天国のチャンピオン 世界フェザー級チャンピオン サルバドル・サンチェス(1959-82)
サンチェスは今日では1970年代以降のフェザー級では最強の声が高い名王者だが、四度目の防衛戦までのファイトマネーの合計はたったの二十万ドルだった。挑戦者としての報酬はさておき、最初の防衛戦は興行権を買収しない限りは前王者が持っているので、これもあまり期待できないが、その後の防衛戦も日本円にして一千万円足らずでリングに上がっていることになる。ロペス戦以外の世界戦でKO勝ちがなかったことから、地味で堅実なイメージが定着してしまったのだろう。アメリカでこそクールでクレバーな試合運びが高い評価を得ていたが、ゴメスをKOするまではメキシコではあまり人気がなかった。
一九八二年八月十二日はメキシコ国民にとっては厄日だった。
この日メキシコ政府が対外債務返済の困難を表明したことで、中南米の債務危機が表面化し、国際金融市場を震撼させた。これによってGDP成長率が大幅に低下したメキシコは、一九八七年にはインフレ率100%に達し、後に「失われた十年」と呼ばれるブラックホールに飲み込まれてゆくのである。
奇しくも同日未明、メキシコが世界に誇るトップアスリートの魂も国道57号の夜の闇の中に消えていった。
二十三歳のアイドルボクサー、サルバドル・サンチェスは、愛車ポルシェ928を運転中に前を走っていたトラックを追い越そうと対向車線に出た出会いがしらに、逆方向から来たトラックと正面衝突したのだ。堅牢なポルシェの屋根が剥がれ、その一部が頭蓋骨に食い込んでいたというから、相当な衝撃だったのだろう。
928は市販のポルシエの中では最も車格が大きく、最新の車両安定性装置まで盛り込んだラグジュアリーモデルだけに、操舵系やブレーキトラブルというのは考えづらかったことから、一時期は根も葉もない陰謀説まで飛び交ったが、公式には事故死とだけ発表され、詳細はよく知られていない。三十年近く前(一九五五年九月三十日)のジェームズ・ディーンの事故死を思い起こさせる、若者世代のアイコンの突然の旅立ちだった。
サンチェスは中流家庭の中で何不自由なく育ち、将来は医師になる夢を持っていた。
子供の頃はレスリングに熱中していたが、やがてボクシングに興味を示すようになり、十三歳から本格的にボクシングを始めた。筋がよかったのか、大してコーチも受けていないにもかかわらず、先制攻撃をかけるたびに相手はことごとくマットに転がるので、こんな楽なスポーツはないと思ったそうだ。
アマチュア時代十四戦全勝十四KOという“怪物の卵”は、このスポーツが自分に合っているという確信から、ひとまず医師の夢は引退後の人生に取っておくことにし、十六歳でプロの世界に飛び込んだ。
一九七七年九月九日、デビューから二年四ヶ月で空位のメキシコバンタム級タイトル決定戦に出場した時、サンチェスはまだ十八歳だったが、戦績は十八戦全勝(十七KO)、目下十二連続KO中と、プロに入っても相変わらず敵なし状態だった。一七一センチとこの階級にしては上背があり、痩身らしからぬ強打者ということもあって、サラテの後継者として期待されたが、少し自信過剰に陥っていたのか、十九戦目にアントニオ・ベセラの狡猾な試合運びに巧くごまかされてしまい、スプリットながら初黒星を喫してしまった。
敵地での試合で紙一重の敗北だったが、完璧を求めるサンチェスは、ブルファイターのまま戦い続けるべきか、長い手足を生かしたボクサーファイターに転身すべきか迷いが生じ、そこから一年半近くもの間KOとは無縁の煮え切れないボクシングが続く。そのせいか、一九七八年八月にフェザー級で世界ランキングを果たしながらも一向にランキングは上がらず、半年後にはランキング外に落ちる悲哀を味わっている。
最終的には安全運転のアウトボクシングより倒し倒されの好戦的なファイター型を選んだサンチェスは、再びKO街道を驀進し、一九八〇年二月二日、WBC世界フェザー級チャンピオン、ダニー・ロペスへの挑戦権を手に入れた。
