ナポリタンの喜び
いらしてくださり、ありがとうございます。
つやつやして、やけどしそうなほど熱くて、甘くて、酸っぱい。そしてもにゃっとしている。
スパゲッティ・ナポリタンは、私にとってそういう食べものだ。
素麺かと見まごう細麺にトマトがちょこんとのっているようなおしゃれ系パスタには感じられない、あか抜けなさがたっぷりあるのがいい。
おしゃれ系パスタも、おいしければすべて好きだけれど。
スパゲッティ・ナポリタンのトマトソースがだまだまになっていたりすると、ほっとする。
どの店のスパゲッティ・ナポリタンも大抵おいしくいただいている。とはいえ、やはりひときわおいしい店がある。
そういう店のナポリタンは、甘味、酸味、油感のバランスが素晴らしく、かつ、量的には控えめながらくっきりとしたウインナーの存在感がある。食べているあいだも、食べ終わったあとも、それらを思い出せる。
それから、頬張ると、トマトとケチャップとウスターソースのどの味でもないけれど「ここだ!」 という感覚が湧き起こる。
まったく違う事柄ながら、展覧会で頭の中で各方面から線を引いていって絵の消失点を見つけたときみたいな、ピンポイントでここだ! という感覚が、口の中で生じるのだ。もうかなり長いあいだ口にしたことがない言葉、「ドンピシャ」と言い換えてもいい。
自分は案外、甘めの味が好きなのだなあ、と他人を見るように思う。
オレンジ赤に浮かぶピーマンの緑も好きだ。シャープな細切りでも、花丸みたいな細い輪になっていてもいい。「野菜もね」、あるいは、「野菜もな」とそっと囁いてくれる感じがする。
ピーマンはちょっと苦くて、スパゲッティ、トマト系のソース、ウインナーがもにゃっと馴れ合っているところに、それでいいの? といやみなく新風を吹き込む趣がある。でも口の中で他の具ともちゃんと味が融和するのだった。
タマネギは、みじん切りに近いくらいに刻んであるのが好きだ。が、今となってみると、子供の頃に家で食べた櫛切りのタマネギも懐かしい。
マッシュルームはなくても気にならない。あればあったで、ほかの具材と異なるつるんプラスフニッとした食感により、食べる楽しみが増える気がする。
また、味や食感以外のことでは、食べるときに服を汚してしまうかもしれぬというスリルも、ある意味スパイスとなっていると思う。
もっともこれは、スパゲッティ・ナポリタンに限らず、ペンネ・アラビアータなどトマト系ソースのパスタ全般に共通するものだ。
特に、白や淡い色の服を着ているときにはスパイス度が大変上がる。
スパゲッティ・ナポリタンは、暑いときにはあまり食べない。
心踊るオレンジと赤がベースであるため、日本の真夏だと、喫茶店など食べる場所の冷房が効いていない限り、見ただけでカッカと熱くなりそうだ。
風が秋めいてきたり、少し涼しくなったなあ、と思ったりすると、また無性に食べたくなる。
複数回食べて全回おいしい店でスパゲッティ・ナポリタンを食べると、気持ちが本当に高揚する。
食べる前に意気消沈していても、皿が空になった頃には「今日の残りの時間を頑張って過ごして、一日を建て直そう」という心持ちになるのだった。
ほかのおいしいものでは、頬はゆるんでもあまりそのような心情にはならない。
なぜなのかは、わからない。
この文章は、いわゆる「ナポリタン問題」のような、読むかたに解き明かされることを目的とした謎や隠された意味を含むものでは全然ない。
けれども、おいしいスパゲッティ・ナポリタンを食べたときにかように心持ちが変化する訳は、私にとって永遠に謎かもしれず、その意味では別種の「ナポリタン問題」と言える。
ここまでお読みいただきまして、どうもありがとうございました。
ご来訪に心から感謝いたします。