2話 ~馬鹿による無実主張~
分厚いカーテンが捲られて強烈な朝の陽ざしが一気になだれ込んできた。
「サクラ!起きなさいサクラ!」
がっしりした白い腕が鏑木 駱駝こと、サクラ・マーグレイブの肩を強烈に揺すっている。
「ん、あ、なんだよ母さん………」
目が半分しか空いていない駱駝の顔色は悪い。調子に乗って飲んだハブ酒の影響がもろに出ていた。彼はアルコールに弱い体質なのだ。
「寝ぼけている場合じゃないわよ!早くリビングに来なさい!」
強い調子で叫んだのは目鼻立ちのはっきりした丸顔でぽっちゃりとした、いかにも母親という感じの女性。
「まだ眠いし体も怠いんだよ、朝ご飯なら後で食べるから今日はゆっくり寝かせてくれよ」
「朝ご飯がどうとかじゃなくて、大変なことが起きてるのよ!」
「なんだよ大変なことってぇ………」
口の端からよだれが流れていく。
「いつまでもグダグダ言ってないで早く起きなさい。見ればわかるんだから」
「わかったよ、着替えたら行くよ」
機嫌のいい時なら二度寝を許してくれるときもあるのでそれに期待していたが、どうやら今日は無理そうだ。もう諦めるしかないとベッドの上で半身を起こした。
「そんなの待ってられないわ。もういい、私が連れていく!」
「ちょ、ちょっと待ってよ母さん」
母は息子を担いでズンズン歩き出す。
この世界には魔法がある。女性が筋肉男よりも力持ちであることは当たり前の世界なのだ。
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「これ見てみなさい」
母親のマリーがバシバシ叩いているリビングのテーブルの上に載っている一枚の紙。
「ん?」
違和感を感じて、まだ少しぼやけている目を擦ってもう一度見てみると、普通の紙では無くて羊皮紙だった。
「なんでこんなものが………」
何が何だか分からなくて周りを見渡してみる。
リビングには父と祖父と祖母がいる。誰か何か説明してくれないかなと思って見ても誰も口を開かない。みんなの視線が自分に集中していてる。
「いいから早く見なさい」
少し様子伺いをしただけで、母の声が飛んできた。どうやらかなり焦っているようだ。いったいこの羊皮紙が何だというのだ。
「え!?」
近づいてみた途端に駱駝は声をあげた。
埋め尽くされていたのは魔法文字。何が書いてあるのかは分からないが、リビングにこんなものがあるのはおかしい。
「なにこれ………」
再び皆の顔を伺った。
「これが何か聞きたいのはこっちの方だよ」
声を出したのは父だった。
いつも通りに銀色の髪をピッチリ七三分けにしていて全く乱れていない。やや切れ長の目は冷たさを感じるが、家族思いでいつも落ち着いている頼れる大黒柱。
「ここを見てみなさい」
その父マールハイトが羊皮紙の一番最後の所を指で差した。全く読めない文字の中で唯一読める文字がそこにはあった。
「俺の名前!」
そこには「サクラ・マーグレイブ」とはっきりと書かれている。しかもそれは自分の書体のように見える。
「あ………」
駱駝の背中から大量の汗が噴き出る。
「その様子だと心当たりがありそうだね」
父親が冷静な声で聞く。
どちらかと言えば普段は無口なほうなのだけど、ここぞという時にはいうべきことを言う父だ。
「いや、まあ、あると言えばあるけど………」
「これはただの羊皮紙では無く、魔法契約書だよ。文字の一つ一つに魔力が込められているよ」
「うぇ?!」
「つまりこれは魔法の力によって結ばれた約束だ。この内容を違えたりすれば、強力な力によって罰せられることになる。それはサクラにも分かるだろ?」
駱駝の家は辺境の領主であるから、物心ついた時からしっかりとした教育を受けている。
「神様の力を借りて行う約束………教科書にはそう書いてあったよ。危険性だから一番気軽にしちゃいけない契約だって」
「その通り、それなのになぜここに名前があるんだい?」
