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津室中学校

令和7(2025)年4月 亀山内閣が成立した。。3月の自民党総裁選挙で世論の後押しを受けて関総理に変わって亀山総裁が誕生し、国会で内閣総理大臣に就任した。亀山内閣の看板政策が“教育立国日本の再生”だった。失われた30年の間に、日本は緊縮財政で研究開発分野で世界各国に後れを取り、EV自動車分野でもAI分野でも先端産業はアメリカや中国、ヨーロッパに先を越されていた。しかし亀山総理は日本はモノづくり大国であり、その力はまだ強固なものがある。そこで積極的に財政出動して、経済を活性化させるとともに国際競争力に勝てる人材育成のために“教育立国日本の再生”を打ち出し、大学の理数教育研究費の増額は勿論だが、義務教育や高等学校にも理数分野の才能ある人材の育成に大きな予算を投じることを発表した。

各県の教育委員会では人材育成のために特別な理数教育カリキュラムを可能にするスーパーサイエンス教育指定校制度などを充実する政策が急ピッチで整備されていった。


時を同じくして4月1日、私はこの津室中学校に赴任した。前任校で辞令をもらって、この学校に挨拶に来たのは3日前だったが、4月の正式勤務の始まりということで身が引き締まる気持ちがした。

校門脇には大きな桜の木があり、満開の桜が私を歓迎してくれていた。車を校門外の駐車場に停めて、校門脇を歩いて玄関に向かった。後に知るのだが、この学校は伝統的に生徒も職員も校門の例をしていて、校門では立ち止まって校舎に向かって一礼して出入りをするのだ。

その時のはまだ知らなかったので、そのまま歩いて職員玄関に向かった。玄関付近で校門内に車を止めた職員と思われる若者と一緒になったので、

    「今日からお世話になります坂本栄次郎です。」と挨拶するとその若者はカバンを脇に挟んでネクタイを締めながら

    「どうも、3年生の担任の柴田です。教科は数学です。よろしくお願いします。」と言って軽く会釈をしてくれた。私も続けて

「あ、僕は社会科です。3年生に入ると聞いています。」と答えた。

彼に案内されて玄関の中に入ると、下足入れの名前に坂本という名前が張ってあるのを見つけて、履いてきた靴をその中に入れ、カバンから前の学校で履いていたスリッパを取り出して、履きなおして職員室へ向かった。

職員室は机の数が15ほどで、小規模な感じがした。しかもまだ春休みの朝早かったので、着ている先生の数は少なかった。扉の中に入って周りを見渡すと、正面の黒板を背にした中央に教頭と思しき男性が座っていたので、正面に行って挨拶をした。

「福井市明進中学校から来ました坂本栄次郎です。」と言うと彼も立ち上がって

「ようこそ、お待ちしておりました。教頭の田島です。ではまず校長室へお願いします。」と言われて横の扉から途中の休憩室を挟んで、校長室に案内された。

田島教頭がドアをノックして

「失礼します。坂本先生がいらっしゃいました。」と言って中に入っていった。後に続いて私も中に入っていくと、校長室は教室ほどの広さで、奥には20名ほどで会議ができそうな机が並んでいる。手前に応接セットがあって、その奥の窓際に木製の大きな机があり、そこで男性がモニターを見ながら起^ボードを叩いていた。その人物が老眼鏡をはずして立ち上がり、私の方を見たので

「先日もご挨拶させていただきましたが、福井市明進中学校から異動してきました坂本栄次郎です。いよろしくお願いします。」4月の最初なので少し大げさな感じもしたが大きな声で挨拶をした。元気のいい挨拶を嫌がる管理職はまずいない。そんな考えでとにかく異動後は大きな声で挨拶するようにしてきた。すると彼は

「校長の杉田です。働き盛りの30代、良い宇貫対してますから頑張ってくださいね。」と言って右手を出してきた。少し戸惑ったが私も右手を出して握手をした。校長が座るように手のひらをソファーの方に向けたので、遠慮せずに座ると田島教頭も一緒に座った。杉田校長は机の上から書類を手に取って

