女王陛下の玩具
セドリック・フラーチェ。
そういう名の彼は、稀代の人形師にして『調律師』である。
波を描くように柔らかいクセをもった金色の髪に、宝石のように澄んだ赤い色の瞳。黒でまとめた服装を纏う彼は、とある平穏な国の田舎町に自宅と工房をを構えている。
時に尊大。
そして、時に潔癖。
自身の技術に絶対的な自信を持ち、それに似合うだけの成果を彼は生み出せた。
己の理想を何よりも大事にする彼には、かけがえのない存在がいる。カティ・ベルウェットというその少女を、セドリックは何よりも愛していた。彼女のために何でもできるほどに。
そんな彼がある日、ほんの少し出かけていた間に、それは起きた。
家に残していった最愛のカティが、仕事で預かっていた人形――ドールに、襲われていたのである。といっても軽く押し倒されていただけだったが、彼の怒りを買うのにそれは充分すぎるものだった。むしろ、その場で懐から愛用の銃を取り出し、撃たなかったのが不思議。
だが、その代わりにセドリックは青年型のそのドールを、テキパキと捕縛した。
所詮相手はドール。そしてセドリックは人形師だ。本業は様々なパーツを使ってある程度の自我を有し、自立して稼働するドールの調律ではあるが、だからこそ二重の意味でドールという存在をよく知っている。内側も外側も、手に取るようにわかるのだ。
たやすく拘束したセドリックは、早速ドールの胴体を暴く、手探りで、引きちぎるように取り出したのは手のひらに収まるほどの、楕円形の塊。これがコア。自立するドールのすべてがつめ込まれたもの。人間でいうところの魂であり、脳であり、心臓である。
ドールの肉体、ボディは基本的に使い捨てとなる。血肉はなく、すべては無機質だ。コアを詰め替えることで取り替えることができ、その作業はとても簡単なものである。新しい身体に合わせて軽く調律を施せば、簡単に取り替えることができる。
セドリックはとある、特別仕様のボディに、コアを収めた。素早くコアとボディをつなぎ、それからぼんやりと近くに佇んでいるカティに振り返る。そこには、笑みが伴っていた。
「大丈夫だよ、カティ。お仕置きするだけだから」
「……どう安心すればいいのかわかりませんが、ほどほどに」
カティは淡々と告げ、着替えてくると言い残して部屋を出る。
なお、この時に彼女が身につけていたすべては、二度と使われることはなかった。白に黒で模様をかるく描いたワンピースも、黒い髪に、主の髪のような黄金色の瞳を持った、それなりにモノがよく値も張った特注品のボディすらも、それ専用の処分業者に押し付けたという。
だが問題はない。
最初から使い捨てるための、見た目だけを整えた粗悪なボディなのだから。
■ □ ■
その男が目を覚ました時に感じたのは、意識を食いつくすような激痛だった。文字として書くこともできないような絶叫が喉からほとばしり、身体が跳ねる感覚が全身を襲う。
びくりびくりと制御不能なままうごめく身体。しかしそこに自由はない。
「やぁ、おめざめかい?」
近くから声がした。
その高い少年らしさが残る声は、魔人セドリック・フラーチェ。
十代半ばで魔人――神に叡智を賜り、不老長寿となったヒトならざる者。叡智を手にし、魔人や魔女へと至ったものは、その時点での年齢で肉体が止まるという。その意味で、セドリックという魔人は規格外であった。歴史を済まで紐解いても、彼ほどの若さで魔人と成った者はいないだろう。それだけ彼は若くして、比類なき技術を手に入れ神に見初められたわけだ。
彼の専門分野はドール、つまり男のような存在の調律である。
ドールはボディと呼ばれる身体と、コアというパーツで構成されたものだ。彼はコアに詰め込むものが専門で、人間のように自力で魂が得たすべてを処理できないドールは、彼のような技術者が『調律』することでそれを可能とする。コアの中身――しいては人間の魂の構成物質を『音色』と表現し、その一つ一つの音のバランス、組み合わせ、位置。それらを総合的に操作して望む音色を作り出すのが、調律であり、調律師がする仕事内容となる。
ドールは意識せず、その音色によって思考回路を変えるのだ。
……もっとも、通常は細かい調律はめったにせず、あとはひたすら最適化とバグ取りをするだけで、一度これと決めたところから動かされることはまずないのだが。
そんな扱いのドールにおいて、カティという個体は並々ならぬ、尋常ではない手間暇を注がれて作り上げられている。未だ未完成である彼女、その最終目標とはずばり『人間』だ。
人間と見紛う音色を持つドール。
それがセドリックの悲願。だからカティの音色は、おそらく他に類を見ないほど複雑な組み合わせをしているし、ドールには本来不必要な『揺らぎ』も多分に含まれている。なぜなら人間とは常に揺らぐものであり、よほどのことでもキッパリと断ずることができないからだ。
それだけセドリックはカティという少女を愛していて。
彼女に余計なことをしたこの男に、怒りを覚えているのだ。
「キミはね、ボクにとってかけがえのない、愛しいカティにいけないことをしたね? このセドリック・フラーチェの大事な存在に、ボクという存在のすべてを構築する彼女を、キミは傷つけようとしたわけなんだから、当然ながらそれ相応に重みのある罰を受けてくれないと」
