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ルリシリーズ

ざまぁされる側に感情移入してしまうけれど、良心が咎めるので断罪されていただきます

作者: はた

細かいことが気にならない方向けです。

 婚約破棄されそうなのです、と従姉が言った。


「コンニャク巻き?」

「え? コンニャクマキってなんですの?」


 ……この世界にコンニャクがなくて助かった。ふざけているのかと白い目を向けられるところだった。

 おっとりと首を傾げている彼女の名前はジゼル・アヴェリーヌ伯爵令嬢。黄金に波打つ髪は優雅に巻かれ、瞳は見る者を引き付ける美しいコバルトブルーだ。たっぷりとフリルやレースに飾られて膨らんでいるが、体自体はほっそりとしている、高貴に育てられた女性。

 色とりどりのマカロンやスコーン、華奢なティーカップたちが並べ立てられたテーブルを挟んで彼女と相対している私の名前はシャルリー・ルナールという。髪も瞳も彼女と比べるとくすんだ色だが、顔立ちはよく似ていると言われる。鏡を見ると毎回驚いてしまう――日本にいた頃の顔と違いすぎて。


「ルリったらまたぼんやりして。ちゃんとわたくしの話を聞いている?」


 ルリとは私が頼んでそう呼んでもらっているあだ名だ。日本にいた頃の名前が瑠璃だったのだ。どうしても周囲に馴染めないものを感じていた私は、せめて名前だけは馴染みあるもので呼んでもらおうと、親しい人間に頼んでまわったのだった。


「もちろん聞いております。驚いてしまって……。婚約破棄というと、あの」


 よくあるざまぁ系みたいな感じですか、と言いかけて、その言葉は飲み込んだ。この世界にざまぁ系という言葉は無い。

 従姉は別のものに解釈してくれたようで、優雅に頷く。


「そう、あのガスパール・ルグランさまにね」

「……男爵令嬢にでも夢中になられましたか」

「あら知っていたの?」


 冗談になればいいと思いながら口にしたのだが本当だったらしい。従姉の婚約者は、婚約者がいる身でありながら男爵令嬢と恋に落ち、そして従姉は婚約破棄されそうな立場にいるようだ。

 こんなことってほんとにあるんだ。転生しておいて、今更なのだが。


 日本にいた頃、婚約破棄から始まる物語を私はたくさん読んできた。ある時は冤罪から、ある時は誤解から、ある時は主人公本人の策略により、主人公は婚約破棄される。主人公に敵対する者はたいてい愚か者であり、最後には自業自得と言える罰を受ける……。

 そして、私はその愚か者に感情移入してしまう人間である。パワフルだったり有能だったりする主人公よりも、無能で流されやすく、考えなしに他人を見放してしまうような、そんな人間の思考のほうが近しいのだ。婚約者ではない人間に恋をし、恋する相手の言うことを裏付けもとらずに信じ、その浅はかさ故に自滅する――私もきっと彼らの立場だったらそうしただろうと容易に想像できるのだ。

 じっさい日本にいた頃は似たような考えなしが原因で死んでしまったのだが、死んでも馬鹿は治らなかったらしい。今でも私は浅はかな人間のほうに感情移入してしまう。目の前で気丈に微笑む従姉より。


「もうすぐ学園の卒業パーティがあるけれど、不穏な動きがあるのですって。わたくしのそのご令嬢への悪事を暴いて断罪する、だとか。でもわたくしは何もしていないのよ。ご令嬢がどうというよりもガスパールさまの問題ですし……」


 ガスパールが従姉に劣等感を抱いているのは誰の目から見ても明らかなことだった。従姉は大事に磨かれてきた宝石のような、強くきらめく女性だ。一方でガスパールは水を注がれすぎて根本が腐った大輪の風情である。見た目はどちらも華やかだが、並ぶとつりあいがとれない。


「……それでも好き勝手言われてしまっては醜聞だわ。パーティが台無しになってしまってはわたくしにも責があるでしょうね。パーティを純粋に楽しみたい方も多いでしょうし……」


 どうしたものかしら、と従姉はつぶやく。私にはよく聞く話でも従姉にとっては慣れないことなのだろう。この世界では婚約破棄なんて聞いたことがない。前代未聞な出来事なのだ。

 美しいかんばせを曇らせて落ち込む彼女は普段とのギャップも相まって哀れを誘う。

 私の脳裏にふと一人の人物が浮かんだ。


「ルーカスさまに相談してみますわ、ジゼルお姉さま」


 ***


 ルーカスは私の婚約者だ。はっと目を惹く美形だが、穏やかな表情と柔らかいはしばみ色の瞳は、相対する者を和ませる。人柄の善さが滲み出てきているかのような雰囲気を持つ青年である。

 親に決められた結婚相手だが、ガスパールとは違って婚約者を大切にしてくれる方だ。従姉ではなく私が婚約者に選ばれたのは、従姉にとってもルーカスにとっても不運だっただろう。私にとってはこの上ない幸運なのだが。


「――そういう訳で、ジゼルお姉さまのために、ガスパール卿の真意について知りたいのです。本当に冤罪で婚約破棄するつもりなのか、それとも何か誤解があるのか、はたまたお姉さまの気を惹きたいだけの演技なのか」

