5
闇が一段と色濃くなる深夜。蒼汰はようやくその身を起こした。
あのあと蒼汰は、夕食に出された具の無いスープと硬いパンを食べる時以外、ほぼ寝て過ごしていた。
蒼汰は凝り固まった体をほぐすように、大きく伸びをする。
「おはよー」
そんな蒼汰に気付いたのか、寝ていたはずのイリスがむくりと起き声をかけてきた。
蒼汰はイリスに軽く視線を送っただけで何も答えず、すぐに自分の手足に付けられた鉄製の枷に視線を移すと、その枷に魔力を込めはじめた。
「ねーなになに? 何するの?」
急に魔力を込めはじめた蒼汰に、イリスは好奇心をくすぐられ、興味津々と蒼汰の手元を見つめながら聞いてきた。
「すぐに分かる」
と、蒼汰が答えると同時に、蒼汰の手足を拘束していた鉄製の枷は、まるで熱で溶けるチーズのように形を変え、そのまま床にこぼれ落ちると、黒いブニョブニョの球体へと変わってしまう。
「ちょっと、何それー!? どうやったの? 地魔法……じゃあここまで金属を変形させるのは無理だし……。あ、もしかして勇技てやつ?」
勇技――別名、神の祝福とも神の恵み言われ、戦闘であれ生産であれ、己を鍛えていく過程で、神に認められた者のみに与えられる、特殊な能力のことである。
その能力は使い手により千差万別で、勇技を得た人の数だけ、種類があると言われている。
そんな勇技を、なんの努力もせずに得ることができる者がいる。
それが異世界よりこの世界に渡ってきた者たち。
何故そうなるのかは未だ分かってはいないが、異世界からこの世界に来た者は、必ず勇技を所持している。それどころか、この世界で勇技を獲得した者よりも、能力の成長が格段に早く、そして強力な力を持つと言われている。
故に異世界から召喚された者を勇者と呼び、死徒との戦いおける人類の切り札とされてきた。
蒼汰も異世界よりこの世界に、勇者になるべくして召喚されてきた者。当然この勇技を所持していた。そして今使った能力も、その一端であった。
勇者であったことがすでにバレていることもあり、蒼汰はイリスの質問に首肯で返した。すると当たり前だと言わんばかりにイリスは「私のもお願い」と言って、蒼汰の目の前に腕にはめられた手枷を突き出して来た。
蒼汰は何も言わず、イリスの手足にはめられた鉄製の枷を外してやると、イリスの「ありがと」と言うお礼の言葉に軽く「ああ」と応えるだけで、新たな作業に取り掛かる。
二人分の鉄製の枷だったものを混ぜ合わせると、続いてそれを何やら成型し始め、ものの一分程で鉄製の枷から一本の剣を作り出してしまった。
出来た剣は、一般的にショートソードと呼ばれる短めの剣。
それを蒼汰は二度振りバランスを確かめると、その出来に満足したのか一つ頷き、今行われた光景に驚きの表情を見せるイリスに、そのショートソードを突き出すように渡して来た。
「……えっと」
「出ていくのに要るだろ。貸してやる。後で返せ」
戸惑うイリスに無理やり剣を渡すと、蒼汰は牢屋の出口に向かい歩き出す。
イリスは戸惑いつつも「……ありがとう」とお礼を言いながら、蒼汰の姿を目で追う。そして再び目を見開き驚く。
蒼汰が牢の扉に手をかけると、施錠されていたはずの扉が、いとも簡単に開いてしまったからだ。
余りにも奇怪な光景を、イリスは茫然と見つめていると、開けられた扉の外から体長三十センチ程の黒い蜘蛛のような〝何か〟が物音一つ立てずに入ってくるのに気付いた。
蒼汰はその蜘蛛の前に屈むと、何かを受け取る。
イリスはそれを見てさらに驚く。特殊な幾何学模様が描かれた鍵だったからだ。そう、この牢屋の鍵である。どうやって手に入れたのか分からないが、あの蜘蛛はその鍵を手に入れ、この牢屋の鍵を開けたのだ。
(あの蜘蛛みたいなのって、いったいなんなんだろう)
と、イリスは蒼汰の足下にいる黒い蜘蛛をまじまじと観察する。
艶の無い黒色一色のそれは、確かに蜘蛛のようなフォルムをしていた。だがしかし、体長三十センチ程と蜘蛛にしては大きく、またその割には、胴体部分をはじめ体から生える八本の脚が、異常なまでに細い。
