理想からどうかどうか、この腕の中へおいでください
ボクはセドリック・フラーチェ、魔人だ。
魔人とは……長くなるからだいぶ端折ってしまうけれど、要するに人間という種族の枠組みから飛び出したバケモノさ。寿命は数百はあるし、数千年生きている人もそれなりにいるね。
叡智を手にした瞬間が、変異の始まり。
けれどね、ボクらの始まりは等しく『ヒト』だ。
そう、ボクにも人間だった頃があったし、家族だって在った。
ボクの両親は、良心的な両親だ。仲睦まじい夫婦で、ある日の事故で死んでしまうまでボクはとても幸福だった、きっと人並みに。けれど二人は死に、一緒にボクも死んでしまった。
あぁ、ボクの死は『比喩的』なものさ。
実際に、ボクはそれから数年ほど『死んでいた』に等しかった。
飼い殺し、と言えるかな。
両親の知り合いだか知人だか友人だか、詳しいところはさほどの興味が無いのでどうでもいいけれど、ボクは一人の男に引き取られた。男の名前はヴィクター・エクルストン、魔人だ。
彼は医療系の魔人で、いろんな技術や薬を開発するのが仕事だった。
地元では魔人ということを知られた名医で、彼の手による治療を受けるためにわざわざ遠方からくる患者を、ボクは幾度と無く目にしている。救われる命が大半な辺り、さすがだった。
けれど、名士の皮を少しめくれば、その内側には狂気がある。
ヴィクター・エクルストン。
いかに人当たりが良かろうとも、所詮彼も『魔人』なのさ。
彼の技術の下地は、よくある人体実験の類だった。馴染みの人買いから身寄りのない孤児や借金を抱えた人を買い付けては、腹を割いて器具を入れ、薬に沈めて四肢と臓腑をもぎ取る。
狂人ヴィクター。
そんな名前で紙面を騒がせたのは、だいぶ前だ。
彼の罪は白日の下に並べられ、今は罪を犯した魔人や魔女専用の牢獄の中。そこは叡智を手にした理由に関するすべてを奪われ、ただただ長すぎる寿命が終わって死ぬだけの場所だ。
あぁ、恐ろしい恐ろしい。
ま、ボクが垂れ込んだ結果なんだけどね。
話の軸を少しずらそう。ヴィクターには娘がいた。こっちは実娘で、ボクにとっては義妹になる。黒髪に、金色の瞳をした、まぁ、世間一般で言うところの美少女だね。
兄妹になったけど、ボクの髪色は金だし目は赤くて、最初の頃は周囲に奇異に類する目で見られて面倒だった記憶がある。誰が流したかは定かではないけど、どうも『親を亡くしたかわいそうな男の子』という認識が、あの頃のご近所では当然のように言われていたらしい。
間違ってなくはない、そして都合もいいから放置したけれど。
だから妹が、ディアナがボクにべったりでも、それはかわいそうなお兄さんを慈しんでいる麗しい光景に見えた。見えてしまったのが、ボクからするとミスともいうべきところだ。
ディアナ・エクルストン。
母親は病か何かですでに死んでいて、父ひとり子ひとり、という関係の産物、あるいは当然の結果として、彼女は父親の『英才教育』を受けた。狂人による狂気的教育ってやつさ。
詳細は思い出したくないから端折るけど、ディアナはボクを食べた。
物理的じゃないよ、物理的ではあったけれど。
目が覚めたら馬乗りになってる義妹を見た時は、何もかも夢にしたかったよね。
そんなこんなで、あの親子――狂人は、ボクを手に入れるために、娘すら利用して絡め取ろうとした。紛いなりにも当時から天才の枠にいて、そんなボクが欲しかったらしい。
優秀な娘婿という、後継者にね。
彼らは、ありとあらゆる手段でボクを否定した。
ボクそのものと言っていい、大事な理想を踏みにじった。ボクはずっと昔から『人形師』になりたかったし、両親もそれを応援していて、なのに彼らはそれらに触れることを禁じた。
男は娘を与えてボクを狂わせ、同じ穴に引きずり込もうとしたのかもしれない。
けれど、理想を失ったボクは生きていないと同じこと。
だからこそボクは、その『罰』を与えたのさ。
セドリック・フラーチェにとって、理想とは彼のすべてだ。かけがえのないもので、命に等しいほど重く、大事で、愛しい存在だ。それを奪うことはいかなる罪より許しがたかった。
あぁ、そうだ。
理想を奪う者には、尊厳など要らないよね?
ボクは義父を牢獄へと叩き落とし、その前に義妹を冥府に沈めた。
簡単だったよ、とても。意識のない絶世の美少女を、その年齢に似合わぬ色香を更に膨らませるような布地の薄い服を着せ、少し曰くのある場所に置き去りにするだけだったんだから。
川辺で見つかった義妹に取り縋り泣いてみせたのは、義父への最後の恩返しかな。
一人くらい、娘の死に泣いてくれる家族がいてもいいじゃないか。
こうしてボクは、自分に結わえられた枷と鎖を合法的に外し、自由になった。貰ったものは湯水の如く使いまくって、ボクの理想をどこまでも豊かに育てる栄養と技術に変えた。
その裏に、義父や義妹の犠牲があることを、知る人はいない。
知らせる必要もない。
そんなどうでもいいことよりも、ボクは新しい音色を刻むことが重要だ。
義父はボクに、ヒトを作ってほしいとよく言っていた。それがあの人の理想だったのかもしれないけれど、あなたのおかげでボクはヒトにすっかり飽きてしまったようですよ。
わざわざ人間なんて、作るだけの価値をボクはすっかり見失った。
そもそもボクは『人形師』なのだから、そちらで実現させるのが筋だろう?