この時WBC一位のサンチェスは三十三勝一敗(二十七KO)という戦績だったが、目下八連続KO防衛中で西海岸では絶大な人気を誇るロペス(四十三勝三敗・三十九KO)の前では、無名の若手に過ぎなかった。
サンチェスのパンチ力からすれば、テクニシャンだが打たれ弱いWBA王者エウセビオ・ペドロサに挑戦した方が勝算は高かったはずだが、J・フェザー級のKOキング、ウィルフレド・ゴメスが、ペドロサなど眼中になく、近い将来ロペスとの対戦を画策していたように、「真の名誉と金」を追い求める男たちの望みはただ一つ、“最強の男”をぶちのめすことである。
サンチェス不利の予想にロペスも油断したのかもしれない。その夜のロペスは稀に見る不調で、試合中盤でストップされてもおかしくないほどサンチェスに滅多打ちにされていた。それでもレフェリーが試合を止めなかったのは、これまでもスロースターターのロペスの逆転KO劇を何度も見せられているからだった。
ロペスは何でもない相手にダウンを喫することがある反面、ピンチに陥ると急に覚醒したかのように強打をフル稼働し、あっという間に相手をのしてしまうドラマティックなボクシングで観客を魅了してきた男である。連打は必要ない。たった一発で相手を夢の国に送り込んでしまう強打が持ち味だけに、ベビーフェイスで線も細そうなサンチェスなど、一発いいのが当たれば逆転KOだ、観客の大半もそう思っていたはずだ。
しかし、観客の期待も空しく、ロペスには反撃する力は残されていなかった。ダウンこそしなかったが、最後は血だるまになり、十三ラウンドにレフェリーストップで王座から陥落した。
ロペスのKO負けは番狂わせとは言わないまでも、動きの悪さなどから、敗因の一つは調整不足と見る向きが多く、サンチェスの評価はまだ定まっていなかった。
そんな中でサンチェスの真価を問うべく、王座奪取からわずか二ヶ月後の四月十二日にはルーベン・カ
スティーヨ(世界三位)との初防衛戦が行われた。
四十四勝一敗(二十一KO)のカスティーヨの唯一の敗戦は、現WBC世界J・ライト級チャンピオ
ン、アレクシス・アルゲリョに喫したものである。
カスティーヨはかつてダニー・ロペスのスパーリングパートナーを務めていた時、ロペスをボコボコにしてしまったため、ロペスからタイトルマッチに応じてもらえず不遇を囲っていたことがある。アルゲリョはその強さを認めたからこそ、自身のタイトルに挑戦させ、接戦の末十一ラウンドでKOしたが、アルゲリョとサンチェスでは格が違う。
試合はカスティーヨの地元で開催され、完全にアウェイだったが、最終ラウンドにダウンを奪ったサンチェスが判定で防衛に成功している。カスティーヨはボクサーファイターであまり積極的に前に出ないため、両者精度の悪いカウンター狙いに終始し、歯切れの悪い試合になってしまった(カスティーヨは勝ったつもりで、審判に怒りをぶつけていた)。
やはりサンチェスのパンチ力では世界レベルになると、天性のKOマシンであるサラテやサモラのようにはゆかないのだ、と多くのボクシングファンは実感し、ロペスもまた今度やればいけると思い込んでしまった。
ところが二ヶ月後のリターンマッチ(六月二十一日)では、ロペスは前回の対戦よりも派手にサンチェスから打ち込まれて十四ラウンドにストップ負け。コーナーからタオルが投げ入れられるのとレフェリーのストップはほぼ同時だったが、レフェリーの腕の中に倒れこんできた前チャンピオンは、半ば失神状態だった。何度やっても勝ち目がないことを悟ったロペスはこの試合を最後に引退し、サンチェスはこれで本物の強打者であることを証明できた。
戦うチャンピオンサンチェスは、九月にはパット・フォード、十二月にはファン・ラポルテと立て続けに防衛戦を消化し、まだ王座について十ヶ月にしかならないのに四度防衛の安定政権を築きつつあった。ゴメスとの対戦話が現実味を帯びてき始めたのは、ちょうどこの頃からである。
興行的に旨みのないペドロサより、人気沸騰中の血気盛んなメキシカンと戦った方が、話題性、ファイトマネーともに期待できる。それに強打者といってもサラテのような一撃必殺のピンポイントパンチがあるわけでもないサンチェスなら、接近戦に持ち込めば自慢のバズーカ砲で粉砕できる。ゴメスはそう計算していた。