「坂本君には3年1組の担任をお願いします。社会科の教科分担は3年生2クラスと1年生1クラス、2年生1クラス。合計4クラス 残りの2クラスは教頭先生が担当してくれます。校務分掌は進路主任、部活動は野球部の顧問をしてもらいたいんだけど、社会人指導者がついているからほとんど負担はないと思います。どうですか。」と言われたが、何とも言いようがなかったので「ハイ」と言って相槌を打った。

その時、隣りで聞いていた田島教頭と杉下校長が目で合図をした感じがした。一瞬、野球部は難しいのかなと脳裏をよぎった。以前の学校でも部活動は中学校の教員の多忙化の本丸だった。若い教員は部活動を持ちたがらない。どうしても顧問を城と言うと「命令ですか」と声を荒げたり、「パワハラではないですか」と居直ったりする若者もいる。ただここ数年の働き方改革で部活動を社会体育活動に移行してきたので、教員の負担もだいぶ変わってきた。社会人指導者がいると言うので取り越し苦労であることを願っていると教頭から

「実はね、先に話しておいた方がいいと思うけど、君に担当してもらう3年1組には松山君という特別支援クラスの生徒もいるんだ。彼は発達障害があってADHDとASDと診断されているらしい。英語・数学・国語の週13時間は特別支援教室で授業を受けるけど、その他の時間は交流学級である3年1組に在籍することになる。ADHDだからじっとしていることが苦手で、立ち歩きもある。感情を押さえられないから爆発して大声を出すこともある。ASDだから他の人の気持ちを推し量ることも苦手で、人の嫌がることを口にしてしまってトラブルになることもある。自分の気持ちを素直に表現することも苦手なので、嫌だとかやめてほしいという感情をうまく言葉で伝えられなくて、手が出てしまって喧嘩になることも会えいます。ただ高機能自閉なので好きなことにはとことんこだわって、宇宙関係の事には専門書も読んでいるので専門家のような知識を持っています。物理学者にでも育て上げられれば良いのですが、今のところは大きなトラブルがないように、目を離さないというレベルです。よろしくお願いします。」と説明してくれた。後で教頭から聞いたのだが、他の異動者たちは私よりも先に来ていたので、校長との話も終えて、職員室の自席にいたようだ。

 校長室を出て準備されていた3年生のテーブルの私の机に行くと、3年生のスタッフの先生たちがみんな来ていた。50代と思われる女性が一人と、20代の女性、30代くらいの男性が一人、合計3人の先生たちがいたので、私を合わせて4人で学年スタッフなのだと直感した。すぐに私は襟を正して

「本日付で本校に配属されました坂本栄次郎です。教科は社会科です。よろしくお願いします。」と挨拶すると年配の女性が

「このあと発表がありますが、3年生の学年主任をします森下真佐子です。教科は理科です。よろしくお願いします。」と追って一礼してくれた。私も丁寧にお辞儀を返した。続いて若い男性が背広のボタンを掛け直して

「3年2組を担任します野村誠司です。教科は数学です。よろしくお願いします。」と言ってお辞儀してくれた。最後に残った若い女性は紺のリクルートスーツを着ていたのでまだ教員になって数年しかたってなさそうだったが、長い髪が印象的で笑った顔が少し幼く見えて、童顔のかわいい印象だった。彼女も

「特別支援クラスを担任します吉沢亮子です。教科は国語です。よろしくお願いします。」と言ってお礼してくれた。僕も礼を返す時に目線を下げると、彼女のスーツのスカートの裾が膝上10㎝くらいで、きれいな足が見えたので、少しうれしかった。

 席に座ると早速森下主任からこの学年の生徒たちについて話があった。

「坂本先生はこの中学校出身よね。このあたりがどういう地域かはよく知っているわよね。小さい小学校3つから来ているから生徒たちは小学校の先生たちの目が行き届いて、基礎学力がしっかりしています。だから中学3年生になっても業者テストでの平均点は県平均を大きく上回って、トップクラスです。うちの上を行くのは附属中学校くらいかもしれないわ。でも平均点は個人には関係ないから、一人一人をしっかり見てほしいです。野村先生は去年から2組を担任しているからみんなのことをよくわかっているけど、坂本先生は今日からだから生徒のことをよく引き継いでほしいわ。勉強も部活動もよく頑張る生徒が多いけど、まじめな子が多くてこれから伸びていきそうかと言うと難しいかもしれない。ただ、先生のクラスには特別支援クラス在籍の松山遼くんがいます。彼のことは吉沢先生と連携を取って、得意な分野を伸ばしてあげてほしいの。校長先生も彼の能力に注目しているわ。」と言ったところで、職員室の前に杉下校長が姿を現した。年度初めの打ち合わせが始まるようだった。

