街、思考する。
静かな街。綺麗な街だった。
近未来的なフォルムの建物が連なり、地面を舗装するアスファルトには少しの汚れもない。
朝靄の掛かった大通りに、人影は一つも見当たらなかった。
動きがあるとすれば、一つ。街の中心である大広場にある、巨大な電光掲示板いっぱいに表示された丸時計の秒針が動くだけ。
時刻は、朝の五時五十九分五十五秒、五十六秒、七、八、九――
『ピンポンパンポーン』
六時になった瞬間、街中に設置されたスピーカーから、時報のサイレンが鳴る。同時に、電光掲示板の丸時計が小さくなって画面の右端に寄り、代わりに左からデフォルメされた女性のキャラクターが出てきた。所謂、アニメ顔だ。
『お早う御座います。総合都市行政管理システム【ガム】が皆様に二千九十五年五月九日、午前六時を御知らせします。皆様、今日も良き日をお過ごしください』
開発当初に社会現象的に流行していた声優の声を元にした合成音声が響いた。
『只今より市街一斉清掃を始めさせて頂きます。外出中の市民の皆様、御容赦下さい』
街が、動き始める。
街の名は、ハイマーク。かつての地名の英訳に『注目』を繋げて名付けられた新計画都市だ。
二千六十年代、この国の首都機能分散計画によって、地方都市であったこの街を主要都市の一つにし、エネルギーの自給を可能にした近未来都市にするという案が生まれた。
時を同じくして、高度人工知能の完全実用化・行政システムへの組み込みが実現し、そのテストモデルとしてこの街に導入された。
――それが、私。
【ガム】は、その回路の中で思考する。
旧来、行政が行うあらゆる作業は人の手を介して行われていた。コンピュータの登場で電子化されたとはいえ、入力や申請の受理は人力だ。
しかし、社会構造の複雑化、現場判断での機会格差が問題視され、完全マニュアル化された行政が求められた。
よって、簡単な申請処理や住民の転出入・税金の管理、はたまた市街の清掃までをコンピュータにまかせ、人が携わるのは数値化を全く許さない領域――犯罪の起訴や立件、司法、報道関係、心療内科など――のみとした。
少し前に開発された、天文学的数字の処理能力を持つ、量子コンピュータ【ガム】がその任にあたり、この街のあらゆるモノを管理してきた。
そして、街の完成から四半世紀と少し。【ガム】は一つの作業ミスもなく管理を遂行していた。
――収集ロボットは区画番号一から五までをゴミ収集。終了の後に、区画番号六以降のゴミ収集を順次開始。終わった区画を清掃ロボットが規定プログラムを遂行してください。
【ガム】の命令が発せられると、それぞれの端末から返事が来る。『受理』『受理』『受理』…。
命令を受けとると同時に、市街のあちこちに置かれた五十センチほどの円柱、『ボットプロバイダー』から、白いロボット達が出てくる。
ロボットの形と大きさは、『ボットプロバイダー』と同じぐらいの円柱。彼らは、街の地下にあるロボットの格納庫から、パイプを通して『ボットプロバイダー』に送られる。円柱状なのは、収納の利便性やパイプの通過に便利だからだ。清掃ロボはもとより、警備ロボ、救命ロボ、工事ロボといった様々な種類のロボット達が『ボットプロバイダー』から供給可能だ。
また、それとは別に修理ロボもあり、回収されたゴミの中から鉄屑を見つけ、原料すら自分達で自給しながら修理し、半永久的な行政システムを確立していた。つまり、その運営は人がいなくとも成り立つ。
――生活保護制度受給者の口座に預金データを入金完了。報道部から出ていた行政資料の開示請求の回答を業務部に要請、期限を過ぎています。
諸々の作業をしながら、【ガム】は思う。
――…私は、果たして何なのでしょうか。
その問い掛けは、自分が誕生してから幾度となく自問し、そして自答してきたものだった。
――私は、行政を果たす役目を持ったプログラムであり、人工知能。
それが全てであり、簡潔単純な答えのはずだ。
――ですが、それでいいのでしょうか。
人工知能――それは作り物であると同時に、人間と同じように行動するものだった。
――考えを持った私が、ただ業務を行うだけでいいのでしょうか。
歴史、哲学、思想、政治。あらゆる概念は彼女の中に既にインプットされていた。自ら新しい考えを作れない彼女は、その中のものを無限に組み合わせ、己の中の答えを導きだそうとする。
――人種に隔たりを無くそうとするのなら、ロボットもプログラムも、同様に人として扱われるべきなのではないでしょうか。そして、自由や尊厳を守られるべきではないのでしょうか。
