竜は長崎の海に⑩
頭上に明るく輝く太陽。
運動場には相変わらず大勢の人がいた。
ただし、その顔はおしなべてうつむき疲れ果てて暗かった。
それは武装解除された大陸の人々。
その周囲は犬と猫と人が取り囲み、捕虜の動きに目を光らせている。
校門の方からは次々とずぶ濡れの兵士達が連れてこられている。
沈没した戦艦や炎上した帆船から逃げ出した者達が救助され、同じく捕虜として連行されていた。
セイリュウが暮らしていた体育館には、セイリュウの他にも多くの人が座っている。
ほとんどは人族と猫族。
竜は大きくて沢山は入れないので、体育館の外に何頭かが代表して待機していた。
人の輪の中では、ふんぞり返る男と、ふてくされる男と、毅然とする男が睨みあっている。
『…ほ~。すると、リーさん…。
あんたは、さっさと殺せっちゅーわけか?』
『そうだ。代わりに他の者は助けて欲しい』
セイリュウを背にしたシンは、毅然とした態度で自分の命と引き替えに他の者の助命を請うリーを前にしていた。
ふてくされているのはシュウ。吐き捨てるように毒づく。
『くだらん茶番はやめて、さっさと俺を食えばいいだろう。
そこの青いのも、外のでかい犬共だって、俺を食いたくてしょうがないんだろうが』
シンは後ろの長老と、彼等を囲む他の人族と猫族にも二人の言葉を翻訳していた。
セイリュウはシンと少し言葉をやりとりする。
そして、リーとシュウを見下ろす。グググ…と顔を近づけていく。
息がかかるほど頭を下ろしてきた竜の頭を前に、二人とも汗が噴きだす。
それでもリーは背筋を伸ばして目を閉じる。
シュウは縮み上がり、怯えて目をつぶる。
「…チュンベン!(マヌケ!)」
頭がすっぽり入りそうなほど大きな顎から飛び出たのは、彼等の言葉で「マヌケ!」の一言。
発音のまるでなってない下手な悪口で罵られた二人は、その声量に仰天して耳を押さえてしまう。
「シンはワシの話を伝えたはずじゃ!おんしらさえ良ければ、共に暮らすがよいと!」
周囲の人々も、外の犬達も、監視している者もされている者も、一瞬腰を浮かしてしまうほの大声だった。
「食えというなら食ってやる!
ワシも昔は人を食って生きた。
それはここにいる全員の祖先も同じじゃ!
そして、おんしらの祖先とて変わりなかろう。
百年前の地獄を生き残る為には、やむをえんことじゃからな」
突然シンの頭の上を説教が飛ぶ。
その大音量に耳を押さえつつも、シンは必死に通訳を続ける。
「だがな、だからこそ!おんしらを食いたいとは思わん。
もう、あんな地獄は見たくないんじゃ。
ワシを生み、育ててくれた母を食う哀しさ。
言葉をかわしあった仲間を食う辛さ…。
生きるためだったとはいえ、忘れようとて忘れられん」
目を閉じ、感情を必死で押し殺しながら語る青い竜。
だが語る言葉からは苦悩と後悔が隠しきれずにいる。
「生きるために食う、当然の事じゃ。
ワシも猫族も魚が好きじゃ。
人族は果物が好きで、犬族は何でも美味そうに食べる。
それは自然の摂理。
生きとし生けるもの、他者を喰らわずには生きていけん」
落ち着いて、そしてうつむいて語るセイリュウ。
シンは出来る限り、その感情もそのままに伝えようと努力する。
「…だからわしは、母達の計画を実行し続けている。
この大地を蘇らせるという、科学者達の夢を叶えようとしているんじゃ。
ワシらが生きるために殺す、それ以上に命を生み出そうと。
森を広げ、海を豊かにしようと。
わしは、わしらは…全ての生き物が暮らせる、かつての世界を蘇らせようとしているんじゃ!」
再び声を荒げる巨竜。
その言葉はリーとシュウだけでなく、全員の鼓膜を揺らす。
「わしは、相手が憎いから、邪魔だからなどという、不毛で何の役にも立たぬ理由で、無駄に命を刈り取りなどせん!