実際、専門家筋もパンチ力、接近戦の巧さともにゴメスの方が一枚も二枚も上手と見ており、サンチェスが五度目の防衛戦でヨーロッパチャンピオンのロベルト・カスタノンを十ラウンドKOに下し、ゴメスとの前哨戦(ノンタイトル十回戦)でニッキー・ペレスを軽くあしらった(十ラウンド判定勝利)後でも、ゴメスの勝利を疑う声はほぼ皆無だった。
サンチェスはピークを過ぎたロペスを二度KOしたとはいえ、ダウンは一度も奪っておらず、試合も足を使いながらダッキングやサイドステップで攻撃をかわしつつ、効果的なカウンターを打ち込むというものだった。
世界一位のカスタノン戦こそ、ダウンを奪った後のストップ勝ちだったが、カスタノンはロペスに二ラウンドでKOされたこともあるように決して打たれ強くはない。逆にフォードのようなスピードのあるボクサータイプだと追い切れないところもあり、「ゴメスにとっては、ロペスよりも安全牌」という見方が一般的で、サンチェスの取り柄といえば、十五ラウンド戦ってもほとんどバテないスタミナ面くらいしか見当たらなかった。
ところがサンチェスは、低燃費で故障が少なく機動性に長けた日本製スポーツカーではなかった。ニトロ添加システムまで奢られた大排気量のターボエンジン搭載のアメリカン・マッスルカーであるということにこの時点ではほぼ誰も気付いていなかっただけのことである。
ターボエンジンは、アクセルを踏み込めば過給器が回り、エンジンパワーが急速に上がるが、普通に運転するぶんにおいてはただのNAエンジンである。つまり、相手が足を使ったり、それほど好戦的に向かってこない限りは、サンチェスのブースト計は上がらないが、ロペスのようにKOを狙って前に出てくるタイプになると、一気にフルブースト加速するタイプのボクサーだったというわけだ。
しかもロペス戦ですらサンチェスは結構余裕を持っての終盤KOであり、試合経過を見る限り、もっと早く倒そうと思えば倒せていたはずだ。ただ一発のある相手だけに、リスク回避のため少しずつ戦闘能力を削ぎ落とす策を取ったに過ぎない。
したがってロペス戦でもサンチェスはアクセルをベタ踏みしていたわけでないのである。だからこそサンチェスにはさらなる奥の手であるニトロ添加システムが搭載されていることなど誰も知る由もなかった。
チャンピオンになってからのサンチェスのボクシングスタイルは、一見ボクサーファイター型である。フェイントをかけながら、ダッキング、サイドステップで相手の的を絞らせないようにして、カウンターを狙うのが基本スタイルである。
左のジャブ、ストレート、アッパーともに鋭く正確で、ダブルの巧さは一級品だが、右はスローモーでぎこちない。ただし、ワンテンポ遅れてパンチが着弾するような微妙なタイムラグがあるせいか、見切ったつもりでいても意外によけにくい。そのうえ、伸びが良く、パンチも重いため、傍から見ている以上にダメージは大きいのだ。また、スピードも速いというほどではなく、連打も無尽蔵のスタミナに任せて打ちまくるというタイプだけに、相手が防戦一方になったところでストップ勝ちというのが、彼のKOパターンである。
練習風景を見ても、練習中はアクセルを踏み込まない性格のため、ともすればこれがチャンピオンかというほど動きにキレが見られない。故意に手の内を明かさないのではなく、これがサンチェスのルーティーンなのだ。
ゴメス戦の後で、サンチェスははっきりとこう公言している。
「俺は相手次第で戦法を変える。ペレスとの試合を見て、みんなは俺を過小評価しただろう。あの夜、俺はペレス用の試合をした。今夜はゴメス用の試合をしたんだ」と。
シーザーズパレスでの軽量級夢の一戦は、サンチェスの報酬が七十五万ドル(当時の邦貨で一億七千万円)、ゴメスが五十万ドルと破格だった。三十五勝(三十五KO)一分、J・フェザー級タイトルの十三連続KO防衛中のゴメスの方が安いのは、階級がジュニア階級であることと、表向きはサンチェスへの挑戦という形を取っているからであろう。
