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色々思うところがありまして、新作を投稿させて頂きます。
すでに太陽は遥か彼方の地平線に沈み、世界は夜の暗闇が支配する時間へと移り変わっていた。
夜空には幾つもの雲が漂い、闇夜を照らすはずの二つの満月を覆い隠そうと、ゆっくりと広がっていく。そんな中、雲の隙間からわずかに漏れ出る月明りだけが、周囲の景色をうっすらと照らし出していた。
街道から少し離れた場所、街道に沿うように生い茂る森から、まるでつまはじきにされてしまったかのように一本の大きな広葉樹が生えていた。
その根元で一人の男が焚き火をしながら、歯応えのある干し肉を齧り、少し遅めの夕食をとっていた。
歳の頃は少年から青年へと移り変わる十代半ばから後半といったところだろうか。
無造作に短く刈り込まれたやや癖のある黒髪は、この世界では余り見ることのない珍しい髪色だ。顔は可もなく不可もなく、そこそこ、まあまあと、色々表現はあるが、いわゆる平凡な顔立ちといったところだろう。
若く平凡な顔立ちの男だが、その表情は年相応のモノではなく、歴戦の戦士から感じる、厳しさ、鋭さ、そして独特な気配を放っていた。
それを証明するかのように、黒い外套の隙間からのぞく鋼鉄製の鎧には、多くの傷が刻まれ、幾度となく激戦をくぐり抜けて来たのではないかと、容易に想像させる。
何かを感じたのか、男は黒瑪瑙を思わせる黒い瞳を森に向けた。
そんな視線の先、夜風に揺れる森の木々の間から、幾つもの大きな人影が這い出てきていた。ただその人影は、とても人と呼べるような大きさのものではなかった。
やがて雲の隙間からわずかにもれでた月明かりが、その人影を照らし出す。
浅黒い皮膚、異常なまでに発達した筋肉、腕は丸太のように太く、手には木を適当に加工しただけの巨大な棍棒が握られている。人とはかけ離れた大きな顎門には、ナイフのように鋭く尖った歯牙が並び、見る者に恐怖を与える。
頭部には鋭く、そして捻れた二本の黒い角が生え、自分が何者であるかを見せつけるかのように、猛々しく天を突いていた。
それは大鬼人と呼ばれる魔物。
成人男性の倍近い背丈に、他を圧倒する強烈な膂力を持つ食人鬼。その力は強者の代名詞とされる、正騎士すら凌ぐと言われている。
その大鬼人が十体。一人木下で夕食をとる男を獲物と定め、走り迫ってきていたのだ。
だが男は大鬼族の群れを一瞥するだけで、逃げるでもなく迎撃態勢を取るわけでもなく食事を再開してしまった。
舐めたような男の態度に怒りを露にしたわけではないのだろうが、大鬼人たちは、ヨダレを撒き散らすように雄叫びを上げ、駆ける速度を上げた。
その速度は大鬼人の巨躯からは想像できぬほど速く、みるみるうちに男のとの距離を食い潰していく。
やがてその速度は、駿馬にも匹敵する速度にまで加速する。
猛烈なスピードで迫りくる十体の大鬼人。
残された距離はあと十五メートル。獲物はもう目と鼻の先。
先頭を走る二体の大鬼人が吼えた。
次の瞬間――
吹き上がる鮮血、飛び散る臓物、二体の大鬼人の上半身が錐揉みして、宙を舞う。
残された下半身は数歩歩みを進めたのち、自ら作り出した血と臓物の湖の中に崩れ落ちた。
突如目の前で起きた惨状に何が起きたのか分からず、大鬼人たちは戸惑いを露に足を止め、男を睨みつけつつも周囲に警戒の目を向ける。
そしてようやく大鬼人たちは、自分たち男との間に二つの人影が存在していることに気付く。
それはまさに闇と表現するべき存在だった。
全身を覆う漆黒の鎧に、漆黒の大剣と大楯――そこにいたのは黒き姿の騎士。
朧げにしか見えない暗い闇夜の中、静かに佇むその姿は夜に沈む闇そのものに見えた。
大鬼人は首を傾げる。
そこには誰もいなかったはずだと。
大鬼人たちは目の前の二人の黒い騎士を、攻撃を受けるまでまったく認識していなかった。
大鬼人は生物を臭いや体温で探し出す高い探知能力を持っている。だからこそ、自分の獲物となるものがどこにいるのか、夜の暗闇の中でも見つけ出すことができた。故に生き物である以上、大鬼人の鋭敏な感覚から逃れることは非常に難しい……はずだった。
だがしかし、そんな大鬼人が目の前に立つ二人の黒い騎士から攻撃を受けるまで、彼らにまったく気付けなかった。
つまりそれはこの二人の黒い騎士が、彼ら大鬼人にとって、探知できない危険な存在だということだ。
では彼ら黒い騎士は、一体何者なのか?