だからこそ、おんしらをなるべく、出来るなら一人も殺さぬような作戦を立てたんじゃ!」
どうみても凶悪な、毎日人間を一人は食べていそうな、青く巨大な竜が語る言葉。
それは苦悩を礎とし、知性に裏付けられた、命溢れる世界の復活という壮大な計画。
外見と言葉のギャップに、大陸から来た二人は言葉もない。
体育館の外にいる捕虜達は、入り口から見える彼等の話に耳を澄ましている。
セイリュウは大きく息をつき、再び落ち着いて語り出す。
「…とは言うても、おんし達には分からんことじゃろう。
おんし達の故郷は不毛の大地。
こんな理想論が通じるような、お目出たい場所ではない。
そう、かつてワシが生きていた地獄が未だ残る場所。
そうじゃな?」
頭上からの大声での説教を、耳鳴りに苦しみながらも翻訳していたシンからの翻訳に、呆然とすらしていた二人は、どうにか頷く。
『その通りだ。
そして移住者達はこれからも来るぞ。
お前達は、その全てを受け入れられるのか?』
『もちろん、そんなことは出来ないだろう?
綺麗事を言うな』
シュウは青ざめ汗を流しつつも、歯を食いしばってセイリュウを見上げる。
巨獣を睨み付ける。
『頭の悪いトカゲにも理解できるように教えてやる。
俺達はタダでは殺されんぞ。
そして俺達を皆殺しにしたところで、次々と移民団は来るのだ。
俺達の敗北を知って、さらに重武装した大軍団が、な』
恫喝を吐くシュウを、今度はリーが睨み付ける。
『余計な事を言うな!』
その言葉に、体育館の外で耳を澄ませていた捕虜達は驚いた。
シュウは驚かない。ただ口を閉ざす。
『青き竜よ。
せめて、俺の命をもって、今ここにいる者達だけでも受け入れて欲しい。
もし受け入れてくれば、お前達と争わない事を、皆に約束させる。
新たな移住者達は俺たちで追い払うよう命じる』
その言葉に、外の移住者達からはすすり泣く声が聞こえる。
そして何人かが勢いよく立ち上がる。
『艦長!あなただけ死なせない。私の命も捧げる!』
『俺もだ!』
『シンさんよ、その長老の竜に伝えてくれ。俺の命もくれてやる。だから、どうか俺の家族だけは助けてくれ!』
『何でもしますわ!奴隷でも構いません!どうか、ここで暮らさせて下さい!』
『俺たちは、移住者とは言っても、ほとんど追放者も同然なんだ。国のふんぞり返った連中なんかクソくらえだ!』
『そうよそうよ!ここに受け入れてくれるなら、必ずあなた達の役に立ってみせるわ!』
もはや人々は総立ちだ。
自分の命と引き替えに家族の受け入れを願う老人。
新たな移住者を撃退してみせると誓う屈強な男。
元気な子をたくさん産んであげます、と近くにいる猫族の若者に精一杯微笑む少女達…。
それを囲む人々も犬も竜たちも、広がる興奮を制したものかどうか迷ってしまう。
それらを全部はとても通訳しきれないシン。
だが通訳をしなくても、彼等が言いたい事はセイリュウには通じていた。
そして、彼等を囲む先住者達にも。
長老は、大きく息を吸う。
村人と、いい加減慣れてきた捕虜達も耳を塞いで身構える。
「静まれぃっ!」
と、叫ぶ一瞬前には全員黙っている。
「では、ワシからの提案じゃ!
皆の意見も聞かせてもらおう」
そして、長老は再び長々と語り始めた。
この集会に入りきらず、長崎とその周辺で食べ物を集めに行っていた他の竜や人々が、夕方になって戻ってきても、まだ彼等の相談は続いていた。
一応は寒いと言える冬が過ぎた。
別に雪は降らないし、霜が降りたりもしない。
それでもやっぱり寒いとは言えた季節。
それが過ぎた時、ある人は暖かくなる事を喜んだ。
またある人は、やれやれ過ごしやすい季節が終わっちまった…とうんざりした。
「温泉、楽シメル季節、終ワッタ。残念」
たどたどしい日本語を呟きつつ斜面を登るのは、リー。
彼は土に汚れた服を身につけ、背にはアカシアの苗木と色々な種が一杯のカゴ。
東の海から天へとのぼり行く朝日を背に、あちこちが割れて草が生えるアスファルトの斜面を一歩一歩しっかりと登っていく。
『別に普段は日本語使わなくてもいいんじゃありませんか?』
リーの後ろを歩いているのはシュウ。
彼はシャベルやツルハシを山ほど背負っていた。
「コノ地デ生キル、決メタ。
コノ地ノ言葉、話ス」
そんな話をしながらも、二人は歩みを止めたりしない。
二人が歩く道路の左右は、以前に植えられたドングリの種が並んで芽を出している。
並ぶ芽の間には、乾燥した海藻の残骸が敷かれている。
風よけ兼肥料兼雑草避けだ。
もっとも、あんまり風の強い地ではなかったので、風よけとしては役に立たなかったようだが。
昔は自動車が走っていただろう、二本の巨大な橋が崩れ落ちた残骸が目立つ山。
その橋は昔、大分自動車道と呼ばれていた。
そんな事は、植林が進む斜面に集った多くの人達と犬族達には関係ないし興味もない事だった。
百人以上の人々を前に、若い男が大声を張り上げる。
『ほんなら、今日はここらで植林行くで!