もちろん自信家のゴメスは、ボクサーとしては自分の方が格上と確信しているので、一ラウンドからバズーカ砲の砲門を全開にしてサンチェスに襲いかかった。
サンチェスはロペス戦でもそうだったが、ロープ際に詰まった時の防御が実に巧みである。ダッキングとサイドに身体を振るタイミングが絶妙で、追い詰めているはずの相手のパンチの大半が流れ、ヒットしたパンチも微妙に急所を外れている。まるで相手の空振りを誘発するかのようにロープに下がるサンチェスを追い過ぎると、バランスを崩したところにカウンターが飛んでくるのだ。
この試合もゴメスの左フックとサンチェスがダッキングしながら放った右フックがほぼ同時だったため、大きな空振りで右方向にバランスを崩したゴメスの顎の先端に、サンチェスの返しの左アッパーがカウンターとなって突き刺さり、ゴメスはもんどり打ってダウン。
結果から見れば、試合はこの一撃で終わったようなものだった。動揺を隠せないゴメスは、その後もサンチェスのパンチに翻弄され続け、何とかゴングに救われたが、ラッシュをかけていればこのラウンドで決着がついていてもおかしくないほど、ゴメスは完全にサンチェスから飲まれていたように見えた。。
試合後「なぜ一ラウンドで終わらせなかったのか」という記者の質問にサンチェスは「できれば十五ラウンドまでやって、ゴメスをもっと懲らしめたかった。一ラウンドで終わらせるのは、私の作戦になかったのさ」と涼しい顔で答えていたが、サンチェスは試合運びがクレバーなボクサーなので、念には念の入れて序盤はゴメスの一発の破壊力を警戒し、中盤までにゆっくり詰めてゆこうという算段だったのだろう。二ラウンド以降、ゴメスの腫れた右目を執拗に狙い、着実に動態視力を奪っていったのは、フィニッシュへの布石だったと考えられる。
ゴメスも目が塞がってしまっては万事休すと思ったか、中盤は果敢な反撃を見せたが、頬と瞼が腫れ上がっていては距離感がつかめないのか、腰の入ったパンチはことごとく空を切り、スタミナだけをいたすらに消耗させてゆくだけだった。
八ラウンドにボディ連打でロープに詰められたゴメスは、もはや抵抗できる状態ではなく、一度はダウンから立ち上がったものの、再びサンチェスのパンチで棒立ちになったところでレフェリーストップ。
随所で打ち合いが見られ、ファンも手に汗握るナイスファイトだったが、試合後の両者は、リングに上がった時とほとんど変わらないサンチェスと、リンチにでも遭ったかのように形相が変わったゴメスがいかにも好対照で、試合後の両者の姿だけで判断するとしたら、サンチェスの楽勝に見えてもおかしくなかった。
試合開始からフルブースト過給でKOキングを一蹴したサンチェスの人気はうなぎのぼりで、自身もJ・ライト級の絶対王者アルゲリョへの挑戦を口にするようになったが、格下相手だとアクセルペダルを踏み込まない癖は相変わらずで、ランキング下位のマット・コーデルを迎えた十二月十二日の防衛戦では、二対一のスプリットという際どい勝利だった。それも最終ラウンドにようやくダウンを奪ったのが唯一の見せ場といっていいような試合内容である。
強敵と対峙しなければ燃えないサンチェスにも困ったものだが、いよいよランキング内にめぼしい相手がいなくなり、中だるみ状態となって迎えた一九八二年七月二十一日、本来なら指名挑戦者相手の防衛戦のところが、ランキング一位選手が試合に出場できなくなり、無名の代役と試合をやることになった。
チャンピオンと同年齢、二十三歳のアズマー・ネルソン(ガーナ)は十三勝〇敗(十KO)の戦績しかない未知の挑戦者だった。五月八日のロッキー・ガルシア戦から二ヶ月余りしか防衛戦のインターバルが空いていないところにきて対戦相手が変更では、普段は相手の研究には余念がないサンチェスも、今回ばかりは行き当たりばったりだったのかもしれない。
ネルソンはスーパーチャンプ相手に臆することなく、身体に似合わぬ大振りのフックをブンブン振り回して、終始挑戦者らしいアグレッシブなボクシングを展開した。