「それは………」
「それだけじゃないよ。お前のサインの上にあるのは、魔王キッポウシのサインだ」
白く細長い指が魔法文字を指している。
「ちょっと待ってよ、なんでそんなことが分かるのさ!?だって魔法文字は全然解読できない文字だって習ったよ?」
「魔法文字は全部が全部解読できないというわけじゃないよ」
「そうなの?」
「かつて魔王と人間と激しい戦争をしていたことはサクラも知っているだろう?」
「もちろん知ってるよ。一億人以上の人間を殺したんでしょ?」
「魔王キッポウシとは戦争中でもやり取りはしているんだ」
「そうなの?」
「例えばそれは降伏勧告だとか、人質の返還交渉だとかだ」
「知らなかった」
「そういう大切な書類には必ず責任者のサインが記載される。人間側は国王、向こうは魔王の名前をね」
「そ、そうなんだ………」
「それと全く同じ文字だ。テストに必ずと言っていいほど出題される問題だからはっきり覚えているよ」
暫くの静寂の時間が流れる。
「お前は魔王キッポウシと魔法契約を交わしたね?」
その場の空気が一気に重くなる。語り口としては疑問形であるものの、間違いがないと分かっていての質問だ。
嗚呼。
昨日の自分はなぜあんなことをしたのだろう。今になって後悔が押し寄せてきた。謝れば家族は許してくれるだろう。だけどもしこれが国に知られたらどうなる?
処刑?
いやいや、まさか。確かに魔王と接触することは固く禁止はされていたけど、自分はただお喋りをしただけ。そんなので殺されるのは絶対におかしい。そもそも魔法契約なんか交わしていない。
要求はした。
お前の持っている魔法を俺に分けてくれという要求はした。その対価として恵まれない子供達を助けるという約束はした。
サインはした。
羊皮紙に書かれているのは確かに自分が書いた文字だけど、あれが魔法誓約書だという事は知らなかった。
騙されたんだ。
昨日は散々話した後で向こうが言ってきたんだ。「お前の勇気を称え魔法剣を贈りたい」と。
正直言って驚いた。
魔法剣と言えば男子なら誰もが憧れる逸品だけど、良いものほど権力者のものになるので庶民は見ることも出来ない。
それが手に入る喜び。
テンションが上がってしまって、その事しか考えられなくなった。魔王の持っている魔法剣なんか相当良いものに違いないから。
「その代わりというわけではないが、お前の名前を教えてくれ」
魔王に言われた。
なぜだと聞いたら、お前のように勇敢な人間はここ最近見たことが無いので、ぜひ名前を知りたいのだと言われた。
嬉しかった。
だって向こうは最強と称されるような魔王だ。そんな相手に勇敢だとか言われたら男なら誰だって嬉しくなるだろう。
るんるんで名前を書いた。
よくよく思い出してみれば、普通の紙よりもザラザラしていて書きにくかったような気がする。普通のペンじゃなくて黒くてやたらとデカい羽ペンだったような気がする。インクが黒じゃなくて血液みたいな鮮やかな赤色をしていた気がする。名前を書き始めた途端に文字が光り始めた気がする。
おかしなことと言えばそれくらいで、見逃しても仕方ないくらいのほんの小さな違和感だった。
「聞いてよ、違うんだよ………」
だから鏑木 駱駝こと、サクラ・マーグレイブは昨日の出来事の全てを正直に家族に話すことにした。
分かってくれるはずだ。
なぜなら自分は被害者だから。責められるべきなのは騙した魔王であって自分では無いと思うから。それはあまりにも理不尽すぎるから。
話した。
一生懸命話した。
叱られた。
お漏らしするほど叱られた。
昨日はあれほどテンションが高かったのに、今の駱駝は半泣きだ。
雲一つない青空を映す窓の外では、小鳥が可愛く鳴いていた。そう、この世界でも空の色は青なのだ。
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