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ゼロ ~心の在り処、涙を流す意味~  作者: 芦屋奏多
第2章
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2章 9

 零は相変わらず天使と悪魔の絵を描いていた。

 下書きに沿って、絵の具を重ねていく。天使、悪魔、人間の心、零の中には何があるんだろう。

 あたしはというと、リンゴとバナナのデッサンをしていた。

 リンゴとバナナの汗が滴る。汗がテーブルにつくほどの時間をかけて、描いた。こちらも相変わらずだった。リンゴとバナナを鉛筆で立体的に描いていく。立体的に、重みのある絵を描くように心掛ける。

 その気持ちは絵になって表れていく。絵には心模様が写しだされる。心掛けや、あるいは、その時の気持ちが表情として表れる。

 零の天使と悪魔はそれが出ているのだと思った。零の中の天使と悪魔はどんな顔をしているんだろう。

「蓮の両親って働いてるんだよね?」

 零は唐突に質問をしてきた。あたし達は美術室でこういった何気ない会話を交わす。こんな風になんでもない会話を交わすと、零のことをよく知れるような気がした。

 零の深くはわからなくても、表面を知ることで、深い部分の一端に触れることが出来た。

「あ、うん。言ったことなかったっけ?」

 零は目線だけをこちらへと向けた。

「まあ、詳しくはね」

「うちはお父さんもお母さんも技術者なんだ。お父さんが科学課で、お母さんが情報課。どんな仕事してるのかはわからないんだけどね。零のお父さんとお母さんは何をしてるの?」

 零は描いてる手を止めた。

「僕の家は父子家庭なんだ」

「父子家庭?じゃあ、お父さんと二人暮らしなんだ」

 あたしの質問に零の表情は曇った。

「うん。でも滅多に帰ってこないけどね」

「働いてるの?」

 質問が深くまで聞きすぎたかな、と思ったけど、零はふうっと、息を吐いて答えた。

「うん。一応技術者だよ」

「へえー。零のそういう話って全然聞かないから、知らなかったなぁ。じゃあ、今度うちにご飯でも食べにくる?」

 零は明らかに動揺の色を浮かべた。

「いや、悪いからいいよ」

「なんで? うちにいるのおじいちゃんと弟だけだから気を遣うことないよ。お父さんもお母さんもたまにしか帰ってこないし」

「うーん。じゃあ、今度伺うよ」

 あたしは喜びの表情を隠さなかった。いや、隠せなかった。零がうちに来てくれるのはとても嬉しかったからだ。

「今度じゃなくて、絶対ね」

「うん。わかった」

 零はまた作業を再開した。あたしもデッサンを再開した。描く手を休ませずに会話を続けた。

「でも、零の家にも行きたいなー」

「それは…、だって父は帰って来ないんだよ」

 苦笑しながら零は悟らせるように言った。

「だから行きたいんだって」

 零は突然声を出して笑った。

「何よ? なんか変なこと言った?」

「いや、蓮らしくて良いんじゃないかな」

 零は口角を上げた。笑うというより、微笑んだと言った方が正しい表情だった。

「またバカにしたでしょ?それくらいわかるんだからね」

 はいはい、と子どもをあやすように言った。

「でも、蓮。それは僕以外には言っちゃダメだよ?」

 あたしの中には疑問符が浮かんでいた。その意味に気付くことはなかった。

 あたし達は、暗くなるまで絵を描き続けた。今日も完全下校まで残っていた。下校の鐘が鳴り響いた。

「今日はここまでにしようか」

「じゃあ、キー返さないとね」

 美術室にロックを掛け、カードキーを職員室に戻し、昇降口に向かった。秋のせいか、日暮れが早くなっている。あたし達は日暮れの街を歩いた。

 学校前の緩やかな坂道を下っていく。紅葉はまだ景観を保っていた。これがあと何日かしたら、枯葉に変わるんだろうか。四季があるのは素晴らしいのに、それを素晴らしいと思う人が減ってきているのが、とても寂しい。

 零はどう思っているんだろう。やっぱり寂しいって言うのかな。

「零もこの情報化の社会って寂しい?」

 モミジの葉を見ながら問いかけた。

「うーん。寂しい…のかな。僕にはよくわからないな。どうしたの? 急に」

「前に話してた時に、零もこの電波社会が好きじゃないって言ってたから、なんとなく聞いてみただけ」

 零はあたしの言葉を流して聞いた。

「僕は、情報化の社会よりも、人が心を失っていく方が寂しいかな。みんな情報の豊かさよりも大切なものを失ってる気がして」

 零のその言葉は、この数日間のどこかで聞いたことのある言葉だった。あたしははっとした。

「おじいちゃんもおんなじこと言ってたんだ。でもあたしにはわからなかった…。その、豊かさよりも大切なものってなんなのかな?」

 零は少し考えて答えた。だけど、明確な解答を並べようとはしなかった。

「モノが増えて物質的に豊かになると失うものがあるんだ。多分、おじいちゃんはそのことを言ってたんじゃないかな」

「それってなんなの?」

 あたしは、答えのない問題の答えを零に聞こうと訊ねた。やっぱり、零は明確な答えは出さなかった。

「それは、僕も探してる途中だから。でも蓮は焦らなくても良いと思うよ。長い時間を掛けて自分なりの答えを見つければ良いよ」

 あたしはなんだか複雑な気持ちになった。

 零もおじいちゃんもなんでも知ってて、自分だけ何も知らない気がしたからだ。

 無知な自分がとても恥ずかしかった。

 その恥ずかしさを抱えて、零と二人の帰り道を歩いた。月が空に昇っていた。星はない。どんなに晴れていても、星が浮かぶことはなかった。

 夜の街が明るすぎるのかもしれない。夜の光に街路樹が照らされている。なんだか神々しく見えた。


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