亡霊の輪郭(Ghost in the Shell)
1
深夜一時。中野ブロードウェイ、NDMFラボ。 佐久間のアパートから戻った二人は、重苦しい沈黙の中でモニターと向き合っていた。
「……復元できたのは、全体の三パーセント程度だ」 九条はヘッドホンを首にかけ、充血した目をこすった。 「佐久間のPCが焼き切れる直前に引っこ抜いたのは、映像データそのものじゃない。その映像を処理していた『エンジンの設計図』だ」
「設計図?」 真壁はコンビニで買ってきた缶コーヒーを煽りながら問う。
「ああ。東山が佐久間のPCに遠隔インストールしていたプログラムの設定ファイルだ。……これを見れば、彼があの密室で『何を消そうとしていたか』が分かる」
九条がエンターキーを叩く。 中央の大型モニターに、複雑なフローチャートが表示された。
「真壁さん。東山が使ったトリックの正体は、**リアルタイム・セグメンテーション(領域抽出)**だ」
2
「セグメンテーション?」 真壁が眉をひそめる。「日本語で頼む」
「天気予報を想像してくれ」 九条はキーボードを操作し、画面に天気予報の図解を表示させた。キャスターの背後に日本地図が映っているアレだ。
「あれは『クロマキー合成』と言って、緑色の背景を別の映像に差し替える技術だ。だが、東山がやったのはその逆だ」 九条の声が、冷徹な講義のトーンを帯びる。 「背景はそのままに、特定の『人間』だけを透明なレイヤーとして切り抜き、リアルタイムで消去したんだ」
「……人間を、消した?」
「そうだ。あのCEO執務室は、家具の配置も照明も完璧に固定されていた。つまり『背景』が静止画のように安定している。だから、AIは変化する差分――つまり『動く人間』だけを容易に認識できる」
九条は画面上にシミュレーション映像を展開した。 画面左側には、部屋に入ってくる東山の姿がある。 だが、処理を通した右側の画面では、東山の姿だけが綺麗に消失し、無人の部屋だけが映っていた。
「東山は、自分自身の姿を『背景画像(誰もいない部屋)』でリアルタイムに上書きさせ続けた。いわば、画素でできた透明マントだ。……これなら、単純なループ再生のような不自然な継ぎ目も発生しない」
「なるほどな」 真壁が唸る。「だから、窓の外の光の変化や、神田の動きはそのまま残ったわけか。……神田が倒れる瞬間、背後には誰もいないように見えた。だが実際には、透明人間がすぐ後ろに立っていた」
「完璧な偽造だ。肉眼では見えても、カメラという『デジタルの目』を通すと、彼は透明になる」
九条は冷ややかに笑った。 「だが、東山は一つだけ誤算をしていた。……彼はカメラ(視覚)を騙すことには成功したが、空間そのものを満たす物理現象までは消せなかった」
3
「……見せてやるよ、真壁さん。これが、あの部屋にいた本当の『客』だ」
九条が別のウィンドウを開く。 そこには、以前回収したWi-Fiルーターのログ――CSI(チャネル状態情報)の波形が表示されていた。
「Wi-Fiの電波は、水面に広がる波紋と同じだ。部屋に誰もいなければ波は静かだが、人間という『水分を含んだ八〇キロの物体』が動けば、波は乱反射し、減衰する」
九条は、警察が「事件性なし」と断じた、犯行時刻(二十三時三十分)の映像データを再生した。 画面の中では、神田が一人で苦しみ、倒れる。
「ここに、CSIの解析データを重ねる(オーバーレイ)」
九条が指を鳴らす。 映像の上に、赤と青のヒートマップが重なった。 静寂であるはずの神田の背後の空間。そこに、激しい電波の乱れ(タービュランス)が渦巻いていた。
「……いるな」 真壁が息を呑む。 カメラには映っていない。だが、電波の目には、はっきりと見えている。 何者かが、ドアをすり抜け、デスクに近づいている。
「再構成開始」 九条が呟くと、AIが電波の乱れを解析し、3Dワイヤーフレームの人影を描き出した。 青白い線で描かれた「亡霊」が、画面の中に浮かび上がる。
亡霊は、神田の背後に立った。 右腕を伸ばす。神田の首筋あたりに、何かを押し当てる動作。
その瞬間、神田自身の波形が、激しく振動した。
「心拍数急上昇。呼吸不全。……ドップラー効果で、胸郭の痙攣まで拾えている」 九条が淡々と解説する。 「神田氏は、突然背後に現れた何者かに驚愕し、直後に薬剤かスタンガンで攻撃された。……これは心不全じゃない。明確な殺人だ」
画面の中で、神田が崩れ落ちる。 亡霊は冷淡にその様子を見下ろし、デスク上のPCを数分間操作した後、悠然と部屋を出て行った。
4
再生が終わると、ラボには再びファンの音だけが残った。
「……エグいな」 真壁がタバコを揉み消した(火は点けていない)。 「カメラの前で堂々と殺して、自分だけを消去する。現代の透明人間か」
「技術的には可能です。……ですが」 九条が椅子の背もたれに深く体を預けた。 「これだけじゃ、東山を逮捕できない」
「あ?」
「この映像は、あくまでCSIデータから推測した『シミュレーション』に過ぎない。弁護士ならこう言うでしょう。『ただの電波ノイズだ』『近所の電子レンジの影響だ』とね。……この青い人影が東山だという、物理的な証拠(ID)がない」
確かにそうだ。 顔は見えない。指紋もない。あるのは、電波の揺らぎだけ。 真壁は舌打ちをした。 「ここまで分かってて、手出しできねえのか」
「……いいえ」 九条が再び眼鏡の位置を直し、ニヤリと笑った。その笑顔は、難解なパズルを解いた子供のようであり、同時に獲物を追い詰めた猛獣のようでもあった。
「指紋がないなら、別の生体認証を使えばいい。……真壁さん、この亡霊の『歩き方』を見てください」
九条はワイヤーフレームの足元を拡大した。 「右足の着地間隔が、左足より〇・〇二秒長い。そして、着地時に重心が外側に逃げる癖がある。……これは、骨格と筋肉に刻まれた、消せない署名だ」
「**歩容(Gait)**か」
「ご明答。……比較用のサンプルは、ネット上にいくらでも転がっている。東山が過去に登壇したテックカンファレンスの動画、ニュース映像、そして佐久間のPCに残っていた盗撮映像」
九条は複数のウィンドウを開き、東山が歩いている映像を次々と解析にかけていった。
「照合開始。……さあ、化けの皮を剥いでやろうか」




