「ながら」の神経
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
みんな、「ながら勉強」がどうして推奨されないか、考えたことはあるかい?
ただ「やっちゃいけません!」といわれるだけじゃ、賢い君らはとうてい納得すまい。それも他人に言われた言葉じゃねえ。自分なりの答えがなけりゃいけない。
さあ、どうだどうだ? なんでテレビやスマホを見ながら、勉強しちゃいけないのか? オレ、私はマルチタスクに自信あるんで~、という人もいるかもしれんが、それでも良い顔されないのは、なぜにwhyなのだ?
ふむ、だいたいまとまったかね。
おおよそ「疲れるから」といったところだろう。
テレビ、スマホ、勉強、いずれを行うにせよひとつのことにしぼれば、脳をはじめとした体もそのひとつに力を注げる。
しかし、それをふたつ、みっつに分散していったなら使うカロリーや神経もどんどん増えていくわけだ。そうなると疲労は早くに溜まり、効率が落ちていく。
――なに? 俺はその程度で疲れたりしない?
甘いな。それは君ら好みでいうなら、精神が肉体を凌駕している状態だ。
あふれ出すアドレナリンもろもろが興奮を呼び起こし、現実のさまざまな負担をごまかしてハイになっているのと変わりない。
だが、凌駕されて置いてけぼりになっている肉体のこと、考えているか? 酷使に酷使を重ねて実はボロボロ。時には回復不能のダメージも食らい、やれ目が悪くなるわ、やれ物忘れがひどくなるわ……余計な負担をかけすぎたがゆえのツケを払うことになる。
まあ、もしかするともっと直接的にやばいことに出会う恐れもあるかもだがね……。
前置きはこれくらいでいいだろう。先生が少し前に体験した「ながら」の話、聞いてみないか?
みんなの大半がそうであるように、先生もスマホをいじることは結構ある。
どうしてスマホにここまで魅力があるかは、みんなのほうが深~く知っているだろうから、ここではつべこべいわない。
先生はネット上の気になるブログやサイト、調べもののための巡回うんぬんで、ちょいと時間があればスマホをいじっていたんだよ。ときには、一時的な快楽物質を得んとすることもあった。
最初は腰をおろしているとき限定だったのだが、電車待ちをしているときも、電車内で立っているときも眺めるようになっていき、いよいよ歩きスマホの領域に入っていったわけだ。
先に話したように、これらの「ながらスマホ」は頭の疲労を招く。楽しいことばっか選んでいるつもりでも、頭としちゃあ四六時中働かされるわけで、ダメージが入る。みんなの中で、どうにも以前よりいろいろ鈍ったな……というときは休みをはさんだほうがいいと思うぞ。
まあ、自分をそこまで律するのが難しいのも同意するがね。スマホをしょっちゅう見ているようになった先生は、その日も信号待ちでスマホを取り出し、青信号になって進めるようになったあとも、画面をタップしながらてくてく歩いていた。
昨日はちょいと夜更かしして、寝不足からの大あくび。顔も満足に洗えた感じがせず、スマホ握りながら大あくび。目頭のあたりの目ヤニをほじりながら進んでいたんだ。
画面を注視していた。足元など見えていない。だが、軽い下り坂になっているのは分かっている。
その下りかけで、ふと靴先が何かにつまずいた。
転ぶまではいかずとも、足元が一瞬浮いて、のちに力強く着地する。当然、勢いで余計な力もかかった。目をほじっていた指先にも、だ。
がっ、とまずは音が来る。のちに、グラグラと煮立つような音とともに、熱が湧き上がってきた。指は目頭に突っ込んだままでいる。
引き抜こうとしたけど、痛い。ちょっと引っ張っただけで、目の奥どころか頭の奥まで、静電気が走ったかと思うショックが走った。声を出さないようにするのがやっとだった。
