九封印目 めんたる
三年前……。
安部晴明、二十九歳。人生二度目の中学二年生。
「よーし、今日も野球部頑張るのだ!」
翌日。
「よーし、今日もセパタクロー頑張るのだ!」
「安定しないな、お前」
狩崎透は、我を馬鹿にするように言った。
「うるせー! 我は両方に命を懸けているのだ!」
「中途半端な奴だな!」
「両方極めたら完璧だろうが!」
狩崎は笑いながら溜息をつくと、我の顔をあろうことか殴りかかってきた。
「ぬおおおお!?」
防御が間に合わない。狩崎の拳は、我の目の前、ぶつかる寸前というところで止まっていた。
「その反射神経じゃ、どっちも中途半端で終わっちまうぜ。……けど、多くのスポーツには共通点が多いからな。逆に言えば、野球にもセパタクローにも使える効率の良い練習法もある」
「なるほど。お前、ツンデレか!」
「ち、違ぇわ!」
平和だった。狩崎はリトルリーグを制覇したこともある天才野球少年で、その野球センスは、今思えば炎山に勝るとも劣らないものだった。
だが、あいつはある日突然いなくなった。一枚の手紙を残して……。
――龍安中学野球部の皆さまへ。
馬鹿うんこ。
追伸。部室に爆弾を仕掛けておきました。
ちなみに龍安中学野球部は、高校とは違って人数も実力もスケールもベラボーにベラボーな名門野球部である。
「いや、あいつ馬鹿だったんだなー。爆弾って笑えない冗談だ。ところでさっきから秘密用具箱からカチカチと音が」
爆発する瞬間に陰陽師バリアを貼ったからよかったものの、あのまま放っておけば、野球部の共通財産であるイヤラシイ本が沢山入れられた秘密用具箱が吹っ飛んでしまうところだった。
だが、悲劇はそれだけでは済まなかった。
そして現在。練習試合の相手、花梨桃学園には、あいつが……狩崎透がいたのだ……。
「狩崎……」
「そうカリカリすんなよ。言いたいことがあるのはお互い様だ」
「言いたいことを我慢するのはよくないと思うが」
「なら、言えよ」
狩崎は涼しい顔をしていた。その顔は、あの頃と何ら変わらない。
……今こそ、溜めこんだ怒りをぶつける時!
「狩崎! お主は、お主だけは……許さん!」
あの時のこと……今でも忘れない……!
「お主、あの時……ちゃっかり秘密用具箱の中のイヤラシイ本を全部持っていっただろ! そのせいで我がどれだけ傷付いたか分かっているのか!」
「いやお前もういい歳だろ! 自分で買うなり借りるなりしろよ!」
「アンタね、歳を取ると逆にああいうの難しいのよ! 誰に顔を見られる訳でもないのに何故か羞恥と情けなさが心の奥から溢れ出してきて……」
「早乙女監督! まさか、こんなところで味方が出来るとは!」
「若い味方がいるからこそ、情けなさを感じずにただあの頃を思い出しながら堕ちていけるのよ! 安部くん! 私には理解出来るわよ!」
何と言うか一番理解してはいけない人が理解している気がするが、まあいいか。
「で、お前の言いたいこととは何ぞや!」
「クソ、何か調子が狂うが……。俺はな、昔からお前の中途半端さが嫌いだった。
セパタクローと陰陽師と野球を全てこなそうとするお前の態度が、真剣に野球のみを極めようとする俺を馬鹿にしているようにしか思えなかった。
何故、あの時俺が龍安中学を出たか分かるか……? 半端者のお前がいたからだよ!」
「うおおお! 絶対許さん!」
我ながら扱われ易い人間だと思いつつも、怒らずにはいられなかった。何故我のやっていることはこれほどまでに認められない! どれか一つを選ぶなど、妥協案に過ぎないはずなのに……!
