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月よ


 月よ、夜空のその月よ

 あなたの暗い隕石孔は、なにゆえ

 潤い水を溜め

 星の光を霞めているか。


 プルケルは窓から手を伸ばした。月は、掴めそうで、掴めない。彼女は気高く身を纏い、容易に肌を触れさせない。しかしプルケルには、その孤高の姿のなかに、彼女の哀しみが隠れていることを悟っていた。

 月は、夜空という舞台に晒された乙女だ。涙を流そうにも、観客の前ではその愛らしい自尊心が邪魔をする。流せぬ涙はその身に空いた、暗いくぼみに押し込んだ。必死に涙を押し込めて、彼女は夜空を照らしているのだ。

 しかし、なぜ。なぜ彼女は、哀しみを懐くようになったのだろう。


 月よ、夜空のその月よ

 あなたの胸の

 哀しみを、わたしに告げては

 くれまいか。


「いいえ、絵描きのプルケルよ」彼女はいっそう星々の輝きに埋もれ、その隠した涙を見せようとしない。「あなたにだけは、告げられない」

 あなたにだけは。それは、かようにプルケルと涙が関係していることを告げている科白だった。プルケルは見逃さない。プルケルはもう一度、高らかに手を伸ばした。人間の腕が夜空に届くはずがない。しかし宵闇に紛れた彼女の影は、撫ぜるのに容易かった。

 月よ、きみよ。話してごらん。

 彼女はついに観念する。


 彼女は地球の夜すべてを眺めることができた。森のなかで孵る鳥の赤子や、文明を築き上げた川のせせらぎ、熊と遊ぶこどもたちを、彼女は追いかけることができたのだ。それは至福の光景だった。

 しかし、それは必ずしも楽しいものであるとは限らない。彼女は告げる。ある夜、彼女は秘密の睦言を見てしまった。それは愛のささやきだった。人間の男女が象る愛の言葉だった。

 そしてそれは、冷たく刺さる痛みを帯びて、彼女に哀しみを与える結果となったのだ。

 なぜ。なぜ人間の愛が、あなたに苦痛を強いたというのか。プルケルは声を震わせた。

「いいえ、絵描きのプルケルよ」戸惑い、わずかに震える夜は、星の喧騒が掻き消した。彼女の隕石孔から粒のような哀しみがこぼれる。「わたしはあなたを、ずっと眺めていた」もはや彼女は、こらえることなぞできなかった。

 プルケルは俯いた。彼は数日前に、妻をもらったのだ。

 夜空に彼女の涙が消える。彼女の哀しみを受け止めるには、プルケルはあまりに小さすぎた。


 月よ、夜空のその月よ――


 彼女の涙が完全に乾くのは、それから暫くしてのことだった。

 これが、月に液体の水がない所以である。

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