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何度となく鳴り響く剣戟の音。
場所は練磨迷宮――五十三層。蒼汰は今、双頭の黒い巨躯の犬、【F4】ランクの魔物――双頭犬と一騎打ちを演じていた。
しかし状況は良くない。いや、ハッキリ言って悪い。それなのに蒼汰は、一歩も引く気は無いとばかりに、両足を踏ん張り剣を振るっていた。
双頭犬との戦力差は大きい。力、速さ、勘、どれをとっても蒼汰を圧倒しているのだ。だがそれも仕方のない事だろう。双頭犬は【F4】ランクの中でも上位に当たる魔物。以前、前田を死に追いやった合成獣――【F4】ランク下位――よりも遥かに力を持った魔物なのだ。
それに対して蒼汰は、勇者の中でも下位の身体能力しか持ち合わせていない。それ故に、相手の土俵でまともに戦って、勝てる道理は無いはずであった。
しかしそんな蒼汰が、双頭犬に押されているとは言え、一対一で戦えているのは、前田の死以降彼が鍛えに鍛え抜いて来た、剣技があったからだろう。
実際蒼汰の剣技は、ここ三ヶ月で驚くほどの成長を見せ、剣技という一点だけにおいては、最強勇者――天野に次ぐ実力を持つまでになっていた。
だがそれでも、身体能力の差は如何ともしがたい。もし蒼汰に、天野ほどの身体能力が備わっていれば、今頃双頭犬は屍を晒すことになっていただろう。それが分かっているだけに、蒼汰は己に不利を理解しながらも、それでも引く事を良しとしなかった。
もちろんただ単に意地で戦っているというわけではない。その根底には、前田の〝死〟に対する後悔というものがあり、後悔しない強さを得るという信念があったればこそなのだ。
だだ、それを見させられている方は、たまったものではない。
「夜神君、いいから一度下がって、武甕雷と交代して!!」
蒼汰の後方で、眉間にシワを寄せながら戦いを見ていた武川が、また蒼汰に後退するよう大声を上げた。これで後退指示を出したのは三回目。だが蒼汰は、それに一度も応えようともせず戦い続けているのだ。
武川はそんな蒼汰を睨むように見ながら(鬼頭君さえ向こう側に行ってなければ)と歯噛みするのだった。
◆◇◆
それは迷宮五十五層での一泊キャンプを終えた蒼汰たちが、帰還のため五十層にある転移碑に向かう途中で起こった。
場所は五十二層に上る階段へと続く細い通路。ゴツゴツとした岩肌の通路で幅は約二メートル程、天井までは三メートル強、剣を振るうにはギリギリの広さと言ったところだろうか。少なくとも二人並んで戦えるような広さはない。
今回の蒼汰たちのパーティーは五人。蒼汰を始め、先に述べた武川真里、それに加えて真田武尊、鬼頭斗真、椿舞花といったメンバーであった。
かなり高い戦闘力を有したメンバーが揃っているように見えるが、これには仕方ないとも言える理由があった。
約一月前に起きた死徒襲撃事件――あの事件により多くの勇者たちの心が折れた。その事により、現在練磨迷宮で活動している勇者は、心が折れなかった、わずか九人のみとなってしまった。つまり心の強い勇者のみに絞られてしまったのだ。
そんな戦う事を選んだ者たちによって組まれたのが今回のパーティー。
パーティーの先頭を武尊が進む中、それは現れた。
細い通路に立ち塞がる一体の黒い双頭の犬――双頭犬。
戦いはすぐさま始まった。場所は細い通路、当然武尊と双頭犬による一対一の戦いだ。
状況が状況だけに援護が難しい。もし魔法を使えば、狭い空間で近接戦闘を強いられている武尊にも被害が及ぶ。椿の【剣舞繚乱】も、同様武尊を巻き込みかねない。武甕雷と交代させれればとも思うが、武甕雷の巨躯ではそれも難しい。
そこで名乗りをあげたのが鬼頭だ。
【闘鬼武闘】の勇技を有する痩躯で身軽な鬼頭。彼が自分ならばなんとか、双頭犬後方に回り込めると言い出したのだ。もちろんそう何度もできる事ではないが、それでも双頭犬が武尊に集中している今なら可能だと判断したのである。
