鍛錬
山中湖の事件以来、憂鬱な日々を送っている、佳代子の事が頭から離れない、今まで俺が何とか助ける事が出来たが、事件に遭遇する事が、異常に多すぎる、もし、俺が間に合わなければ、そう思うと心配でならないのだ、時間がある限り、一緒に行動する事にしているが、一日中一緒にいるわけにいかないので、心配は尽きない、だが、本人は危機感など全く感じていないようだ、俺がいつも一緒に居たがるので返ってご満悦だ、いくら説明してもわかってくれない、分かろうとしないのだ
知識は白い手袋左のお陰で、十分あるのだが、テストの点が良ければそれでいい、と言う訳に行かない、出席日数、単位、その他いろいろ消化しなければいけない事が、たくさんある、テストだけならオール百点は簡単だ、何しろ答えが自動で頭に浮かんでくる、超反則だと思うが、一度手袋使用で入った知識は、脳内に保管され、必要に応じて出てくる、だから満点を取らないように、加減してテストを受けている始末だ、今日は講義が終わり、暇を持て余している、流石に何時も一緒なのは俺とだけ、とはいかない、十八の女の子、女友達と買い物など、やりたいことは山ほどあるだろう、今日は友達と出かけるからと、電話があった、このところ幸い平穏無事な日々が続いている、俺と一緒でなくても無事日々を過ごしているので、左程心配はしていない
やる事も無く大学の庭の木陰無くにあるベンチに座っていると
「慎也、お前もここに入ったのか、へー、知らなかった」
「ええ、誰だ、あんた」
見知らぬ男が声を掛けて来た
「俺だよ如月栄治」
「ええー、あのチビの」
「チビはないだろうチビは」
中学の時に転向していった、如月栄治は、幼い頃からの親友だった、何時も小学生と間違えられて、何時も腹を立てていた、身長が伸びずチビだったからだ、それが、今、目の前にいる男は、俺より背が高い
「成長が遅かっただけで、今じゃ見ろ、お前より背が高いぞ」
よく見ると顔は栄治の面影が、強く残っている
「へー、お前もここに入ったんだ、驚いた」
「何年ぶりになるかな、懐かしい、いくらか大人になったな」
「お前こそ、あのチビがこんなに成長者しやあがって」
「チビって言うな、あのころから、その言葉が一番嫌いだったんだ」
「チビだったから、劣等感か」
「うるさい、全く、お前は相変わらずだな」
「お前は大人になったな」
「うるさいなあ、身長が伸びただけだ、そんな事はまあいい、それより、何しているんだ」
「ああ、これから、何をしようか、考えていたんだ」
「平和な奴だな」
「お前こそ、何をしてるんだ」
「俺は、帰るところだ」
「そうか、じゃあ、これから、顔を合わすことがあるな」
「うん、そうだな、っていうか、暇なら、これからお茶でもするか」
「お前も暇ってことか」
「早く言えばそうだな」
「遅くても同じだろう、そうだな、久し振りだし、行くか」
近くの喫茶店に入った
「お前、本当にでかくなったな」
「どうだ、もうチビとは言わせないぞ」
「ああ、確かに言えないな、だけど、そこまでとは思わなかった、お前相当なコンプレックスを感じていたんだな」
「そうさ、お前に言われるのは慣れていたから、左程気にならなかったが、小学生に間違えられたりしたとき、ショックだったな、親を恨んだものだよ、親のせいじゃないのに」
そんな話をしていると
「おい、お前、入部しろと言ったろう」
突然男が如月に話しかけて来た
「あ。あんた、だから断ったろう」
「いや、入ってもらう、でなければ困るんだ」
「それはそっちの都合だろ、先輩だからって、無理強いするな」
俺を抜きで話をしている、割り込んできた男に
「あんた、失礼だろう、二人で話している所に突然」
「ああ、すまん、失礼した、急いでいたものだから」
「悪かったな、慎也、断ったのに、これだ」
「どういう事だ」
「実はな、俺はな高校時代空手の全国大会で、三位になったことがあるんだ」
「お前、続けていたのか」
「うん、それで、この大学の空手部が入部しろとうるさいんだ、断っているのに」
そう言うと、まだそばに立っていた男が
「うるさいとは失礼だろう」
「実際うるさいでしょう、こうして友達とコーヒー飲んでいるところまで」
「まあ、それは、なんというか」
「とにかく、入部する気は無いので、帰ってください」
「いや、そう言う訳には」
「しつこいなあ、警察呼びますよ」
「警察って」
「此処までされたら、警察しかないでしょう」
会話を聞いていて、思いついて
「栄治、行ってやれよ」
「なんでよ」
