煮るなり焼くなりお好きなように
今日は、朝からカティは困惑していた。
いや、困惑というよりもあきれ果ててため息も出ない、という感じか。今もリビングのソファに座ったまま、先ほど届けられた手紙を何度も読み返しては、変わらぬ文面に頭が痛い。
それは、差出人不明の怪しさに満ち溢れた手紙だった。
普段ならば破り捨てて、なかったことにしてしまうようなもの。魔人、などという特殊な身分であり、さらに世界でも指折りの技術を持つ『人形師』である彼女の主には、時としてよからぬものからの接触もある。そういう輩との接点を、主は微塵も望んでいないのだ。
なので怪しきはすべて罰するという言葉の名の下に、明らかに知り合いでもなくカタギからの依頼でもないものは、片っ端から闇へと葬る。今回それをしなかったのは、真新しい封筒に踊る黒いインクの形が引っかかったからだ。世間一般では、それを『筆跡』というが。
カティは、人間ではない。
ドールという、機械仕掛けの身体と調律されたココロを持つ人ならざる存在だ。よっていろいろと人間の範疇に納まらない『機能』もあり、その中に筆跡を見分けるものもある。それで手紙を仕分けしているのだが、その不審な手紙の筆跡には見覚えがあった。
だからカティは手紙を捨てることをやめ、一応中身を改めたのだが。
「……これは何の冗談なのでしょう」
いわく、手紙の送り主は仕事からここへ帰る途中だった彼女の主セドリックを拉致、さらにはいずこかに監禁しているらしい。要求は実に簡単なもので、ただカティ本人が指定した場所にくればいいだけである。どうやら目当てはセドリックではなく、彼女自身のようだった。
だが、とカティはもう一度最初から、隅々まで目を通す。
何度見ても、調べても。答えは微動だにしない。
この筆跡は紛れもなく、主であるセドリックのものだった。
長年をすごした主の筆跡をカティ――ドールが見間違えるはずもないので、これを書いたのは彼に間違いない。しかも恐怖で震えている、といった痕跡がないのでむしろ自主的に綴ったようにも思えてくる。いや、きっとそうなのだろう。その姿が思い浮かぶようだ。
――あの人は、ついにバカになってしまったのでしょうか。
目的がなんとなく見えるようで、だからどうした、としかいえない。ともかく命に危険があるわけではないようなので、心配する必要はかけらもないようだ。自作自演なのだから。
「では、やはりこれは処分ですね」
何度も読み直し、これが『自作自演』であることをカティは判断。
そして手紙は暖炉の中に投げ込まれ、赤い炎へと生まれ変わっていった。
カティはしばらくそれをぼんやりと眺めていたが、ふと何かを思い出したのか、少しあわてた足取りで主の書斎へと向かう。勝手に引き出しから主が普段使っているシンプルなレターセットを取り出し、主ほどではないが整った文字である場所へ宛てた手紙をしたためた。
■ □ ■
ところ変わって、ここはある男の屋敷。
主であるアルヴェール・リータは、その『客人』に堪忍袋の尾が切れる寸前だった。
「うぅ、カティはひどい……ボクがどうなってもいいんだ」
人の家で泣き崩れるのは、金髪の少年。赤い目をさらに赤く染めるがごとく、先ほどからずっと泣きっぱなしだ。傍らにいる銀髪の青年――アルヴェールは、友人でもある彼の実に情けない姿に怒りと呆れを混ぜた微妙な感情を抱いていた。どちらかというと、今は怒りが強い。
ことの始まりは数日前、偶然近くまで来た、というこの少年セドリックが、何やら自宅に手紙を書いて送ったところから始まる。どうやら『脅迫状』らしく、設定では彼自身が誘拐されてしまい、どこかに監禁されている……ということになっているようだ。身代金ではなく自宅に残してきた彼最愛のドールが要求されているあたり、何をしたいのか意味不明である。
「なぜ普通に呼ばなかった、バカかお前は」
「だって、さぁ。ちょっとカティの愛を確かめたくて……血相変えてくれるかなって」
手紙で指定したのは、ここから少し離れた街の公園。
セドリックは朝からワクワクして現地に赴き、夜にずぶぬれになって戻った。途中で雨が降り出したのだがカティは来ず、それでも木陰でひたすら耐えていたらしい。幸いにも体調は崩れなかったものの、次の日の昼過ぎに届いた『手紙』を見てからずっとこの調子である。
その手紙は身代金として要求した、カティ本人からのものだ。
細かい字で淡々と、長々と綴られていたその手紙。要約すると悪ふざけにお付き合いするつもりはないのでお一人でどうぞ、もし誘拐されても見捨てることにしました、とのことだ。
アルヴェール宛ての言付けには、煮るなり焼くなりお好きなように、ともある。
つまり、珍しくカティは結構怒っている、らしい。
「カティ……」
それからというもの、セドリックはずっとこうして泣いている。ここで謝っても本人に届かないのだから意味はないのだが、それどころではないらしい。
「セドリック様、こちらをお持ちしてお帰りなるとよろしいですわ」
ぐすぐす、と泣き続ける少年に、女性がそっと袋に詰めた物を渡す。アルヴェールはその中身を知らないが、彼女――マルグリットが渡すのだから、何かよいものであることは間違いないだろうと思った。やわらかく笑う彼女のセンスや気遣いは、常に最適なのだから。
「カティ様も、本気でセドリック様をお嫌いではありませんわ。でも、だからこそこういう悪い冗談にお怒りなのです。誠心誠意謝れば、きっと許してくださいましょう」
母のように、姉のように、やさしく慰められ諭され、セドリックはその日のうちにすごすごと自宅へと戻っていった。自信家の気がある彼にしては珍しく、不安そうな雰囲気のまま。
数日後、カティから手紙と荷物が届いた。セドリックが反省してあんなことは二度としないと約束したことと、彼が持ち帰ったものへの感謝の言葉が綴られている。
丁寧にラッピングされた荷物の中身は、彼女らが暮らす地域の特産である紅茶の葉。
早速食後に淹れられたそれは、とてもよい香りがした。
が。
「あんな騒ぎと面倒は、もうごめんだ」
たとえお礼がこのおいしいお茶だとしても、とアルヴェールはつぶやいたという。