竜は長崎の海に⑦
次の日の早朝、日の出前。
かつては駐車場と呼ばれた、アスファルトのヒビから草がぼうぼうに生える広場。
ふくれっ面のティティがマンゴーを手にしてあぐらをかいていた。
「あ、あんな、ティティはん…」
後ろから控えめに声をかけるシンに、彼女は何も答えない。
黙々とマンゴーを皮ごと食べ出す。
「ンな怒らんとってぇや。事故や、事故!その、決してわざとやないんやで?」
「…わーってるよ、ンな事は」
吐き捨てるように言うティティ。目を合わせてはくれない。尻尾はピンと立って毛が膨れている。
「そ、それにな、あんな、これ、マジに言うンやけど…」
彼女は振り返らない。三角の耳だけがシンの方を向く。
「…ティティはんて、な…凄く、その、き、きき、綺麗!やったで」
ズムッ
鈍い音と共に、ティティの綺麗な突きがシンの腹にめり込んでいた。
彼はうめき声を漏らしながら腹を押さえて悶える。
朝食の準備に火をおこしているクルミとネフェルは困った顔だ。
「うーん、なんとか母ちゃんの機嫌を取らないと」
「やっぱ、タイよ。シンにタイを捕ってきてもらえばいいのよ」
「そんなんで上手くいくかなぁ?」
ボソボソと次の手を相談する二人。
すると、彼等の横で寝転がっていたコクライとハクレイが急に起きあがった。
そして、まだ暗い空を見上げる。
四人が犬たちの様子に気付いて空を見上げると、巨大な影が彼等へ向かって降下してきていた。
ティティが驚いて空を指差す。
「あっれー?長老様じゃないかー!」
彼女の言うとおり、セイリュウが風を切って飛んできている。
見る間に大きくなる竜の巨体が疾風を巻き起こしながら駐車場に着地した。
巻き上げられる砂埃で目を開けられない四人に、長老の声だけが聞こえる。
「シンよ!他の者も、急いで長崎に戻れ!ワシは伊予の村へ飛ぶ!」
「はいな!…って、なんやっての?急に!」
やっと悶絶から回復したシンが、いきなり帰還を命じられて驚き、薄く目を開けようとする。
だが、さらに激しく突風が吹き荒れる。
セイリュウが離陸する羽ばたきで、更に激しく砂と草が舞い上げられた。目が開けられない。
「詳しい事はバステに聞け!急ぐんじゃ!」
その言葉を残し、セイリュウの巨体は再び舞い上がる。
風が収まり、四人が空を見上げれば、朝日を受けて青く輝く竜が飛び去っていく姿が見えるばかりだった。
「さぁ皆さん!全員すぐに出発ですよ!」
空を見上げる四人の後ろから、五人目の声が飛ぶ。
彼等が振り向くと、そこにはセイリュウの背から降り立ったバステが立っていた。
「大陸から船が来たやてぇっ!」
「そうです!
つい先日のことです。佐賀の浮嶽へ狩りに行ったら、船が浜に寄っているのが見えたんです!」
湯布院の廃墟を早足で進むコクライとハクレイ。
その背では、バステが四人に事情を話していた。
バステと他数名が、柚木の村から北東へ数十キロの所にある、浮嶽の山へ狩りに行った時のこと。
山頂に着いた彼等が北の海を見ると、浜から煙が上がっているのが見えた。
誰か他の連中が先に来ていたのかと山を下ってみれば、沖に船が停泊しているのが見えた。
そして、浜では小舟で上陸した男達が、木を斧で切り倒し大きな火をおこして大騒ぎしていた。
シンと同じ大陸から来た人達か、と驚いた彼等は急いで浜に行き、上陸者達の前に姿を現した。
すると、彼等はバステ達を見るや仰天して、聞き慣れない言葉を叫びながら銃を突きつけてきた。
落ち着くようにと身振り手振りをしようとしたのだが、手を上に上げようとしたとたんに彼等は発砲した。
幸い弾は外れたが、そのまま彼等は斧を手にして襲いかかってきた。
バステ達も済し崩しで応戦。モリやナイフを手にしての戦いになってしまった。
「相手は十数人の男達。斧やナイフ、そして銃を持った連中でした。
こっちは猫族二人に人族が二人、犬族は一頭だけでした」
「それでっ!どうなったの?」
ハクレイの背に揺られながら、ハラハラして聞いてくる背中のクルミに、バステは軽くウィンクした。
「もちろん勝ちましたよ!