武川はしばし黙考する。
現状このままでも、武尊が負ける可能性は少ないだろう。だが戦闘が長引けば、その分その音に釣られて、他の魔物を呼び寄せる可能性が高くなってしまう。そうさせない為にも、速やかに双頭犬を倒せるなら倒したい。
ここは狭い一本の通路。後方には武甕雷と蒼汰がおり、もし後ろから新たに魔物が現れても、なんとか対処はできるだろう。それこそ武甕雷を壁役に遠距離から魔法で攻撃すれば問題ないはずである――であれば鬼頭の提案は決して悪いものには思えなかった。
そして武川は、その提案を承諾した。
しばらくチャンスを窺っていた鬼頭が動いたのは、武川が提案を承諾してから五分が過ぎようとしていた時だった。
鬼頭は武尊の下へと走って行くと、その手前で素早く通路の壁を蹴り、三角飛びの要領で双頭犬の巨躯を飛び越し、天井付にわずかに空いた隙間に体を滑り込ませるよう後方に回り込んだ。まさに電光石火という言葉が相応しい動きだった。
それを見届け、これで双頭犬の挟み討ちに成功したと、武川は椿と共に安堵の表情を浮かべた。だがそれも長くは続かなかった。
新たな敵――双頭犬が後方からも現れたのだ。
それでも武川はまだこの時点では、想定の範囲内だと落ち着いていた。だが、想定外の行動を真っ先に行った者により、それはあっさりと崩れ去ってしまう。
その想定外の行動を取った者こそ蒼汰であり、これが先ほどの状況へと繋がっていく。
先程から三度にわたり武甕雷と交代するように指示を受けていた蒼汰だが、細い通路で巨躯の武甕雷と入れ替わるのは、武尊同様難しいように見えた――だが、実はそうでもない。
確かに双頭犬と戦いながら、武甕雷と場所を入れ替える事自体は、かなり厳しいだろう。だがしかし、蒼汰の勇技は【ゴーレムクリエイター】。ゴーレムを自在に使役し操る事ができる能力。
蒼汰がその気になれば、新たに自分の目の前に武甕雷を召喚する事も、双頭犬の後方に武甕雷を召喚して挟み撃ちにする事もできる。つまり出来ないのではなく、ただやらないだけなのだ。
「あーもう、なんでこうなるのよ!」
武川もそれが分かっているだけに、蒼汰を無理矢理にでも引き戻したい。だが状況的に今はそれができないのだ。それだけにイラつきを隠そうともしない。
蒼汰自身がやらかした事とはいえ、人の命がかかっている以上、このパーティーのリーダーを任された武川としては、仲間を見殺しにはできないし、したくないと、打開策を模索する。
後ろを振り返り、武尊たちの様子を窺う。
そちらの戦いは佳境を迎えようとしていた。武尊と鬼頭の挟撃により無数の傷を負い、ダメージを積み重ねた双頭犬は、一つの犬頭が、力なく項垂れるように垂れ下がり、動きそのものも緩慢になりつつあった。
この様子なら、倒すまでにさして時間は掛からないだろう。とはいえ、それまで蒼汰が堪えれるかどうかは、また微妙なところであった。
「すぐに倒せそうなら、鬼頭君に援護に入って貰いたかったんだけど……」
武川は再び視線を双頭犬と戦う蒼汰に戻し、睨むように思案を続ける。だがだからといって、すぐに妙案が浮かぶわけもない。それでもできる事だけはしておこうと、傍に控えいる椿に指示を出す事にした。
「舞花、チャンスがあったら、夜神君の援護ができるように準備だけはしておいて!」
「了解よ!!」
椿の力のこもった目と返事に、一瞬武川は安堵の表情を浮かべるが、すぐにそれを引き締め今できる自分の仕事をするべく、弱まりつつあった蒼汰に掛けた強化魔法と持続回復魔法を重ね掛けしたのだった。
◆◇◆
単独での勝手な突貫、【F4】ランクの双頭犬との一騎打ち、そして再三に渡る命令無視。
蒼汰は自分が馬鹿な事をしていると重々承知していた。それでも、蒼汰はそうしたかったのだ。意地……とも言えなくもないが、自分を高める為に必要な事だと感じたていたからだ。
