裏切られたと思った『嘘』 遺した手紙に真実の『告白』
私たちの未来は、あまりにも明白だった。
私、由希と、幼馴染で恋人の奏太は、一緒に歳をとり、裏庭のある家で隣同士に住む。奏太は画家、私は編集者。笑い声と、彼の描くキャンバスの匂いに満ちた日々だった。
このまま続くものだと私は思っていた。
しかし、その未来は、一瞬で消え去った。
「ごめん、由希。俺、しばらく遠くに行く。だから、別れよう」
私たちの付き合って三回目の記念日。彼は、私との全ての思い出を冷たい言葉で否定した。
「俺は、由希に縛られたくない。俺の夢を追いかけるのに、由希の存在が、足枷になりそうだ」
その時の奏太の顔は、初めて見るほど冷たかった。まるで、私を突き放すための仮面のようだった。私は、彼の「足枷」という言葉に、深い絶望を抱いたまま、彼との連絡を絶った。彼は、私たちの七年間を、一言で裏切ったのだ。
その痛みは、毎日私の心を蝕んだ。なぜ、私たちがあんなに愛し合っていたのに。なぜ、彼は私を捨てたのか。彼の冷酷な言葉が、私の生きる気力を奪っていくようだった。
そして、季節が変わる頃。
彼の両親から、連絡が来た。「奏太の部屋を整理してほしい」と。彼の両親は、奏太が遠くで頑張っていると信じていた。彼の「足枷にしたくない」という嘘は、私の両親にも及んでいたのだ。
私は、彼の裏切りを思い出し、胸が張り裂けそうになりながらも、彼の部屋を訪れた。
彼の部屋は、私が最後に見たまま、綺麗に片付いていた。まるで、またすぐに戻ってくるかのように。
私は、彼の私物を一つずつ、丁寧に段ボールに詰めていく。スケッチブック、使い込んだ画材、私たち二人が映った写真立て。
そして、彼の机の引き出しを開けた時、私はそれを見つけた。
古びた、木製のオルゴール。
私たちの思い出の曲、『星空の散歩』が彫られている。
蓋を開けると、チリチリと静かな音を立てて、メロディーが流れ始めた。そして、そのオルゴールの底に、一通の手紙が貼り付けられていた。
奏太の、少し雑だけど愛らしい文字で、「由希へ。別れた後で読んでくれ」と書いてある。
私は震える手で、その手紙を剥がし、広げた。
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由希へ
この手紙を君が読んでいるということは、俺がもう、君のそばにいないということだ。
驚かせたかもしれないけど、安心してくれ。俺は今、世界で一番、自由だ。そして、世界で一番、君を愛している。
「足枷だ」なんて言って、ごめん。あれは全部、嘘だ。
本当は、世界中どこにも行きたくなかった。君の隣で、毎日紅茶を淹れてもらいながら、絵を描いて、歳をとるのが夢だった。
俺が君を振った理由は、俺が病気だったからだ。
桜が散る頃には、もう長くはないと知っていた。この病気は、君の編集者としての忙しい毎日と、画家としての繊細な心を、容赦なく奪ってしまうだろう。
俺は、最期まで君に心配をかけたくなかった。
だから、俺の「死」ではなく、「裏切り」で君を悲しませることを選んだ。
「足枷」だと思えば、君は俺を嫌いになれるだろう。
俺を嫌いになって、自由に、幸せに生きてほしかった。
でも、手紙を書いてる俺は、やっぱり弱虫だ。最後に、本当の気持ちを伝えたくなった。
由希。俺は、君の笑い声が、世界で一番好きだった。
だから、君がこの手紙を読んだら、思いっきり泣いていい。泣いて、泣いて、次の日からは笑ってくれ。
君が笑ってくれるなら、俺はどこにいても、君の親友でいられる。
さよなら。そして、ありがとう。愛している。
奏太より
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手紙を握りしめ、私はその場で崩れ落ちた。嗚咽が、静かな部屋に響き渡る。
「嘘つき……! どこが足枷なのよ! 私、あなたの親友で、恋人だったのに!」
裏切りではなく、病気。冷たい拒絶ではなく、優しすぎる愛だった。
彼は、私の未来を守るために、自分を「悪者」にしたのだ。私が「裏切られた悲しみ」から、立ち直って生きていけるように。
涙が枯れるまで泣き続けた。泣き終えて顔を上げると、部屋に差し込む夕日が、オルゴールの曲が止まった後の静寂を照らしていた。
私は、立ち上がった。
手紙を、きつく胸に抱きしめる。
(そうか。奏太は、私を恨んでほしかったんじゃない。笑ってほしかったんだ)
私は、彼のいない部屋の中で、力強く、そして穏やかに頷いた。
「わかったよ、奏太。もう泣かない。あなたの最後の嘘のおかげで、私はもう大丈夫。私が笑って、あなたの分まで生きるから」
私は、オルゴールの底に、彼が遺した手紙をそっと戻した。
そして、その部屋に貼られていた、彼が初めて描いてくれた私の笑顔のデッサンを、そっと剥がした。
私は、彼の部屋の鍵をテーブルに置き、ドアを開けた。
外には、もう星空が広がっている。
私は、泣き顔ではなく、百億倍可愛い笑顔で、明日を生きる。彼の最後の愛を胸に抱いて。
終