2、初めての出会い
4月6日は入学式で、実質的な1学期のスタートである。午前中が入学式の準備で、午後が入学式と言う日程になっている。職員室に入ると新しく1年生の担任をする先生たちはおしゃれな服装で着飾り、緊張した面持ちで動き回っている。3年生のテーブルで腰掛けると、森下主任や吉沢先生も入ってきて、朝の挨拶を交わすと主任が
「担任発表は入学式の後だから、朝の会から午前中いっぱい、は吉沢先生が仮担任として行ってくれるかな。」と言うと
「はい、わかりました。まだ誰だか、秘密の状態で行くんですね。」と言って廊下の方を指さした。すると職員室入口のドアの窓ガラスに多くの3年生の生徒たちが』中を覗いている姿があった。通常の3年生テーブルに森下主任がいるから森下先生が3年生の主任であることは予想ができるだろうが、知らない顔の男性教諭がいることに興味津々のようだ。
朝清掃が終わり、朝の会が始まると吉沢先生が3年1組に行って注意事項を話してくれていた。職員室で待っていると生徒たちがそれぞれの担当場所に歩いて出てきた。私の役割は体育館の紅白幕だったので、生徒とともに体育館に入っていった。どこに紅白幕があるのかも知らなかったので、立ち尽くしていると生徒たちはテキパキと動いて、一部の生徒が廊下の倉庫から白い布で紅白幕と黒字で書かれた巾着になった袋をいくつも抱えてきた。また他の生徒はバレーボールの審判台や脚立を運んできた。テキパキと動く様子はありの群れが手分けしてエサを運ぶ分業体制のようにも見えた。ただよく考えてみると、彼らは半月ほど前に、卒業式の準備と後始末で役割分担を叩き込まれているのだ。だからこんなにテキパキできるのかと考えると合点がいった。
一人が審判台に登り、一人が慎重に動かしている。そこに向けて10人ほどが1枚の幕をまっすぐに伸ばし、紐が通されている方を上にして、審判台に昇った生徒が2mほどの高さのところに打ち込まれているフックに掛けやすいように準備している。見事な連係プレーが体育館ステージに向かって左右、前後、4チームで並行して行われていた。私はただ彼らの作業を見ているだけで、何もすることがなかった。台の上に昇った生徒が落ちてけがをしないように祈るだけだった。
しかし、彼らの中に一人だけ、体育館の壁際に立ちすくみ、何かを持っている生徒がいた。その生徒のことをしばらく遠目から見ていると、他の生徒とは明らかに違っていた。他の生徒が一つ仕事が終わると次の仕事に向けて自分で考えて行動しているのに対して、その生徒はじっと立ち尽くして自分の出番を待っているようだった。彼が手にしているのはよく見ると紅白幕が張られた最後に、廊下の入口を示すために幕をたくし上げる赤い房だったのだ。かれはその房を最後に取り付けるのか、あるいは台に乗った生徒にその房を渡すことが仕事なのか、とにかく自分の出番が車で、じっと立ちすくんで待っていたのだ。私は彼の異質な行動を見ながら彼が松山遼君である確率が99%であることを確信した。
紅白幕はりは順調に進み、時間内に終了し、生徒たちは教室で新学期の教科書や配布物を多数受け取り、気持ちを新たにしたようだった。給食はまだ準備ができなかったので弁当を食べて、時間になったら生徒たちは体育館に出た。私は新入生の受付と来賓の受付を手伝って、玄関付近で働いた。新入生たちが全員入ったことを確認すると体育館に出て、職員席に座り、四季の開始を待ったが、その間、生徒指導の先生から式に際しての注意事項の話があり、時間があったので音楽主任が出て来て、君が代と効果の練習をした。音楽主任は新入生を迎える在校生として、歓迎の気持ちを歌声に乗せろと大きな声で叫んだ。私は難しい事を言っているなと感じていた。
1時ちょうどに式は始まった。教頭先生の司会で
