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竜は長崎の海に⑥

 そんなこんなで山を越え谷を越え。

 崩れたトンネルや高速道路を迂回し、決壊したダムで橋も何もかも流された川を渡り、線路を歩いて数日後の朝。

 『ゆふいん』と書かれた倒れかけの看板が立つ廃墟に一行は到着した。


 犬の背を降りて山に囲まれた平地を見渡す四人。

 ボロボロの観光案内地図を片手に周囲を見るティティが、プラットホーム跡にある浴槽のようなものに気がついた。


「へぇ、これがアシユってヤツか。さすが温泉地だね」


 それは、既に湯は枯れて土が溜まり草がぼうぼうに生えているが、確かにかつては人々が足を入れて疲れを癒した足湯跡だった。

 横からクルミが地図を覗き込み、湯布院の地理を確かめる。


「え~っと、北東にあるのが由布岳、火山だよね。

 よかった、どうやら噴火とかもしてないようだよ」


 シンが見る方向には一際高い山。

 他の山々と同じく、枯れ木と倒木と草に覆われた荒れ地に過ぎないようにも見えるが。

 ネフェルが空に鼻を向け、クンクンと臭いを嗅ぐ。


「なーるほどね、確かに硫黄の臭いがあちこちからしてるわ。

 探せば温泉はすぐにみつけられるわよ」

「けどやぁ、ビルとかは少ないわなぁ。

 どれも低い建物ばっかやし、ほとんどが崩れてるようやで」


 シンがいう通り、確かに山間の平地には目立った建物が残っていない。このため、未だに住居として使えそうな建物も数が限られる。

 ティティが地図を畳んで犬の背に飛び乗った。


「やっぱり、別府近くまで行かないとダメみたいだね。

 火山に近すぎるのもよくないし。

 んじゃ、東の山を越えて海まで行くとするよ!」

「せやな。

 んじゃ、コクライもハクレイも、もう少しきばってや!」


 シンもネフェルもクルミも犬の背に再びまたがる。

 そして、黒犬コクライと白犬ハクレイは四人と荷物を乗せて東へ駆け出した。





 山間に走る、あちこちが崩れた道路を下っていく。

 途中には不思議な形の廃墟。遙か山頂に向けて並ぶ倒れかけの鉄塔。

 近くによると、錆びて落ちた鉄のロープが上に付いた、四角い乗り物が備えられてる。

 入り口に『近鉄・別府ロープウェイ 高原駅』と書かれた看板が落ちて土に埋もれていた。

 それを更に下り、昼になってようやく彼等は谷を抜けて、海を見晴らす場所に来た。


「なんやこれぇ~?ホンマに、そこら中から温泉が湧いとるやんけ~」


 呆れたシンの声が示すとおり、本当にあちこちから白い煙が上がっていた。

 クルミとネフェルは大はしゃぎだ。


「すっごいなー!コレ全部、お湯なんだね!こんなの見た事ないよ!」

「硫黄の臭いも凄いわね~。つか、なんか、この平地自体が蒸し暑い気がするわ…」


 ティティも観光案内を片手に呆然としている。


「すぅっごいねぇ…これがかつての温泉地かい。こりゃ、面白い村を作れそうだよ!」


 眼下に広がるのは、半分近くが水没した別府の街。

 海の上には海底から突き出すビルの頭部分。

 水没を免れた街の跡に広がる廃墟の群れ。

 ひびが入り崩れたビル。割れたアスファルト。そのあちこちから水蒸気が吹き出し、熱い泉を作っている。


 ティティは自分たちがいる周囲を見渡す。

 崩れた高速道路の高架が無惨な屍を晒し、かつてはゴルフ場や田んぼがあったはずの場所は草の海へと変わっている。

 山の斜面はあちこちで崩落し、土砂崩れに巻き込まれた家屋の残骸が地面からのぞいてる。

 近くの崩れてない建物をみれば、床の上まで灰のような土砂に埋まったものもある。


 その建物の中に入り、草やコケを踏みしめる。

 土に埋もれつつあった白骨を軽く蹴る。するとネズミたちがチュウチュウと鳴きながら逃げていった。

 屋根に開いた穴からは小鳥が逃げていく。

  がしっ!

