9
「ここだよここ、ここで間違いないよ。死徒の臭いがする。絶対この部屋の中にいるよ」
イリスが指差す先には、重厚そうな木製の扉があった。
四階に上がってから、さほど時間は経っていない段階での到着だ。
もちろん四階に上がってからも、何度か兵士の襲撃はあったが、まさに鎧袖一触。兵士たちは蒼汰たちに近付くことすらできず、結局簡単に返り討ちにされていた。
扉の上には執務室と書かれたプレートが掛けられており、この部屋がなんのための部屋なのかを知らせている。
「気付いている……みたいだな。まあ、あれだけ下で騒ぎを起こせば当然か。おい、お前、ここからは何が起こるか分からん。絶対こいつらから離れるなよ」
武甕雷を指差しながら蒼汰はイリスにそう言うと、返事を待たずして執務室の扉に手を掛けた。
そこは将軍の執務室に相応しい広さと豪華さを併せ持った部屋だった。
入ってすぐ正面に、ひときは豪華な観音開きの木製扉が目に入る。
視線を左に移すと、手前に一枚板のローテーブルと質の良い革製のソファーが二脚置かれ、その奥には上質で重厚な造りの執務机があるのが確認できる。
そして窓際には男が一人、外を眺めながら立っていた。
二メートル近い巨躯に、短く刈り込んだ蜂蜜色の髪。歴戦の戦士らしく無骨な顔立と眼光鋭い青い目。歳は五十過ぎといったところだろうか。だがそんな年齢とはとても思えぬ覇気を、その男は纏っていた。
男は身に付けていたプレートメイルをガシャリと鳴らし、視線を侵入者である蒼汰に向けた。
「こんな夜更けに何用かな?」
侵入者が部屋に入ってきたというにもかかわらず、男は動揺する素振りすら全く見せなかった。
「あんたが、メスト・サンチェスだな?」
「如何にも、私がメスト・サンチェスだが、その前に私の質問に答えて貰ってもいいかな? 勇者の残党君」
メスト・サンチェスと名乗った男の言葉に、蒼汰の眉がピクリと動く。
「何故、俺が勇者だと?」
「また質問かい? 私の質問には答えないくせに……まあいい、君を勇者の残党と思ったのは、ただ単に黒髪黒眼だということと、私の眷属を倒してみせたからだよ。アレは本物ではないが、並みの者に倒せるようなモノではないからね」
サンチェスは不気味な笑みを浮かべ、ハイメルが自分の眷属であると暗に認めた。
「なるほど、よく分かった。あんたが、死徒だってことがな」
「だったらどうするつもりかね?」
二人の間で緊張感が急激に高まっていくのを、傍らで見ていたイリスは肌で感じ取っていた。
「ちょっとあんたに、聞きたいことがあるんだが」
「聞きたい事? 君は先ほどから質問ばかりだね」
「なに、これが最後さ」
「ふむ、ではその最後の質問とは何かな?」
「グリードは今、何処にいる?」
「グリード? ああ、なるほど……さあ、何処にいるのやら」
とぼけているのか、感情を逆撫でするような笑みを浮かべ、サンチェスは答えた。
「そうか……それなら仕方がない」
蒼汰はサンチェスに向け、ゆっくりと天羽々斬を構えた。
「何をするつもりかな?」
そんな蒼汰を見てもサンチェスは動揺を見せることなく、それどころか不気味な笑みを浮かべたまま、腰に下げた剣に手をかけた。
「ちょっと、思い出す手伝いをしようと思ってな」
「舐められたものだね。ハイメルに、寄生体ごときに勝てた程度で、本気で私に勝てると思っているのかね?」
「さあ、どうだろうな」
「そうか……なら死んで後悔するといい」
それだけ言葉を交わすと、互いに話は終わったとばかりに同時に動き出し、二本の剣が激しく交錯する。
二者から次々と生み出される剣戟は、まるで嵐のように部屋中に響き渡り火花を散らす。
「……凄い」
二人が創り出す剣戟の嵐を見つめ、イリスは茫然と立ち尽くし呟いた。
イリスはここまで来るのに、蒼汰の凄さを嫌と言うほど分かっていたつもりでいた。ただそれは、金属鎧を身に付けた騎士を、鎧ごと軽々と切断するパワーや、複数の敵を一瞬で斬り裂くスピードこそが、蒼汰の凄さだと思っていた。
だが今、目の前に繰り広げられている光景は、まさに一流の剣士同士の戦い。凄まじい剣技の応酬だった。