黒く異常に細い蜘蛛。それが闇にひそめば、夜目が利く精霊のイリスですら、見つけだすのは困難であろうと容易に想像ができた。
その蜘蛛の正体は……
――隠密行動用蜘蛛型ゴーレム。名を闇御津羽という。
脱獄のため、蒼汰が牢屋に入れられる直前、通路の天井をチラリと見たあの一瞬で、天井の陰に潜ませ召喚しておいたのだ。
蒼汰その闇御津羽を伴い、牢屋から悠々と出ていく。そんな蒼汰の背中を追いかけるため「ちょっと待ってよー」と、イリスも慌てて牢屋から飛び出すのであった。
◆◇◆
「ねえソータ、これからどうするの?」
不安にでも思ったのか、イリスは前を歩く蒼汰に小声で話しかけてきた。
わずかに振り向いた蒼汰は、空中にふわふわ浮きながら付いてきているイリスの姿に、一瞬驚きの表情を見せながらも、すぐに元の無表情に戻りイリスの質問に答える。
「今から城主に会いに行く。お前はこのまま脱走するなり好きにしろ。それと、その剣だけはちゃんとあとで返せよ」
なんでもないことのように言う蒼汰に、イリスは慌てる。
「ちょ、ちょっと待ってよ。こんな所に一人放り出されても、私だけで脱出できるわけないよ。自慢じゃないけど私、すっごくか弱いんだからね」
豊かな胸を張り、イリスは力強く弱音を吐く。
(なんでこいつ、弱音を自慢げに言ってんだ)
と、蒼汰は思いながらも、口では違うことを言う。
「嫌なら牢屋に戻ればいい。まあ、あのままいても、すぐに殺されるのがオチだがな……と言うかお前ら精霊って、魔法のエキスパートなんだろ。あの檻から出られたんなら、一人で脱出くらいできるだろうが」
蒼汰の言葉にイリスは悔しそうな表情を見せ、「私は回復魔法特化なの。他の魔法は苦手なのよ。悪い?」とボソリと呟く。
そんなイリスに蒼汰はため息をつき、何も言わずそのまま先に進もうと歩きはじめた。
それを見たイリスは、慌てて蒼汰の腕にしがみつく。
「お願い。私も連れてってよ」
半泣き状態で懇願するイリス。
「足手纏いだ」
一刀両断する蒼汰。そんな蒼汰の一言にもめげず、イリスは自己アピールを始めた。
「足手纏いになんかなんないからー。そうだ、蒼汰はあの死徒と戦うつもりなんでしょ。なら私の回復魔法が必ず役に立つよ。どんな怪我も一発で治しちゃうんだから」
イリスはそこまで言うと、一度蒼汰の反応を見てみる。だがすぐに芳しくないと判断したのか、さらに自己アピールを続けた。
「あ、あとねあとね……臭い。そう臭いよ。私なら死徒の臭いが嗅ぎ分けられるよ。ある程度近くまでいけばどこに死徒がいるか分かるんだから、手当たり次第探すよりも、絶対効率がいいはずだよ。ね、ね、だからお願い。見捨てないで連れてって」
拝むように懇願するイリスに、蒼汰は深くため息をつき、「巻き込まれて死んでも、知らんからな」と渋々同行を許可した。
同行を許されたイリスは、嬉しそうにニコニコしながら、ふわふわと浮いて蒼汰の背中を追っていると、あることに気付く。
「ねーねー、ソータ。いくら深夜とはいえ、誰も私たちに気が付かないのって、おかしくない?」
イリスの言うことはもっとだった。この地下牢には、百人を超える囚人が捕らえられている。いくら深夜とはいえ、その百人全員が寝ているわけもなく、普通であれば自分たちの牢屋前を、他の囚人が自由になって歩いて入れば、騒ぎが起きないわけがない。なのに誰も騒ぐ様子がない。いや、それどころか、二人に誰も気付かないのである。イリスが不思議に思うのも当然だった。
「こいつが認識阻害の闇魔法を使っているからな。むやみに騒がなければ気付かれることはない」
目の前を歩く闇御津羽を指差し、蒼汰は説明した。
「万能なんだね。この蜘蛛さん」
頻りに感心するイリスが、次に発した言葉は、「欲しい……ねぇソータ、それちょうだい」であった。
「やらん」
速攻の拒否だった。
それからしばらく歩き、蒼汰たちは地下牢エリアの出口に到着する。
目の前には頑丈そうな鉄製の扉。蒼汰はその扉を躊躇いもせず開け、中へと入っていく。