まったく、見せたかったですわぁ~。アカマルが一声、思いっきり吠えたのよ。
そうしたら彼等ったら、それだけで怯えて動けなくなったの!
その隙に一気に突っ込んで、銃を全部、叩き落としてあげたわ。
それで彼等は逃げ出して、船に戻っていったのです」
「すっごーい!バステおばさんすごーいっ!」
隣を走るコクライの背で、ティティの後ろに座るネフェルは目を輝かせる。
「それで、ヤツらの船はどうしたの?」
ティティが前を見据えながら続きを促す。
「そのまま彼等の船は帆を広げて沖に消えていきました。
私達は彼等が北に去ったのを見届けてから村に戻り、長老に報告したんです。
長老は、すぐに他の村へ報告のために飛び立ちました。
その途中、大分にいるシンに事情を話して連れ戻せ、と私に言われました。
大陸の言葉を使えるシンが必要だ、と」
「はー、なぁるほどやわぁ!」
クルミの後ろで聞いていたシンが、コクライのお尻からずり落ちないように必死でしがみつきつつ頷く。
「こら、やばい事になったでぇ…。
この九州に森が広がってて、海も山も食べ物が一杯やてバレてもうたんや。
えらいこっちゃ。
大陸から、ぎょーさん人が押し寄せてくるで」
そのセリフを口にしながら、だんだんシンの顔色が悪くなる。
それを聞いてる他の者達にも不安が広がる。
「そういうワケなのです。
ですので、シンさんを急いで柚木に連れ戻すように、と」
「承知や!ほな、急いでやっ!」
五人を背に乗せたコクライとハクレイは、草に埋もれた線路跡を西へと走り続ける。
雲にかげる夕陽に照らされた柚木村。
五人と二頭が到着すると、広場には多くの人が集まっていた。
大人達は額を集めてガヤガヤと相談している。
その表情は一様に不安げだ。
それを遠目に見つめる子供達も泣き出しそうな顔をしている。
犬たちは所在なさげにウロウロと歩き回っている。
「おーい!戻ったでぇっ!」
シンが手を振りながら広場へ入ると、村人達は彼の元へと駆け出した。
「いやー、よく戻ってきたな!長旅ご苦労さん」
「話はバステから聞いたでしょ?大陸から軍隊が押し寄せてくるかもしれないの」
「銃を持ってる連中なんだ。
もしかして、あんたが言ってた国のヤツらじゃないか?」
シンはいきなり村人達に囲まれて、腰が引けてしまう。
「ちょ、ちょっと待ってぇな!
俺にも大陸の『国』の事は、よう分からんねん」
「あー、んじゃ、ヤツらの持ってた武器を見てくれよ。
これって、お前の村を襲った連中と同じ物か?」
そういって村人の一人が指差した先には、地面に置かれた物体があった。
シンは急いで銃の所へ走っていき、黒光りするソレを手にしてじっくりと確かめる。
その手は始めは恐る恐る、だが徐々に力が込められる。
「…間違いない。ヤツらが持ってた銃や…。
俺のオヤジやオフクロや、兄貴達を撃ち殺したモンと同じやっ!」
シンは震える手で銃を握りしめる。憎しみを込めて叫ぶ。
それは、拳銃。
回転式弾倉を持つパーカッション式拳銃。
引き金を引くと撃鉄が起こされる。それに連動して弾倉が回転、弾薬が発射位置まで移動し、固定される。
さらに引き続けると撃鉄が落ち、弾丸が発射される。
かつて十九世紀頃に現れた、ダブルアクションと呼ばれた機構だ。
村人達の表情は、ますます暗く険しくなっていく。
「なんてこと…。
大陸の連中って、凄い武器を持ってるのね」
「銃が使えるって事は、昔の科学を今でも持ってるってわけだよな」
「それに大陸って、とんでもなく広いじゃないか。
なら、押し寄せる人間も凄い数よ」
「そんな連中が来たら、私達は一体どうなるのかしら…」
「あ、ていうか、そもそもシンの村って、どうして襲われたの?」
尋ねられたシンは、落ち着きなく周りの村人達を見る。