きばりーや、ここに森が出来れば、あんたらの腹がふくれるんやからな!』
シンのかけ声に、皆が大声で返事する。
元気な男女の声が山の斜面に響き渡る。
シュウが担いできた新たな道具も皆に渡され、地面を掘り返して苗や種を植えていく。
犬族達は何度も斜面を往復して、苗や種を麓から運んでくる。
「ふわぁ~。みなさん、早上好ですわ」
「早上好!」
もう少し日が昇った頃。
入り口に「鶴見小学校」と書かれた廃墟。
いや、つい数ヶ月前までは確かに百年前に放棄された街中の廃墟だった。
だが今は大勢の移住者達によって学校としての機能を取り戻していた。
亀裂が少なく使用に問題ない校舎を選び、その1階で授業が開かれている。
黒板に立つのは眠そうな猫族女性。
青のチューブブラとパレオを纏ったバステ。
子供達は大陸からの移住者達。
既に腐り落ちた木と金属の机と椅子は外へ放り出し、子供達は床に直接座っている。
「それでは今日の授業を始めます。
今日は掛け算をしますから」
とたんに子供達から二種類の言語が帰ってくる。
『え~?算数きらーい』「ゴ本、モット読ンデ」『お話をもっと聞きたーい』「ブーブー」とブーイング。
「ブーシン(駄目です)!九九は基本ですよ」
ニッコリ微笑んで子供達をたしなめるバステ。
だが、一度騒ぎ出した子供達は静まらない。
外へ出て追いかけっこしたいーとか叫んだり、小石を前の子供の頭に投げたり、こっそり教室を抜け出そうとする女の子もいる。
そんな教室を眺めて、バステは満面の笑みを浮かべる。
でも腰のパレオから飛び出す白い尻尾はピンと立っている。
白い毛に覆われた右手を掲げる。
その指先から猫の爪がニョキッと伸びる。
瞬間、子供達は小さな悲鳴を上げて床に座る。
だが、遅かった。バシッと白い右手が黒板に叩き付けられる。そして
ギギギギギイィ~
バステの爪が黒板を引っ掻く。
子供達は神経を逆撫でする高音に頭を抱えて耳を塞ぐ。
子供達へ向き直り、爪についた黒板の破片を払い落としたバステは、やっぱりニッコリと笑った。
「…さて、九九をしますよ」
「はーい!」
素直な子供達の元気な返事が広がる。
校庭では、数匹の子犬と大犬がじゃれて遊んでいた。
お昼になり、仕事を終えた男達が山から下りてくる。
学校の子供達も校舎を飛び出していく。
そして皆は町へ戻る。
瓦礫を片付け、土砂を取り除き、使える建造物にあちこち補修を入れた、山の裾野にある町。
それは昔は軍隊がいた場所、陸上自衛隊別府駐屯地と呼ばれていた施設を中心に作られた。
町からは二つの言語が入り交じった笑い声が聞こえる。
かつては屈強な兵士達が訓練に明け暮れていたであろう広場。
そこでは、人族が火をおこし湯を沸かして昼食を作っている最中だった。
「クルミーぃ!スッゴイの捕れたよー!」
広場でハトの羽をむしっていたクルミの耳に、ティティの大きな声がする。
彼が振り返ると、大きな魚を背負ったティティが海から歩いてきていた。
その後ろをネフェルがカゴを肩に担いでついてくる。
そして他にも何人もの猫族が、カゴ一杯の魚を抱えて歩いてきていた。
「おかえりー。今日は何がとれたの?」
答えたのはネフェル。
肩からカゴを下ろして胸を張る。
「へへー、母ちゃんを見直すがいい!じゃーん!」
母が兄の目の前に突きつけたのは、見事なクロダイ。
全長七十センチはある大物だ。
「うわ、すっげー!うまそー」
「感到吃惊(驚いた)!オオキナ、サカナ。ハジメテ、ミタ」
