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陽がはっきりと西に傾き始めた頃、蒼汰は目的地であるオルテイブ要塞都市に到着した。
オルテイブ要塞都市――都市とは名ばかりの人口三千五百人程度の小さな街である。だが大陸を南北に縦断する交易路――南方行路の一中継地として、人口以上に賑わいを見せる活気のある街であった。
そんなオルテイブ要塞都市には一つの大きな特徴がある。
それはこの街に隣接して建てられていた。
十メートルをも超える城壁に囲まれた、石造りの巨大建築物。
この街に訪れた者の視線を必ず奪うその建築物こそ、この街の名前の由来にもなったオルテイブ要塞である。
大陸最南端にあるブガルティ王国にとって、北方防衛の要衝とされる要塞。平時は千人程しか兵を駐留させていないこの要塞だが、有事ともなれば五万を超える兵を受け入れ、ブガルティ王国北方防衛最大の拠点へと変貌する。それがこのオルテイブ要塞である。
とは言ってもこのオルテイブ要塞、建設されてから既に三百年の月日が経過していたが、過去一度も戦場となった事のない平和な要塞でもあった。
そんなオルテイブ要塞の中に、蒼汰が今回この街に来た目的がいた
(話に聞いていたよりも活気が無いな)
それがオルテイブ要塞都市を初めて見た蒼汰の感想だった。
以前蒼汰はこの街について、南方行路にある交易の街として、多くの人々で賑わっていると聞いていた。
だが実際この街を訪れてみると、街の大通りにもかかわらず営業している店は少なく、行き交う人も思っていた程には多くない。
初めは時間帯の問題かとも思ったが、どうやらそれだけでもなさそうであった。
街に着いた蒼汰は、大通り沿いの店を廻り食料等を買い込みをしつつ、この街の現状について情報収集を行なった。
一時間ほど経ち夕暮れの気配が強まり始めた頃、蒼汰は一軒の宿屋に入る。
外観を見る限り、お世辞にも立派とは言えない安宿だ。
中に入ると、痩せた中年の男がカウンター越しに愛想笑いを浮かべ立っていた。
「個室で一泊いくらだ?」
「へい、素泊まりで一泊千三百ダラーでございます」
(ヘラヘラと気持ちが悪い)
そんな感情を抱きながらも、蒼汰はここで一泊することを伝え、銀貨一枚と大銅貨三枚をカウンターの上に置いた。
蒼汰が案内された部屋は、安っぽい木製のベッドあるだけの、小ぢんまりとした広さの部屋だった。
特徴と言えるものがあるとすれば、窓から街の大通りが見渡せる、見通しの良さくらいだけだろうか。
まあこんなもんだろうと、部屋を眺めたあと、蒼汰は身につけていた装備品を消して、そのままベッドに仰向けに倒れ込んだ。
「さてと、どうしたもんか……」
蒼汰は一人呟き目を閉じると、これからの事を考え込む。
今回蒼汰がこの街にやってきた目的、それはオルテイブ要塞の城主、メスト・サンチェス将軍に会うこと。
しかし相手は、ブガルティ王国の軍事的重要拠点を任されている軍の重鎮。一介の傭兵程度が面会を求めても、門前払いをされるのが関の山である。
とは言っても蒼汰自身、はなっから正面から行く気などさらさらないのだが。
そもそもサンチェス将軍に会う理由というのも、決して平和的なものではないのだから、それも仕方のないことだろう。
正面からがダメなら裏からという発想で、蒼汰は作戦を考える。
それからしばらく天井のシミを見つめながら作戦を考えていた蒼汰であったが、作戦が決まったのか「こんなもんか」と呟くとベッドから降り、装備を整え、そのまま部屋から出て行ってしまった。
◆◇◆
宿の外に出ると既に陽が沈み、街の家々からは、夜の闇を照らす生活の灯りがあちらこちで灯り始めていた。
宿を出た蒼汰が向かったのは、場末の酒場。
商人や旅人が行くような歓楽街の酒場ではなく、この街の傭兵やゴロツキどもが溜まり場にしているような酒場だ。
酒場の中は、タバコの煙と質の悪い酒の臭いが充満していた。
十を超えるテーブル席は既に埋まり、ガラの悪い男たちが酒を酌み交わし騒いでいる。
蒼汰はそんな周りの様子を気にすることなく、慣れた様子で空いているカウンター席に向かう。
周りからは、まだ幼さの残る蒼汰をからかう声が聞こえてきてはいたが、蒼汰にとってはいつものこと、完全に無視をしてそのままカウンター席に座った。
「注文は?」
席につくと、客以上にガラの悪そうなスキンヘッドのマスターと思しき男が、ニコリともせず声をかけてきた。
「エール、それと食事を銀貨二枚分で適当に頼む」
そう蒼汰が注文すると、マスターはぶっきらぼうに「分かった」とだけ答え、近くにいる料理人らしき男に何やら指示を出し、自分はエールの準備を始める。
しばらくするとマスターが何も言わず、蒼汰の前に木製コップに注がれた泡立つ液体を置いた。
蒼太はそれを手に取りひとくち口にする。
苦味の含んだ生温い液体が喉を通り、自然と眉間にシワが寄った。