「こんなハイレベルな戦い、見たことない……」
イリスは惚けたように呟き、その戦いを食い入り見つめる。
状況が動いたのは、戦いが始まって三分が過ぎた辺りだった。
蒼汰がわずかに足を滑らせ体勢を崩したのがはじまりだ。
チャンスと見たサンチェスが、今までよりも一歩深く踏み込んだ一撃を放つ。だがサンチェスの剣は蒼汰に届かなかった。いや、届く前、振り下ろされる前に、強引に体勢を立て直した蒼汰の蹴りによって阻まれたのだ。
蹴りを腹部に受けたサンチェスは、あり得ない勢いで吹き飛ばされ、観音開きの大きな扉をぶち破り隣の部屋に消えていった。
蒼汰もそれを追い、隣の部屋に急ぐ。
隣の部屋に踏み込んだ蒼汰が見たものは、だだっ広い謁見の間を思わせるホールのような空間だった。
ランプのような灯りが無いため、唯一大きな窓から差し込む月明かりだけが、室内を照らし出す灯りとなっていた。
部屋の中ではすでに、サンチェスが体勢を整え、蒼汰が来るのを待っていた。
「勇者の残り滓のくせに、多少はやるじゃないか。少しばかり驚いたよ」
「そう言うあんたも、下級の死徒にしてはまあまあだな」
「下級……私が下級だと? 舐めるなよ、小僧」
「さて、舐めているのはどっちだろうな」
話は終わりだとばかりに、戦いは再開される。
剣と剣がぶつかり合い度、広いホールには激しい金属音が響き渡り、火花が部屋を一瞬一瞬照らし出す。
戦いは一進一退。互いに一歩も引くことなく、激しさが徐々に増していく。だが、そんな極限状態の戦いの中にもかかわらず、二人の表情には未だ余裕が窺えた。
だがそんな激戦の最中、蒼汰たちが入ってきた扉とは別の扉が大きな音を立て開き、次々と騎士たちが雪崩れ込んできた。
そのため、気がそがれた蒼汰たちは、一旦距離を取り、仕切り直しを余儀なくされる。
「サンチェス将軍。ご無事ですか!?」
先頭に立つ一際豪華な鎧を身に付けた男が、サンチェスに声をかけた。
「ああ、問題ない」
そう答えたサンチェスだったが、その表情からは先ほどまで見せていた不気味な笑みが消え、逆に感情を感じない能面のような無表情へと変わっていた。
「ご無事で何よりです。後は私たちにお任せ下さい」
豪華な鎧を纏った騎士はそう言うと、部下を従えサンチェスと蒼汰の間に割って入る。
「私はオルテイブ第三騎士団の長、ガイル・ベイカー! 賊よ、今度は私が相手だ!!」
バスタードソードを片手にベイカーは部下と共に、蒼汰の隙を窺い囲むように動いていく。
「ウギャアア!!」
だがその時、予想だにしないところから悲鳴が上がた。
その悲鳴に騎士たちの視線が集中する。そしてそれを見た騎士たち表情は、一瞬にして戸惑い、動揺、驚愕の色に染まる。
騎士たちが見たもの、それはサンチェスを護るように立つ騎士の心臓目掛け、背中から剣を突き立てたサンチェスの姿だった。
「……閣下、これはいったい……どうして!? 何故こんな……」
すべての騎士の思いを代弁すかのように、一人の騎士が発した言葉が広いホールに響く。
「今、良いところなのだ。私の邪魔をしないでいただきたい」
騎士から剣を引き抜き、サンチェスは部下たちにそう言い放つ。
表情や言動は冷静なように見えたサンチェスだったが、本質は戦いに喜びを覚える死徒。蒼汰との戦いに、気持ちが昂ぶったサンチェスには、最早自分を抑えることができなくなっていた。
茫然と立ち尽くす騎士たちの間を抜け、サンチェスは蒼汰と三度対峙する。
「悪いね。邪魔が入ったが、気にせず再開と行こう」
サンチェスはニタリと笑うと、戦いは再び始まる。
サンチェスの突然の奇行を目の当たりにして、動揺を隠せないでいた騎士たちだったが、続いて蒼汰とサンチェスの戦いを目にし、動揺は茫然自失へと変わる。
メスト・サンチェスは、国防の最前線とも言える北方防衛の要衝、オルテイブ要塞を任されるだけあり、有能な指揮官というだけでなく、騎士としてもブガルティ王国において五指に数えられる実力者であった。
そんな王国屈指の実力者であるメスト・サンチェスと、目の前の若い男は、互角に渡り合っている。しかも想像絶するレベルでだ。