いきなりクルミの横から声がする。
そこには黒いノースリーブにスカートを着て、長い黒髪を後ろで束ねた女の子がいる。
左手には二つに割ったココナッツ、左手にはスプーンを持ってる。
近くでココナッツの中の白い内果皮を削ぎ落としていた途中だったらしい。
目を丸くしてタイを見つめる同年代らしき少女に、クルミが嬉しそうに話しかけた。
「どーだ、レイレイ。凄いだろ。醤油を付けて食べると、すっごく美味しいんだぞ」
「ウン。オイシソウ。…タベテ、イイ?」
「もちろん!一緒に食べよう」
楽しげに笑顔を向け合う二人。
でもそれを見ているネフェルは楽しそうではない。
「こら、兄貴。何を勝手に決めてるのよ。
とってきたのは兄貴じゃないでしょ」
ふくれる妹を見る母は、ニンマリと笑ってしまう。
「おやおやぁ~?どうしたんだい、ネフェル」
「ど、どうもしないわよ!
ただ、兄貴が勝手に母ちゃんの魚を…」
慌てるネフェルは、どうもしないようには見えない。
それを見ているティティはケラケラと笑い出す。
「まーったく!
兄貴が他の女とイチャイチャするのが気にくわないってか?ヤ
キモチだなんて、可愛いねぇ」
「や、ヤキモチなんてしてないわよ!」
「だ、誰がイチャイチャなんて!」
二人とも顔を真っ赤にして抗議する。
が、その姿は図星を突かれた以外の何物でもない事は、周囲の大人達には一目瞭然だった。
先住民も移住者も、言語の違いも関係なく、少年少女のほのかな恋心と小姑の可愛い嫉妬に微笑みを送っている。
そんな話をしていると、山から下りてきた者達も広場へやってくる。
皆、それぞれの家族や恋人の所へ行き、楽しげに昼食を始めた。
そして皆を率いていたシンはティティ達の所へ来た。
「ふー、今日も疲れたわ」
「お疲れさんだね。ほら、すげえタイだろ!遠慮無く食えよ」
「うぉ~、美味そうやわぁ!んじゃ、頂くわ」
あぐらをかいてタイの切り身を勧めるティティ。
それを正座のシンは頭を下げて受け取り、ハシで丁寧につまんで食べる。
レイレイがクルミをツンツンつついて、耳打ちする。
――ティティトシン、マダケッコンシナイノ?
――えと、もう、してると…思う。多分
さらに反対側からネフェルも耳打ちする。
――大好きなタイを分けてあげるンだもん。もう決まりよ
――やっぱ、戦争の時の交渉役が格好良かったからかな?
――違うわ。シュウに襲われた時のヘタレぶりに、放っとけないと思ったのよ。きっと
自信満々に語るネフェル。
そんな三人の前には、男らしくコップを持つティティに、シンが一升瓶からヤシ酒を注いでいる。
彼は惚れた女のために、ダンソンジョヒな考えを捨てたらしい。
彼等が昼食を食べていると、急に日がかげった。
皆が空を見ると、十頭以上の竜が上空を旋回している。
色も白、黒、赤、緑と様々だ。
子供達がはしゃいで盛んに空を指差し、甲高い声を上げる。
ティティが陽差しを手で遮りにながら、その中で一番大きい黒竜に目を止めた。
「あっれー?
あれ、霧島のナーガおばさんだよ」
「ホンマや。
その後ろ飛んでる緑のちっこいのは、スクモやな」
彼等がそんな話をしていると、竜達は次々と降下してくる。
そして建物の間の広い道路や駐車場跡に着陸した。
スクモは小さい体を生かして、広場にいるシン達の前に降り立った。
子竜は相変わらず礼儀正しく人々に頭を下げて挨拶した。
「皆さん、こんにちは!お久しぶりです」
周囲の人々も、ひっさしぶりー、元気だったか、霧島に行っていたのか?