そう、ボクは創りたい、ボクは生み出したい。
ヒトと見紛うばかりの魂、音色を持ったドールを。
ドールに収めるコア、ヒトでいう脳であり心臓であり、魂の入れ物でもあるそのパーツはとても小さい。力があるとは言いがたいボクでさえ、体重を乗せて踏めば壊れるほどだ。
けれど、ここにボクの理想が佇んでいる。
ヒトが在ることに必要な魂、そのすべてを音色にして刻み込んで、身悶えするほど美しい旋律で彼女を創ろう。きれいなもの、やさしいもの、それからすこしいたくてかなしい音。
ただ美しいだけの音色は、あまりにも『無個性』だ。
綺麗すぎるものは、とても汚い。
ボクは彼女に穢れもまた知ってほしい。
だってそれがヒト、なのだから。
そうでなければ彼女を、ヒトと見紛う存在になどできない。
今も昔も、そしてこれからも。いついかなる時も絶えずボクを突き動かす、この強くまばゆい感情のことを、きっと人は『■■』というだろうし、あるいは『■■』と言うだろう。
人は、間違いなくそれを抱くことを忌避し、抱いたボクを嘲るだろう。
――あぁ、だけどだからなんだと、それがどうしたと?
他人の価値観に、ボクが合わせる理由はない。
何をどう思おうと、それはボク自身の都合による勝手の領域。これは人様に指図されるものではないし、他人がどう思っても感じても知ったことではないことだと思わないかな。
あぁ、耳障りな雑音は絶えない。
異常だ異質だ異端だと、泣くように叫ぶばかりの有象無象の罵詈雑言が、雑音よりも煩わしさをボクに叩きつけてくるようだ。みんな消えてしまえばいいのに、そう願うほど。
資金集めに貴族に会えば、下卑た誘いばかりがやってくる。
意味ありげに触れられることへの嫌悪は、思わず相手を殺したいほど。
こんな俗物に、ボクは使い捨てられるのかと。そんな恐怖で身体が冷めていく。人間とは斯くも薄汚い物体だ。こんなものよりも、音に満ちた彼女の、なんという清廉さ。
雑音など気にも止めず、ボクはただ夢を描き理想に舌を這わせていく。
ボクは――彼女に、一生の恋をした。
■ □ ■
魔人セドリック・フラーチェ。
あるいは、稀代の人形師。
齢十七ほどで『魔人』という人ならざる存在に至った彼を、人はまずその『経歴』から疑ってかかる。年老いた魔人や魔女が多い中、青年とも言いがたい幼さは歪だからだ。
その年で高嶺に手を伸ばし、叡智を掴むことができるなんて。
百を超える生涯を捧げてもなお、祝福を得られず躯になる世界で。それどころか、いかなる物理的な行為を与えても『死ねない』という、なりそこないに成り果てるこの世界で。
ありえない、ありえない。
その若さで魔人なんて、ありえるはずがない。
彼の師は確かに偉大な人形師だ。
その人形師のその口は、セドリック・フラーチェを天才であると呼称した。
けれど信じられるわけがない。
あまりにも若すぎる。
だから虚言だと、誰もが最初に疑う。彼の経歴は妄言で妄想で、ただ願望を口にしている詐欺師だと。人形師という肩書も、多数の貴族に専属で仕事を任されるということも全部。
それは同胞である、魔人や魔女も同じだ。
自分達がどれだけの苦労をしたか、彼らはよくわかっている。
それを、たった十七かそこらの若輩者が成したなど、考えたくもないのだ。
だがしかし、彼は紛うことなき魔人であった。
世界でも百年に一度の逸材と呼ばれる『稀代の人形師』であり、特に人形――ドールの心臓部であるコアの調律について、彼の技術は確かなものでトップクラスは揺るぎなく。
それだけの技術を若くして手にしたからこそ、彼は魔人と成った。
何より人を驚かせるのは、彼の思考。考え方の基準だ。
基本、己と、己が捧げる分野以外への興味を持たない魔人・魔女において、セドリックのそれは常軌を逸脱していた。それは狂気であり、正気を失った狂人のようにも見えた。
だから、彼の経歴と技術、そして実際に逢うことで、人は彼が若くして魔人へと至った意味を知る。むしろ、彼がそう成れないはずがない、という根拠の無い確信すら抱く。
セドリック・フラーチェ。
彼は、理想と狂信に夢を描く『魔人』である。
その技術のすべてを捧げたのは、彼の理想の中に佇む少女。魔人として手に入れた不老長寿の長き時間は、たった一人の――だが現実に存在しない『彼女』のためだけに。
まるでヒトを作り上げるように、彼は彼女に恋をしている。