この場にいる騎士たちにとって、それは信じられないものでも見るように、そして神話のような幻想的な光景のように、その戦いを見ていただろう。
戦いは互角に推移していく。
パワー、スピード、テクニック。どれをとっても二人の力に差はないように見えた。ただ一つの要素を除いては……
戦況はどちらに傾くのか、誰にも予測できない状況の中、それは突然起こる。
広いホールに鈴の音のような澄んだ音が響き、折れた剣の刃が宙を舞った。
折れたのはサンチェスの剣。柄より二十センチ程を残して、サンチェスの剣はその攻撃力を失った。
サンチェスの剣は、鋼を用いた上質の剣だった。だがしかし、蒼汰の剣は天羽々斬。同じ鋼を素材に創られたとはいえ、魔剣と言えるまでに強化されたゴーレムの剣。
その二つの剣が何度となくぶつかり合えばどうなるか、それは火を見るよりも明らか。
サンチェスの剣は天羽々斬との打ち合いに耐えきれず、遂に半ばから折れてしまったのだ。
武器を失ったサンチェスに向け、蒼汰は容赦ない一撃を振り下ろす。
サンチェスはそれを、両手を交差させガントレットにより受け止め、さらには威力をいなすため、自ら後方に飛んだ。
それでも完全には威力をいなせなかったサンチェスは吹き飛ばされ、部屋の隅に積まれ椅子の山に突っ込み、激しく壁に激突する。
「サンチェス将軍!!」
「閣下、ご無事ですか!?」
その光景に我に返った騎士たちは、さきほど仲間がサンチェスによって、殺されたことなど忘れたかのように、慌てて椅子の残骸に埋もれたサンチェスを助けに向かう。
それを視界に捉えつつ、蒼汰はゆっくりと歩き、サンチェスの下へと向かう。いまだ油断の色を見えない視線を、サンチェスに向けながら。
騎士たちがサンチェスを助け出すため、必死に椅子の残骸を除けていた。
そんな騎士たちなど意に介さぬように、蒼汰がサンチェスの埋もれる残骸の山に近付くと、それは何の前触れなく起こった。
突然爆発音にも似た音がホールに響き渡り、サンチェスを助けるべく椅子の残骸を取り除いていた騎士たちが、まるで木の葉が舞い上がるように吹き飛ばされたのだ。
当然その近くにいた蒼汰も、凄まじい衝撃をその身に受け、反対側の壁まで弾き飛ばされ叩きつけられてしまう。
「ソータ!!」
イリスの悲鳴が響く。
だが吹き飛ばされた当の本人である蒼汰は、わずかに顔を顰めるだけで、特に大したダメージなど無いように体を起こす。
「あれは……あれは、一体なんなんだ……」
難を逃れた騎士たちが、驚愕の表情で立ち尽くす。不気味に蠢く細長い巨大な影を見つめて。
それは巨大な蛇の尾のようだった。それは鞭のように動き、近くにある形あるものを次々と薙ぎ倒していく。
「……チッ、アレにやられたのか。だがやっと本性を出しやがったな。このド変態のクソ化け物野郎が」
不気味に蠢く何かを見た蒼汰の呟きを、この混乱の中、耳にした騎士が一人いた。
オルテイブ要塞第三騎士団の長、ガイル・ベイカーだ。
「おい、貴様!! アレが何か知っているのか!?」
余裕のない厳しい表情で、ベイカーは迫るように近付き詰問してきた。
そんなベイカーに、蒼汰は面倒臭そうに答えを口にする。
「見て分からないか? アレは死徒だよ。あんたたちが尊敬して憧れているサンチェス将軍閣下の本当の正体ってやつさ」
「サンチェス閣下が死徒……そんな、馬鹿な……」
信じられないと首を振り、かつてサンチェスだったモノを茫然と見つめるベイカー。
そんなベイカーを無視して、蒼汰は「そんじゃあ、俺もそろそろ本気で行くとするか」と言葉を残し、サンチェスに向かい歩きはじめた。
それを耳にしたベイカーは、信じられないものを見る目で、蒼汰の背中を見つめた。
そしてそこには、何故か先ほど見た時よりも、一回りほど大きく見える、蒼汰の後ろ姿があった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
続きを、と思ったら、ブックマークや評価をして頂けると、とても嬉しいです。