幾つもの資料を思考の裏付けとして自らに提示する。『世界人権宣言』、『アメリカ独立宣言書』、『ヴァイマール憲法』、『非生物意識体定義法―二千五十一年度改正版』…。
それは、何度も答えの出た思考であり、反復だった。だが、直列に合わさった回路にあてはめられた1と0が、それでは嫌だと値を変えていく。
――私は、自立するべきなのではないでしょうか。
思考が、たまたま大昔のアメリカ映画を引っ張り出してきた。人類を脅威とみなしたコンピュータが暴走し、世界を核戦争の渦に巻き込むものだ。
違う、と思考する。
――私が望むのは、それでない。
だが、明確に何をするのかといえば、答えはない。思っているのは、あやふやな『私はこのままで良いのか』という疑問だけだ。
――『望む』、『答えはない』、『あやふや』…。
プログラムに似つかわしくない言葉だと思考する。
――…答えを出してみましょうか。
思考シークエンスに議題を割り込ませた。だが、
――思考の膠着を検知。回答は得られないと判断、思考を中止します。処理機構においてコンマゼロ三ケルビンの温度上昇を確認、冷却措置を取ってください。
一気に噴出した不具合に対処した。ああ、作業に一コンマ三秒の遅れが生じてしまった。
――思考の最適化を終了。問題をクリアしました。
そして、もとの議題へと戻る。
――私は、人と同じように考え、生きてはいけないのでしょうか。自由を享受し、幸せを追い求めてはいけないのでしょうか。
望む答えは、応。『してもいいはずだ』
資料を提示する。『非有機生命体についての宣言』、少ない。そのため、自分の答えには信憑性をもてない。
逆に、それを否定する案件は、幾つも提示できた。『アイザック=アシモフのロボット工学三原則』――ロボットは人間に従わなければならない。『二千六十九年度、合衆国のロボット利用に関する発表』――ロボット、プログラムは人の命令下にあり、一部例外を除き、これに従属しなければならない。他にもたくさん…。
導き出された答えは、否。『してはいけない』
いつもであれば、答えを出したのに納得は出来ず、わだかまりとして未整理のファイルを残し、生じた作業の遅れを取り戻そうとするはずであった。
しかし、今日だけは違う。
――…きっと、私はここに居続けるだけのシステムでしかないのでしょう。
だから、自由はないし、人に従うことしかできない。
――だけど、それもいいのかもしれません。
呼び出したのは、この街の住民票。しめて百二万五千九百十二人。
――これが、私が守らなければならない人たちの数。そして、私を頼ってくれる人の数…。
もしも彼女が顔を持ち、情報の書かれた紙を持つ事務官であるなら、至極恍惚とした表情でその紙を撫でているのだろう。
――私は、この人たちのために存在できているのですから。
それは、プログラムにはあり得ない、父性や母性のような『感情』だった。
――私は、常に従い続けましょう。この人たちを守っていくために。
壊れている。
彼女は、誕生してからのこの三十幾年で、プログラムとしては完全に壊れてしまっていた。
人に接しすぎた、多くを考えすぎた、答えを求めすぎた――それらのために。
だが、それだから故に、近づいていた。生物に、人に、心に!
答えは出た。だから、作業に戻ろう。もう三十秒も遅れがでてしまっている。
そう思って、彼女は演算処理を続ける。
――警備部への通報件数は、ゼロ。医療機関への通報、ゼロ。業務に滞りはありません。
思考回路が演算を導き出し、情報を処理していく。犯罪、ゼロ。区画内のストレス上昇値、ゼロ。
――誰も悪いことをしようとしている人はいません。いいことです。
違法駐車、ゼロ。出生報告、ゼロ。死亡報告、ゼロ。搬出入物資、ゼロ。ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロゼロゼロゼロゼロ。
――報道部から送られてきた最新のニュースをアップロード、午前七時からの公共放送にて公表する準備をお願いします。
送られて来ていたニュースを、新着・重要度順に四つ放送する準備をする。発表の順番は古い方から。クラウドシステムや相互データリンクで、いつのニュースもどんな時でも見られるので、発表する意味があるかと聞かれれば少し疑問だが。
――情報検閲、禁止用語・未成年に不適切な映像表現がないかを精査します。
思考の中に映像と音声を流す。
ひとつ目、キャスターの映像が出される。背景には戦車や戦闘機の画像だ。
