転生トラックを追え
津島努。独身 三十三歳。財団法人転生管理局日本支部 インシデント二課勤務。いつもくたびれたスーツにぼさぼさの髪。ヨレたネクタイを締めた彼の一日は叱責から始まる。
「……ちょっと聞いてるんですか、津島さん。貴方に言っているんですよ」
声の主は同じ課の課長、名木ナグサからだった。今日もカラスの濡れ羽のような艶やかな長い黒髪をひるがえし切れ長の瞳でキっと努の顔を見上げる。
「貴方に割り振られた業務はほとんど無い筈ですよね。なのに頼んでおいた会議資料の編集にこれだけミスが多いというのはどういう了見ですか。時間ならいくらでもあったように思うのですが?」
ナグサの年齢は二十五歳。
年下の、しかも若く麗しい女性の上司から受ける叱責というのは妙に堪えるものがある。本来なら反省の色を浮かべてしおらしくしているべきなのだが努は無謀にも弱弱しく反撃を試みた。
「それはそうですが課長、本来我々の課が受け持つ業務というのは違法に転生をする存在を取り締まる事であって会議資料の編集などは業務命令に含まれていない――」
「言い訳は聞きたくありません」
ナグサはぴしゃりと努の言葉をはねのける。タイトなスーツの上からはっきりと分かる胸元で組まれた両腕、その手先で赤いネイルのついた小指がイライラと落ち着きなくタップを刻んでいる。
「あーあ、つーさん、今日もまた課長の標的にされてるぜ」
「そろそろ誰か出した方が良いんじゃない、助け舟」
背後から同僚たちの囁く声が聞こえる。
努としてもこれ以上ナグサのお小言に付き合っていられないというのが正直な感想である。
「大体ですね、いつもいつもその腰につけた銃を磨いている暇があるなら貴方はもっと有意義な事に時間を割くべきなんです。そんな事だから前期の評定も―――」
「課長、そろそろ私も業務に戻って宜しいでしょうか」
「な!まだ話は終わっていませんよ!」
「差し出がましいようですが、これ以上課長の時間を浪費するのは私の良心が痛みますし、何より課長から仰せつかった大事な書類整理の仕事がまだ残っておりますので……」
「どこまでも私を馬鹿にして……!」
ヒートアップする両者。フロアのどこかから「ひゅー、やるねえ」と小さな声。
「フン、まあ良いでしょう。貴方の冴えない顔を拝む機会もしばらくは減りそうですし」
そう言ってナグサは書類の束を努に差し出す。
「これは?」
差し出された書類の束を受け取り、努はナグサを見返す。
「上からの正式な業務命令。命令が無ければ動けない無能な貴方におあつらえ向きの業務が下りてきましたよ」
努は書類の束の表紙をちらと見やる。
そこには財団法人転生管理局日本支部理事会の押印があった。
「そんなに身構えなくても、大した業務ではありませんわ。違法操業を行っている転生業者の取り締まり業務が上から下りてきたのですが、如何せんウチの課も忙しくて、貴方以外は」
強く皮肉を感じる語調でナグサは努の耳朶を刺す。
「ご命令とあらば、やりましょう」
そう言って努はわざとらしく踵をつけてへにゃりと敬礼をした。
ナグサの大きなため息がフロアに響き渡った。
◇
その後、ナグサから追加の小言を何発か食らった後に、努は自分のデスクへと着いた。
「努さん努さん、まーた課長とバチってましたね!」
その声と共にデスクの横から茶髪のサイドテールがひょこっと顔を出す。
逢瀬愛華。二十三歳の若き事務員だ。
「本来、受け持ちに無い業務を勝手に割り振って説教をかます課長が悪い」
愛銃グモルクのフィーディングランプを熱心に磨きながら努は淡々とそれに答える。
「課の垣根を飛び越えてウワサになってますよ~♪あの歩いて喋る戦術核と言われる名木課長とバチバチにやりあうヒラの職員がいるって!」
「いくらでも噂にするが良いさ。どの道、俺はしばらく支部にほぼ顔を出せなくなるんだ。あの課長とも顔を合わせなくて済む」
「うわ~、メチャクチャ言いますね♪どんだけ仲悪いんですか♪」
「向こうがいくらでも突っかかってくるのさ」
努はそう言いながら銃のサイトシステムを覗き込む。照準が見やすく改造されたオリジナルの物だ。
「最近課が整理されて二課が一課に再編されるって話!持ち上がってるみたいですからね~♪課長も焦ってるんじゃないですか?」
愛華は愛想良く元気な声で更に続ける。
「ま~私に協力出来る事があったら何でも言って下さいね♪こう見えて情報収集とバックアップは得意ですから!」
やや慎ましい胸をポンと叩きながら愛華は誇らしげにぴしと背筋を張る。
努はそんな愛華の様子には目もくれず銃のグリップの感触を確かめている。
「むむ~!努さん何だか気合が入ってますね♪そんなに面白い仕事が入ったんですか?」
「そう見えるかな?与えられた仕事は何て事はない。トラックが人を撥ねまくってる。違法に若者を転生させているらしい。課長の言うようにつまらない仕事だよ」
「見えますね~♪現場に出られるのがそんなに嬉しいんだ♪可愛い♪」
「だとしたら課長と顔を合わせなくて済むのがよっぽど嬉しいんだ。あれと喋ってるだけで毎回管理局の正気度チェックが入る気分になるんだ、俺は」
努は最後に銃のフレームの嚙み合わせをチェックして、立ち上がる。
「それじゃ、行ってくるよ」
愛華は涙滴型のフェイスシールに半ば指をかけ、横向きにピースサインを作りながら舌をぺろっと出す。
「何かあったら頼って下さいね♪幸運を祈ってますよ♪先輩♪」
ファッションも態度もふざけた奴だが、愛華の能力を努は信じている。
「ああ、何かあったら頼りにさせてもらうよ。じゃあ、またな」
そう告げて、努は支部の事務所を後にしたのだった。