海に浮かぶ幻の月
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海には強い風が吹いている。晴れ渡った綺麗な夜の蒼い月を見上げながら少年は、明日は嵐になると思った。風の強さに気が付いたのは月に浮かび上がった雲の流れる早さに気が付いたからだ。
かすかに蒼く見える海の上には、月から白く延びる道ができている。美しい。だが不吉。町に伝わる話を思い出して少年は軽く身震いした。こんな美しすぎる夜には、海で死にあの世に行けぬ霊たちが月の道を通って地上に戻るのだという。そして月の道の美しさに魅入られた者をあの世に引きずっていくというのだ。霊たちのあの世に行けぬ寂しさを少年は想った。連れて行ってくれるならそれでもいい。唯一の肉親だった父親は、時化の日に漁に出て死んだ。父親があの世に行けないのなら一緒に行きたい。その方が寂しくない。
彼は独りだった。寂しかった。育ててくれている父親の漁師仲間はいい人たちだし、我が子と分け隔てなく接してくれる。そこの子供たちとも本当の兄弟のようだと言われるくらいに仲がいい。だが、父親を失ってからまだ一月。寂し
くないはずがなかった。
涙溢れていることに気がついて思わず拭いた。気が付くとずっと月に、月が照らし出す道に魅入られていた。本当に美しい夜。父親が死んだことも、自分が独りであることも忘れさせてくれる。この夜に埋没してしまいたいと思った。伝説がそう思わせるのかそれとも月の魔力が。どちらなのはわからない。月に照らされている間、少年は独りではなかったから。一人で月を見上げているが独りではなかった。白い道の向こうに父の存在を感じていた。包んでくれている。父親の優しさに包まれているような気がしていた。伝説は本当なのかもしれない。この想いに捕らわれて、寂しさに戻りたくなくて人はこの夜から帰れなくなるのかもしれない。
涙は拭いても拭いても溢れてくる。どうしてこんなに涙が溢れているのか少年自身にさえわかっていない。ただただ、目から流れ出す滴を自分の力では止めることができないでいた。
そんなときだった。ふと何かを感じて横を見る。一人だったはずの少年の側に月の光に何かが照らし出されていた。人の形をして白く照らし出されている何か。大きな雲が強い風に流されていて月の光を遮る。月光が弱ったせいで白い影が揺らめいて誰なのかまではわからない。
少年は連れて行かれるんだと思った。このまま一緒に連れていってくれるものだと。そう感じた。だから、そう望んで白い影に手を差し出したのだ。怖くないわけではない。だから目はきつく閉じている。
待った。手を取ってくれるのをただ待った。しかしいつまで待っても手を取ってはもらえない。それどころか連れていってくれるかも気配さえない。
恐る恐る目を開ける。ちょうど大きな雲が通りすぎて月に輝きが戻ったところだった。完全に目を開けるとそこには変わらない優しい笑顔で笑っている父がいた。驚き以上のうれしさに少年が父親に抱きつこうとするが、父親が制止する。少年は伝説と共に一緒に連れていってくれとぐずる。だが彼の父はそうしようとはしない。ただ優しく笑っているだけ。時間だけが過ぎていく。そんな父の姿に少年は次第に伝説が伝わっているものと少し違うものであると無意識のうちに直感する。そして、優しい笑顔の父と向き合う。いくつもの雲が強い風に流れていく。そのたびに揺らぐ父の姿。そして美しかった夜も強くなる風と、増えはじめる雲に終わりを告げようとしている。父の姿が前にもまして薄くなっている。少年は終わりがきたことを悟った。月が嵐の雲に隠れるのと共に白い影も存在がいっそう揺らぐ。白い影はその消滅と共に少年に近づく。そして消える。
「独りにしてすまねえ。元気でな」
消える前に父の声で確かにそんな声がした。人には気のせいだと言われるかもしれない。だが彼には確かにそう聞こえたのだ。美しい夜の終わりと共に父も本当にいなくなってしまったこと知った。
寂しくないと言えば嘘になる。だが最後に少年は心の中で父とある約束をした。
「強くなる」
父が消えてしまった場所を見つめ、少年は涙を拭く。まだ涙は止まらない。
それでも歩き出す。
美しい夜の終わりと共に。
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