大変だった夜
カルメに強請られて彼女の自宅に泊まった日、ログは少々、大変な目に遭った。
「ログ! どうして床に寝ようとするんだ! 私のベッドは大きいんだから、一緒に寝たらいいだろう!」
カルメは、自分と手を繋いではいるものの同じ布団には入らず、ベッドに上半身だけを預けて眠ろうとするログに文句をたれた。
ログが閉じていた目をゆっくりと開けると、困ったように笑い、繋いでいない方の手で頬を掻く。
「どうしてって、カルメさん、結婚するまで、女の人は男の人と一緒にねちゃいけないんですよ」
流水のような美しい青の髪をヘタレさせ、カルメを宥めようと頬を撫でる。
すると、カルメはつまらなさそうに唇を尖らせた。
「なんで!」
「なんでって……」
子供っぽいカルメの態度に、ログは呆れた笑みを浮かべた。
ログの中で、カルメは少し幼い純粋な女性だ。
そのカルメに性的な知識があるとは思えず、どのようにしてカルメを説得すべきか、頭を悩ませた。
『どうしたらいいんだ? カルメさん、男女が一緒にねることの意味を知らないだろうし。俺が我慢するって手もあるんだけれど……』
二人きりで家の中だから、少し大胆な気分になったのだろう。
風呂上がり、寝間着に着替えたカルメが、後ろからギュッと抱き着いてきたわけなのだが、その時の身体がいつも以上に柔らかかったことを思い出し、ログは少し頬を赤くした。
つい、彼女の豊かな胸元に目がいく。
『我慢できるか? できるよな……? できないかもしれない。というか、カルメさん、どうして何もつけてないんだ! さっきの態度からして、誘われてると思われても仕方ないからな!! 俺が恋人でよかったな、カルメさん!!!』
ログはかなり忍耐強い方だが、それでも確証が得られず、頭を抱えた。
三秒ごとに理性が揺らぐのだが、どうしてもカルメを傷つけたり、怯えさせたりしたくないログは、ブンブンと頭を振ると、真っ赤な顔をプイッと背けた。
「駄目なものは駄目です、カルメさん。カルメさんは可愛い女性だから、よく分かっていないと思いますが、大人の男の人と女の人が一緒に寝ると、その、色々するんですよ!!」
結局何とも言い切れず、ログは「色々」で誤魔化してしまった。
以前も似たようなことを行った時に、カルメに「恋人つなぎ?」などと言われてしまったため、
『絶対伝わってないだろうな。色々な事したい、とかって言われたら……駄目だ! 考えるな! 本当に、なんて言えば納得してくれるんだ?』
と、ログはすっかり困り果てていた。
深くため息をつくと、カルメはキョトンとした後に悪戯っぽい笑みを浮かべ、ログの耳元に唇を寄せた。そして、
「…………だろ?」
と、「色々」の中身を囁いたのだが、その内容が、普段の無邪気で子供っぽいカルメでは考えられないほど、性的な内容だった。
ログが目を見開き、真っ赤な顔で座り込んだまま、サカサカと後方へ逃げる。
そこまでえげつない事を言われたわけでも、ログ自身が純粋で初心なわけでもなく、可愛らしいばかりだと思っていたカルメの口からあっさりと出た、センシティブな内容に狼狽えてしまったのだ。
口をパクパクとさせていると、頬を染めたカルメがグッと繋いだ手を引いて微笑み、愛の滲む悪戯っ子な瞳でログを見つめた。
「ログ、かわいいな。ふふ、ビックリしただろ。私だって、日々進化してるんだ! だから、エッチな事も、ちょっとだけ知ってるぞ!」
カルメは自慢げに胸を張るが、進化の方向が非常にしょうもなかった。
「カ、カルメさん! 誰なんですか、俺のかわいいカルメさんに、そんなことを吹き込んだのは!!」
ログが情けない声を上げ、目を右へ左へと動かしていると、カルメがニッと口の端を上げた。
「サニーとウィリアだ。あと、二人が貸してくれた小説」
最近のカルメは、二人とコソコソとお喋りをしていて、ログが近寄る度に追い返していた。
女性同士でしかできない話もあるのだろうと分かっていても寂しく、内容を問うてもなかなか話してくれないカルメに、少々不機嫌になることもあったのだが、その度にペタペタと甘やかされていたので、何となく絆されていた。
『これだったのか! アイツら! いや、カルメさん、そういうの疎いし、結婚したら俺だってしたいし、そう考えれば、教えてくれたことには感謝すべきなんだろうけど。なんか、悔しいな……』
ログは既に座り込んでいるのだが、膝から崩れ落ちるような気分になって、ガックリと項垂れた。
その額にカルメがポンとキスをすると、ログが困惑がちに顔を上げた。
