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二話目だけ少し短めです。
夜神蒼汰。それが黒髪の男の名。
蒼汰は今、どことも知れぬ暗闇の中にいた。
「……蒼汰君」
静寂が支配する闇の中、蒼汰を呼ぶ声が聞こえてきた。
蒼汰は声のする方に視線を向けた。
その視線の先、暗い闇の中、ゆったりとした白いワンピースを着た少女が、優しい笑みを浮かべ一人佇んでいた。
歳は蒼汰と同じ十代半ばを過ぎた頃だろうか。透き通るような美しい白い肌に、蒼汰同様黒瑪瑙のような輝きを見せる黒くて大きな瞳。少女から大人の女性へと移り変わるその年齢独特の魅力を放つ美しい顔立ちの美少女。さらに少女の肩まで伸びた艶のある美しい黒髪は、彼女の魅力をより引き立てるアクセサリーとなっていた。
「……翔子」
蒼汰は震えるその手を少女に向け伸ばし、絞り出すように彼女の名を呼んだ。
だがしかし、その手は少女に届かない。
歩みを進め、いくら少女に近づこうも、その距離を縮めることはできない。
「……蒼汰君」
再び少女は蒼汰の名を呼んだ。
その瞬間、蒼汰は息を飲む。
翔子と呼ばれたその少女の姿が、突如として変わってしまったのだ。
柔和な微笑みを浮かべていた表情は暗く沈み、女性らしい柔らかな口元からは、不釣り合いなほど赤々とした液体が流れ出ていた。健康的な魅力を持っていた赤みを帯びた顔色は、生気が消え失せていくように青白く変わり、純白だったワンピースの胸元は、赤黒いモノで穢されていた。
傷つき死人のように姿を変えた少女の姿がそこにはあった。
「――翔子!!」
蒼汰は叫び、少女の下に駆け寄ろうとする。だがやはり、その距離は縮まることはない。
「蒼汰君……お願い……蒼汰君は……私の分まで、生きて……」
目に涙を浮かべ悲しそうに言葉を紡ぐ少女。そんな彼女に蒼汰は必死の想いで叫び手を伸ばす。
「――翔子オオオォ!!」
――あと少し。蒼汰の手が少女の顔に触れようとした瞬間、少女は闇の中に沈んでいくように消えていく。
「行くな! 翔子、行かないでくれ!!」
蒼汰の叫び声が闇に響く。だが少女は蒼汰の叫びに応えることなく闇へとその姿を沈めていった……
「……また」
しばらく押し黙り、少女が消えた闇を茫然と見つめていた蒼汰だったが、やがてどこか諦めた目でぼそりとそう呟き天を仰いだ。
蒼汰も分かっているのだ。その手をいくら伸ばそうとも、もう彼女には届かないことを……
触れようとしても二度と触れることができない彼女を想い蒼汰は目を閉じる。
その表情は、普段彼が見せる厳しい戦士のものとは違い、まるで大切なものを失くしてしまった子供のようだった。
◆◇◆
空がしらみはじめた暁の頃、未だ闇の支配が残る中蒼汰は目を覚ました。
体を起こした蒼汰は、夢に見た少女を想い、じっと手を見る。
『蒼汰君……お願い……蒼汰君は……私の分まで、生きて……』
夢の中で少女が言った言葉が、頭の中で何度も繰り返し再生されていく。
沸き上がる複雑な感情を押し殺し、蒼汰は見つめるその手を力の限り握りしめた。
「……翔子。大丈夫……俺はまだ死なない。君の……そしてみんなの仇を……奴をこの手で殺すまでは、まだ死ねない。死ぬ訳にはいなかい……」
嗚咽するよに、その言葉が蒼汰の口から漏れ出た。
「必ず復讐を果たす。例え何年、何十年掛かろうとも……」
自らに言い聞かせるように力強くそう言葉にすると、蒼汰はゆっくりと立ち上がり、右肩口につけられた外套の留め金具を握った。
それは小さな星型の花が寄り集まった意匠をした蒼銀色のブローチ。
美しく、そして繊細で、蒼汰の黒く無骨な装いの中で一際異彩を放つ存在。
その青い花のブローチを、蒼汰は愛おしく包み込むように握る。夢に出てきた翔子という名の少女を想い……
ブローチの意匠でもある、蒼銀で作られた青い星型の五弁花。
蒼汰は知らないがこの花は、その見た目からブルースターと呼ばれる花であった。
ブルースターをモチーフにしたこのブローチは、あの少女――翔子からの贈り物。
そして唯一残された、翔子との想い出の品。
蒼汰はそのブローチを握り何を想うのか……
「そろそろ行かないとな……」
気持ちの整理ができたのか蒼汰は一つ頷きぽつりと呟くと、ブルースターのブローチから手を離した。
おもむろに立ち上がった蒼汰は、足下に置かれた茶色い革袋を引っ掴み、護衛を務めたニ体の武甕雷に視線を送る。それを合図にニ体の武甕雷は、蒼汰の中に吸い込まれるように忽然と姿を消した。
そして蒼汰は、まだ薄暗い早朝の街道を北に向け歩み出す。
ただ復讐を成し遂げるために……
死徒を殺し、奴を殺すために……
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