顔を伏せ、申し訳なさそうに小声で答える。
「その…俺にも分からんねん。
あいつらいきなり襲いかかって来よったから。
でも、そのな、予想は、つくねん」
「予想って?」
村人達がググッと輪を狭めてくる。
犬と猫の耳が全て彼に向く。
その迫力に、シンはさらに縮こまってしまう。
「あ、あのな…予想、つかな。その、怒らんでや、ホンマ。
すっごい豊かな長崎で暮らしてきたあんたらには、ちとキツイ話かもしれんねんけど。
マジ当然で、当たり前な話やねんで」
「いいから早く言いなよ」
背後からティティのイライラした声が飛んでくる。
シンは、言いにくそうに彼の予想を話した。
シンが住んでいたのは不毛の大地。
細々と農耕と漁業で暮らしていた。
食料は少なく、いつも飢えに苦しんでいた。
そんな土地に他の場所から移住者が来るなら、前から暮らしていた者達と食料を巡って衝突する事は間違いない。
また、ある土地で食料の収穫が少なければ、他の地から奪ってこなければならない。でないと自分たちが餓え死にする。
そうと分かっているなら、予め先住者と話し合う必要はない。
問答無用で殺して奪えばいい。
「…というワケなんで…。
その、言いにくいンやけど、あいつら、ここにもいきなり襲ってくると…思うンよ」
ポカッ
ティティのゲンコツがシンの後頭部にヒットした。
「なんて事を言うんだい!みんなを不安にさせてどうするんだよ!」
「い、痛いやんか!俺が悪いんかいな?」
不当な暴力に抗議するシンだが、周りを見渡して自分の口の軽さを反省した。
クルミもネフェルもバステも、他の村人達も、犬たちまでが恐怖に怯え、震えている。
「す、すまん…。
でも、でもや!ここにヤツらが来るンは分かってんのや。
そら、ヤツらの武器は凄いけど、でも、こっちかて黙って殺される義理はあらへん!」
大声で皆を鼓舞するシンに、同調する声が上がる。
「そうよ、そうよね!」
「ヤツらが私達を殺しに来るって言うなら、返り討ちよ!戦争よっ!」
「で、でも…あいつらの武器って、銃って、凄く強いンでしょ?
あたしらモリや弓くらいしか持ってないよ」
「昔の本とかだと、銃口向けられたらお終い…っていうのがほとんどだね」
「射程が段違いらしいぜ。弾は速すぎて避けられないっていうし」
最初は威勢の良かった人々の声は、段々と小さくなっていく。
「そもそも俺たちって、そんな、戦争ってヤツなんかした事ないよ」
「数も大勢で、武器も凄い連中と、どうやって戦えばいいのでしょうか…?」
「だからって、シンの村みたいに皆殺しにされるワケにはいかないぜ!」
「そうだ!それに、ここは俺たちが百年かけて育てた森と海なんだぞ!俺たちが守らなくてどうするんだ!」
うつむき出す人々の中、それでも顔を上げる者がいる。
そこかしこから、戦いに備えようというかけ声が上がる。
同時に勝てる保証があるのかという不安を訴える者もいる。
戦う方法が分からないという者も多い。
それでも、力を合わせて戦おうという声が大勢を占めはじめた。
突然、広場に風が吹き荒れた。
大きな翼で土埃を巻き起こしながら着陸してきたのは、青い鱗を夕陽で赤く染めたセイリュウだ。
長老の姿を見るや、村人達は人も猫も老いも若きも竜の周囲に集まってくる。
「長老様、戦争だ!」
「やつらは必ず来るわ!私達に戦いを教えて下さいっ!」
「あいつら、凄く強い武器をもってるんだろ?どうやったら勝てるんだ?」
「じーさまの力なら、竜達ならヤツらだって倒せるよな!」
人々は口々に戦争を、侵略者達との戦いを叫ぶ。
しばし、竜は何も語らなかった。黙って俯き、皆の声を聞いていた。
何も言わずに村人達を見続ける姿に、人々は不自然さを感じる。
