後編
いつどこで、の話なのかは、正直言えばよくわかりません。
なにせ当時の日本では割とよくある話でしたから。
口減らし。
飢饉の際に貧しい農家が、家の経済を維持するために子供を奉公に出したり、殺したり、売り飛ばしたりする――という意味での口減らしのことです。
彼女は貧しい家の子供でした。
名前はありません。
あれとか、これとか、それとか呼ばれていました。
生まれた時から貧しくて苦しいのは当たり前で、それが常識として育ってきた子供でした。
お母さんには殴られるし、お父さんにも殴られるし、自分の次に生まれた弟にも殴られたりとか、そういう生活を延々と繰り返していて、あとは死ぬしかないと人生に刷り込まれて生きてるような子供でした。
ある日、彼女の住む場所で大飢饉が起きました。いつも以上に食うものもない。食わなければ死ぬしかない。
売り飛ばそうと思っても、近くに遊郭はありません。
彼女の家族は、みんな飢えています。自分の娘を殴る元気もありません。お腹と背中がくっつきそうなくらいに。
なので彼女は殺されました。
死体は塩漬けにされて、彼女の家族は飢えをしのいだそうです。めでたしめでたし。
えっ、何もめでたくないって?
そりゃそうだ。胸糞悪いったらありゃしない。いくら時代とはいえ男尊女卑だし、虐待だし、カニバリズムだし。
そして何より、彼女は死んでしまった。
死んでしまったら、捨てられた、ってのは語弊があるのでは、と思う。
うん、そうだね。
訂正するよ。
――捨てられた少女たちがいました、だ。
少女たち。複数形。
どういうことかというと、今言ったような食料と化した少女は彼女以外にもいっぱいいたんだ。
ここ富山県の話だよ。
もっとも、ググってもそんな話は出てこないけどね。あくまでフィクション。虚構。作り話。
そういうことにしておいた方がいい、そんな話。
正確な資料があるわけでもない。そんな事実があったと証明することはできない。時の流れで摩耗して、透明になって、最後には粉々に砕けてしまった。
けれども、その時代にはそういった少女たちがいた。
誰かの胃袋に収まって――最後には骨だけになってしまった、そんな少女たちが。
そうして骨になった彼女たちは、墓を建てる気もなく、かといって道端に捨てる度胸もない人たちによって一か所にまとめられ、そこで焼き払われて地面に埋められてしまいました。
本当はこれで話はおしまいだ。誰かの人生や運命から捨てられ、消費された存在がいました、という今となっては胸糞悪い事実だけで終わる話だった。
いや、終わるはずだったんだ。
――彼女たちが、魔女にならなければ。
まぁ、うん、怒らないで聞いてほしい。
さっきまで江戸時代の大飢饉の話をしていたはずなのに、いきなり魔女という概念が出てきたことについて、どういうことなのか、と言いたい気持ちはよくわかる。私だってそう思う。
でも、そうとしか言えない。
――彼女たちは、本当に魔女と化したのだから。
まず最初に地面に埋まっていた少女の骨が動き出した。髪の毛付きの頭皮が引っ掛かった頭蓋骨が震え出し、それに釣られるように他の骨も振動し、土を抉り始めた。
モグラのような動きで地中を探索し始めた骨たちは、自分と同じような骨を求め始めた。
食い物にされた少女たち。
かつて自分であった骨と、他人でありながらも同じ過程を経た骨を求めた骨たちは、磁石のように繋がり合うことを求めて、土を掘り、蠢き、食らいつくように結合していった。
やがて少女たちの骨は地中で球体のようなものになった。カルシウムの塊。もし誰かがそれを地上で目撃していれば巨大な卵だと認識したと思う。
やがて少女たちの卵は、誰からも力も借りずに地中から姿を現すと、その場で孵化した。
中から現れたのは――少女。
死んだ少女たちは、魔女となって生まれ変わったのだ。
「――なんだか、ファンタジー小説みたいですね」
私の裏設定を聞きながら、有森が呟くように言った。
表情は先ほどとあまり変わらない。中二病のような話を嘲笑するようなものでなく、荒唐無稽な話だと辟易するようなものでもなかった。
今も、真剣に考え込んでいるような。
「裏設定にしては、奇妙な話でしょ? だから、本編に書かなかったのよ。これを書いたら、色々と方向性を見失ったりしそうだし。何より――」
「――まとまらない」
「そういうこと」
吐かなくてもいい言い訳をしているみたいな私を、有森は理解者みたいな口調で相槌を打つ。
私が有森のことを好ましく思うのは、こういうところだ。彼女は私がどんな物語を書いても、きちんと最初から最後まで読んでくれる。
こんなにも酷い矛盾があると馬鹿にしてこないし、お前には酷い物語しか書けないと笑いものにしてくることもない。