ボクシング自体は荒削りなため、大きく弧を描くような左フックはサンチェスのダッキングでことごとくかわされ、時折ゴメスからダウンを奪った左アッパーのカウンターも浴びるが、とにかく打たれ強くしぶとい。七ラウンドにガードの隙間を狙い打たれ、ダウンを喫するも、そこから見事に立ち直り、サンチェスが得意とする終盤になっても全く疲れた様子を見せない。
スコアは二対一でサンチェスリードという接戦のまま試合は最終十五ラウンドにもつれ込んだ。
このラウンド次第では番狂わせもあるかもしれない。そうファンが思い始めた矢先に、サンチェスはついにこれまで封印してきたニトロ添加システムのスイッチをONにした。
両者ともにここまで激しく打ち合い、疲労もピークに達しているはずのところ、十四ラウンド終了後の休憩ですっかり息を整えたサンチェスは、試合開始当初と変わらぬ動きでネルソンに肉薄していった。
ここまで粘ったネルソンも、サンチェスの執拗なボディブローでダメージがかなり蓄積していたのか、至近距離での打ち合いの最中にガクンと腰が落ち、脆くもダウン。
気力を振り絞ってファイティングポーズを取ったネルソンにサンチェスが再び襲いかかると、もはや打ち返すこともできない挑戦者をレフェリーが抱きかかえるようにして試合は終了した。
アズマー・ネルソンはその後、フェザー級を制したゴメスを劇的な逆転KOで仕留めて世界王座に就くと、六度防衛後にJ・ライト級に階級を上げて二階級制覇。十一度目の防衛戦で敗れるも、再度王座にカムバックし、十年以上の長きに渡って世界王座に君臨したアフリカの産んだ最も偉大なボクサーである。
攻防のバランスに優れ、打たれ強さも兼ね備えていたネルソンは、欠点らしい欠点もなく、若手ボクサーのお手本のような存在であったことから、“プロフェッサー”の異名を取るほどになったが、そのネルソンにリング生活唯一のKO負けの屈辱を味わわせたのが、サンチェスだった。
サンチェスはネルソン戦から一ヶ月後に事故死したため、防衛回数は九回で終わり、無敵の余韻を残したままリングを去ったとはいえ、実力的にはまだ未知数だった。
ところがネルソンがフェザー級、J・ライト級を代表する名選手に成長したことで、相対的にサンチェスの評価も高まってきたのである。
サンチェスにKOされたゴメスにしても、しばらくはJ・フェザー級に留まり、バンタム級の安定王者ルペ・ピントールをKOで下すなど、自慢のバズーカ砲がいささかも錆びついてはいないことを証明しているため、サンチェスの勝利も、減量に失敗した最低のコンディションのゴメスにたまたま勝ったという一部の声を払拭し、ピーク時のKOキングを真っ向勝負で仕留めたとして再評価されている。
サンチェスが歴代のフェザー級十傑に入ることに異論のある専門家はほとんどいないと思われるが、リアルタイムでサンチェスの試合を見た人の多くは、サンチェスこそが最強といってはばからない。
なにしろフェザー級史上最高のテクニシャンと言われるウィリー・ペップが、「同じ時代でなくてよかった」とその強さに脱帽しているほどだから、正攻法でサンチェスを攻略するのは困難だろう。
クールでクレバーなサンチェスのボクシングスタイルを崩して、攻略できるとすれば変則的ファイターのナジーム・ハメドか、天下一品のダーティータクティクスとフェザー級史上最高の強打を合わせ持ったサンディ・サドラーくらいしか思い当たらないが、ハメドがマルコ・アントニオ・バレロのカウンター戦法に屈したことを考えると、よりリーチが長く、タフなサンチェスに分があるような気がする。
そのうちAI動画でサンチェス対ハメド、サンチェス対サドラー戦を観ることができる日が来るだろう。答え合わせはその時までのお楽しみにしたい。
生涯戦績44勝1敗(32KO)
サンチェスの命日には、故郷で現在でもファンや仲間が集う慰霊祭のようなものが行われているらしい。それに毎回出席しているのが、かつての好敵手ゴメスというのが泣かせる。ゴメスにとっては過去戦った全てのボクサーの中でサンチェスこそが最強で、最も尊敬するボクサーでもあるのだろう。




