第二十三話 いふ
あれから一ヶ月が経った頃、新体制となって初めての試合が行われた。
公式戦ではないが、チームの今後を占う大事な一戦だ。
僕にとっても、これが初の対外試合になる。
試合に出られるかは分からないが、いつでも出られるよう心の準備はしておこう。
新体制初の試合であることに加え、試合会場が藤宮小学校だったこともあり、多くの保護者が観戦に来ている。お父さんもその一人だ。
試合は、チャンスを確実にものにし、要所をきっちりと抑えるという完璧な試合運びで進んでいった。5回が終わって、七対零。藤宮スポ少がリードしている。
勝ちが見えているというのもあり、先ほどの回から控え選手が試合に出始めている。
まだ五年生は使われていないが、出られる可能性はある。僕は密かに期待を膨らませていた。
そんな折、六回表の攻撃が始まる直前に、監督はベンチを見た。
僕と視線が合う。
「立花。次、代打いくぞ。準備しろ」
「はい!」
きた! ついに僕の出番だ。
絶対に打ってやると闘志をメラメラと燃やしながら、ネクストバッターズサークルで待機した。
先頭打者が打ち取られバッターボックスに入る。いつものルーティンをして気持ちを整え、体制完了。
「プレイ!」
今日のピッチャーはそこまで球速が早くない。僕は初球から積極的にいくことにした。
初球のストレートをフルスイング。
しかし、惜しくも球はバットを掠め、後方のバックネットに飛んで行った。
タイミングは掴めている。後はしっかり球を見て捉えるだけだ。
迎えた二球目もストレートだった。次はしっかりと捉えた。
「ファール!」
捉えはしたのだが、タイミングが早く、打球はレフト線のわずかに左に落下した。
しまった。待ちきれなかった。でも大丈夫だ。打てる自信しかない。
三球目を迎え撃とうとバットを構えたとき、ふと、去年の出来事が思い出された。
あのときは確か、三球目を見逃して三振してしまった。あの後、お父さんに怒られたんだ。
「バットを振れ」と。
今日もお父さんが見ている。見逃し三振は許されない。また怒られるのは嫌だ。怖い。嫌だ。
怯えで体が硬直し、全身に変な力が入っているのが分かる。でもどうしようもなかった。
三球目は明らかに外したボール球だった。でも僕はバットを振った。振るしかなかった。
怒られたくなかったから――。
「ストライク! バッターアウト!」
試合が終わるまで、お父さんがいる観客席の方向を見ることができなかった。
試合は藤宮スポ少が勝利を収めた。試合後の道具整理をしていると、お父さんが僕の名前を呼んだ。
「翔、ちょっと来い」
予想はしていた。でもお父さんの顔を見ることができない。表情は、見ずとも声色だけで分かる。
片付けを中断し、震える足を引き摺りながら、何とか付いていった。
着いた場所は去年と同じだった。あのときの記憶が鮮明に甦る。怖い。逃げたい。
そう思いながらも、そんな勇気を僕はこれっぽっちも持ち合わせていない。
「なんであんなクソボールを振ったんだ」
僕は顔を上げた。目の前にいるのはお父さんだ。
でも僕には鬼に見えた。
恐怖で体は冷たくなっているのに、全身から汗が噴き出す。怖い、怖い、怖い……。
何か言えるはずもなく黙っていると、お父さんは痺れを切らし、吐き捨てるように言った。
「野球やめてしまえ」
僕は泣いた。ひたすら泣いた。
でも声は出さなかったと思う。怒られるのが怖かったから。
ただ、これ以上の記憶がない。
この後、お父さんに何を言われたのか、どうやってグラウンドに戻ったか。
それら一切を覚えていない。僕にとってあの一言は、それほどまでに強烈だったのだ。
でも一つだけ、はっきりと言えることがある。
僕はこの日を境に、お父さんをお父さんだと思えなくなった。




