招かれざる客(Uninvited Guests)
1
「……真壁さん、準備完了。偽装ID、ルート権限、すべてセットした」
中野ブロードウェイを出ると、九条は巨大なノイズキャンセリングヘッドホンを装着し、フードを目深に被った。 外の世界は彼にとって、処理しきれない情報の濁流だ。蝉の鳴き声、車の走行音、他人の会話、そして強烈な日差し。それら全てが「不快なノイズ」として彼の神経をやすりで削る。
「おい、レン。その格好、逆に目立つぞ」 真壁が苦笑するが、九条は無視して歩き出す。彼は常に、自分と他者の間に見えない壁を作って生きている。
二人が向かったのは、中野セントラルパークの中央に聳える「中野Mスクエア」。 全面ガラス張りのオフィスビルは、真夏の太陽を反射して銀色に輝いている。それは近代的な要塞であり、同時に巨大な墓標のようにも見えた。
「いいか、作戦通りに行けよ」 真壁は歩きながら、小声で確認する。 「俺たちは『本社から派遣された緊急システム監査員』だ。アポなしでの訪問。当然、受付で止められる」
「……問題ない」 九条はスマホの画面を見つめたまま、独り言のように呟く。「人間のセキュリティホール(脆弱性)は、機械よりも大きい。……パッチが当たっていない初期設定のままだ」
2
Mスクエアの広大なエントランスロビー。 冷房の効いた空間には、スタバのコーヒーを手にしたエリート社員たちが静かに行き交っている。 その中央にある受付カウンターには、AI搭載の案内ロボットと、二人の人間の女性スタッフが配置されていた。完璧な笑顔。完璧なマニュアル対応。
「いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか」 受付の女性が、少し怪訝そうな目で九条を見た。季節外れの厚手のパーカーに、ヘッドホン。明らかにこのビルの住人ではない。
真壁が一歩前に出る。彼はヨレたシャツの襟を直し、わざとらしく眉間に皺を寄せた。 「アルゴ・スクエア社のシステム監査で来た。本社からの緊急要請だ。……話、通ってないか?」
ドスの効いた低い声。元刑事の威圧感を全開にする。 「え……? あ、少々お待ちください」 女性が慌てて端末を操作する。「本日はそのようなアポイントは……」
「チッ、これだから現場の連携は」 真壁は大げさに舌打ちをし、イライラした様子で腕時計を見た。「おい、どうなってるんだ。CEOが死んでシステムが不安定になってるから、至急ログを洗えって言われたんだぞ。こっちは分刻みのスケジュールなんだ」
「も、申し訳ございません。ですが、入館証の発行には担当者の承認が必要で……」
典型的なソーシャル・エンジニアリングの手法だ。 「権威」をちらつかせ、「緊急性」で思考を焦らせ、「怒り」で萎縮させる。相手の判断能力を鈍らせる心理的なハッキング。
だが、さすがに最新鋭のオフィスビルだ。受付嬢はマニュアル通り、内線電話に手を伸ばした。 「担当の方に確認いたしますので――」
その瞬間だった。 九条が、ポケットの中で小型のデバイスを操作した。 オレンジ色のシリコンケースに入った、たまごっち程の大きさの端末。Flipper Zero。
ピピッ。 受付嬢の手元にあるタブレット端末が、突然エラー音を発した。 『通信エラー。ネットワークに接続できません』
「えっ?」 女性が受話器を取ろうとするが、今度は内線電話が不通の電子音を鳴らす。「あれ? 電話も……」
「……真壁さん」九条がボソリと呟く。「いま、このフロアの近距離無線とIP電話のパケットをジャミングした。三十秒だけ」
もちろん、受付嬢には聞こえない。 混乱する受付嬢に、真壁が畳み掛ける。 「おいおい、システムダウンか? だから言っただろう、不安定だって。早くしないと、あんたの責任になるぞ」
「は、はい……!」 パニックに陥った彼女は、マニュアルの「確認」手順を飛ばし、目の前の「怒れる権威者」を鎮めることを優先した。 「と、とりあえず、臨時入館証を発行いたします! こちらにご記入を……」
紙の台帳。デジタルがダウンした時のための、最後のアナログなバックアップ。 真壁はニヤリと笑い、偽名を走り書きしてカードを受け取った。
3
セキュリティゲートを通過し、エレベーターホールへ。 誰にも見えない位置で、真壁は大きく息を吐いた。 「……寿命が縮まるわ。最近の受付はガードが堅いな」
「人間は『例外処理』に弱い」 九条は無表情のまま、エレベーターのボタンを押した。「マニュアルにない事態が起きると、脳のCPU使用率が100%になってフリーズする。そこを通しただけ」
「言い方を変えろ。俺の演技力が凄かったと言え」
エレベーターが二十階へ向かって上昇する。 重力が足の裏にかかる感覚とともに、二人の表情から「演技」が消えた。ここから先は、敵地だ。
チン、という軽やかな音とともに扉が開く。 二十階、アルゴ・スクエア社。 フロア全体が静まり返っていた。CEOの死による動揺か、あるいは箝口令が敷かれているのか。社員たちは皆、モニターに向かって黙々と作業をしているが、その視線はどこか落ち着きがない。
「……空気が重いな」真壁が呟く。 「電波も重い」九条がスマホを見ながら補足する。「Wi-Fiのトラフィックが異常に多い。社員たちがチャットツールで噂話をしている証拠だ」
二人は、奥にあるCEO執務室へと向かう。 その扉の前には、黄色い規制線テープ(KEEP OUT)が貼られていた――はずだった。
「……おい、あれを見ろ」 真壁が足を止めた。 規制線は剥がされ、ドアが開いている。中から、何やら言い争うような声が聞こえてくる。
「……ふざけるな! まだ捜査は終わっていないと言っているだろう!」 「警察の捜査は終了しました。これ以上、業務の邪魔をしないでいただきたい」
中を覗くと、二人の男が対峙していた。 一人は、背の低い初老の男。見覚えがある。中野署のベテラン刑事、権藤だ。真壁の元同僚であり、数少ない理解者――いや、腐れ縁の喧嘩相手だ。 そしてもう一人は、仕立ての良いスーツを着た、爬虫類のような冷たい目をした男。
「……出たな」 九条がヘッドホンを少しずらし、獲物を見つけた獣のような目でその男を見た。 「ターゲットだ。CTO、東山健一」
招かれざる客は、俺たちだけじゃなかったらしい。 真壁は腹を括り、わざと大きな足音を立てて部屋へと踏み込んだ。
「よお、権藤さん。精が出ますなあ。……その『部外者』を追い出すのに、手伝いが必要か?」
室内の空気が、瞬時に凍りついた。