目の奥。そこは100万本の視神経が脳とつながり、影響を与え合っているというけれど……。
やっちまったなあ、と抜かなきゃいかんだろという気持ちでいっぱいだった。先生はやばい事態だと思うと、テンパるよりもむしろ落ち着く方でね。痛みに耐えながら情報を整理しようとした。
すでに足を止めている。赤ん坊に触れるかのごとき、そうっとそうっとした力の入れ具合だったが、やはり頭への痛み。奥歯を食いしばってどうにか耐えた。
握ったままのスマホのディスプレイに、指から伝ったものが落ちてくるのだけど、こいつが血のような赤いものじゃない。
風邪を引いたとき、のどへ絡んだタンを思わせるイエロー混じりの粘液。ちょうど開いていたデイリーミッション消化のためのゲームアプリ画面へ、ぽたりぽたりと垂れていく。
これがかえって危機感をあおった。単純な血管じゃなく、もっとやばいところを傷つけたかのように思えてきたからだ。
病院に行くべきだろう。が、この指が目頭に刺さった格好のままでいたくない、という恥が容易に先生を先へ進ませない。
ちょっと引っ張って、痛がっては戻し。また引っ張って、痛がっては戻し……と、足を止めたままもっとも無駄だろう時間の使い方に終始する、愚かな先生。
が、いかな愚行も機会があれば意味を見出せるのかもしれなくてね。ちょうど先生のいる歩道から車道を挟んで向こう側。先生とは逆に坂を上って来る自転車の男の子がいたんだ。
ワイシャツにスラックスを履いて通学カバンを籠に入れているとなると、これから先生が向かう学校とは別の学校へ向かうのだろうが、先生は気づいた。
この指が刺さった状態のままなら、彼が見える。が、静電気走るように指を引っ張ると、たちまち彼の姿は見えなくなってしまうんだ。
それだけじゃない。彼が消えるとともに現れ、現れるとともに消えるものがある。
彼がえっちらおっちら登ろうとしている坂より10メートルほど下に、背をかがめた裸の男の子が別にいるのだ。
痛みをこらえ、交互に視界を見ていくと苦労してペダルを漕ぐ制服の子に対し、裸の男の子は己が足で駆け上がっていく。制服の子との差は、見る間に縮まっていった。
つい、サブリミナルになる勢いで視界を戻しは離しを繰り返す間に、裸の子は制服の子へ重なってしまい……制服の子は倒れてしまう。
こけたとかのレベルじゃない。
自転車が空中分解どころか、地上分解した。その子自身の重さで潰れてしまったように、はたからは見えるだろう。
サドルの前とうしろで車体は真っ二つ。チェーンは弾けるように飛び出し、タイヤをはじめとしたパーツもバラバラ。制服の子自身はチャリだったものの破片へうつぶせになりながらも、何が起きたか理解できていない様子。
で、重なった裸の子だが、今度は制服の子の真ん前に立ったまま、こちらを見据えてきた。
とっさに「来る!」と、後ずさりしたときには、もう彼はこちらへ向かってきていたね。
想像以上に早く、満足に姿を見やることもできないまま、先生は全身にすさまじい痛みを受けて、意識を手放してしまったよ。
気づいたときには、病院のベッドに寝かされていた。
指を突っ込んでいた目には眼帯が。突っ込んでいた指自身も包帯でがんじがらめにされている。看護師さんの話だと、救急車で運ばれる際に先生は指こそ目から離れていたものの、地面に黄色い組織液じみていたものをたっぷり流していたらしい。
が、本当に組織液だったのかは怪しかったよ。目に突っ込んでいた先生の指の爪は、ほぼ完全に溶けてしまっていたんだ。根本がかろうじて残るくらいにね。
それなり長い入院を経て、こうして復帰はしているものの視力はかなり悪くなってしまったさ。
あのときの指が目の奥の何に触れて、あの裸の子を見られるようにしたかは分からない。再現性もないからな。
ただまあ、「ながら~」じゃなきゃ起こらなかっただろうことは確かだ。みんなも気を付けておくんだぞ。