いけないよね、と。
わずかに語尾を上げるようにした直後、再び身体に痛みが走る。膝が、膝に、何か熱いものがねじ込まれたかのようだ。だが同時におかしいとも思う。普段ならここで『耐え難い痛みをシャットダウンする』という機能が、自動的に起動するはずなのだ。
人間のそれを模しながら、耐久値という意味では未だ遠く及ばないドールの精神。
それは簡単に壊すことができる。物理的ではなく、内面を。だからある一定以上の苦痛などを与えられた場合、ココロ、コアに内蔵された音色――精神では耐え切れないほどだとなった瞬間に、自動的に原因となる感覚が切られるのだ。この場合は、痛覚だろうか。
だが消えない。
熱さが、今度は腹にめり込んだ。痛い、痛い。消えない。
こんな痛いことを、彼はこれまで味わったこともない。こんな痛みがあるなど、考えたことすらない。痛い、痛すぎる、痛い。何かが全身に突き刺さる、痛い痛い、えぐられる、痛い。
「ふぅん……」
近くで誰かが、興味深げに笑う。
いつまで持つかな、と楽しそうな声と共に、また痛みが。
■ □ ■
魔人セドリック・フラーチェの家のリビング。
温かい色調の家具で整えられたそこに、白いワンピースを来た黒髪の少女が立っていた。
「……相変わらず、ですね」
絶叫を聞きながらカティは、ぼんやりとつぶやいた。
その細い手は二人分の紅茶を入れている。やはりいつもの身体は居心地がいい。ふわりと舞い上がる茶葉の芳香が、あのボディでは微塵も感じられないのだ。
あれはメインの身体をメンテナンスしている間に入るような、必要最低限の動きしかできない死ぬほど粗悪なボディである。家で例えるなら、彼女が普段コアを納めているボディは彼女と主が暮らす家より大きなお屋敷で、あのボディは犬小屋だ。
しかもどんな犬でも嫌がるようなボロボロの。一歩踏み入れるだけで床が抜け壁が崩れるような廃屋に等しい、といっていいかもしれない代物である。まぁ、何にせよ。
――二度とごめんですね、あんなものは。
いつもは当然のように得ている感覚の多くが切られた状態は、まるで自分がそこにいないかのようで気味が悪かった。あの男性型ドールがいる間だけだよ、とセドリックは言っていたのだが、むしろ彼がカティにちょっかいを出すまで、という方が正しいのではないだろうか。
不愉快な身体に押し込められた上に、押し倒され身体を弄られるなどおぞましい。
――今度、少しばかりわがままを言ってみましょう。
かわいい服がほしいだとか、美味しいものが食べたいだとか。そういうことを、あれやこれやと言ってみようと思う。もっともセドリックはカティのわがままを、喜んで受けそうだが。
紅茶を入れ終わる頃、耳障りな絶叫は消えてしまった。
それからまもなく、セドリックがふらりと現れる。
「あー、疲れた」
どっかり、とソファーに腰掛けるセドリック。特に何もしていないはずだが、その細く整った指先で汗を拭うように額を撫でた。口元には笑みが浮かび、ずいぶんと楽しそうである。
「しつけ直してほしい、と言われたからどんなものかと思ったけど、アレは確かに彼女を満足させるものじゃないだろうね。どこかの調律師が調律したらしいけど、今頃彼女にムチを打たれているんじゃないかな? あんなガラクタじゃ、恥ずかしくてお金なんて取れないよ」
むしろ土下座して仕事をすべてやり直すべきだね、とセドリック。
件の男は、彼が調律を依頼されたものだ。どうも別の調律師に頼んだらしいが、出来が納得いかないのでセドリックに回されたのだという。だが、彼が到着してからすでに一週間ほど経っているが、これまではずっとほったらかしていた。カティにはそう見えていたのだが。
「どの程度、音色がいじられているのか探ってただけだよ、サボってはいないよ」
と、セドリックが弁明する。
あまり信用ならないが、そういうことにしよう。
「カティも気になる、あれを引き渡す相手は……まぁ、一言にするなら『女王様』だね」
「……それは、君主的な意味ですか、それともプレイ的な方ですか」
「後者」
痛みに耐えられるドールがほしいらしいよ、とセドリックが苦笑する。
女王様らしく痛めつけてみたいけれど、そのたびにドールを壊していたら調律の手間暇がかかるし金もいる。なので、できるだけ耐久値のある音色がほしい。
だから徹底的にいたぶっていたと、そういうことらしい。
まだまだ『どんな痛みに耐えられる』とは言えないらしく、もうしばらくやかましいことになるだろう。もっとも喉の機能を止めてしまえば、それだけで静かになるだろうが。
ドールとはわかりやすいものだ。
身体の反応を切り捨てても、ココロ、コア、音色、これらに嘘はつけない。どうやってもセドリックほどの調律師に嘘など突き通せないし、彼に暴けない音色など存在しないのだ。
と、カティは一つ気になったことを、彼に訪ねてみる。
「なぜ、わたしにちょっかいを出すよう仕向けたのです? 別に必要なかったのでは」
「カティにもいい刺激になるかなって」
どうせ使い捨てるゴミのようなボディだし、と。
その言葉に、カティは持っていたカップの中身を注いだ。
ふてぶてしく笑う、己の主の頭に。