双頭犬から次々と放たれた爪牙の攻撃を躱し、剣で受け流す。決して余裕があるわけではない。一撃でもまともに喰らえば、それだけで致命傷になりかねない。まさに断崖絶壁で綱渡りをするような、ギリギリの状態だ。
パワーもスピードも双頭犬が圧倒している。それでもその猛攻に耐えられているには、蒼汰が元々持つ動体視力の良さと集中力の高さがあったからこそ。いや、だからこそ、蒼汰はこの状況に持ち込みたかった。自分の持つ本来の力をより高める為に。
蒼汰は双頭犬と一合一合刃を合わせる度に集中力を高めていった。それは刃物を研磨する作業に似ていた。だがそれは諸刃の剣。薄く鋭く研磨された剣は凄まじい切れ味を生むと同時に酷く脆くなる。まさに命を掛けた研磨である。
そして、それだけのリスクを取っただけの実りが生まれる。
双頭犬の鋭い爪が蒼汰の頬をわずか傷つけ通り過ぎていく。あと一センチ深ければ大怪我となっていただろう、あと三センチ深ければ致命傷になっていたかもしれない。それでも蒼汰の顔に焦りはない。それどころか、爪が掠った事など気付いていないように見えた。
どれくらい前からだろうか、双頭犬の攻撃を剣で受け流すことが減り、その分、躱すことが増えてきた。それは急激な変化だといっていい。そして更なる変化が生まれる。
双頭犬の血が舞った。蒼汰の攻撃が掠ったのだ。それは双頭犬からすれば、小さなかすり傷でしかない。だが、初めて与えたダメージ。
数分前までまともに攻撃すらできなかった事を考えると、凄まじい進歩。しかもまぐれなどではない一撃で、である。それを証明するように、蒼汰の攻撃割合が時間を追う毎に確実に増していた。
「……なに、あれ?」
「……凄い」
それは後方で戦いを見ていた椿と武川の呟き。
先程まで押されていた蒼汰の動きが、急激に変わり始め、戦況が少しずつ蒼汰へと傾きだしたのだ。
二人は、まるで剣舞のようだと、蒼汰の戦いを見て思った。もちろん剣舞などではなく、研ぎ澄まされた集中力で、出来うる限りの無駄を排除しただけの〝実〟の剣でしかない。
だがそれは〝機能美〟という一種の美しさを持っていたのは確かだ。つまりそれほどまでに蒼汰の戦い方は洗練されてきていたのだ。
双頭犬は苛立たしげに咆哮を上げると、癇癪を起こした子供のように蒼汰に飛びかかってきた。
雑で強引な攻撃。今の蒼汰から見ればそうとしか見えない動き。
蒼汰が二歩飛ぶように後退すると、双頭犬の牙が眼前を通り過ぎていった。そして目の前に差し出される形となった双頭犬の頭が一つ。
それ目掛け、蒼汰は剣を振り下ろした。
頭蓋骨を砕く感触、脳に食い込む感触。それらを剣は、己の身を通して蒼汰に伝え、双頭犬の頭部半ばで動きを止めた。
凄まじい一撃。後方で見ていた武川たちもその一撃には、驚きのあまり言葉を失う。
――が。動きを止めた蒼汰の背筋にゾワリと悪寒が走る。
(チッ!)
双頭犬の頭蓋骨に食い込んだ剣を引き抜く時間はない。一瞬で剣を諦めた蒼汰は、両腕を交差させ後方に飛ぶ。
「「夜神君!!」」
武川と椿の悲鳴が重なり、それと同時に強烈な打撃音が響き渡り、蒼汰を地面へと叩きつけける。
襲ったのは、双頭犬の右前足による一撃。狙ったのか、たまたまなのかは分からないが、頭部を半ばまで斬り裂いた事で生まれた、蒼汰の一瞬の気の緩みを狙いすましたかのような攻撃だった。
地面に倒れ伏した蒼汰は、ピクリとも動かない。両腕が本来ならあり得ない形に折れ曲がっていることから、一応ガードは間に合ったと見るべきだろう。ならばまだ生きている可能性が高い。武川と椿はすぐさまそう判断し行動を開始した。
「これ以上はやらせないよ!!」
蒼汰が倒れた事で視界良好になった椿は、すでに準備済みだった無数の剣を双頭犬目掛け放つ。それとほぼ同時に武川も蒼汰に向け回復魔法を放った。
次々と突き刺さっていく剣を見届けて、武川は自分たちの護衛をしていた武甕雷を双頭犬に向かわせ、自分は蒼汰の下に駆け寄り、さらに強力な回復魔法を蒼汰にかけながら引きずって後退する。
「真里、夜神君は!?」
