捕食者のドローン
ヒュンッ! 空気を切り裂く鋭い風切り音とともに、黒い塊が真壁の顔面を掠めた。
「っとぉ!」
真壁は反射的に鉄パイプを振るったが、手応えは虚空を切る感触だけだった。 速い。 人間が操縦している動きではない。東山の指はコントローラーの上で遊んでいるだけだ。ドローンは搭載されたAIチップで自律判断し、真壁の筋肉の動きを先読みして回避行動を取っている。
「無駄だよ」 東山の冷ややかな声が響く。 「その機体には、対人制圧用の回避アルゴリズムが実装されている。君のような老いぼれた反射神経で捉えられる相手じゃない」
ブゥゥゥン……! ドローンが空中で静止し、複眼のようなカメラレンズを真壁に向けた。 まるで獲物を品定めする捕食者の目だ。
「……ハエが。鬱陶しい羽音だぜ」 真壁は荒い息を吐きながら、鉄パイプを構え直した。 額から冷や汗が流れる。 相手はただの機械じゃない。学習する兵器だ。さっきの一撃は、こちらのリーチ(攻撃範囲)を測るためのテストだったに違いない。
『真壁さん、気をつけて』 イヤーピースから九条の切迫した声が届く。 『そのドローン、民生用の改造じゃない。制御ロジックが軍用だ。LiDARセンサーで空間を3Dマッピングしながら、障害物を利用して死角から攻撃するパターンを構築している』
「軍用だ? 随分と物騒なオモチャを持ってやがる」 「私の最高傑作の一つだよ。……さあ、学習終了だ」
東山がコントローラーのスイッチを押し込んだ。
刹那。 ドローンの挙動が変わった。 直線的な動きから、予測不能な三次元機動へ。壁を蹴るように跳ね回り、天井の梁の裏側から急降下してくる。
バチッ! 青白い閃光。 ドローンの下部から伸びた電極が、真壁の左肩を掠めた。
「ぐっ……!」 強烈な衝撃が走り、真壁の左腕が痺れて動かなくなる。 スタンガンの高電圧。直撃すれば心停止もあり得る威力だ。
「惜しいな。次は心臓を狙わせよう」 東山は笑みを浮かべ、指揮者のように指を振る。
真壁は背後の壁に背中を預けた。 逃げ場はない。 狭い通路。障害物だらけの倉庫街。ドローンにとっては最高の狩り場だ。 真壁は鉄パイプを右手に持ち替え、脂汗を拭った。
「……おい、レン。まだか」 小声で相棒に呼びかける。 「こちとら、もうすぐ黒焦げだぞ」
『待って。……セキュリティが堅い。制御信号が暗号化されている上に、周波数を毎秒ホッピングさせている。ジャミング(妨害電波)が追いつかない』 九条の声には、珍しく焦りの色が混じっていた。 『あと三十秒……いや、一分ください。プロテクトを食い破る』
「一分だと? カップ麺も作れねえよ」
ブンッ! ドローンが再び襲いかかる。今度は正面からではない。足元だ。 真壁は無様に地面を転がり、またしても電撃を紙一重でかわした。 床のコンクリートに電極が触れ、火花が散る。
「無様だな、元刑事」 東山が一歩、また一歩と近づいてくる。 その顔には、サディスティックな愉悦が浮かんでいた。 彼は楽しんでいるのだ。 自分を脅かした「不潔な野良犬」が、自分の作った「美しいシステム」によって駆除される様を。
「君の負けだ。……大人しくそのデータを渡せば、楽に死なせてやったものを」
真壁は膝をついたまま、荒い呼吸を繰り返した。 左腕は感覚がない。体力も限界に近い。 だが、その目は死んでいなかった。
「……へっ、負け? 誰がだ?」 真壁は血の味のする唾を吐き捨てた。 「俺たちは便利屋だ。……時間稼ぎも、料金に入ってるんだよ」
「強がりを。……終わりだ」
東山が親指を振り下ろす。 ドローンが空中で停止し、最大の出力をチャージする高周波音が響き渡った。 狙いは真壁の眉間。 回避不能の距離。
絶体絶命。 その時。
『……解析完了』
九条の、氷のように冷徹な声が聞こえた。
『真壁さん。……視界を捨てろ』
バチュンッ!!
突然、倉庫街を支配していた全ての照明が、破裂したように消え失せた。
「なっ!?」 東山の狼狽した声が響く。
完全なる暗闇。 自分の手のひらさえ見えない漆黒の世界。 中野ブロードウェイが、昼間の顔を捨て、本来の「魔窟」としての姿を現したのだ。
「停電か? ……いや、まさか」 東山の動揺が手に取るように分かる。 「ふん、悪あがきを。……光などなくても、僕のドローンには赤外線カメラがある! 熱源探知でお前を見つけることなど造作もない!」
暗闇の中で、ドローンの駆動音が再び高まる。 東山の言う通りだ。機械の目にとって、闇は障害にならない。 だが。
『……残念ですがCTO。あなたのドローンの「目」は、今潰しました』 九条の声が、真壁の脳内に直接響くようだった。 『制御権は奪えませんでしたが、カメラの入力信号にノイズを流し込んで、ホワイトアウトさせました。……今、そのドローンは「盲目」です』
ガガッ、ガガガッ! ドローンが制御を失い、壁に激突する音が聞こえた。 目隠しをされた猛獣が、檻の中で暴れている音だ。
「くそっ、何をした! 映像が映らない!」 東山の叫び声。
「……形勢逆転だな」 真壁はゆっくりと立ち上がった。 闇の中で、目を閉じる。 視覚情報はノイズだ。今の彼に必要なのは、九条(相棒)の声だけ。
『真壁さん、リンク開始』
真壁の意識が、空間に張り巡らされたWi-Fiの波と同期する。
『敵、二時の方向。距離四メートル。……ドローン、頭上一・五メートルを旋回中。制御不能でふらついています』
見えた。 目ではなく、脳で。 九条が送ってくるCSIデータが、暗闇の中に青白いワイヤーフレームの輪郭を描き出す。 狼狽して後ずさる東山の姿。 そして、羽音を立てて暴れる黒い悪魔の姿。
「……さあ、ダンスといこうか、エリートさん」
真壁は鉄パイプを短く持ち直し、音もなく闇の中へ踏み出した。 ここからは、アナログの領域だ。