メタメタに批判したり、馬鹿にしてきたことはあるけども、最初から最後まで真剣に読んだうえでのことだ。
包容力があるというか、なんというか。
あの基本善人だが変態の彼と恋人同士でいられるだけのことはある――思考が脱線しそうだ。
「それで、どうして彼女たちの骨は魔女になったんですか?」
有森に問いかけられて、私は記憶の中を掘り出しながら裏設定の続きを話し始める。
「未練だよ。陳腐な話、だと思うかもしれないけど」
「陳腐、ですか」
「私は陳腐だと思ってる。思ってるけど、彼女たちにとってはそうじゃなかったし、結果として骨は魔女になった」
ああ、そうだ。
純粋な未練の塊だったのだ。
「……魔女、ってなんなんですか?」
そして、有森がストレートな疑問を投げかける。
あの物語の魔女は結局何だったのか。
私は答える。
「――魔女は、忘れられた少女の塊だよ」
そう。
それが、あの物語に出てきた魔女の正体だ。
「昔々、名前も与えられずに、幸せが何なのかも知らずに、生きていくこともできなかった。そういう少女たちの未練の塊」
そして、その未練を抱えた彼女たちがどのような結末を迎えたのか、有森は知っているはずだった。
「つまり、あれはそういう話だったんだ――」
私は、そこで話を打ち切った。
喉が渇いている。話したいこと――いや、話せることを熱中して語り続けたからだろう。
少しだけ冷めてしまったカプチーノを一口啜る。冷めたコーヒーは不味いなんて描写をよく目にするけど、私の舌にはちょうどいい温さだった。
有森を見る。
彼女はずっと考え込んでいる。
無理もない。あんなご都合主義満載でデウスエクスマキナ介入しっぱなしな裏設定を垂れ流しにされると、誰だってうんざりすると思う。私だってそう思う。
でも、私はあの裏設定を話さずにはいられなかった。
それなりに綺麗に締めくくったはずの『僕と彼女の終わった話』に数えきれないほどの蛇足を付け足して、駄作にしてしまいかねないとわかっていても。
でも、だって、あの物語は、本当は――。
「遠坂さん」
有森が私の名を呼ぶ。
私はカプチーノを飲み干して、彼女の顔を見つめる。
そこにあるのは、とても真っすぐな目だった。
何か言われるんじゃないか、と思う。こんな突っ込みどころ満載な話が、だとか、後付設定みたいだ、とか色々と言われるんじゃないかって。
「そういう話、だったんですね」
――けれども、彼女の声は、そのどれでもないような言葉を紡ぎだした。
「なんだか、私……少しだけわかったような気がします」
有森はそう言って続けた。
目を閉じて、胸に手を当てて、誰かのことを考えている。
「からっぽで、空虚で、虚構みたいな誰かでも……誰かを見つけて、誰かに見つけられて」
自分のことだろうか。
彼のことだろうか。
わからないけれど、宝石のような感情に見える。
「夢のような話なんだ、と」
何かを受け入れられた、そんな気がした。
――そうして、話は終わった。
私たちは、会計を済ませてファミレスの店内を出る。ガラス張りの扉を開けて、外へと一歩踏み出すと、全てを溶かすかのような熱風が出迎えた。
蝉の鳴き声が聞こえてくる。
今は夏だと、それまで忘れていたみたいに思い出す。
「じゃあ、行きましょうか」
有森に促されて、私たちは予定していたカラオケ店へと歩き出す。
結局のところ、『僕と魔女の終わった話』は裏設定の話を加筆することなく出すことにした。
読者である有森としては、バックボーンとして加筆してもいいのではと言っていたが、正直な話これを物語の一部として出すのは躊躇われた。
――この裏設定は、有森にだから話したんだと、今になってから思う。
真剣に読んでくれるから、だけじゃなくて、受け入れてくれると思えたから話したんだと。
魔女のことを。
虚構のような彼女のことを。
だって、なぜなら、有森だって元々は――。
「……本当は」
――本当は、まだ有森に話していないことがあった。
裏設定のことだ。
私は有森に、魔女がどういった存在で、何から生まれたのかは話したと思う。
でも、魔女がなぜ生まれたのか――いや、そもそも根本的な話として、江戸時代の少女の遺骨から生まれた存在が、ファンタジーな魔女みたいなものになったのか。
目を閉じて、記憶を掘り起こす。
断片的なイメージが瞼の裏でスパークした。
「――やぁ、みなさんどうも初めまして。わたくしの名前は『魂魄卿』。あなたたちのような救われない魂を救済するために生み出された、パブリックドメインでございます」
それは記号だった。
それは役割だった。
それはシステムだった。