 田島教頭が

「それでは年度初めの打ち合わせを始めます。」と合図すると全員が立ち上がった。

教頭は続けて

「みなさん、おはようございます。」と言うと全員がおはようございますの挨拶の声をそろえた。不思議なもので声をそろえると言うのは全員に一体感を与える。

「では初めに校長先生からお話を頂きます。」と教頭が言うと隣に座っていた校長が立ち上がると教頭に準備していた用紙を手渡した。教頭はその紙を持って各学年のテーブルに走って人数分の紙を渡した。私の所にもその紙が届いたので目をやると

「年頭に当たって」と書かれていて、校長が自分の思いを箇条書きにした物だった。紙を持って前を向いていると校長が再び立ち上がり声を発し始めた。

「学校経営方針は後程詳しく話させていただきますが、私の教育観をまず簡単に話させていただきます。先ほど分けたレジメをご覧ください。昨今の教育業界は大きな変化を迎えております。変化の激しい現代社会では対応策が難しいケースが多いと言われています。これまでは事態に対応するにはマニュアル通りに対応することが大切だったのですが、変化が激しいのでマニュアルが追い付かない事態が多いのです。つまり自分たちの思考でその場にあった対応策を考えて退おいしなくてはいけないのです。これを学校に当てはめると、かつては早く正確に正解を求める力が学力炉謂われてきました。つまりマニュアルを暗記して対応策を吐き出す能力です。しかし今日の社会では、正解がない問題が多いので、その場にあった適応解を導き出す問題解決能力や思考力、表現力が求められ、個人の能力だけでなく集団で問題を解決する協調力や対話力などが求められています。大学入試や会社の入社試験でもそれらの力を問う問題が出されるようになってきているので、学校教育もその変化に対応する必要性があります。従来の旧態依然とした基礎学力重視の反復習得型の学習を続けていては、乗り遅れてしまいます。それぞれの先生方の授業に、そして作成される試験問題に変化があることを期待いたします。それでは本日赴任していただいた先生方をご紹介します。赴任された先生方は前にお願いします。」と言われたので私を含めて3人が前の黒板前に並んだ。校長が3人の名前を紹介するたびにそれぞれが大きな声で挨拶して礼をした。私は3人目に正か押された。

「福井市明進中学校から来ました坂本栄次郎です。この学校を卒業してから20年。大変なつかしく思っています。よろしくお願いします。」と言って一礼すると見なさんから拍手を頂いた。僕に対するものではなく3人に対するものだったのだろうが、とてもうれしく思った。

 自席に戻ると隣の野村君が

「さすが、地元の人に対する期待は大きいですね。僕なんかはよそ者ですから気が楽なんですけど。」と小声でつぶやいた。後に知るのだが、彼は福井市内の出身で津室町内の前任校から福井市内に異動希望を出したが、福井市に入れず同じ津室町内のこの学校に2年前に移動してきたそうだ。

 このあと教頭からお知らせがあり、9時から職員会議を校長室で行うらしい。

9時5分前に校長室に入ると予想通り奥の大きなテーブルは会議用だった。調理員さんや用務員さんを含めて総勢22名が一同に顔を合わせるのは、この時だけらしい。校長が用意したケーキと、異動してきた先生たちが持ってきた和菓子が均等に分けられ、一人一人の席に配られた。女性の先生方を中心にお茶も入れられ、会議が始まるはずの9時を過ぎても準備は終わらなかった。

 9時10分過ぎにようやく会議が始まった。テーブルにはお菓子と共に分厚い会議資料が乗っていた。司会は教頭が勤めるようでまず校長の話からだった。校長先生は挨拶をした後、学校経営方針についての説明を始めた。

