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不可視の密室(The Invisible Spectrum)  作者: 冷やし中華はじめました


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7/12

亡霊の輪郭(Ghost in the Shell)

 深夜一時。中野ブロードウェイ、NDMFラボ。  佐久間のアパートから戻った二人は、重苦しい沈黙の中でモニターと向き合っていた。


「……復元できたのは、全体の三パーセント程度だ」  九条はヘッドホンを首にかけ、充血した目をこすった。 「佐久間のPCが焼き切れる直前に引っこ抜いたのは、映像データそのものじゃない。その映像を処理していた『エンジンの設計図コンフィグファイル』だ」


「設計図?」  真壁はコンビニで買ってきた缶コーヒーを煽りながら問う。


「ああ。東山が佐久間のPCに遠隔インストールしていたプログラムの設定ファイルだ。……これを見れば、彼があの密室で『何を消そうとしていたか』が分かる」


 九条がエンターキーを叩く。  中央の大型モニターに、複雑なフローチャートが表示された。


「真壁さん。東山が使ったトリックの正体は、**リアルタイム・セグメンテーション(領域抽出)**だ」


「セグメンテーション?」  真壁が眉をひそめる。「日本語で頼む」


「天気予報を想像してくれ」  九条はキーボードを操作し、画面に天気予報の図解を表示させた。キャスターの背後に日本地図が映っているアレだ。


「あれは『クロマキー合成』と言って、緑色の背景を別の映像に差し替える技術だ。だが、東山がやったのはその逆だ」  九条の声が、冷徹な講義のトーンを帯びる。 「背景はそのままに、特定の『人間』だけを透明なレイヤーとして切り抜き、リアルタイムで消去したんだ」


「……人間を、消した?」


「そうだ。あのCEO執務室は、家具の配置も照明も完璧に固定されていた。つまり『背景』が静止画のように安定している。だから、AIは変化する差分――つまり『動く人間』だけを容易に認識できる」


 九条は画面上にシミュレーション映像を展開した。  画面左側には、部屋に入ってくる東山の姿がある。  だが、処理を通した右側の画面では、東山の姿だけが綺麗に消失し、無人の部屋だけが映っていた。


「東山は、自分自身の姿を『背景画像(誰もいない部屋)』でリアルタイムに上書きさせ続けた。いわば、画素ピクセルでできた透明マントだ。……これなら、単純なループ再生のような不自然な継ぎジャンプカットも発生しない」


「なるほどな」  真壁が唸る。「だから、窓の外の光の変化や、神田の動きはそのまま残ったわけか。……神田が倒れる瞬間、背後には誰もいないように見えた。だが実際には、透明人間がすぐ後ろに立っていた」


「完璧な偽造だ。肉眼では見えても、カメラという『デジタルの目』を通すと、彼は透明になる」


 九条は冷ややかに笑った。 「だが、東山は一つだけ誤算をしていた。……彼はカメラ(視覚)を騙すことには成功したが、空間そのものを満たす物理現象までは消せなかった」


「……見せてやるよ、真壁さん。これが、あの部屋にいた本当の『客』だ」


 九条が別のウィンドウを開く。  そこには、以前回収したWi-Fiルーターのログ――CSI(チャネル状態情報)の波形が表示されていた。


「Wi-Fiの電波は、水面に広がる波紋と同じだ。部屋に誰もいなければ波は静かだが、人間という『水分を含んだ八〇キロの物体』が動けば、波は乱反射し、減衰する」


 九条は、警察が「事件性なし」と断じた、犯行時刻(二十三時三十分)の映像データを再生した。  画面の中では、神田が一人で苦しみ、倒れる。


「ここに、CSIの解析データを重ねる(オーバーレイ)」


 九条が指を鳴らす。  映像の上に、赤と青のヒートマップが重なった。  静寂であるはずの神田の背後の空間。そこに、激しい電波の乱れ(タービュランス)が渦巻いていた。


「……いるな」  真壁が息を呑む。  カメラには映っていない。だが、電波の目には、はっきりと見えている。  何者かが、ドアをすり抜け、デスクに近づいている。


再構成レンダリング開始」  九条が呟くと、AIが電波の乱れを解析し、3Dワイヤーフレームの人影を描き出した。  青白い線で描かれた「亡霊」が、画面の中に浮かび上がる。


 亡霊は、神田の背後に立った。  右腕を伸ばす。神田の首筋あたりに、何かを押し当てる動作。


 その瞬間、神田自身の波形バイタルサインが、激しく振動した。


「心拍数急上昇。呼吸不全。……ドップラー効果で、胸郭の痙攣まで拾えている」  九条が淡々と解説する。 「神田氏は、突然背後に現れた何者かに驚愕し、直後に薬剤かスタンガンで攻撃された。……これは心不全じゃない。明確な殺人だ」


 画面の中で、神田が崩れ落ちる。  亡霊は冷淡にその様子を見下ろし、デスク上のPCを数分間操作した後、悠然と部屋を出て行った。


 再生が終わると、ラボには再びファンの音だけが残った。


「……エグいな」  真壁がタバコを揉み消した(火は点けていない)。 「カメラの前で堂々と殺して、自分だけを消去する。現代の透明人間か」


「技術的には可能です。……ですが」  九条が椅子の背もたれに深く体を預けた。 「これだけじゃ、東山を逮捕できない」


「あ?」


「この映像は、あくまでCSIデータから推測した『シミュレーション』に過ぎない。弁護士ならこう言うでしょう。『ただの電波ノイズだ』『近所の電子レンジの影響だ』とね。……この青い人影が東山だという、物理的な証拠(ID)がない」


 確かにそうだ。  顔は見えない。指紋もない。あるのは、電波の揺らぎだけ。  真壁は舌打ちをした。 「ここまで分かってて、手出しできねえのか」


「……いいえ」  九条が再び眼鏡の位置を直し、ニヤリと笑った。その笑顔は、難解なパズルを解いた子供のようであり、同時に獲物を追い詰めた猛獣のようでもあった。


「指紋がないなら、別の生体認証バイオメトリクスを使えばいい。……真壁さん、この亡霊の『歩き方』を見てください」


 九条はワイヤーフレームの足元を拡大した。 「右足の着地間隔が、左足より〇・〇二秒長い。そして、着地時に重心が外側に逃げる癖がある。……これは、骨格と筋肉に刻まれた、消せない署名だ」


「**歩容(Gait)**か」


「ご明答。……比較用のサンプルは、ネット上にいくらでも転がっている。東山が過去に登壇したテックカンファレンスの動画、ニュース映像、そして佐久間のPCに残っていた盗撮映像」


 九条は複数のウィンドウを開き、東山が歩いている映像を次々と解析にかけていった。


照合マッチング開始。……さあ、化けの皮を剥いでやろうか」

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