不意打ちとはいえ正騎士以上の力を持つとされる大鬼人を一刀で斬り伏せるだけの力を持ち、探知能力の高い大鬼人の索敵にもかからず、不意打を仕掛けられるほどの存在。
その正体とは――
魔法鉱物生物――またの名をゴーレム。それが彼ら黒い騎士の正体。
ゴーレムとは鉱石や土砂などで創られた擬似生命体。故に生き物独特の臭いや体温が全くない。そのため月明りの届かぬ暗がりで見る黒いゴーレムの姿は、大鬼人たちとって、地面に転がる大きな岩程度の認識でしかなかった。
もし大鬼人に魔力を感知する能力が備わっていたのならば、多少はマシな結果になっていた可能性もあったかもしれない。ただあくまでも〝多少は〟ではあるが。
それだけこの二体のゴーレムの動きは、速くそして洗練されていた。それこそこの世界のゴーレムの常識とは、かけ離れたものだと言い切れる程に……
本来ゴーレムとは力はあるが動きは鈍く、単純な動きしかできない。それがこの世界での常識。それに比べてこの二体のゴーレムの動きは、まるで熟練の騎士を思わせる。ゴーレムだと言われない限り、誰も彼らをゴーレムとは思わないだろう。
それほどまでにこの二体のゴーレムは異常だった。
そしてそんな異常とも言えるゴーレムを創り出した者こそ、大鬼人を目の前にして平然と干し肉を食らう年若き黒髪の男であった。
未だ動くことができない大鬼人に向かい、ゴーレムである黒い騎士が大剣を構え動き出す。
その姿を雲の隙間から漏れ出た月明りが一瞬だけ照らし出す。
身の丈は成人男性よりも二回りほど大きく、二メートルは超えているだろうか。
身に付けた鎧は、中世の騎士が纏うようなゴツゴツとした無骨な鎧ではなく、洗練された美しさと、独特な凶暴さを併せ持った、幻想的なフォルムをしている。
右手に持つ剣は、肉厚で幅広く刃渡り二メートルにも及ぶ巨大な両刃の直剣。たとえ力自慢の戦士であったとしても、振るどころか持ち上げることすら難しいであろうその大剣を、この黒き騎士は片手で軽々と扱う。
左手にはタワーシールドと呼ばれる大楯。剣にも増して、人の手でどうこうできる物にはとても見えない大きさと厚みを持った、まさに鉄壁の楯と呼ぶに相応しい姿をしている。
それは幻想世界ともいえるこの世界の住人ですら、想像することができないゴーレムの姿だった。
――武甕雷――
それが創造主である黒髪の男によって与えられた、このゴーレムの名。
総鋼鉄製の肉体を持ち、最適化されたアルゴリズムと最大までに強化された魔核が組み込まれた強力無比の戦闘マシーン。それがこの二体のゴーレムである。
ゆっくりと歩みを進め近付いて来る武甕雷に、警戒心を高める大鬼人たち。
――だが次の瞬間、血しぶき舞い、四体の大鬼人が、自ら噴き上げた血しぶきの中、崩れ落ちるように絶命した。
その傍らに立つのは、あの二体の武甕雷。一瞬で間合いを詰め、わずかな抵抗すら許さず、四体の大鬼人を斬り殺したのだ。
残る大鬼人はあと四体。それでも大鬼人は、圧倒的な力を見せつけた武甕雷から逃げることなく、牙を剥き吼える。
そして死を厭わぬ復讐者となり、武甕雷に逆襲するべく襲いかかってき来た。