「学校教育目標は昨年と変わりませんが、具体的な目標に一部修正をしています。特に知的領域ですが朝も話しました新しい学力観に基づいた問題解決力、思考力、表現力の育成を目指して授業改善と評価問題の改善をお願いしたいと思います。そしてもう一つ今年大切に考えているのが、ADHDやASDといった発達障害の事です。医師の診断を受けているかどうかは別にして、どの子も程度の差はあれ、幾分の症状は持っています。私たち教員もそれぞれにわずかながらそれなりの発達障害の症状があると言われています。障害と言う文字が含まれているのでネガティブなイメージを持ちますが、それぞれの個性と捉えてほしいと思います。人間の能力を6角形や8角形のダイヤグラムで表現している図を見たことがあると思いますが、グラフが表す面積はどんな生徒もほぼ同じと考えるわけです。正8角形に近い形の子は優秀であると言われてきましたが、逆に考えれば特徴がないとも言えます。数学だけは得意だが他の教科はからっきしダメな生徒を見たことがあると思いますが、これまでは苦手強化を克服することを生徒に求めてきたかもしれませんが、得意な数学をとことん延ばすことで、彼の才能を開花させることにつながるかもしれません。私たち教員は6教科の合計点で生徒の実力を図ろうとしてきましたが、社会は総合点の高い生徒よりも得意分野を持っている生徒を必要としているのです。社会を動かしてきたのは5教科で480点取るような総合学力の高い生徒ではなく、エジソンやスティーブ・ジョブス、アインシュタインのようにこだわりが強い天才肌で、国語や社会科は苦手かもしれないけど、数学や科学が得意なまさに発達障害の症状を持っている人たちなのです。彼らの才能を伸ばしてあげることは、周りにいる大人たちの責任なのです。そんな意識を持って彼らに接していってもらいたいと考えています。どうかよろしくお願いします。」と杉下校長は最初の長い言葉を語った。私は何となくわかってはいるつもりでいた。発達障害についての研修は今までに何回も受けて来たし、こだわりの強い生徒がとてつもない記憶力で、数年前のことまで正確に再現してみせることを。でも教室で担任として関わり合う上で集団学習をさせようとすると、実に難しい生徒であることも。心の中ではわかるのだが、みんなが静かに本を読むときには一緒に本を読んでほしいのだ。前任校で受け持っていた男子生徒のことを頭の中で思い出していた。

 校長の話しの後は、校務分掌の発表と時間割編成のための授業の持ちクラスの発表があった。1年間の持ち時間数が決まるので、みんな真剣に表を見ていた。いつの間にか現実的な話が頭の中を占領し、発達障害の子供たちに対する特別な配慮のことは少し忘れかけてしまっていた。


 職員会議が終わり、それぞれの学年会が始まった。私が所属する第3学年は本館3階の3年生フロアの空き教室である3学年準備室を使うことになった。この教室は数学や英語で少人数学習をするときに使っているそうだ。部屋の中の生徒用机を4つ組み合わせて」4人で会議が出来る形に整えると、森下主任が袋からお菓子を取り出して、机に並べた。吉沢先生も立ち上がって飲み物の準備をしてくれた。私と野村先生は頼まれていた会議資料のコピーを4人分製本して、机に並べて会議が始まった。森下主任は

「学年目標とかは4月4日の学年会でまた考えるとして、とりあえず学年の仕事の割り振りをしましょう。主任の私は学年通信と主任会の内容の伝達、そして高校との渉外を担当します。学年会計は吉村先生、お願いできるかな。」と問いかけた。吉村先生は昨年度もやっていた仕事らしく

「わかりました。今年は間違いがないように気合を入れます。」と源氏した。どうも前年度、トラブルがあり何人かで精査したことが予想できたが、特に聞くことはしなかった。次に森下主任は

「進路指導主事は坂本先生だから、進路全般、頼むわよ。3年生は何回目なの?」と聞かれたので、指折り数えて

「3回目です。新採用の越前第2中で一回と福井市明進忠で2回です。」と答えると森下主任は

「福井市と津室町はだいぶ違うから面食らうかもしれないけど、分からないところは聞いてくださいね。」と言って励ましてくれた。そして野村先生には学年生徒指導をお願いしていた。さらに森下主任は

「細かいところになりますが、学年道徳、毎週の道徳で扱う資料を学年会で確認する係は吉沢先生、お願いします。あと学活の時間の確認は野村先生お願いします。毎週の学年会で翌週の内容を確認して道徳と学活は足並みをそろえていきましょう。あと一番大切なことは学年厚生です。レクレーションや食事会、飲み会などは坂本先生にお願いしたいな。福井市の学校にいたからお店もたくさん知ってるでしょ。よろしくね。」と笑顔で頼み込んだ時に、口元に金歯がきらりと光った。実はこの先生は私が中学生の頃にこの学校で理科を教えてもらった間柄だった。嫌と言える関係ではなかった。さらに森下主任は資料をめくって