 外で音がした。

 彼女が入り口を振り返ったら、逃げようとしたネズミをネフェルが素手で鷲づかみにしていた。


「生はだめだぜ!ちゃんと料理して食いな」

「はーい」


 娘の元気な声を聞きながら、彼女は顎に手を当てて考えはじめる。


「まだ使える建物は多いみたいだね。

 土をかきだして手入れすればよさそうだ。西の草原は畑に出来そうだけど、土の質は良くないねぇ。

 あとは水質と、海も確認して、と…」


 そんな独り言を呟きながら、ティティは建物を出た。



 四人はネズミや鳥や兎、たまに猫と犬の姿も見える街に入る。

 あちらこちらで建物が崩壊して道を塞いだり、土砂が橋を押し流したりしている。

 剥き出しになった地面や溜まった土の上に草が生える。

 そして、あちこちから火傷しそうなほど熱い水蒸気が吹き上がっていた。

 熱水が湯気を上げながら泉から溢れ、川の方へ流れて行っている。


 波打ち際まで行くと、水没した街の地面は砂が覆っていた。

 海藻がコンクリートの上に林を作り、水中に崩れた瓦礫の間を小魚が泳ぎ回っている。


「海は結構ええんちゃう?」


 シンの満足そうな言葉に、ネフェルは遙か東を指差した。

 海の向こうには薄く陸地が見えている。


「アレが四国らしいわ。

 あの向こう側にラプターおじさん達の暮らす伊予の村があるハズね。

 大分前から植林もしてるし、この海は結構豊かになってると思うわ」

「え~っと…じつは、前から聞きたかったんやけど」

「ん、なに?」


 ふと首を傾げたシンが疑問を口にする。


「森が出来ると、なんで魚が増えるン?」

「へ?」


 思わず聞き返してしまう、シンの素朴な疑問。

 ネフェル達にとっては言うまでもない当然の事だったので、説明もしていなかったことに今さら気が付いた。

 オホン、と咳払いして、彼女は解説を始める。


「えっとねー。セイリュウじーちゃんが教えてくれたんだけどね。

 森っていうのは、葉っぱとか森に住む動物たちの死骸とか、いろんなモノを海に送るのよ。

 それを食べて海の動物が増えるの。

 それと、土砂崩れを防ぐから、泥水が海を汚すのも防ぐわ」

「へ~ぇ」


 クルミも隣に来て、四国と海を挟んで北にある陸地を指し示す。


「あっちは山口だね。

 あそこに周防の村があるはずだよ。

 この海は瀬戸内海っていう、陸地に囲まれた海なんだ」

「ふぅ~ん。せやったら嵐で荒れるコトは少なそうやな」

「そうでもないようだよ」


 後ろから、コクライとハクレイを連れたティティが観光案内のページをめくっている。


「え~っと、これによると、瀬戸内海って潮の流れが速いんだって。

 でもその代わり、海底の栄養が海面近くまで巻き上げられるので、すっごく魚が豊富…て、書いてあるよ」


 その解説を聞いた三人は、さっそく歓声を上げながら海に入って魚を追い始めた。





 日が傾いた海、魚やネズミの食べ残しが僅かに残るたき火の跡。

 だが周囲には誰もいない。

 一行は海岸に流れ込む川を見つけ、山へ向かってさかのぼっていた。


 硫黄の臭いがする川べりは、山へ近付くごとに暖かくなっていく。

 山の麓に来る頃には湯気が立つほどになっていた。

 川に手を入れたネフェルが、驚きを通り越して呆れてしまう。