「ログ、かわいいな。なあ、ログ、ごめんな。私、ログと一緒に眠りたいけれど、今夜はそういうことをできないんだ」
ふわりと優しい笑みを浮かべた後、そう言ってカルメは申し訳なさそうに目線を下げた。
「その、ログも知ってると思うけど、この村には、結婚前にそういうことしたら、村長に五、六発ぶん殴られるっていう掟があるらしいんだ。サニーが言ってた」
そんな掟は無い。
恐らく、なぜなに期のお子様のようなカルメに、婚前にしてはいけない理由を説明しようとすると、倫理や社会規範から教えなければならくなるため、説明するのが面倒になって、雑な嘘を吐いたのだろう。
しかし、嘘も方便といったところだろうか。
カルメは意外とルールを守るし、ログを傷つけられるのはもちろん嫌がる。
そのため、サニーの嘘は効果的だった。
「男性は我慢するのが大変らしいから、あんまりわがままを言ったら駄目だって言われた。その、私も、ログとそういうことするのは、全然嫌じゃないんだけど、ログに辛い我慢をさせるのは可哀想だし、掟もあるから、同じ布団でくっついて寝るのは、結婚してからにするって決めてたんだ。でも、今日、ログを殺されかけて……怖いんだよ。ログと離れて眠るのが、今夜だけは、怖い」
カルメは、繋いだままになっている手をギュウッと握った。
きっと、少し前までの底冷えする恐怖と喪失感を思い出し、ログを逃がすまいとしているのだろう。
震えるカルメがかわいそうで、また、ログ自身も死に瀕した際の恐怖や凍えを思い出して、背中に怖気が走り、カルメをギュッと抱きしめた。
ホッと息を吐くカルメが、ほんの少し涙目でログを見上げる。
「ログ、今夜だけ、私のために我慢を頼んじゃ駄目か? どうしても駄目なら、私が我慢する。でも、できたら、可能な限り近くにいてほしいんだ。ログのことを抱き締められるところにいないと、怖いんだよ」
掠れた声を絞り出した後に、小さく「わがままでごめん」と謝罪した。
自分の胸にトンと額をくっつけられ、ぎゅむっと縋りつかれると、愛らしさに加えて庇護欲も増す。
少々の沈黙の後にログが、「仕方がないカルメさんですね、いいですよ。今日はくっついて寝ましょうか」と微笑もうとした時、パァッと明るい表情を浮かべたカルメが顔を上げた。
「そうだ、ログ! いいこと思い付いた!!」
やたらと自信満々な様子に、かえって嫌な予感がする。
ログが「いいこと」の内容を問う間もなく、カルメは自らに身体強化の魔法をかけると、「ログ!」と声をかけ、彼の身体を抱き上げた。
そして、ベッドの上に軽く投げてポスンと乗っけると、彼女も無邪気に笑って、その隣に寝ころんだ。
驚いて暴れがちになるログの両手を器用に片手で拘束し、後ろから抱き着いて柔らかい体をギュムッと押し付ける。
空いた方の手は、腹の辺りにちょこんと置かれていた。
「カ、カルメ!? 何をしてるんだ、カルメ!!」
慌てるログを落ち着かせてやろうと、優しくうなじにキスをするのだが、当然、逆効果だ。
耳まで赤くして狼狽え、何とかカルメから逃れようと身をよじるのだが、ガッチリと固定されており、拘束はとけない。
慌てるログに、カルメはドヤッと笑っている。
「ふふ、これなら、ログは私に悪いことできないだろ。私はログにたくさんくっつけるんだ! 手、痛くないか?」
軽く揺らされた両手は、自由に動かすことはできないが決して痛くはない。
傷つけないように他者を脅してきたカルメの経験と手先の器用さが、こんなしょうもないところで発揮されていた。
「痛くは無いですけど、というか、カルメさん、何がいいこと思い付いた、ですか! 全然良くないですって、カルメさん、カルメさん!!」
カルメは真っ赤になって狼狽するログが愛しくて仕方がなくて、同じように頬を染め、彼の首筋にグリグリと額を押し付けた。
そのまま背中に顔を埋め、深呼吸をする、
トロンと愛が渦巻く瞳は真っ赤なログのうなじや耳しか見ておらず、偶に思い付いたようにキスをする。
そのせいでログの、
「カルメ、俺は全然我慢できるから放してくれよ! こっちのほうが辛いって! 抱っこしてあげるから!!」
とか、
「カルメ、絶対に俺の腹から下には触れないでくれ! というか、たまにキスをするのを止めてくれよ!」
と言った悲痛な叫びは、半分くらいしか届いていない。
カルメは雑に「うん、分かった」と言いつつも、甘えるのを止めず、ペタペタと背中に張り付いてゴロゴロと喉を鳴らしている。