椿は武甕雷が前衛なのをいい事に、誤射上等とばかりに次々と剣を放ちつつ、近くまで蒼汰を引きずって後退してきた武川に蒼汰容態を聞いた。
「大丈夫――とまでは言えないけど、なんとか生きてるわ。でも危ない状態には変わりないわね。悪いけど私はしばらく治療に専念させてもらうわ」
「了解、アレは任せて。夜神君の事任せたわ」
「ええ、任せて」
武川が蒼汰の治療に集中し始めるのを横目に、椿は双頭犬への攻撃に集中する。
椿の周囲に、二桁にのぼる剣が新たに出現した。椿の勇技【剣舞繚乱】の能力、投剣召喚による力だ。
「さあ、このまま一気に蜂の巣にさせてもらうわよ! 行きなさい!!」
椿の掛け声に合わせ無数に剣が一斉に射出され、武甕雷と戦う双頭犬に襲いかかる。
次々に双頭犬に剣が突き刺さっていく。中には武甕雷を掠っていく剣もあったが、武甕雷がゴーレムである以上、たとえ直撃したとしても特に問題はないだろう。それこそ、蒼汰さえ無事ならいくらでも修理が可能なのだから。もちろん蒼汰からは文句が出るだろうが……それはそれである。
(そもそも一人で突貫して気絶する夜神君が悪い)
そう思いながら、剣の雨を降らす椿だった。
三度目の剣が射出されると、双頭犬は遂に力尽き倒れた。普段ならばここまで簡単にはいかなかっただろうが、やはり蒼汰に頭の一つを潰されたのが大きかったのだろう。
「ふう、なんとか終わったよ。真里、夜神君の様子はどう?」
一息ついた椿は、蒼汰の傍に座る武川に視線を向けた。
「おつかれ、舞花。夜神君ならもう大丈夫だよ。まだ意識は戻ってないけど、傷はほとんど治ったはずだからね。まあ、しばらくは痛みは続くだろうけど」
「いいんじゃない、夜神君の自業自得だし。あと一応私たちに迷惑かけたんだから、気が付いたら、一言くらいは文句を言ってやる必要はあると思うんだけど、どうかしら?」
蒼汰が無事と分かったからか二人表情は明るく、口調も軽くなる。
「もちろんそのつもりだけど、戻ったら翔子にも何か言ってもらった方がいいわね。たぶん夜神君には、それが一番堪えるだろうし」
「ふふ、それは妙案ね。きっちり翔子に怒ってもらいましょう」
意識を失ったままに蒼汰を見つめ、二人はどこか微笑ましげに笑った。
それにしても(最近の夜神君の成長は凄いわね)と武川は思う。
蒼汰以外にも、双頭犬と互角以上に戦える者は他にもいる。今回のパーティーメンバーなら蒼汰以外の全員が、余裕とは言えないもでも、なんとか一対一で勝つ事ができるだろう。それどころか、最強勇者である天野に至っては、かすり傷一つ負うことなく余裕で倒すことができるはずだ。
しかし彼らと蒼汰では、勇者としての役割が違う。
双頭犬を単独撃破できる勇者は、蒼汰言う主人公系勇技の持ち主、つまり戦闘系の勇技の持ち主なのだ。それに対して蒼汰の勇技はサポート系。
勇技の性質はそのまま身体能力に影響する。近接戦闘の勇技を持つ者は力や瞬発力が、魔法戦闘系の勇技を持つ者には、魔力攻撃力や魔力量が、といったようにだ。
だが蒼汰の勇技はサポート系。つまり戦闘系の勇技を持つ者に比べて、身体能力補正の恩恵が少ないのだ。もちろんこの世界の勇技を持たない者たちと比べれば、遥かに高い身体能力を有してはいるのだが、それはそれである。
そんなサポート系勇技の蒼汰が、近接戦闘系勇技の勇者でも苦戦するような双頭犬を、近接戦闘であと一歩まで追い詰めたのだ。あり得ない、とまでは言わないが、凄まじい成長であることは間違いない。
それに加え自身の勇技――【ゴーレムクリエイター】の研鑽も、他の誰よりも真剣に行っていた。今の蒼汰の総合力は、勇者の中でも確実に上位に入るだろう。
(当初から比べて、一番成長したのって、多分夜神君じゃないかな)
武川はそんな事を考えながら、双頭犬を倒し、こちらに向かってくる武尊と鬼頭に手を振るり、彼らを出迎えるのだった。
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