「では一番大切な生徒の情報について話し合いましょう。野村先生のクラスは持ちあがりなので、大丈夫ですね。引き続き丁寧にお願いします。問題は坂本先生の担任の1組です。前任の前田先生は異動で鯖江市に戻ってしまったので、クラスはそのままで担任だけが変わる事になったわけですが、この組には特別支援学級所属の松山遼くんがいます。小学校の頃からクラスのみんなとトラブルが絶えません。ADHDとASDを併発していて、小児科の先生の診断を受けています。詳しくは吉沢先生から説明をお願いします。」と少し困り顔で話してくれた。私は主任が手を焼いているとしたらかなり大変なのかなとも感じた。そして職員会議で思い出した前任校での生徒の顔が頭に浮かんだ。そこに吉沢先生が話し始めた。

「私の情緒クラスには3人が在籍していますが、3年生は松山遼君一人です。坂本先生のクラスに交流しています。英語・数学・国語・支援の授業は支援クラスで勉強しますがそのほかの授業では3年1組に行きます。彼はADHDの症状があり、なかなかじっとしていられません。いつもと同じことには落ち着いて対応しますが、少しでもイレギュラーなことが発生すると落ち着きをなくし、パニックになることがあります。そんな時に同級生から発せられる言葉に過剰反応してしまい、喧嘩することもあります。また興味があることには集中するので、やめなさいと言っても聞く耳を持ちません。力ずくで引っ張たりすると、激しく抵抗します。また、彼はASD(アスペルガー症候群)で高機能自閉症です。相手の気持ちを推し量る事ができないので、周りからは宇宙人のように思われています。周りの空気を読むことは出来ないので、同級生との交流は難しいです。ただ幼稚園の頃から一緒にいる幼馴染の数人は彼のことを理解してくれているようです。ただ彼の頭脳は優秀で、天文学の本や動植物の本は読み漁っているので、小学生の図鑑レベルではない専門書も親が買い与えているようです。時々、とてつもなく専門的な説明をしてくれることがあります。記憶力も鮮明で、幼稚園の頃に世界190か国の名前と地図上の位置、国旗を覚えてしまったようです。そんな彼の両親は父親がこの近くの大学病院の外科の医師で、母親はその近くの県立大学看護学部の准教授です。2人とも忙しいですが、子供への関心は高く、子供のことでよく学校に電話があります。喧嘩してけがをした時などはその原因について、双方からよく話を聞いて説明をしなくてはいけません。彼のこれまでの指導支援記録はその封筒の中にコピーを入れておきましたから、一読しておいてください。」と丁寧に説明してくれた。そこに森下主任から追加の説明が入った、

「先生のクラスでよくトラブルになるのは吉田君と高梨君かな。吉田君は少し幼くて松山君だけがみんなと同じことをしなくても叱られないことが許せなくて、同じようにすることを強制しようとするの。だからいやがる松山君が抵抗して喧嘩になる。高梨君は少しいじめ気質なところがあって、いろいろな事ができない松山君のことをからかって笑いものにしようとするから、松山君が切れて殴りかかろうとするんだけど、いつも高梨君に逆にやられちゃうのよね。いやなことは嫌だとはっきり言えればいいんだけど、表現する言葉が出てこなくて、先に手を出してしまう。アスペルガーの典型かな。こんな事件が絶えないから1組は生徒たちにとって安心できる場所ではないかもしれないわ。とばっちりにならないように気を張っていないといけないかもしれない。なんとか落ち着いた環境で高校受験を迎えられるように坂本先生にはお願いしたいと思ってます。よろしくお願いします。」主任の言葉にこれから先の不安を大きくした。


 4月4日には第2回の職員会議があり、各校務分掌担当から今年度の方針や年間計画が発表された。昨年度の3学期に前任者たちが反省を含めて各部会で練られた計画案を提言されているので、私たちのように来たばかりの人間が口出しは出来なかった。

