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俺はご主人様に罵倒されるのが好きだ。
冷たい目にさらされるとゾクゾクするし、言われたことはないが『ホンット、使えないね?』など言われたとしたら這いつくばってくつを舐めるのも厭わないだろう。
乗馬鞭をスルリと撫でる淫靡な仕草は時として俺の心をとらえて離さない。
あの高潔で優しい神父の仮面の裏が、残忍で冷酷な、しかし頭のよすぎた孤独な少女であると言う事実は俺だけが知っているのだと思うと興奮する。
しかし何より、ご主人様の良いところは、その態度である。
堂々としていて、同年代の少女達のように泣くだけしか出来ないような弱い人間では決してない。
だからと言って全てを一人で抱え込むには寂しがり屋な方なのだと、俺は知っている。
「アレ、また来てくださったのですか?ティロトソン様」
教会に行けば、ふわりと微笑まれた。
眉が下がり、ふにゃっと口が緩んでいる。
今日は機嫌が良いようで、首にかけた十字架が日に照らされてきれいに輝いている。
ステンドグラスが幻想的に教会を輝かせ、ボロいからかけた屋根のところどころから射す日の光と青空の下で笑うご主人様は、本当に神々しい。
「あぁ、最近これてなかったからな」
「おやおや。二日来てなかっただけじゃないですか?」
「それでも俺にとってはこれてない、だからな。エルといられないと時間が長過ぎるのだ」
「御上手なことで」
勇気を振り絞って伝える口説き文句も、口に手を当ててクスクスと笑われるだけで終わった。
挑戦的な瞳がまた愛らしく、憎たらしいものだ。
しかし、潔癖な神父の裏に隠されるその表情をもっとみたいと思ってしまうのは仕方がないことだろう。
「そもそも、ティロトソン、などと他人行儀な態度にならないでおくれ。
………ギル、と呼んでくれ」
「…嫌ですよ。下らぬ噂が立ったらつまらないでしょう?」
腰を抱いて耳元で囁いてみても効果なし。流石ご主人様だ。使用人に教えてもらった事を駆使して口説こうとしても、鋼鉄のメンタルでほほを赤らめようともしない。
「あなたとの噂なら大歓迎だ
何ならいまここで土下座をして見せようか」
「昔はあんなにいやがっていたのに今更何を?
僕はそんな言葉に騙されるほど馬鹿ではありませんから」
ともすれば恋人同士の戯れにも見えるやり取りだが、どちらも冗談だと解っているので期待する必要もない。
いや、本当は期待したいのだがな。
「さてギル、そろそろ離してくれないか?」
「………あぁ」
ご主人様は心を閉ざしてしまった。
もう俺にすら開いてくれる事はなくなったらしい。
俺はきっと、いや絶対に忘れることなんて無いのに。
「エル、いる?」
ギィと音をさせ、アルナルドが教会に入ってきた。
毛先に近付く程鮮やかな赤色に変化する金貨を溶かしたような強い金髪に、ルビーよりも美しいとすら思える硬質な紅の大きな瞳。
陶器より繊細でアンティークドールより端正な造形をしている姿形は、すべてが計算し尽くされたような完璧な美を誇っている。
貴族の隠し子であるこいつは、幼い身でありながら、そして全く教育を受けていない身でありながらも、力強く鎖魔法を自由に使う化け物だ。
腰に回った俺の手を見たのか、冷ややかな目で睨んできた。
その奥には明確で残酷な殺意が宿っている……が
「やぁアルナルド君。君も久しぶりだね?」
貴族のパーティでの視線に比べれば随分ましだ。
確かに流石元貴族といえるほど、染み付いた美しさと計算され尽くした美貌はあるが、これでも俺は現貴族だ。
こんな視線には慣れっこだ。
ご主人様は苦笑しながらやり取りを見守っている。
………ご主人様の笑顔を取り戻したのがこいつって、なんかやだな……
そう思っていると、勢いよくドアが開け放たれた。
「軍師ィ!勝負だ!」
柔らかい金髪が、ふわりと輝いた。