などと挨拶したり急な来訪の理由を尋ねたりしていた。
駐車場の方からは、竜の背から降りた人々が駆けてくる。
『艦長!お久しぶりです!』
『おお!みんな、元気だったか?』
『もちろんです!シュウ隊長もお元気そうで何より』
『おうよ!毎日村作りが忙しくてよ。
ところで、お前達はどうした?
霧島に移り住んだんじゃなかったのか?』
リーとシュウも、かつての部下達との再会を喜び、近況を報告し合っていた。
「みんな、いきなり失礼するわね」
黒い竜の声が、頭上から響いてきた。
それは霧島のナーガおばさんと呼ばれた竜。
「実は私達、リーさんに用があって来たんですの」
呼ばれたリーが大きな黒い竜の前に来る。
「私ニ用カ?」
「そうですの。実は、お願いがありましてね」
そういって、黒い鱗を光らせる巨体で周囲に威容を示すナーガは、とても丁寧かつ優しく語り始めた。
長崎の戦争後、受け入れられた大陸の人々は幾つかに分かれて暮らす事になった。
ある者は大分で新しい村作り。
またある者は霧島へ。
造船の知識を持つ者達は長崎で燃え残った帆船の修理に当たっていた。
戦艦は沈んだが帆船は帆とマストが焼かれただけで、船体は無傷。修理すれば使える状態だった。
修理といっても、大陸へ戻るためではない。
大陸へ戻る事は移住者達には許されなかった。
もし戻れば、移住の成功を喜んだ人々が大挙して押し寄せてくる。
まだ十分に回復していない九州の地では、無秩序に移民を受け入れる余力が無い。
そして大陸に戻っても荒れ果てた大地で飢えに苦しむ生活があるだけ。
部族丸ごと移ってきた彼等に大陸へ帰る理由はなかった。
それでも船は修理された。
それはセイリュウの要望。
竜の翼では渡れない海の彼方、南方にある小島から新しい植物や動物を探してくるために。
「…というわけで、帆船の修理が一隻終わりまして。
霧島への移住者達には桟橋を作ってもらいました。
ですのでリーさん達船員に、船を南へ航行させてもらえないかと思いましたの」
ナーガの話はシンが通訳してリーをはじめ元船員達に伝えられた。
そして霧島からきた者達も話を補足する。
『霧島の南に小さな港を作ったんですよ。
で、その南の海には小島が並んでるんだそうです。
種子島とか屋久島とかいうそうです』
『そこは、もともと南国の植物で一杯だったそうだぜ。
この地に無い、新しい果物とか無いか探してきてくれってよ』
話を聞いたリーはウンウンと何度も頷く。
「分カッタ。任セロ」
後ろからシュウも太い腕を振り上げる。
『俺も行くぜ!
そういうことなら船乗りの出番だ』
『お前は残ってくれ』
残留を言い渡されたシュウは、あんぐりと口を開けて呆ける。
彼が我に返るに数秒が必要だった。
『な、なんでですか!艦長、俺じゃ役者不足ってんですか?』
『俺とお前、二人とも船に乗ったら、連れてきた連中のまとめ役が居なくなるだろう』
グッと返答に詰まってしまう。
『そういうわけで、今回は残ってくれ』
『むぅ、しょうがありません』
改めて艦長はナーガを見上げる。
「デハ、連レテ行ケ」
「ありがとうございます。助かりますわ。
でも、操船技術を学ぶため、人族と猫族も乗せていって欲しいのです。
よろしいかしら?」
「モチロン。
大陸ヘ逃ゲナイヨウ、私達ノ監視モ必要」
「あらあら、そんなことは考えていませんよ。
でも、話が早くて助かりましたわ。
それでは、リーさんは早速、他の人員を選んで下さい。
明日には長崎へ出立です」
「承知シタ」
リーとシュウは即座に移住者達を呼び、メンバーを集め始めた。
大人達が、そんな話をしていた頃。
スクモはネフェルやクルミなど子供と若者達に囲まれて、他の村で見聞きした話を自慢げに語っていた。
「…というわけで、長崎沖に新しい船は来てないです」
周囲の若者達は人族も猫族も移住者達も、揃って小さな胸をなで下ろす。
「良かったぁ…。
長老は、船から全員下りてから船を壊せ、なんて言ってるけどさぁ。
大陸の船が全部ぶっ壊れるまで移住者を受け入れるなんて、やっぱり無茶だもんね」
「新華共和国ノ船、マダ、タクサン。
国民、腹減ッテル」
「ま、送った船が全部壊れて一隻も帰ってこなかったら、さすがに途中で諦めるだろうけどよ」
『次の船団が来る前に、大分の村くらいは豊かにして、みんなで住めるようにしておきたいよね』
子供達も子供達で、それぞれの立場から将来を想い描いたり憂いたりしていた。
「なんだーい。誰も来ないなんて、ガッカリだよ。
せっかく俺の槍さばきを見せてやろうと思ってたのに」
『この国、とってもイイトコなのになー。
早くみんな来ればいいのに』
そんな話は尽きることなく、今日も楽しく昼食が進む。
十日ほど後の朝、長崎。
海岸に集まる多くの人と猫と犬に見送られて、一隻の帆船が南へ向けて出航した。
だんだんと遠く、小さくなる船を佐世保沖の小島から見送るのは、青い鱗を朝日に輝かせるセイリュウ。
彼は、かつては半島だった小島の頂上から、船を見送り続ける。
そんな老竜の背後に赤い竜が降り立った。
「お義父さま、こんな所でどうされたのですか?