獣のように走り迫り来る四体の大鬼人。迎え撃つは二体の武甕雷。
本来大鬼人は、正騎士を凌駕するほどの力をもった危険な魔物。それほどの力を持った大鬼人を、武甕雷が瞬殺してのけたのは、不意打ちと混乱に乗じた奇襲が功をそうしたからに他ならない。それだけに覚悟を決めた大鬼人は決し楽な相手とは言えなかった。
だがそれでも一対一で勝つのは武甕雷であり、それが四対二となったとしても覆ることはない。それほどまでに両者の実力には大きな差があった。
それを本能で分かった上でも、大鬼人の戦意は全く衰えない。それは大鬼人の矜持故か、それとも仲間を殺された怒りなのか……
そして遂に四体の大鬼人と、二体の武甕雷の戦いが始まる。
武甕雷目がけ、あり余る膂力で棍棒をふるう大鬼人。だが武甕雷はそれを、いなし、弾き、逆撃を加える。
夜の闇に飛び散るのは大鬼人の鮮血のみ。だが大鬼人は止まらない。
自らの体が傷つくことを厭わず、只々愚直なまでに棍棒を振るい続ける。
やがて戦いは混戦となる。
そんな中、一体の大鬼人が倒すべき本当の相手に気付く。あの黒髪の男こそ殺すべき敵だと。
そしてその大鬼人は、武甕雷が築いた防衛線を無理矢理に突破し、一矢報いる思いで黒髪の男の下へと走り出した。
二体の武甕雷は、創造主へと迫る大鬼人に、これ以上は行かせはせぬとばかりに追い縋り、大剣を振るう。
だがその前に立ち塞がる三体の大鬼人。己の命と引き換えに肉壁となり、武甕雷の一撃を体で受け止め、血と肉片と共に命を散らす。
最後の生き残りとなった大鬼人は、仲間が命懸けで作り上げたチャンスをモノにする為、後ろを振り返ることなく一直線に黒髪の男の下に走った。
――グラァアアアア!!
怒りとも悲しみともとれぬ咆哮を上げ、大鬼人は黒髪の男に迫る。
大鬼人は本能で理解していた。
あの黒い騎士には何をしても勝てないことを。これを覆すには元を断つしかないことを。そしてその元とは、未だ自分たちを無視して食事に耽る、あの人間の雄だということを。
それこそが唯一にして最後の復讐のチャンスだと知る、大鬼人の勢いは凄まじい。
立ちはだかった大鬼人を一刀のもとに斬り捨てた二体の武甕雷は、創造主を守る為、最後の大鬼人のあとを追う。
――グオォォォォ!!
だが大鬼人はすでに黒髪の男の目の前にいた。
大鬼人は両手で握りしめた棍棒を振り上げる。
殺気に満ちた咆哮をあげ、棍棒を振り下ろそうとする大鬼人。それでも男は未だ動かない。それどころか視線すら大鬼人に向けない。
武甕雷は大鬼人を追う。だがもう間に合う距離ではない。
仲間を殺された憎しみを力に変え、憤怒の相の大鬼人は男の頭目がけ棍棒を振り下した。
――だが、突如大鬼人の視界から男が消えた。
突如標的を失い空を斬る棍棒。勢い余った大鬼人はたたらを踏む。
だがそこは強靭な肉体と鋭い感覚を併せ持った野生の魔物。一瞬で体勢を立て直し、すぐさま消えた男を探し視線を走らす。
そして見つける。眼前で大剣を振り下ろす男の姿を……
その瞬間、大鬼人は文字通り頭の先から、真っ二つに両断された。