二封印目 不器用な男
恋は、簡単に実る。……はずもなく。
何の進展もなく、いつの間にか五月。
多くの鯉のぼりは片付けられ、あの球団の強さも毎年急激に落ち込み、学校でのクラスも安定してきた、そんなある日の放課後。
奴が来た。
「久しぶり、安部晴明」
聞き慣れた女の声。やや幼さの残る声は、人の多い学校でもすぐに聞き分けることができる。
桃咲霞さん。こいつは一年生の頃からの我の友人である。
「いきなりどうしたのだ」
「暇ぁ。何かしてぇ」
「何か、か。ではケマリでもするか」
桃咲さんは首を激しく横に振った。断固拒否。そこまでされると心も傷付く。
「恋バナしようよ。安部晴明は好きな人はいる?」
「俺は……いるよ。名前は……」
……名前が言えない。あの人が好きという事実が心の中に燃えているにも関わらず、我はその名を唱えることさえ出来ない。
「誰? 教えてよぉ」
「……誰なのだろうな」
我は……それが知りたい。
「私は安部のことが好きなの」
「あまり男をからかっていると、いつか本気にされるぞよ?」
こんな何でもない会話を、あの人としたいな……。そんなことをふと思った。
帰りに下駄箱で久遠とはち合わせた。
久遠の周囲には数人のファンの気配があたが、姿を隠しているため久遠は一切気が付いていなかった。
「……久遠」
「安部じゃないか。こんな時間に下校かい?」
「我は教室で瞑想していたんだ」
「迷走……?」
何かすごい誤解をされてしまった気がするが、あの人に勘違いされるよりは幾分マシだ。
「……お前も今日は遅いんじゃないか?」
サッカー部の活動は二十分ほど前に終了しているはずだ。何故こいつがこんな時間に学校にいる。
「僕は部活の帰りに……さんと喋っていて遅くなってしまったんだ」
「……そうか」
胸がえぐられるように苦しい。三十二年の修行で鉄の強さを手に入れたはずの魂が吠えている。辛くて口から封印していたヒトダマが漏れそうになったがどうにかこらえた。
得体の知れない吐き気に襲われ、公園のベンチにうずくまる。心が震える。雨の日の子犬のように孤独な魂が、空の下で凍えている。
あの人と久遠はクラスの人気者同士だ。もし付き合ったら悔しいが似合い過ぎている。所詮ゴロツキ陰陽師の我が介入する隙など、ないということなのだろうか。
「……あの人は誰にも……!」
徐々に涙が溢れ出す。雫はやがて滝のように。滝はいつしか血が混じり……おっと、妖魔を解放してしまうところだった。
哀しい、寂しい、愛おしい……。我を突如、孤独感が襲う。三十二年の間に経験したことのないことが最近多過ぎる。
吐き気がおさまるまで泣いていた。誰もいないはずの公園。……不意に、足音が聞こえた気がした。
「……安部晴明?」
オルゴールのように美しい声。
「どうしたの? 泣いているの……?」
あの人が、そこにいた……。
「……お主……」
言葉が出ない。話したいのに話題が見つからない。何より涙を見られたことが辛かった。
悔しさと情けなさが混じって、頭の中が暑くなる。これはあれだ、羞恥だ。
「誰も我のことなど理解できぬ……」
そんな捨て台詞を残して、我はその場から逃げるように走った。
家に着く。一人暮らしで寂しい部屋。親が死んで遺産は沢山あるが……金では心は満たされない。
食って風呂入って寝ようとした時、携帯に着信があった。炎山……。そういえば番号を交換していたのか。
「炎山か。どうしたんだ」
「悩んでいるんだろう?」
……心読というやつだろうか。まさか炎山、お前は妖怪「wせxdrcftvgyhぶ」なのか……。
「数日前に屋上でで会った時から、様子がおかしかったからね」
前言撤回。炎山はいいやつだ。
「人は皆、弱さを背をって生きているのさ、……さんも、俺もみんなね、寂しさに涙するのは君だけじゃあないし、君は一人じゃあない、言いたいことはそれだけだ……。また明日」
その後数秒の間を置いて、電話は切れた。