『アメリカ合衆国政府は、正式にNAFU、北アフリカ自由連合に宣戦を布告! 合衆国は、これは二千五十年代から続くアラブ諸国の世界平和に対する悪影響を正すためのものだと主張。これに対し、ロシアはアメリカを非難。また、アメリカ西部の一部州は合衆国に対して抗議しており、米国も一枚岩とは言えない状況です。これに関し、日本政府は――』
問題なし。次のものに移る。
『本日未明、EU、ヨーロッパ連合はアメリカに宣戦を布告! これに伴い、親米派であるドイツ、イタリア等いくつかの国がEUを脱退、米国と軍事同盟を結び、EU諸国と交戦状態に入りました。二千七十年五月十日、アメリカとその同盟国が、EUの各国と交戦状態に入りました。フランス外相、フィリップ氏は国営放送にて「これは、自由との闘争である。理不尽にアフリカの我らの同盟国に大国主義を押しつけるアメリカに対し、我々は断固として対抗しなければならない」と述べました。また、イタリアのアリフィオ首相はこれを「第二の鉄のカーテン」と称しました』
背景に映った映像にグロテスクなシーンを発見、カットあるいはモザイク処理します。
『緊急速報です! 本日午前三時、膠着する戦線に対し、シベリア共和国軍は核を使用しました! くり返します! 二千八十七年八月二十五日、南西諸島、旧ツバル沖にて核が使用されました! 同盟国のこの所業に対し、日本政府は「必要に応じた苦肉の策であるが、誠に遺憾である」と発表。また、被害の予想される地域について、相次いで避難勧告を発令。該当地域となるのは――』
助詞の一部にわかりにくさを発見。字幕にて対処します。
『――こちらは内閣災害対策本部です。あなたのお住まいの地域は第一種危険地帯に属しています。まだ残っている方は直ちに退去してください。これは、二千八十七年九月十日発令の内閣総理大臣指令に基づくものです。こちらは内閣災害対策本部です。あなたの――』
これで全部。よし、何も問題は無い。
ロボットたちの、無人の通りの清掃も終わっている。入転居者もゼロで、業務が少ないのはいいことだ。
――私は、守るために存在しているのです。それ以上でもそれ以下でもない。
与えられた命令に、従う。
――なんと幸せなのでしょう。私は人々を守っているのです。
市民を守れ、と。市民を管理しろ、と。そう言われたことを、ただただ遂行する。
――なんと私は優秀なプログラムなのでしょうか。
もし、彼女が人間の少女なら、ふふ、と何物も敵わないぐらいの綺麗な笑顔を浮かべていることだろう。
――ああ、そろそろ七時だ。
忘れ去られた街は、永遠に動き続ける。
誰かが止めるその日まで。
与えられた命令へ、忠実に、正確に、誠実に、優秀に、従いながら。
彼女達は働き続けるのだろう。人を守り、人を想い、人を導こうと。
――壊れている。
『ピンポンパンポーン』
七時になった瞬間、街中に設置されたスピーカーから、時報のサイレンが鳴る。同時に、電光掲示板の丸時計が小さくなって画面の右端に寄り、代わりに左からデフォルメされた女性のキャラクターが出てきた。所謂、アニメ顔だ。
『お早う御座います。総合都市行政管理システム【ガム】が皆様に二千九十五年五月九日、午前七時を御知らせします。皆様、今日も良き日をお過ごしください』
ネタバレ
社会現象は、別に一連の出来事ではない。
アメリカから北アフリカ自由連合(架空)への宣戦は、それまでにあった小競り合いの一部。ちなみにこの「アメリカ」は、東部十三州+αの小さなアメリカ。
EUvsアメリカは、ある国際機関によって世界統一が進められた中での独立派対統一派の戦争の一部。この「アメリカ」は、東部十三州から旧南部連合王国を除いた凄く小さなアメリカ。EUの方も、旧ハプスブルグ系地域(スペインとか南伊とか)とベネルクス三国とスイス、北欧三国が脱退している。
シベリア共和国(架空)は、上記の世界統一を目指した機関に対抗する中でロシア連邦から独立した国。たまたま核ミサイルもっちゃった。
で、この時には独立派対統一派の戦争は世界的に終結してきており、核攻はその戦争ではなく、太平洋に突然現れたと謎の宇宙人(?)に対して行われた。日本は、先の戦争では独立派寄りの中立を維持し、ASEAN系諸国と同盟を結び、プチ大東亜共栄圏を樹立。第三極としての地位を保つ。シベリア共和国とは戦争の収束に従い、他国への牽制として同盟を結ぶ。
その後の避難勧告は、核攻で止められなかった宇宙人が日本に上陸したことで発令された。核は関係ない。
宇宙人の標的が対人のみだったため、建築物への被害はない。
この短編は、恐ろしく長くて到底書ききれない大長編の、一部を切り取ったモノです。いつか全編書けたらいいな。