かつて彼女の料理がとても普通すぎた最大の理由
とん、と音を鳴らす。板の上に、赤いものがたらりと広がった。生臭い、あまり好ましいとは思いがたいものが鼻を刺激し、カティは刃物を握ったまま目を細め顔を歪める。
しかし極力気にしないようにしつつ、さらに細かく切った。
だが、そこでカティは一度手を止めて。
――やはり、これは省かなければいけないのですね。
傍らに広げてある本に視線を向けると、ぐちゃりとした感触のある部位を取り除く。残った比較的硬い部分を、当初の予定通りに細かく刻んだ。といってもみじん切りではないが。
その他の材料も同じように切り、とりあえず個別にボウルに入れる。次にカティが取り出したのはフライパンだ。それをコンロの上に乗せ、油を適量注ぐ。
入れ過ぎはダメ、と本に書いてあるからそこら辺は特に気を使った。
ある程度フライパンが温まったら、そこに切った野菜を入れる。焦げないよう気をつけながら丁寧に炒め、しんなりとして火が通ったら、あらかじめ用意してあったスープを注ぐ。
木の位置をずらし火を調整して、カティは再び本に目を通した。
煮込み始めてからの、調味料の量を念入りに見る。
しかし、どうしてこういう本――俗にいう料理本というものは、『少々』などといった曖昧な表現が多いのだろう。カティにはわからない。それが味見をしながら調節するもの、ということぐらいはさすがに察しがつくが、問題は彼女が『味見』という行為を行えないことだ。
ヒトのそれと見紛うばかりのこの身体は、しかし味覚を感知する機能を持たない。
そもそも、食べ物を摂取できるものでもない。
ゆえにレシピ通りに作るしかなく、その結果セドリックの好みを反映できない。いや、彼の好みはわかっているが、そのとおりの味を作るのに、味覚を知らぬカティの頭ではあまりに難しい行為だった。それならば、最初から決められたとおりに作る方が、まだマシというもの。
だが、いつかは――そんな夢を、カティは見る。
本物のように口内でうねるこれが、いつか機能を得ることができたら。
もう少し、美味しいものが作れるだろうか。
■ □ ■
今日も食卓には美味しそうな料理が並ぶ。
作ったのは、当然だがカティだ。ほっとくと食事を抜くし、適当に干し肉などをかじって終わらせることの多い主のため、彼女が作る料理は基本的に野菜が中心となっている。
「さぁ、セドリック。しっかり食べてください」
「……う、うん」
大量の食事を前に、セドリックは困惑していた。
確かに、また食事を抜くなどの行為をしたという罪悪感はある。彼女に心配をかけたということもわかっている。目の前の料理が、とてつもなく美味であることだって、知っている。
とはいえ、だ。
この量はちょっと無理じゃないかな、と思う。
おいしいけど、胃袋は有限だ。どうやらカティも一緒に食べるようだが、はたして決して大食いではない二人だけでこの量を片付けられるのだろうか。残すともったいないのだが。
こんなことになるなら、とセドリックは思わずにいられない。
だいぶ前、カティのボディを新調して、味覚を感じられるようにした。
それまでレシピ通りにしか作れなかった彼女の料理は、味覚を得たことで一気にいろんな味を持つようになった。たとえばセドリックの体調に合わせたり、手に入った材料で変えたり。
その結果、彼女のレパートリーは一気に増えたが。
「どうかしましたか?」
フォークを手に、不思議そうにしているカティ。
いや、わざわざ言うことはないだろう。そもそもこれは、きっと贅沢な悩みだ。かけがえのない大事な人が、自分のためだけにたくさんの美味しい料理を作ってくれる、だけど作られるその量がちょっと多すぎて時々全部食べきれなかったりするのが少し困る……なんて。
――誰がどう聞いても、ただのノロケだよねぇ。
思いつつ、セドリックはカティ自慢のスープに手を伸ばした。