5章 9
「姉ちゃん。大丈夫?」
家に着くと今日も宵月が心配そうにしていた。
「また画像でもアップされてた?」
あたしは少し諦めたように言った。
「うん。今日はトイレで殴られた後の画像だった」
「そっか」
呆れた口調で、溜め息を吐くように答えた。
「ねえ、あの零って人に言った方が良いんじゃない?」
あたしは考え込んだ。きっと零に言った方が良いだろう。傷つくことになっても零に相談した方が良い。だけど、あたしはそれをしなかった。
「大丈夫。友達もいるし」
あたしはそう言って部屋に戻った。今日も零からの電話はなかった。あたしから電話を掛けてみた。繋がらなかった。
零……、今どうしてるの?
学校に着くと、あたしは一人にならないようにした。常に那智と一緒にいるようにした。那智に話すかどうか悩んで、話した。
以前から嫌がらせのメールが届いていたことも、屋上のことも。全てを話した。那智はあたしのそばから離れないようにしてくれた。
午前の授業が終わり、お昼休みになった。
那智がトイレに行こうと言ったけど、あたしは頑なに拒んだ。トイレにはもう行きたくなかった。那智は一人でトイレに行った。あたしは携帯を開いた。零からの着信が入っていた。あたしはすぐに電話を返した。だけど零は出なかった。
すると携帯にメールが入った。
―今すぐ屋上に来い。来なかったらこの女がどうなるか。わかってる?―
添付された画像を見た。後ろ手に縛られた那智の姿が映っていた。あたしは急いで屋上へ向かった。あたしは、零にメールを送った。お願い。助けて。
「那智。大丈夫?」
那智の返事はなかった。何かで眠らされているのだろうか。あたしは三人の女生徒を睨み付けた。冬の屋上は静けさと冷たさに満ちていた。状況に反した凪いだ風が、屋上に流れていた。
「那智は関係ないでしょ」
「この女、あんたの友達でしょ? じゃあ、関係あるじゃない」
太った女生徒はニヤニヤと笑って言った。
「今日もあたしを殴りたいってこと?」
痩せた女生徒は指を立てて横に振った。
「それだとちょっと違うわね。あんたを殴りたいんじゃなくて、あんたが零君から離れてくれればそれでいいのよ。わかる?」
あたしは反論した。
「そんなことのためにこんなことをしてるの?」
「そんなことって何よ。ちょっと零君に構ってもらってるだけのくせに」
あたしは少しの間考えた。あたしが身代わりになれば那智は助けられる。
「わかった。殴られる。だから、那智には手を出さないで」
つり目の女生徒が言った。
「もう一個の方の返事は?」
太った女生徒が強めに言った。あたしは答えた。
「わか……」
屋上のドアが開く音がした。振り返ると、零がそこには立っていた。
零……。あたしは、足が崩れそうになってしまった。足元を支えていた支柱が一気に崩れていってしまった。今あたしを立たせているのは、気力だけだった。零がいる、ということと、三人組と相対していることがなくなってしまえば、あたしはあっさりと足を崩してしまうだろう。
「蓮。大丈夫?」
「うん。大……丈夫……」
「なんでここがわかったのよ?」
太った女生徒がうろたえながら言った。
「ここに来る前に蓮からメール貰ったからね。それを見て大体の想像がついた」
零は一歩前に出て言った。
「斉藤さん、高田さん、二ノ宮さん。どうしてこんなことしたのかな?」
いつもの穏やかな声だった。だけど、奥底に怒りが混じっていた。周りに群がっている女子を一蹴する時と似ていたけど、明らかに違うのは怒りの度合いだった。明らかに今の方が怒りに満ちている。
女生徒達は口々に、どうする?と言っている。
「ああ、三人だけじゃなかったね。ねえ、倉持さん」
「え?」
あたしは、その言葉に動揺していた。すると、那智は縄を解き立ち上がった。舌打ちが聞こえた。
「三人が首謀してやったんじゃないでしょ?」
三人は頼るものもなく、バツが悪そうにただ頷いた。
「零君。いつから気付いてたの?」
那智が口を開いた。その口調はあたしの知っている那智の声じゃなかった。まるで別人のようだった。
「蓮から話を聞いてる時には気付いてたよ。蓮に嫌がらせのメールを送ってたんだろ?」
「なんで、零がそんなこと知ってるの?」
零はにっこりと笑った。
「そんなの、気付くに決まってるじゃない。蓮はわかり易いし」
「じゃあ、私の気持ちも?」
那智が零に訊ねた。
「うん。知ってたよ」
零はあっけらかんと答えた。それが何か? といった様子で、堂々とした態度を示していた。
すると、那智は笑い始めた。可笑しいことは何もないのに、声を上げて笑っている。あたしはその姿がなんだか恐ろしかった。
「ねえ、じゃあ、なんで、その子なの?なんで、あたしじゃダメなの?」
那智はすがるように、零に訊ねた。いつもの那智と違っている。雰囲気も使う言葉も、何もかもが那智ではなかった。
「それは僕が聞きたいな。なんで僕にそんなにこだわるのかな?」
「零君に相応しいのは私なのに。そんな普通の子……。意味がわからない」
あたしは那智に近付こうとした。
「那智? あたし達友達でしょ?」
那智は唾棄するように言った。
「友達? そんなわけないじゃない。零君に近寄るために利用しただけよ」
「那智?」
「馴れ馴れしく呼ばないでよ」
零があたしの肩を掴んだ。
「もういいよ。蓮行こう」
零に促されて屋上から出ていこうとした。振り返ると、那智はカッターを振りかざしていた。
「あんたなんか消えちゃえば良いのよ」
あたしをめがけてカッターが振り下ろされてきた。反射的に目を閉じた。次に聞こえたのは、ドスッ。という嫌な音だった。怖々とゆっくり目を開いた。赤い液体が身体を流れているのがあわかった。
零の右腕にカッターが刺さっていた。零の右腕から流れる赤い液体があたしの肩に流れてきていた。零はにっこりと笑いながらあたしに問いかけてきた。
「蓮。大丈夫?」
「零……?」
那智は狂乱した様子で、笑っていた。
「あんたの愛しの零君を切ってやったわ。いい気味ね。あははははは」
三人の女生徒はうろたえた様子でひそひそと話をしている。
「これって、やばいんじゃない?」
「あたし達は関係ないよね」
「だって、そもそもこれをしようって言い出したのは那智だし」
女生徒達は責任を押し付け合っていた。三人の女生徒が屋上から逃げようとしている間に、先生が屋上のドアを開けてやってきた。零が呼んでいたようだ。あたしは零の右腕を優しくさすった。
「零……右腕……が……」
「大丈夫だよ」
零は平然とした表情で屋上のドアを開けた。そのまま保健室に行き、零は車に乗って連れていかれた。
この事件はもちろん、あっという間に学校中に広まった。あたしは職員室で待機させられた。
その後、那智を含めた四人の生徒は、退学処分になった。