「どのくらいのレベルか、此処の大学空手部、見に行こう、ある程度なら俺も入部するよ、様子見でいってみよう」
「そうか、お前がそう言うなら、行ってみるか」
「行ってくれるか、助かる、俺も先輩たちに顔が立つ」
そう言って案内された道場は、各部で利用しあう場所では無くて、立派な専用の道場だった、案内した学生が、上級生の処に言って、何か話している、上級生と言っても、三年生か四年生か分からないが、見たところ全くおじさんじゃないか、そのうちの一人が近づいてきた
「お前たちが、入部希望者か」
「いえ、勧誘があまりにしつこいので、様子を見に来ました」
「しつこい、そうか、様子見とはどういう事だ」
「先輩たちの、腕前を見に来たんです」
そう言うと栄治が
「おい、慎也まずいよ、そう言う言い方は」
だがすでに遅かった
「良いだろう、腕前を見せてみろ、稽古着を着てこい」
むっとしたようだ
「慎也、見ろ、頭に来ているぞ」
「大丈夫だ、大人しく見ていろ」
稽古着を借りて着ると、右手袋をして
「透明になって」
そう呟くと、白い手袋は見えなくなった、そうなのだ、先日知った手袋の能力だ、先日、手袋をしたとき
「白は結構目立つんだよな、透明だと分からなくて助かるんだが」
そう呟いたら、白が透明になってしまったのだ、願いを聞いてくれるとは、驚いてしまった、道場に行くと、先程の先輩が待っていた、正面に行って対峙する
「よろしくお願いします」
頭を下げる、違う先輩が審判役で
「はじめ」
掛け声をかけた、相手は構えたまま様子を伺っている、素早く懐に入ると、片手で防御片手を突き出してきた、突いてきた手を横に流し、掌底で軽く胸を突くと、先輩が吹っ飛んで倒れた、皆目を見張って身動きもしない
「ありがとうございました」
礼をすると
「今のは油断した、もう一度頼む」
そう言うので、もう一度、相手をするため対峙した、そして、そっくり同じ手で吹っ飛ばした、圧倒的な勝ちに見えるが、何故か、真の実力者の気迫という物を体験して、俺の気力が体の芯の方がへとへとになっていた
「君、入部してくれ」
「いえ、俺はそんな暇がないですから、これで、如月をしつこく追回さないでください」
そう言って栄治に目で合図して、部室を出た、これ以上此処にいたら倒れそうだ
「慎也、お前、凄いな」
「まあな、あの程度は」
「あの程度って、あのひとは大学空手で、三連覇している強者だぜ」
「そうなのか、知らなんだ」
「お前、今後うるさくなるぞ」
「なに、相手にしなきゃ良いんだ」
「そうはいかんと思うが、ま、お前なら大丈夫そうだな」
「良い時間つぶしになった、じゃあ、帰るか、又な」
「おお、又な」
そう言って別れたが、今日、空手部で相手をしてみて、感じたことがある、自分には気力と体力がないという事だ、本来自分にない力を授かっても、気力と体力がなければ、十分に活用できない、今日も二度の立ち合いまでは良かったが、あれが三度となったら危なかった、皆に気付かれないように、振る舞うのに苦労した、家に帰るとベットに横になり、そのまま翌朝まで寝込んでしまったのだ
その日から、体を鍛える事に専念する事にした、今まで白い手袋の力に頼り、自分は何も努力しなかった、大学で達人級の相手をして、自分の情けなさを悟ったのだ、今まで、いわば素人を相手だったから、簡単にやっつけられた、だが世の中には俺のように、手袋の力に頼らなくても、努力して同等の力のある人がいるかもしれないのだ、無垢の金の塊と、金メッキ、そんな違いのようなものだ、そう気が付いた時、自分がどんな危ない状態だったか、恐ろしくなる、赤ん坊が、もの凄く切れる刀を、振り回していたようなものなのだ、狂いに刃物とは違うが、力を制御出来ていなかった、偶々うまくいっていただけなのだ、真の強敵が現れたらどうだったか分からない、背筋が寒くなる
幸いな事に、頭の中にいろいろな鍛錬法が、記憶されている、いろいろな方法を試してみる、栄養学も利用して体作りだ、以前ほど佳代子に構っていられな
くなった、佳代子は不満のようだが、これは佳代子の為でもある、武道を鍛えるのではなく体そのものを鍛えるのだ、色んな武道を混合して鍛えているようなものだ、ただ思うままに体を動かしている、ヨガも取り入れた、
相手はいない、自然にあるものすべて利用して鍛えている、月日が過ぎるに連れ、自分でも体の変化を感じるようになってきた、手袋を併用して鍛えたので、白い手袋の能力も分かって来た
お読みいただきましてありがとうございました