「ですが、救済者である私たちも、最近誕生したばかりでしてね。試行錯誤を繰り返しているところなのですよ」
人のような物体。
表情は善人が浮かべるようなもので。
「そうですね……一人ひとりを生き返らせることもできなくはないのですが、うーむ……あ、そうだ! せっかくですから、魔女になってみましょう! 普通に生まれ変わるよりも、色んなことができるようになりますよ」
けれどもそれは――善人の形をした何かだった。
「魔女はですねぇ、この世界のヨーロッパで百年位前に大流行していたんですよ。あんまりにもすごかったんで、私たちも参考にして、あっちで色々とやってみたんですけど、かなり失敗してしまいましてねぇ。でも、試行錯誤した結果、あなた方に付与した最新バージョンが生まれたんですよ」
そして、彼女たちは魔女になった。
「本来あなた方が手にするはずだった寿命を与えました。これで何百年も生きられますね。その後? そんなこと知りませんよ、ははははは、そんなこと気にするなんて、つまらないことを考えるなぁ。はいはい。わかってますよ。そんなことを聞くなんて冗談に決まってるんでしょう? あはは、あなたは冗談が下手くそだなぁ」
そして、魂魄卿は去っていく。
「さてと、それではあなた方の記憶を消して……これでよしと。それではどうかお元気で! さよなら! さよなら! あなた方の人生に、どうか幸あれ!」
それで魂魄卿の登場シーンはおしまいだ。
酷い映画の設定みたいだと思う。
目の前にディスクがおいてあったら、フリスビーにしたり、叩き壊したりしたくなる。カラス除けにする気も起きない。
でも、それが裏設定の根底だった。
そんな釈然としない不条理が――魔女の真実だった。
「遠坂さん?」
「――何でもないよ」
有森が声をかけてくる。
いつの間にか立ち止まっていたらしい。
私は、その背中を追いかけようとして――ふと、足下に蝉の死骸が転がっているのを見つけた。
本当に死んでいる。ぴくりとも動かない。
「もう夏も終わりですね」
「……そうだね」
いつか、夏は終わる。
現実に、死骸のような爪痕を残しながら。
私は『僕と魔女の終わった話』のような物語をこれからも書いていくことになるんだろう。
書きたくないと思ったことがないわけじゃない。
でも、書かずにはいられなかったり、書いたものを読んでもらうことで理解を求めずにはいられなかったりして、きっと死ぬまで書いていくんだろう。
もう一度、蝉の死骸を見る。
目を閉じて、頭の中にある膨大な数のテレビから一つだけ選んで、電源を点ける。
――パラレルワールドを観測する。
「……」
そこに、蝉の死骸は転がっていなかった。
同じ世界で、同じ日本で、同じ富山県で、同じ天気で、同じ時間で、同じ場所なのに、何かが違う場所が見える。
こうして私は物語を見る。
無限大のパラレルワールドで実際に起きた――本当のことを物語として消費しながら、生きていく。
不条理を感じながら、誰かに許してもらいたいと思いながら、それでも書いたりして生きていくんだ。
「遠坂さん、カラオケでパーっとやりましょう。好きな曲を何曲か歌えばすっきりします」
有森が私を励ますように言う。
目を開けて、彼女の顔を見つめると微笑みで返してくる。
ノンケでも惚れてしまいそうだ。私がショタコンじゃなければ致命傷になっていたと思う。絶対に。
なんてね。惚れてなんかやるもんか。
有森が浮かべることが出来る最高の笑顔は、私じゃなくて、もっと特別な誰かのものだって決まっている。
「そうだね。うん、そうだ」
私も、いつか少年や魔女や有森みたいに恋をするんだろう。
本当に好きになって、おかしくなって、狂ったみたいに感情が抑えられなくなって、何もかもが無茶苦茶になって仕舞うんだと思う。
その時が訪れるのは、まだ遠く。
始まりという名の尻尾は、まだ見えない。
今はまだ。
「そんじゃまぁ、今日はパーッと歌いますか。蝉みたいに」
「遠坂さんの寿命短いんですか?」
「連想して、イコールで結ぶなや」
私は歩き出す。
夏の終わりの先を彷徨いながら。
有森のように、魔女のように、少年のように。
――この不条理だらけで物語みたいな現実を生きていく。
FIN?
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
なんというか、色々とわからない要素が増えたと感じたかもしれません。
そんな方には、奈落兎作品の過去作をどうぞ。
https://www.freem.ne.jp/brand/5628
多分繋がってたりするかもしれませんし、してないかもしれません!(どっちだ)
何はともあれ、ありがとうございました。
またどこかで会いましょう。では。