そうこうしているうちに何かプレイボールしてました。
先攻は我らが龍安高校だ。一番バッターの大国天先輩が打席に向かう。普段はパッとしない先輩だが、野球においては器用貧乏、もといオールマイティのパーフェクト選手である。
リトルリーグ制覇とはいえ、狩崎の実績は過去の栄光に過ぎない。先輩なら打てる……かも知れない。
「大国天先輩、頑張って下さい!」
「ワイの出番やな……。お手並み拝見といくか……」
監督は不安そうな面持ちで、先輩の後ろ姿を見ていた。
そんな監督の背中に向かって、我は何となく聞いてみる。
「監督は知っていたんですか? 狩崎と龍安中学のこと」
監督は首から上だけをこちらに向け……ようとして何か痛そうな声をあげた後、結局体全体をこちらに向けて言った。
「……ええ。うちの野球部は龍安中学から名門高校に進学出来なかった選手が多いから、彼も、いつか乗り越えなければならない壁だと思っていたのよ。
それに、狩崎透は転校以降、一度も試合に出ていないの。情報不足だったから、今日確かめたかった」
向こうの先発は狩崎。……あれ?
「か、監督? 向こうは控」
「ちょっと来て」
乱暴に首元を掴まれる。そのまま我は何故か監督に引っ張られ、男子トイレに連れ込まれた。入っていたおじさんが「キャー」と悲鳴を上げた。
おじさんの存在は予想外だったのか顔を赤らめて目を逸らす監督の顔を見ていると何だか鼓動が高鳴る。これは……まさか、新たな恋? というか恐怖か。
「監督、我は正直言って監督でも十分いけるが、このシチュエーションは」
「シバくわよ! 他のみんなにはあまり聞かせたくない話だから、二人きりになれる場所まで連れてきただけよ!
いい? 昨日の時点で私が言ったこと……つまり花梨桃が控えメンバーで来るっていうのは……嘘」
「嘘ぉ!?」
「嘘」
「嘘?」
「嘘。だから、控えじゃないってこと」
控えではない、ということはレギュラーメンバーということになる。……狩崎がいた時点で、我には見当がついていたが。
「全部員たった九人の高校にレギュラーメンバーとは、どういうことであろうか」
「……狩崎君の要望よ。花梨桃のビクトル監督の話だと、彼はやたらとアンタのことを意識していたみたい」
「BL好きの早乙女監督にはたまらないでしょう」
「んー、私ね、あんまりじれったく前置きがあるのよりも、さっさと本番をやる系の方が……って何言わすのよ!」
いやいやいや絶対勝手に言ったのに。
「まあ、とにかく向こうはベストメンバーでこの試合に臨んでいます。けど、ウチの選手はほぼ全員が、向こうは控えメンバーだと誤解しています。こういう時はどうすればいいでしょうか」
「本当のことを教えるのが妥当ではないか」
「アホ!」
我、実はとってもデリケートなのに……。例えるならシャボン玉くらい……洗剤とか混ざってないやつ……。
そんな傷だらけの我を置いて、話は監督ペースで進んでいく。
「いい? 戦いにおいて最も重要なのは心。どんなに劣勢でも、気持ちが相手を上回っていたら勝敗は五分五分よ。
この試合で重要なのはモチベーション。私がどれだけチームの気持ちをコントロール出来るかにかかってる」
「そうですね」
「もしも今、相手がベストメンバーだって皆に報告したらどうなる?」
……あ。
「つまり、この勘違いは利用出来る勘違いなのよ。本当のことをどのタイミングで言うか。この試合は、いわばムードとの勝負よ!」
「で、どうしてそれを我に?」
我が言うと、監督は呆れながら我に蹴りかかってきた。
「どアホ! アンタはキャプテンでしょうが!」
試合中、選手に暴力をふるう監督って……まあいいか。
……利用出来る勘違い。真実と嘘を使い分ける……。運命を操る神様だって、案外忙しいのかも知れない。