扉の向こうは看守たちの詰所だ。
広さは蒼汰たちがいた牢屋の倍程度、木製の事務机が四台と、仮眠用のベッドが二台置かれてある。
現在この詰所には、二人の看守が詰めていた。だがその二人ともが何故か、机に突っ伏して動く様子がなかった。看守のことをよく観察すれば、後頭部に針で付けられたような小さな傷があり、わずかばかり血が流れ出ていることに気がつくことができただろう。
「ソータ。看守さんたちって、寝てるの?」
だがそれに気付いていないイリスは、そんな看守を不安げに見ながら、蒼汰の腕にしがみつき聞いてきた。
「あれはもう死んでる」
当然殺ったのは、隠密行動用蜘蛛型ゴーレム――闇御津羽であった。
鍵を奪う際に、騒がれないよう死角から近付き、一撃で仕留めたのだ。
すでに看守は死んでいるとイリスに短く伝えると、蒼汰は詰所の奥にある扉に向かって歩き出す。
「ソータ。そっちは出口じゃないよ」
この地下牢に入れられた者は、必ずこの詰所を通る。イリスも当然、地上に上がるための出口がどこか知っていた。しかし蒼汰が向かったのは、地上に上がるための扉ではなく、別の扉だった。
蒼汰はイリスの言葉など意に介さず、そのまま扉を開けて中に入っていってしまった。
「ちょっとソータ、待ってよー」
そんな蒼汰の後をイリスは文字通り飛んで追いかけた。
「ん? ここって倉庫?」
イリスの言葉通り中は倉庫のような空間になっていた。いや、倉庫そのものであった。
ここは囚人たちを投獄する際に接収した装備品や所持品を、一時的に保管管理しておく倉庫だった。
ただここにある物は、元の持ち主に返されるこなく、上の者に流されたり、交易商に転売されることになるのだが。
蒼汰はそんな倉庫の中を、迷うことなくある一角を目指す歩いていく。
蒼汰が足を止めたのは、倉庫の中でも比較的浅い場所だった。
目の前の棚には、黒い鋼鉄製の鎧が一式と使い古された外套、そして蒼汰の身の丈程も有りそうな大剣が置かれてあった。
「このゴッツイ鎧って、ソータの?」
その鎧を見たイリスが、訝しげな表情で聞いてくる。蒼汰はそんなイリスに首肯で答えた。
「やっぱりそうなんだ。でもコレって、なんか生きてる? というか魔法生物、みたいな……」
イリスの言葉に、一瞬だけ驚きの表情を見せた蒼汰だったが、何も答えるとことなく、置かれた鎧と大剣に手をかざし魔力を込めた。
(何してるんだろう?)
と、その様子を見るイリスの目の前で、突如鎧と大剣は棚から消え、気付いた次の瞬間には、蒼汰の体に装着された。
「えっ、えっ、えー!? 何よ、何したの!?」
騒ぐイリスに「うるさい。騒ぐな」と一言告げ、最後に棚に残っていた外套を羽織り、青い花のブローチで留めた。
蒼汰はこの時、イリスに伝えなかったが、身に付けていた鎧もまた、武甕雷や闇御津羽と同様に、蒼汰が創り出したゴーレムであった。
名を金剛、身体能力強化用鎧型ゴーレム。
金剛は鎧としての防御力はもちろんのこと、ゴーレムによる行動補助により、パワー及びスピードを飛躍的に向上させる能力が備わっている。簡単に言えば、一種のパワードスーツのようなものだと言えた。
さらに背中に背負われた大剣もまた、蒼汰によって創られたゴーレムである。
高速回転刃式大剣型ゴーレム。名を天羽々斬。
この剣のイメージは、チェーンソーといったところか。
使用時に、剣の刃がチェーンソーの刃のように高速回転し、切断力と殺傷力を強化する構造になっている。
ちなみにモーターなどは一切積んでいないため、高速回転中も、わずかに耳鳴りのような音が聞こえる程度で、とても静かである。
最後に棚に置かれた革袋を掴み準備が完了した蒼汰は、イリスに「お前も早く準備をしろ、済んだらすぐに出発するぞ」とだけ言って部屋から出ていってしまった。
そんな蒼汰の後ろ姿を見て「待ってよー」と器用に小声で叫びながら、自分の荷物を探すイリスであった。
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