「新入生入場」と宣言されると吹奏楽部が行進曲を演奏した。曲は「星条旗は永遠に」でアメリカの軍隊の曲で、世界的に有名な曲だ。おそらく卒業式で演奏したのだろう。かなり練習の成果が感じられた。新入生は緊張の趣で歩いている。在校生たちに比べると小さくて子供っぽい。まだ小学生の雰囲気が残っている。目線を在校生の方に移すと3年生の男子が職員席のすぐ近くにいた。背が高くて髭も生えている。中学3年間というのはいかに成長が激しいかがよくわかる。目線を後方に移すと松山君が座っているのが見えた。まっすぐ前を見ているが、周りの生徒は新入生入場に合わせて拍手をしているのに、彼は手のひらを合わせて、下を向いている。じっとして座っているのが苦手なのだろう。前の生徒の頭を叩いたりしないか心配しているのか、吉沢先生がすぐ近くで座っていた。
入学式が順調に進み、来賓が退場していくと担任が発表である。生徒たちが一斉に右を向いて職員席の方を向いた。マイクの前に校長が立ち、職員を紹介していく。
「教頭は田島先生です。」と言うと教頭が一歩前に出て礼をした。生徒も合わせて礼をした。その後は教務主任を紹介すると1年生の学年主任、担任の紹介。そして2年生と続いていった。最後が3年生である。
「第3学年主任、森下先生」と言うと森下主任が一歩前に出て
「森下です。みなさん、今年もよろしく。」と言って一礼すると生徒たちから笑顔が見られ、予想通りだったとほっとした声と拍手が上がった。私は森下先生が意外と生徒たちに人気があるんだなと感じた。次に校長は
「3年1組担任 坂本栄次郎先生」と言うと私は一歩前に出て
「坂本です。明進中学校から来ました。よろしくお願いします。」と言って一礼した。すると生徒たちからくすくすと笑う声が聞こえた。頭をあげて生徒の方を見ると予想が当たったという感じの生徒たちは隣の生徒とひそひそと話している。男子生徒の中には「よっし」と言って握手して歓迎している生徒もいた。ただし中には怒ると怖そうだと思ったのか苦虫をかみ殺したような表情で、この一年辛そうだと声には出さないが表情で表している男子生徒もいた。とりあえず全員が一礼して歓迎の意を示してくれた。
このあとは2組の野村誠司先生と特別支援クラスの吉沢先生を紹介して、生徒たちは持ちあがりを歓迎していた。吉沢先生を紹介された時の松山君は担任が変わらなかったことを喜んだのか、力いっぱい拍手していた。隣りの女子生徒があまり大きな声や音を出さないように優しく手を押さえてくれると松山君は静かに手を下ろした。彼女はきっと小学生の頃から松山君の同じクラスで、彼のことを理解していて、どう対処すればいいのか会得しているのだろうと感じた。
体育館での式典はすべて終了し、クラスごとに列になって教室に入っていった。私も職員室にいったん戻るといよいよ担任として3年一組に、伊かうことになった。森下主任からは体育館の後始末の開始時間の確認と明日の受賞の確認、準備物の連絡確認を受けて、野村先生と二人で廊下に出て3階まで上がっていった。3階㎡の廊下に着くと小柄な布男子生徒がこっちを見ていたが、私たちの姿を見つけて小走りで教室に入っていった。これは歓迎なのか、敵を見張っているのか、どっちなのかと考えながら野村先生と別れて一組の教室の扉を開けようとした。昔から生徒のいたずらで扉の上に黒板消しを挟んでおいて、先生の頭の上に落として生徒たちが一斉に笑うというシーンが学園ドラマで描かれてきた。べたな話だが、もしそんな罠を仕掛けてくれたなら、わざと引っかかってあげるのも生徒の信頼をつかむには効果があるかなとも考えて、上を見上げたが仕掛けられていなかった。
教室に入って教壇に立つと、2年3学期の学級委員が「黙想」と声をかけた。全員が椅子に座ったまま背筋を伸ばして目を閉じた。私は職員会議で生徒指導の先生が説明してくれた授業前の黙想の話を思い出した。私も目を閉じて