 職員会議が終わると私はっ杉下校長から呼び止められた。

「坂本先生、ちょっと残ってもらえませんか。」と呼び止められ、校長室のソファー近くにいると

「どうぞ、座ってください。」と言うので、長椅子に腰を下ろした。他の先生方は私に校長先生が何の用なのかと疑念を浮かべている感じだったが、にbっば静かに出て行った。全員が出て行ったのを確認して校長は静かに私の前のソファーに座った。すると静かに口を開いた。

「坂本君、もう学年会で夏山遼君のことは聞いたかい。」と言うので

「はい。森下主任と吉沢先生からかなり詳しく聞きました。」と答えると校長は棚から一冊のファイルを取り出した。表紙には指導記録と書いてあった。吉沢先生から預かった指導支援シートと同様なものだとその瞬間感じた。中身はまだしっかりとは呼んでなかったが、保育園時代から始まり、小学校に入ってから、そして中学校で生活面全般で具体的にどんな事ができるようになるか目標を立て、各学期ごとにその成果を評価し、達成できた場合には、新しい目標をどの程度に設置するかを掻き込んでいた。まだ斜め読み程度だったので、校長の前で話せるほどではなかった。校長はファイルを広げて

「松山君はADHDで周りに迷惑をかけることも多いけど、持って生まれた能力は天才的なところがあるんじゃないかと私は考えているんだ。所謂、ギフテッド、与えられし人、天賦の才能とでも言おうか、この才能を伸ばすも殺すも周りの大人次第だと思ってる。私が危惧しているのは彼の才能を伸ばす前に、二次障害で心を閉ざしてしまう事なんだ。つまり、ADHDで注意欠陥があり周りから宇宙人扱いされ、いじめられたり孤立したりして、彼自身が内にこもってしまって引きこもってしまう事なんだ。坂本君には彼の良き理解者になってやってもらいたい。ただ彼を特別扱いして欲しいという事ではないんだ。折に触れて彼の思いを聞いてやって欲しいんです。」彼の行動には必ず理由があります。その時の気持ちを聞いて、どうしたらトラブルを避けることになったのか、その都度その都度教えて、ソーシャルスキルを会得させることで、二次障害を防いで何とか順調に成長させることが大切なんだ。我々は福井の宝、いや日本の宝、世界の宝を預かっているのかもしれないんだ。その覚悟で担任に当たってもらいたい。」と懇願された。その校長の目は真剣そのもので、悲壮感すらあった。その様子を見た私は、彼がこの学校に入学して以来三月までの二年間、何とか無事に生活を終えて学習の成果を残したいと考えていても、様々なトラブルで彼の生活は困り感がいっぱいだったのかなと感じた。

 校長の話しを聞いて私は若干質問した。

「校長先生、概要はわかりましたが、彼が天賦の才能があると言う根拠は何かあるんですか。」と聞いてみた。すると校長は

「知能指数、IQって知ってるかい。通常は100を中心に60を切ると知的障害が疑われる。逆に130を超えると天才。140以上になるとギフテッドと言われ、メンサと言う会合の会員になるんだ。彼は中学3年生でその会員の一人さ。大切に育てることが我々の使命とされているんだ。」と答えてくれた。メンサと聞いて私も背筋が寒くなった。その不安感からもう一つ質問した。

「具体的には私はどうっすればいいんですか?」と聞くと校長は頭を掻きながら困った様子で言葉を選びながら

「それが難しいよね。特別扱い和するな。でも彼の個性を尊重して良さを伸ばしてほしい。集団行動は苦手だけど、これからの人生で協調性を求められることもあるから、協調できるように育てることもしなくてはいけない。矛盾していることをいくつも要求されているよね。はっきりと言えることは彼の気持ちをよく聞いて、彼を理解してやってほしい。中学校では何か違反行為があるとその場にいた全員に連帯責任としてペナルティーを科すようなことがあるけど、その手の不条理は彼には通用しないから、彼がいた時には一人一人からの聞き取りを慎重にしてほしいという事かな。」と言ってお茶を一口飲んだ。でも彼の中でも松山君に対する指導の正解は世lくわかっていなさそうだった。私は半信半疑ながら校長室を出て、学年スタッフが待つ3年生テーブルに戻って、どんな話をしてきたかを、森下主任たちに報告して、その日は帰った。



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