背中から伝わる温かな体温と柔らかな感触、耳に届く熱のこもった息遣い、髪から香るふわふわと甘い石鹸の匂いに、甘えた言葉、それらに、ログはちょっと泣きそうだった。
というか実際、目の端が潤んでいた。
「ログ、あったかくて、かわいい。ずっとこのままがいいな。今度は、正面から抱き締めてくれ」
ログのガンガンと上がった体温に身を委ね、散々好き勝手に甘えた挙句にそう笑うと、カルメは、スヤスヤと幸せそうな寝息を立てて眠りこけた。
いくら身体強化を使っていても、眠ってしまえば拘束は緩むこととなり、ログは自由に両手を動かせるようになる。
今なら生殺し状態で大変なことにされた仕返しもできるのだが、ログは、そっとカルメを動かして正面を向かせると、特に何もせず、優しく抱き締めた。
性欲はそれなりに強くあったが、ログは年齢の割にかなり我慢強い方であるし、カルメがしっかりと抱き返し、安心しきった寝顔で、
「ログ、好き。ログ……」
と、モソモソと寝言を言っているのを聞くと、もう少し頑張って我慢し、穏やかな甘やかしをしようという気になれた。
「カルメさん、俺が悪い男なら、カルメさん、今頃大変なんですよ。カルメさんが選んだのが、俺でよかったですね」
ちょんと額にキスをし、カルメが「ん……?」と唸る姿に微笑むと、ログも穏やかに眠った。
翌朝、カルメはログに甘い仕返しをされていた。
いつもは寝惚けていてなかなか起きないはずのログだが、今朝だけは早起きをしてカルメの目が覚めるのを待ち、起きた瞬間にギューッと柔い体を抱き締めた。
そのまま、昨日されたようにキスを返し、カルメで遊んでいた。
「ログ、恥ずかしいって! ログ、ログ!? ログ、どこを触っているんだ!? ログ、駄目だ。ログが村長に殴られてしまう! ログが痛いのは嫌だ!!」
半泣きのカルメがモタモタ、バタバタと暴れ、二人にかかった毛布がパタパタと揺れる。
一応、恋人同士の甘い触れ合いを超え無い程度なのだが、恥ずかしがり屋のカルメは真っ赤になって狼狽え、錯乱している。
ログは豊かな胸に埋めていた顔を上げ、毛布の隙間からカルメを見つめると、ニヤッと口元を歪めて嗜虐的に笑った。
「大丈夫だよ、カルメ。このくらいならイチャつく程度済むから、殴られないよ。流石に、人前でするのは憚られるけど」
鋭く細められる目つきに心臓が射抜かれて、カルメの頭からポコポコと湯気が出る。
ログが殴られないことに安心すると同時に、羞恥心や訳の分からない心臓の熱は溜まり続け、逃げ出したくなってしまうのだが、カルメは彼を絶対に傷つけたくないので、強引に引き剥がすこともできない。
おまけに、油断を狙って耳や頬に落とされるキスにすっかり力が抜けてしまって、カルメはしばらく甘い意地悪をされ続けた。
ログが一通り満足する頃には、カルメの頬は氷が触れれば一瞬で蒸発するほどに赤く、熱くなり、大きな深緑色の瞳は大粒の涙で潤んでいる。
時折、ブンブンと頭を振って恥ずかしがっていたので、髪の毛はモチャモチャと乱れ、ついでに衣服も少し乱れていた。
かなり自重しながら遊んでいたので、そこまで悪い事はしていないはずなのだが、それにしては、妙な妖しさがある。
その姿に、ログはしばし見惚れた後、涙の伝う頬にキスを落として頭を撫でた。
「本当にかわいいな、カルメ。怒って、恥ずかしがって、泣いて、疲れただろ。朝ご飯は俺が作るよ。食料は好きに使ってもいいか?」
カルメはログにため口を使われると、愛おしくて、恥ずかしくて仕方が無くなる。
ログはそのため口をトドメのように使い、真っ赤になって固まっているカルメの衣服の乱れなどを、簡単に直してやった。
ややあって、毛布の中に入り込んだカルメが、
「いいけど、ログ、今日はため口禁止な」
と、拗ねたように言った。
ログが嬉しそうに台所へと向かった後、カルメは毛布の中で枕を抱き締め、うずくまっていた。
脳内では、ペタッと自分に甘えて抱き着いてきたログの姿や、色っぽく輝く瞳、寝相が悪かったせいでボタンが外れ、衣服の隙間から覗くこととなった、胸元の真っ白い肌が駆け巡って頭を離れない。
低く鼓膜を揺さぶった声も、甘い言葉も、全く耳から出て行きそうにない。
『うう、ログ、かっこよかった。かっこよかったけど、意地悪過ぎた。恥ずかしい。今日一日、私は、ログの姿をまともに見られる気がしないぞ。でも、結婚したら、毎日ログに抱き着きながら寝て、抱き着かれたまま起きるのかな? 恥ずかしいけど、楽しみだ。恥ずかしいけど』
カルメは口元をニヤつかせたまま、真っ赤になってしばらく悶えていた。