「なんとまぁ、川それ自体が温泉になってるよ。

 周囲から湧き出したお湯が川に全部注ぎ込んでるんだぜ」


 護岸のコンクリートが崩れて岩場になった川。他の者も川の湯に手を入れる。


「こらたまげたわ。

 こんな所に村なんざ作ったら、毎日川に浸かりに来てまうで」


 感激するシンとは裏腹に、ネフェルは顔をしかめている。


「でも、硫黄の臭いが凄いなぁ。

 こんなところに暮らしたら鼻が曲がりそうよ」


 クルミは黒のコクライと白のハクレイに川のお湯を舐めさせる。


「どう?害はありそう?」


 二匹とも嫌がりはしなかったが、積極的に飲もうともしない。


「毒じゃないけど、臭いがイヤみたいだね」


 クルミの解説に猫族女性二名は顔を見合わせて頷いた。


「ちょっとなぁ、この臭いはキツイぜ」

「村を作るなら、温泉から離れた所にしないとイヤよ」


 その感想にシンは残念そうだ。


「毎日あっつい風呂に入れるなんて、天国みたいな場所やと思うねんけどなぁ。

 ほんで、長老さんが言ってたヤツはどないする?」

「じーちゃんが言ってたヤツって?」


 聞き返したクルミにシンがちょっとむくれる。


「なにゆーとんねんな。温泉がどないな感じや、ちゅー話や。

 飲んだり入ったりして体によさそうかどうか、ちゃんと確かめてこいってゆぅてたやんか」


 その言葉を聞いてクルミはポンッと手を打ったが、女性達は顔をしかめた。


「これに、入るのかよ…」

「うーん、この臭いは、ちょっと…」


 渋るネフェルとティティ。

 クルミは旅行案内を開いて解説を読み始める。


「え~っと、この温泉に入ると…コウノウっていうのがあるみたいだね。

 えと、シンケイツウ・カンセツツウ・リウマチ・怪我・ヒフビョウ・ストレス解消・健康増進…」

「知らない病気ばっかりよね…。

 それって長老には効きそうだけど、あたし達に関係ある病気なの?」

「…歩き回った疲れが取れる、かな?」


 ネフェルの素朴な質問にクルミは首を捻ってしまった。


「ま、しゃーないねぇ」


 ティティは腰に手を当てて頭を振る。


「温泉を調べてくれってのも長老のゴメイレイなんだから、入ってみるしかないさ」

「そうね。それじゃ、さっそくみんなで入ろうか!」


 と言うが早いかネフェルはシャツの裾をまくり始める。

  ポカッ!

 シャツが胸まで上がった辺りでティティのゲンコツが娘の頭に激突した。

 いい音が目を丸くして硬直したシンの鼓膜を揺らす。


「何してんだい!

 あんたも、もう女としてのツツシミってヤツを考えなっての!」

「あうぅ~痛いぃ~」


 というわけで、男二人はコクライの背に揺られて下流へと追放された。





「ぬぅふぁ~、ええ湯やぁ~」

「ほんとだね~」

 少し下って女性二人が見えない位置取りに来た辺りで、シンとクルミがお湯の流れる川に身を浸していた。

 コクライも湯に浸かって泳いでいる。

 東見える海を見ながら、夕焼けで赤く染まる空を見上げる。


「ほんま、日本に帰ってきてよかったわぁ…」


 男の目には涙が浮かぶ。


「食い物はタップリあるし、犬族や竜族のおかげで旅も楽やし、病気になっても長老が薬草や治療法を教えてくれる。

 おまけに温泉や!