皆、帰りを待ってますよ」
「ん、ああ…」
タマナの言葉に上の空で答える。
セイリュウの目は、相変わらず船を見つめ続ける。
タマナも黙ってセイリュウの背を見つめ続ける。
そして、長老はポツポツと言葉を続けた。
「子供達が、みんな、独り立ちしていくのぉ」
その言葉に、義理の娘は少し呆れてしまった。
「何を言ってるんですか。
お義父さまが皆を各地へ送ったのでしょう?
各地に植林させるために」
「そりゃ、そうなんじゃが…」
百年を遙かに超える時を過ごした竜は、深い溜め息をつく。
「こうやって、竜も人も猫も犬も、我が子達がみんな去っていく…。
ワシ無しでも生きていける。
はぁ…ワシなんぞ、もう必要ないのかもなぁ」
「何を言ってるんですか!もう、お義父さまらしくない!」
タマナの声は、叱咤や鼓舞というには少しきつい口調だ。
弱音を吐く老竜に本気で怒っているかのようだ。
「お義父さま以外の誰に皆を率いる事が出来るというんですか!
過去に失われた知識を未だに持っているのは、お義父さまだけなのですよ。
まだまだ隠居されては困ります!」
「わ、分かった分かった。そう怒るでない」
赤い竜の娘に怒られた青い竜は、慌てて翼を広げて羽ばたきだす。
「んじゃ、ワシは村に戻るからの」
そういって逃げるように飛び立った。
青い竜が空を舞う。
眼下には、百年かけて彼と仲間達が植え、育てた緑の山。
そして水没した街の間を元気に泳ぎ回る魚たち。
森の中には村。
村長兼教師として導いてきた者達と、新たに受け入れた者達が暮らしている。
春の陽光に照らされた鱗がキラキラと輝き、地上にいる者達へ彼の存在を示す。
戻ってくる村長を迎えようと、大小の犬、猫と人が広場へ駆けていく姿が見える。
「…なんと可愛い、小さな子供達じゃ…」
鼻先が大気を切り裂き、たてがみが激しく揺れる。
長老の小さな言葉は風に巻かれて消えてしまう。
「ワシを、食らうがいい。
この老いぼれた脳に詰まった古くさい科学とやらも、力強くも滑稽な人類の歴史も、百年を超える長崎での経験も。
何もかも、ワシの血肉全て、お前達にくれてやる」
翼は高度を下げる。
彼が百年暮らし続けた、柚木第一中学校の体育館へ向けて。
「そう、わしの全てをお前達の糧とせよ。
わしが母を食らって生きたように、お前達もわしを食え。
それだけが、わしの望みじゃ。
それがわしに出来る全てじゃ」
そんなセイリュウの想いを聞いた者はいない。
着陸時にうっかり思いっきり羽ばたきすぎて、巻き起こした旋風が広場の人も猫も犬も吹き飛ばしてしまったから。
この力強い翼では、彼の望みが叶う日はまだまだ遠いようだ。
竜は長崎の海に 終
『竜は長崎の海に』、これにて終了です。
おつきあい下さいまして、誠にありがとうございました。