様だ。自分の目の前にいる主は完全に家に取り込まれていた。
『幼いながらも筋は通っているな。さすが許嫁殿のことはある。それなら、わしの謂われを聞く気はあるか?』
『鬼になった経緯でありましょう。何代前の、いや、十数代前のご先祖様ですよね』
『もう十三代にもなる。聞くか?』
『お話しください』
真紅はその場で正座してみせる。そこは枯れた竹笹と草が生えているとは言え屋外の土の上であり、彼女は草履まで脱いで座ったのだ。
その思いが伝わったのか主ものっしりと正面に座りだした。
いつの間にか行燈に灯火が入り床の間とは反対側に置かれていた。
『あれは兄者が嫁をもらい、わしがまだ書生だった頃の話だ。その兄嫁が何の因果かかなり上の上役の小倅に見初められたのがことの始まり。その小倅が父親に泣きつき、ついには中納言にまで話が伝えられてしまった。その中納言止せば良いものを、それならばと内宴の際、文人に混ざって義姉上を召し上げたのじゃ。兄上もそれと分かって手を尽くしたのじゃが、相手が中納言とあっては手の施しようもなく。泣く泣く送り出した次第』
そう言っては主、悔しそうに持っていた扇子で膝の辺りをピシャリと打った。
その時見た真紅は、主が普通の男の子になっているのに気が付いた。
『その内宴には小倅も呼ばれておったのじゃが、それよりも中納言にどんな背景があったかは知らぬ、が、人とは思えぬようなことを思いつくのじゃ』
主は悔しそうに鼻から燃えるような息を吐いている。
その吐いたり吸ったりする度に、主が人の顔になったり鬼の顔になったり変化する様を、真紅は備に心に留め置くのだった。
『その中納言、こともあろうに姉上のご実家まで召し上げていたのだ。この意味するところが分かるか? 人間の欲の汚いところだ。幼い、そなたにはまだ分からぬか』
落ち着き払った主の言い回しで気が付いたのだが、彼女の目には再び男の子の姿に映っていた。
『その中納言が嘯いたのだ。もしその小倅と一緒になれば、ご実家の家柄も大膳職なるものの、惜しい惜しいとな。しかし、さすがにご実家、その中納言にこう言ったのだ。娘はすでに嫁いだ身なれば、ご容赦の程を、とな。しかし、中納言にしたら、それも計算の内か、澄ました顔で、小倅との縁談を反故にすると言うのだな。わしの顔に泥を塗るというのだな、と、強く迫ったらしいのじゃよ。ご実家は今にも斬り殺されるかと肝を冷やしたらしいよ』
やはり淡々と主は話していく。それはそれは人間くさい話であった。
『追い詰められたご実家は、ここまでかと、観念仕掛けたとき、中納言はこう言い出したのじゃ。兄嫁と二人で夕餉を楽しみたいと言い出したのじゃ。ただ一緒に食事をするだけとなれば飛びつくほかない。そこまで追い込まれておったのじゃな』
そう区切ると主は真紅を見据え、
『うぬならどうする?』
しかし、そう聞かれても大人の事情など思いもしない真紅は答えようがない。それで、
「私の懐剣は飾りではありませぬ。身の潔白はこの白刃が証明してくれるでしょう」
主は思いもかけぬ言葉を聞いたようでポカンと口を開き、
『うぬほどの強さがあったればこの悲劇も生まれなかったやに思う』
『それでどうしたのです?』
と、真紅の方で催促した。
『兄嫁はその申し出を承諾し、その日の夕餉の席を離れにて過ごしたのだ。だが、それが中納言の策略だったのじゃ。中納言はこう言い出した。今宵のことをあることないこと言い触らすやも知れぬ、と。当然、兄嫁は身の潔白を叫びだしたのじゃが、中納言は、それをきやつが信じるかは分からぬだろう? こう嘯いたそうだ。そして、一度亀裂が生じた夫婦仲は二度と元には戻らぬ、とな』
こう言い終えた主は尚も真紅の表情を伺う。そして、
「この先、うぬはどうなると思う? 兄者は? 兄嫁殿は?」
しかしながら、真紅は悲しそうに口元を震わせ、
『九十九殿と私はどこかで繋がっております。何かの変化があったらそれとなく知れるものでございまする。主殿と、こうして向き合っていても何も心配することはありませぬ』
『そうよの! その事をすっかり忘れておったのよ! 人の言葉に踊らせられたのよ。儚い人の言葉によ』
何時しか主は涙を流しだしていた。
『兄嫁殿はどうすることもできなかったのよ。ご実家の言い分も聞かねばならぬ。中納言の威光には逆らえぬ。まして中納言のお手が付いたとなればもはや家には帰れぬ。そこで兄嫁殿は、兄嫁殿は……』
その先をためらう主。
しかし、真紅にはその先が分かっていた。それで、
「自害したのでしょ。それに激怒した中納言が九条家に? なんと言ってきたのです」
そこまで分かるのかと主は驚いた顔に鼻水まで垂らし、
『兄者を差し出せと申してきたのじゃ。じゃが、兄者は家督の継承者。絶やすわけには行かぬ。それで……』
『それで主殿が身代わりになったのですね? しかし、そこまで瓜二つ?』
『わしと兄者は双子じゃ。わしは生まれてすぐ分家に流された。しかし、その時はそれが功を奏したというわけだ。わしと兄者が入れ替わって、わしが詰め腹を切り、兄者は養子として九条家の跡継ぎとなったのじゃ。が、問題はここからだ』
『その経緯を後から知ったのね。で、九条家の主になったと?』
『口で言うのは容易いが、現実にはおどろおどろしい子細があったのよ』
『死んだあなたが中納言を祟り殺したのでしょ?』
これまた主は鼻水を垂らし、
『それをどこから?』
『そんなことより、兄嫁さんのご実家って、もしかして朝比奈家?』
「そうじゃが? あっ!!!!」
『そして小倅って三条家でしょ?』
『そこまで分かるのか? では、中納言は?』
『天宮家でしょうね。因果な繋がりね』
「おぬしは一体何者だ?」
『だから、許嫁だって!』
『それは聞いたのだが!? しかし、その因果まで分かるとは? これは物の怪か?』
そう言った主の形相は元の鬼に戻っていた。
それには怒りだした真紅は、
『馬鹿言わないで!』
と言った時に、余所からの声がし、
『あっ、私、行かなければ。これからも九条家をお守りください。主殿!』
そう言ってぺこりと頭を下げ声の方に走っていった。
彼女が後ろを振り返ると、今まであった庵のような建物は跡形もなくなくなっていた。