「これが津室中学校の授業前の黙想か。昔はなかったな。」とか考えていると
「やめ、お願いします。」と学級委員の声が入り、全員は座例をして
「お願いします。」と声を合わせて挨拶してくれた。私も
「こちらこそ、お願いします・」と言って一礼した。何か心が現われるようなすがすがしさが私の心を覆った。
教室の後には吉沢先生も入ってきた。松山君がこのクラスに入っているから、吉沢先生も着てl暮れたのだろう。目を松山君に移すと彼は興味津々と言った感じで私の方を見ている。鋭い観察眼で評価されるような恐ろしさも感じたが、彼だけを相手にしているわけにもいかないので、目線を全体に向けて自己紹介から始めた。
「みなさん、今日からこのクラスを担任することになった坂本です。3月までは福井市の明進中学校にいました。教科は社会科です。出身はこの中学校で、この近くに住んでいるみなさんの先輩に当たります。みなさんも事は他の先生方から詳しく聞いています。みんな勉強が得意なんだね。よくできる生徒さんが多いと聞いています。楽しみですね。授業では主体的に自ら考え自ら課題を設定して、課題解決の方法を身につけていってほしいと思います。みなさんは自分の能力をどんな風に考えていますか。数学が得意な生徒もいれば英語が得意な生徒もいる。数字を覚えることが六位な生徒もいれば映像を覚えることが得意な生徒もいる。能力を6角形のダイヤグラムで表すグラフを見たことありますか。テスト成績をグラフに表すときに使ったりします。どの強化もまんべんなく80点取る生徒は5教科合計400点ですが、特徴はありません。強いて言うなら弱点が少ないという利点がある。でも数学と理科は100点、他の3教科は50点 合計点が350点 こんな生徒もいますね。大学まで行った時、どちらが有利でしょうか。実は大人になると平均的な力よりも得意分野で勝負するんです。弱点克服も大事だけど、得意分野を伸ばすことの方が、人生においては大切という事です。でも中学校では高校受験を想定して500点満点で生徒を評価しています。こんな評価の尺度に負けてはいけません。人はどんな人でも得意分野があるものです。5教科全部苦手という人は文章をよむ力足りなくて、得意分野の力を発揮できていないだけかもしれないんです。紙に文字で答えを書く形式でない試験だったら得意かもしれません。みんなどこかに得意分野があると考えると、人を馬鹿にしたりは出来ません。かならずフォンな人にもリスペクトするべき分野があるという事です。お互いにリスぺ黒出来るところを見つけ合えれば、この教室からいじめはなくなると思いませんか。先生はそんな風に考えています。」と時間をかけて話した。質問はないかと聞いてみると男子生徒が手をあげた。
「だれでもどこかに得意分野があると言いましたが、松山君にも得意な分野はあるんですか?」と少し馬鹿にしたような態度で質問してきた。私はその生徒が主任から聞いていた高梨君ではないかと直感した。特に名前は聞かなかったが
「僕は松山君のことを詳しくは知らないが、先生方から聞いた話では天文学や生物学、植物学の分野では中学生の領域をはるかに超えて、大学教授のレベルだと聞いています。すでに大学生が読むような専門書を読みこなし、中身を理解しているようです。そのことを君は知らないんですか?」と逆に聞いてみると彼は口ごもってしまった。
その時、松山君の方を見ると自分のことを話していることがわかっていないようだったが、しっかりと前を向いて私の話を聞いていたようだった。
結局その後は時間を合わせて3年生は体育館や玄関の後始末をして規約した。新一年生は3年生が教室で担任と話をしている間、体育館で記念撮影などをしていたようだった。




