転生トラックを追え②
東京の空は暗く、重い。それは何も抽象的な意味ではない。
事実として、東京の空を塞ぐ存在があるからだ。
「今日も日照条件は最悪だな……」
そう一人ごち、努は空を見上げる。そこには巨大といってもなお余りある大樹とそれを取り巻く無数の構造体が空中に浮かんでいた。
世界樹――今の東京を知るものはこぞってそれをそう呼称する。
大樹の先は空の青に解け切って見えず、大樹の根も霧の海に覆われてやはり見えない。
しかし東京の空に確かに鎮座するそれは太陽の光を半ば遮るように枝葉を伸ばし、悠然とそこに在り続ける。
九つ。
全世界に現れたこの大樹の数だ。
この地球上の九つの都市の上に世界樹が出現して以来、この世界の在り様は大きく変貌した。
大樹から現れる驚くべき生物、魑魅魍魎、怪異の数々。
世界を変える魔法のような力を持った物品、急に失踪したり逆に現れたりする人々、未知の建造物。
それらおびただしい数の超常現象が異世界よりもたらされていると知られるようになったのはほんの二十年ほど前だ。
以来、この世界の人々はそうした超常現象を制御し、管理し、利用し、そして何より突如訪れた新たな日常に適応すべく日夜奔走している。
その中で生まれた組織の一つが超国家共同財団法人転生管理局というわけだ。
そして努はその末端も末端、日本支部のインシデント対応職員として採用されているわけだが―――
「くそ……この資料、情報に抜けが多すぎるぞ」
組織が巨大になりすぎた弊害としていつも付きまとう問題、縦割り型の構造と各部署の無意味な牽制合戦が災いして、全て現場にシワ寄せがきている次第だ。魔法の珍しくもなくなった時代に紙の資料でやり取りをしているのも、その一端といえる。
また発足して比較的新しい組織という事もあり、人事も安定しない。努も今のインシデント二課に配属されるまで数年もの間、各部署をたらい回しにされ、その内いくつかの部署は既に構造改革の名のもと再編され、消え去っている。
下っ端には下っ端なりの世知辛い苦悩がそこにはある。
「あーあ、俺も早いところ、異世界にドロップアウトしてーなー」
薄く霞んだ東京の空へ、悲しい独り言を投げかける。
とはいえそんな呟きに何の意味もあろうはずはなく、彼は肩を落としながら独り、資料に指示された埠頭の倉庫へと足を向けるのだった。
◇
埠頭の倉庫は東京湾に面した浦安の一角にあった。
かつては東京の物流を担う倉庫と運輸で賑わったこの街も世界樹出現に伴う大異変以降今や閑散としている。
原因は東京の空に巨大な空中都市圏が形成されてしまった事だ。今や東京の物流の大部分は空が担っており、地上を這いずりまわるような運送形態は形骸化しつつある。
故に空き倉庫が広がる一帯は巨大な権力と金の空白地帯を生み出し、犯罪や不法行為の温床となりつつあるのが実態だ。
そうした危険地帯の片隅にある倉庫へと無事到着した努。
彼は倉庫の入り口が厳重に施錠されている事に気が付いた。
努は少し考えるように後頭部を撫でて、それからおもむろに愛銃グモルクを腰から取り出す銃口を扉の前に向けた。
それからサムサーフティのレバーをカチッと調節する。
「時よ巻き戻れ」
トリガーが引かれ、ドンッという乾いた音と共に扉の施錠部分に弾丸が吸い込まれ溶けて消える。
するとゴゥン、という鈍い音と共に扉の施錠部分が勝手に動き出し、まるで動画の逆再生のように機械部分が動き出していく。
彼の愛銃グモルクには時を操る弾丸を生成し発射する能力があるのだ。
ただし、自在に操れるというわけではなく能力に制限はあるし生きているモノの時は巻き戻せないのだが。
時間を遡行していく機械部品たちはやがてその状態を解錠された状態にまで巻き戻し、その役目を終えた。
努はゆっくりと海風で錆びた扉を開け、中に足を踏み入れる。
穴の開いた屋根に空いた隙間から微かに光指す、埃っぽい倉庫の中。
開けた空間にトラックが三台、並べられていた。
「誰だ!」
鋭い怒号が庫内に響いた。
声の方を見やれば少し痩せた壮年の男性がトラックの運転席から身を乗り出していた。
恐らく見張りだろうか。
その怒号に答えてやる事もせず、努は素早く行動を起こす。
既に構えていた銃をそのままトラックへ向けるとそのまま間髪入れずボンネットへ弾丸を発射する。
ドンッ。
弾丸はトラックのフロントに吸い込まれ、急にエンジンがかかり出す。
そのまま車は急発進を始めた。
「うおっ、なんだ!?」
トラックの運転手は動揺し、ドアから半身を乗り出したまま半ば引きずられるように努の方へ寄ってくる。
ヒュン―――
そのまま努は拳を空に突き出し顎に向かって右ストレート一閃。トラックの運転手はそのまま吹き飛ばされるように倒れこんだ。
倒れこんだ男にそのまま馬乗りになるように努は動き、羽交い絞めにする。
「転生管理局だ。お前の身柄を確保する」
そう言って男の腕に触れると少し腕が輝き、ニュルンと粘性のある金属が男の腕を縛って、固まった。
鉛だ。
これが津島努の持つ異能、触れた物を鉛に変える能力なのだ。
今、努は男の腕の周囲にある空気に触れ、それを鉛に変えた
いっそ黄金であれば今頃一財を成せただろうに、と何度思った事だろう。
彼がこの異能を手に入れたある出来事の時以来、その夢は脆く崩れ去ったままだ。
「さて、お前の仲間が戻ってくる前に……怪しい物はないか調べさせてもらうぞ」
「ふざけんな!てめえ!こんな事して―――」
努は男にグモルクの銃口を向ける。
「ただで済むと思うな……ってか?勿論ただで済むと思ってやしない。今、お前がうるさくピーチクパーチクとお喋りを続けるなら殺すのだって、俺は厭わない」
努の淡々とした口調に本気を感じたのか、男はすぐに押し黙った。
「よーしいいぞ、そうやって大人しくしていれば余計酷い目に遭わなくて済むぞ。管理局のやり方はお前らが一番よく知ってるだろ」
彼はそのまま、グモルクを腰へ再度しまう。
「さて、トラックの中を確認させてもらうとするかね」
努は再度、トラックの方へ向き直る。未だその中に何が隠されているのかも知らずに―――