 俺、ホンマ、一人だけ、こんなに幸せになれてええんやろか…?」


 流れる温泉で暖まるシンは感動しきりだ。

 川底に足を伸ばして自分の幸運に感謝し続けている。

 川の真ん中近くで泳いでいたクルミがシンの所へ戻ってくる。


「ねー、シンさん。大陸の人達も、みんな連れてきたら喜ぶかな?」

「う~ん、そやろなぁ」


 ばしゃっとぬるめの湯を顔にかけてから、シンは赤い顔のまま考え込む。


「そら、喜ぶと思うで。

 ただな、喜びすぎて、そらもーみんな日本へ押し寄せてくるで。

 そしたら、あっという間に木々は全部切られて、魚も取り尽くされてまうやろ。

 また荒れ野に戻ってまうな」

「そっか、そうだよね。

 あんまり森や海の獲物を捕りすぎないように、どんどん遠くへ行って新しい村を作ってるんだし」

「そーゆーこっちゃ。

 それに、言いたくないんやけどなぁ…」


 シンは湯をかき分けて、クルミの耳元に口を寄せる。


「大陸の人ら、犬族や竜族や猫族を見たら、仰天するで」


 言われたクルミはキョトンとしてる。


「仰天したら、困るの?」

「あー、言い方が悪かったわな。

 つまり、怪物やと思って殺そうとしたり、犬や竜なんか捕まえて食おうなんて考えたり」

「えー!何で何で?」

「そら、見た事ないからや。

 犬はたまに食うてるから、犬族も食おうとするやろ。

 オマケに、みんな普段はネズミくらいしか食うたことないから。

 竜みたいにでかい動物の肉、食うてみたいて思うで」

「そんな、酷いなぁ」

「酷いって言うてもなぁ…」


 シンは肩を湯に沈め、赤く染まる雲を見上げる。


「みんな必死やモン。

 当然、長老達はンなモン許さへん。つまり、戦争になってまう」

「む~、そうかぁ」


 納得したクルミだが、なにやら頭を抱えている。


「…どないしてん?」

「なんか、熱い。頭がクラクラしてきた」

「湯に浸かりすぎたんかな?」

「かもしれない。ちょっと風に当たってくるね」

「おー。俺はもう少し入ってるわ」


 クルミは川を上がり、服を着て川縁を歩いていった。





 そして上流では、ネフェルとティティも湯に浸かっていた。

 川の中を泳ぐハクレイを眺めながら並んで小麦色の肌を湯に浸す二人は、どちらともなく呟く。


「…わりと、良いね」

「…だな」


 ネフェルは腕を手で軽くこすってみる。

 すると小麦色の肌がツヤツヤとしだした。

 ティティも自分の足で試してみる。

 すると細く引き締まった足も、心なしか肌に張りが増して光沢が出たような気がする。ついでに手足や尻尾の毛並みも良くなった気がしてきた。


「もうちょっと、試してみようか」

「だね。んじゃ…」


 ネフェルとティティは川を上がり、荷物から布を取り出す。

 そして再び川に浸かって手足や互いの背中をこすったりしてみた。


「うわ~、アカが一杯落ちていくよ」

「ネフェル、頭も洗ってみなよ」

「はーい」


 茶色の長い髪を川に浸し、大分までの道中についた汚れを拭き落とす。

 みるまに少女と女の小麦色の肌は輝くばかりにツヤが出る。

 肌を流れ落ちる水滴が夕陽に赤くキラキラと光る。

 濡れた髪が背中や胸にかかり、二人の体を飾る。


「う~む…」


 ティティは水面に映る自分の姿を、穴が開くほど凝視した。

 ネフェルも普段は泥などで汚れた母の姿が見違えったのに驚いてしまった。


「…温泉って、凄いね」

「…そうみたいだな」


 しきりに感心する二人の姿を、遊び疲れて川から上がったハクレイが不思議そうに眺めていた。


「これなら、さぁ…」


 ネフェルが、ニヤニヤ笑いながらティティの脇を肘でツンツンつつく。


「シンも、大喜びするんじゃない?」


 すぐにゲンコツが飛んでくるかと頭を引っ込めたが、いつまで経っても鉄拳制裁は来なかった。

 見上げれば、腰に手を当てて同じようにニヤニヤ笑っている。


「そうだねぇ。確かにシンも、あんたを子供だなんて思わなくなるよ」


 切り替えされた娘は、温泉に浸かって火照った顔を、もっと赤くしてしまう。


「なっ!何を言ってるのよ!あたしは母ちゃんの話をしてるんだから!」

「母ちゃんはもういいさ。それより、あんたもそろそろ結婚を考えないとね」

「あたしはまだいいよぉ。それよりじーちゃんは母ちゃんが」

「やっぱり長老の差し金かい」

「あ…」


 図星を突かれて少女はヘナヘナと川の中に沈んでいく。

 顔半分まで湯に沈んで泡がブクブク浮かんでくる。

 水中で言い訳を呟いているらしい。


「まったく、長老様もしつこいねえ。

 あたしゃ再婚なんてしたくないって言ってるのに」

「そんな事言ってもぉ~」


 娘は仁王立ちする母を見上げる。


「あたしもネフェルも、兄妹二人だけで寂しいもん。

 他の家はさ、もっと家族がいて、楽しそうだしぃ。

 大人達は『もっと人も猫も犬も増やして、どんどん村を大きく沢山にしていきたいな』って話してるし。

 実際、今、あちこちにみんなが移住しちゃって、柚木村が一番小さいらしいじゃない?

 そもそも、母ちゃんはシンが嫌いなの?」

「お前はどうなんだい?」

「え?