いわゆるエールとはビールの一種なのだが、現代日本のものと比べると発泡は弱く、微妙な甘味と独特の匂いで、とても美味いと言える代物ではなかった。せめて冷えてさえいればまだマシなのだろうが、常温で出されているため不味さに拍車がかかっている。
当然蒼汰も、このエールを美味いと思ったことは一度もなかった。だがそれでも、ここが酒場である以上、嫌々ながらも注文しているだ。
「オイ、小僧! お前ガキのクセに中々良さそうなもん身に付けてやがるな。お前には勿体ねェから、全部俺らが貰ってやるよ」
「ギャハハ、そうそう貰ってやるんだ、感謝しろよ、ガキが」
「そんなんどうでもいいからさ、とっととやっちまおうぜ」
エールをチビチビ飲りながら、飯を待っていた蒼太に、三人のゴロツキが絡んで来た。
これも蒼汰にとっては珍しいことではない。
まだ幼さの残る子供が、質の良さげな装備を身に付け、一人で酒場にいるのだ。良からぬことを考える輩が出てくるのも、仕方のないことだろう。
だが蒼汰はそんなゴロツキに対し、視線すら向けず手で追い払う仕草で応対する。
「なっ!? てめぇ、ナメてんか!!」
「ふざけんじゃねぇ、ぶち殺すぞ!!」
「ガキが! 殺してやんよ!」
蒼汰の態度に激昂したゴロツキたちは、今にも掴みかからん勢いで怒鳴り散らしはじめる。それでも無視する蒼汰に、怒り心頭のゴロツキの一人が、蒼汰の横面を殴り飛ばそうと拳を振り下ろした。
だが――
「ギャアアア!!」
その瞬間男の悲鳴と共に、酒場中に骨が砕ける音が響きわたった。
「は、離せ、離して、は――ウギャアアアアア!!」
続いて響いたのは、懇願言葉と二度目の悲鳴。
その騒動に、店中の男たちの視線は一斉に蒼汰たちに集中する。
そんな彼らが見たものは――
ゴロツキの突き出した拳を素手で受け止めた蒼汰が、そのまま熟れた果実を握り潰すかのように、ゴロツキの拳をいとも簡単に握り潰す様だった。
手の痛みに絶叫し涙を流すゴロツキを、蒼汰は一瞥し、残る二人に殺気を込めた視線を向ける。
それだけでゴロツキたちは、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまう。
蒼汰はそんなゴロツキたちにすぐに興味を失ったのか、「金だけ置いて去れ」と、それだけ言って男の拳から手を離し、再び不味いエールを飲みはじめた。
蒼汰の視線から解放されたゴロツキたちは、財布替わりの革袋を蒼汰のいるカウンターに慌てて置き、拳を潰され蹲る仲間を引きずり、脱兎の如く酒場から逃げていった。
騒動が収まり、酒場の喧騒も戻って来た頃、マスターの手によって蒼汰の目の前に料理が運ばれてきた。
蒼汰は丁度いいとばかりにマスターに声かける。
「聞きたいことがあるんだが、ちょっといいか?」
「……何だ?」
「オルテイブ要塞の城主、サンチェス将軍のことを聞きたい」
蒼汰の問いに、無表情だったマスターの眉がピクリと動いた。
「どういうつもりか知らんが、将軍のことを嗅ぎ回るような真似はやめておけ。貴様もまだ死にたくはないだろ?」
周りに聞こえないよう配慮してか、マスターは蒼汰にだけ聞こえるように小声でそう返した。
「それは――」
「話は仕舞いだ」
さらに聞こうとする蒼汰の言葉を遮り、話は終わったとマスターは告げ、その場を離れていってしまった。
マスター背中を見送りながら蒼汰は「まあいいか」と一言呟き、他を当たるため、食事を手早く済ませるのだった。
◆◇◆
翌日、朝日が地平線から顔を出しはじめた早朝、蒼汰は宿の外から伝わる剣呑な気配で目を覚ました。
カーテンをわずかに開け外の様子を窺う。
宿屋の前には、ブガルティ王国正規兵の姿をした十人程の男たちが、殺気を纏わせ集まっていた。
「この様子なら、すでに宿の中にも兵士が入ってきていそうだな。三軒も、クソマズい酒場をハシゴした甲斐があったってわけだ」
蒼汰の口角は自然と上る。
昨晩蒼汰はある目的を持って、場末の酒場を飲み歩いていた。そしてその成果がこれである。
蒼汰としては思惑通りに事が運び、思わず笑みもこぼれるというものだ。
階段を上がって来る雑な足音を聞き、蒼汰は手早く身支度を始めた。
「今すぐここを開けろ!!」
身支度を整え終えると、ちょうどそれを待っていたかのように激しいノック音と命令口調の高圧的な声が聞こえてきた。
素直に扉を開けるとそこには、青いサーコートを纏ったブガルティ王国の騎士が四人、厳しい表情で立っていた。
「こんな朝早く、何の用だ?」
先頭に立つ隊長らしき男に蒼汰は問う。
「貴様に間者の嫌疑がかかっている。抵抗することなく、速やかに投降しろ」
腰の剣に手をかけながら、居丈高に隊長らしき男は伝えてきた。
目の前にいるのは正騎士が四人。蒼汰がその気になれば、瞬殺できる程度の相手でしかない。だが今回は戦うのが目的ではなかった。むしろ捕まるために昨晩は色々と動いていたのだから。
隊長らしき男の言葉に蒼汰は頷くと、両手を上げ投降する意思を示した。
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