だんだん声を小さくし、ついには黙って長老を見上げ出す。
村人達が静まった時、ようやく長老は口を開いた。
「…皆、よく聞いて欲しい」
今度は村人達が黙って長老の言葉に耳を傾ける。
「恐らくは、皆の言うとおりだ。
ヤツらは長崎へ来る。
最初から我等を皆殺しにする気じゃろう」
その言葉に村人達は再び騒然とする。
戦いの準備だ、子供は逃がそう、等の声が湧き起こる。
犬たちも威勢良く吠え始める。
セイリュウは大きく息を吸い、胸一杯に空気を貯める。
「聞けいっ!」
巨大な老竜の、渾身の発声。
木々を揺らし、鳥たちが逃げる。
頭の上から叩き付けるような震動に、村人達が耳を押さえて身を屈めてしまう。
犬たちは尻尾を巻いて逃げ出した。
「争うのは簡単じゃ。
人間は昔から戦争をしていた。
いや、犬も猫も竜も、生まれたときから戦っていた。
殺して、殺して、殺し続けた。
そうじゃ、この日本から動くものがいなくなるまで殺し合った」
その言葉に人々は、シンが来た日の夜に語られた長老の話を思い出す。
世界から人間を殺し尽くさんとした、地獄の物語を。
「だが忘れるな。
敵を殺す時は、味方も殺されるのじゃ。
ワシらが敵を憎む時は、敵もワシらを憎む。
復讐が復讐を呼ぶ。
延々と意味もなく殺し合う地獄の始まりじゃ」
重々しい言葉を紡いだ竜が一息つく。
皆は額を寄せ合う。
「いや、意味はあるだろ」
「そうよ!ヤツらは私達の森や海を奪う気よ」
「俺たちのじーさん達も、そのまたじーさん達も、必死で育てたんだ。
切られたり燃やされたんじゃ、たまんねーぜ」
村人の中から上がった意見に、多くの者が頷く。
そしてセイリュウも頷いた。
「そうじゃ。
大陸の連中とて食い物が欲しい。飢えから逃れたい。
そのために長崎の、ワシらが植林してきた九州や四国、全ての山と森と、魚たちが住まう海が欲しい。
全てを我が物としたい。
そしてワシらは同じ理由で、それを譲れない。
この点、皆も同じ意見だと思う。
間違いないか?」
全員が頷いた。「そうだ!長崎は俺たちのモノだ!」「大陸の連中に譲れるもんか!」という声も上がる。
セイリュウは手を振り、皆を静めて話を続ける。
「確かに、ワシらの土地じゃから譲れん。
それは間違いない。
だが大陸の連中も生きるために譲れない。
そして戦い始めれば、もはや歯止めは効かん。
そう、これは百年前に起きた地獄と同じじゃ。
今、再び地獄の蓋が開こうとしておるのじゃ!」
皆が口を閉ざす。
巨大な廃墟に暮らしていた昔の人々。
それがほとんど死に絶える百年前の惨劇。
それが今、自分たちの前に現れようとしている現実。
それを頭に描いた時、戦慄に襲われる。
「だが、安心せい」
対するセイリュウの声は、至って落ち着いている。
「幸運な事に、昔とは違う。
加えてシンとバステの話から聞いた大陸の連中の話、そしてバステが奪ってきた銃。
これらから察するに、地獄を回避する手段があるかもしれん。
もしかしたら、皆が生きる手が残っているかもしれんのだ」
地獄を回避する手段がある、そう語る老竜に、人々は訝しみ怪訝な顔をする。
だが長老の姿は決意に満ちていた。
「さて、その希望を実現するために…シンよ」
「は、はいな!」
いきなり呼ばれたシンは瞬時に直立不動でセイリュウの前に立つ。
「おんしに働いてもらわねばならんと思うのだ。
やってくれるか?」
「は、はい!
俺は嵐で死ぬはずの命を、この村の人達に救ってもろたんです。
村のためになれるんやったら、この命、喜んで差し出します!」
力強く拳を握りしめ、腕を振り上げる。
そのシンの勇ましい姿にセイリュウは満足げに頷いた。
「それは話が早いわい」
「…へ?」
シンは、勢いで言ってしまった自分の言葉を思い返し、血の気が引いてしまった。