 あたしは…別に嫌いじゃないけど、いい人だし…じゃあなくて!

 母ちゃんはどうなのって聞いてるの!」

「あたしも嫌いじゃないよ。でも、それと結婚は別の話」

「う~、母ちゃんの頑固者」


 プイとそっぽを向いたネフェルは、すすす~と川を上がって服を手にする。


「熱いから、ちょっと涼んでくる。

 母ちゃんはもっと綺麗に体洗って、シンをユーワク出来るくらいになっといて!」

「この子は、どこでンな言葉を覚えてくるんだかねぇ」


 川に入り直す母を残して、ティティは川べりを歩いていった。



  きゃーっ!

 いきなりネフェルの悲鳴が夕暮れの廃墟に響き渡った。


「な、なんや!どないしたんや!」


 湯に浸かっていたシンが慌てて川から上がる。

 その前にコクライが駆けてきて、湯で濡れた体をかがめた。


「謝謝!」


 シンとコクライはずぶ濡れのまま、川の上流の方へ走り出した。



 コクライが駆けてきた場所は、廃墟の間に広がる草地。

 その中に倒れ込むクルミを、ネフェルが抱き起こそうとしていた。


「どないしてん!クルミ、大丈夫か?」


 慌てて彼はクルミの横に駆け寄る。コクライも心配げに鼻を寄せる。


「わかんない!ここに来たら、クルミが倒れてたの!」


  ネフェルぅっ!大丈夫かい!


 遠くからティティの声も届く。

 見れば、上流の方角からハクレイに乗ったティティが手を振っていた。

 ハクレイからティティが飛び降りた時、クルミが目を開けて体を起こした。


「うぅ~…あれ?みんな、どうしたの?」

「どうしたの?や、あれへんがな!お前、なんでここに倒れてたんや?」

「え?倒れてた?」


 聞かれたクルミはキョロキョロしだす。


「あ…なんか、急に気持ちよくなって、ここに寝ちゃったのかも」


 その言葉にティティは胸をなで下ろした。


「のぼせたってヤツかい?まったく、長風呂しすぎだね」


 ペロッと舌を出すクルミ。

 ティティは安心して前を見る。

 そこには、シンがいた。

 ずぶ濡れのままで、裸のシンが。

 彼は顔を真っ赤にして、ティティの方を見ている。

 正しくは、ティティの体を上から下まで。


 彼の視線は、川から裸のままで飛んできた彼女の体に釘付け。


 夕陽に輝く水滴がしたたる髪。

 磨いたばかりの艶やかな肌。

 しなやかに伸びる腕。

 大きくて柔らかそうで、でも張りのあるふくよかな胸。

 引き締まったお腹。

 そして彼の視線は何かに導かれるように、さらに下へ・・・。


「・・・おい」

「・・・へ?」


 地の底から響くような声が、ゆだったシンの脳髄を揺らす。

 その瞬間、彼は天国から地獄へと誘われた。


「何、見てンだよ」

「うえ、えと、何って、その…」


 しどろもどろで言い訳をしようとする男は、じわじわと前屈みで後退していく。

 でもその視線は未だに彼女の形の良いヒップから移動出来ない。

  バキッ

 あの世から鐘の音が鳴り響く。

 男の腹に、女の蹴りがめり込んだ。

 哀れ、シンは声も出せずに気絶してしまった。


「ふんっ、いい気味だ」


 風に濡れた髪と尻尾をなびかせ、彼女は白犬の背に乗る。


「ハクレイ、戻るよ。服をとってこないと」


 そういって去っていく母の姿を兄妹は呆然と見送った。

 そして、薄ら笑いを浮かべながら気絶している男の姿を見下ろす。


「…逆効果、だったかなぁ?」


 呟く兄に妹は首を傾げる。


「バステおばさんは、こうやって旦那をゲットした、って言ってたんだけど…。

 母ちゃんには効かなかったみたいね」

「でも、シンには効いたみたいだよ」

「じゃ、あとは母ちゃんね」


 二人の悪だくみを聞くことなく、地面に倒れているシンは幸せそうに「ティティはぁ~ん…」と寝言を呟いていた。

 ずっと黙って見ていたコクライは、呆れたような溜め息を鼻から漏らした。

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