「色々なパターンを考えてきたものだね」


 驚いたように目を丸くされたが私が考えたパターンではない。そういう物語を読んだことがあるだけだ。口にしてみるとあまり現実味がないような気がする……が、事実は小説より奇なりという言葉もあるし……。

 ルーカスは思慮深い瞳を物思いに沈ませた。窓から差し込む光がルーカスの髪を柔らかくきらめかせている。いつもルーカスは周囲よりも輝いて見える。この人は相変わらず何をしていても、何をしていなくとも美しい。ぽけーっと見惚れていると、ふと目があって、そのまましばし見つめ合った。今世の私は美人だから鑑賞に堪えるのだ。

 やがて可笑しそうにルーカスは微笑んだ。


「男爵令嬢の方はどんなパターンがあると思うんだい?」

「はい……」私はまだ夢見心地のまま口を開いた。「そちらは、そうですね、ガスパール卿と真実の愛を得た乙女か、贅沢な暮らしを夢見る野心家か、はたまた乙女ゲームの主人公を気取る考えなしでしょうか……」

「オトメゲーム? ああ、前に言っていたルリの前世のものだね」


 私は頷いた。ルーカスに何かを聞かれると私は不思議と嘘をつくことができず、なにもかも馬鹿正直に話してしまうので、前世の話もしたことがあった。妄想癖があるとは思われたくない、特に彼にだけは思われたくないというのに、本当に不思議なことである。そして、この頭がおかしい感じの娘の相手を真剣にし続けてくれるルーカスという存在もまた、不思議だった。


「どうもルリの知っている前世の話と色々な共通点があるようだね。ご令嬢のほうにも探りを入れておこう。もしジゼル嬢が晒しものにされるのだとしたら可哀想なことだ、阻止しなければ」


 ルーカスならばそう言うだろうと思っていた。従姉が婚約破棄されたあとでそのことを知ったら悔やむだろう、ということも想像できた。だからこの話を持ってきたのだ。

 本当はこっそり私だけの力でなんとかできればいいのだが、私の社交性と頭脳ではきっと無理だろう。男爵令嬢のほうの情報集めくらいはなんとかするつもりだが……。


「いや、ジゼル嬢の従妹がなにか聞いてまわっているということが向こうに知られたらルリも巻き込まれるかもしれないよ。僕のほうでうまくやるから君は静観しているといい」


 足を引っ張るだろうから大人しくしとけ宣言をされてしまった。いや、ルーカスは優しさからこう言っているのだ。私はありがたく了承した。


「それで……」話を変える口調でルーカスは言った。「君はジゼル嬢よりもガスパールの方に感情移入してしまうのだっけ?」


 ……そんなことまで話してしまっていたっけ。本当にルーカスには自白剤でも飲んだのかというほどなんでも話してしまう。それでルーカスに見放されたらどうするのだ……、いや、ルーカスはきっと見放さない、とそう感じるからこそ、聞かれるままなんでも話してしまうのだろう。


「はい、残念ながら……、もし私の婚約者がルーカスではない人だったら、そしてルーカスが望んでくれたのなら、その婚約者がどんな目に遭ったとしてもルーカスの側にいたくなると思います」

「そうかな? 相手は仮にも婚約者なんだから、相手が傷つくことを思うと、酷いことなんてできないのではないかな」

「いいえ。私なら……、傷つくということすら想像できないはず」


 私は想像力が欠如しているのだ。幼児の頃の、蟻の巣に水を流した時から成長していない。蟻の気持ちは考えないし、水を流したあとの自分の立場なんて思いもよらない。蟻の巣に水を流したらどうなるのかを見たかっただけの考えなしだ。

 同様に、恋に酔って愚かな選択をしてしまう彼らは、単に恋を手に入れてみたかったのだろうと私は思う。なにせ恋ときたらキラキラ輝いているのだから。


「僕のことはこんなに考えてくれるのにね」


 ルーカスは優しく微笑んでいる。こんな私でもやはり見放す気はないらしい。私たちはまた、しばし見つめ合った。


 ルーカスと見つめ合っていると昔を思い出す。こちらに生まれ変わって、しばらくして日本でのことを思い出した後のことだ。家族や使用人たちは優しかったが、私は私にとっての異文化に生きる人々のことを信じられず、この優しさは私の異質さに周囲が気づくまでの期間限定のものだろうと考えていた。まだ何か酷いことをされたわけでもないというのに、人と目が合わせられず、小さくなって怯えて暮らしていた。婚約者として紹介されたルーカスともまったく目が合わせられなかった。

 そんなある日私は高熱を出して倒れた。使用人に手厚い看病を受けてもなかなか完治せず、長い時間ふかふかのベッドに包まれて過ごし、心細いのを通り越して朦朧としてきていた頃、ふと傍らに美しい少年がいることに気づいた。優しげなはしばみ色の瞳と目があった。普段だったら怯えてすぐに目を伏せただろうが、その時はぼんやりと見つめてしまった。ルーカスもまた私のことを見つめていた。


『こんにちは、シャルリー。まだぼんやりしているね。でも熱は下がってきたときいたよ、きっとすぐよくなるから、安心して。ああ、むりにしゃべらなくて良い』


 ルーカスは優しく私を励ましてくれた。弱った心にすっとルーカスの言葉は入り込んできて、安心を与えてくれた。私はこの世界にいて良いのだ、この世界の住民になったのだ、と思った。

 しばらく静かに見つめ合ったのち、私はまた眠りに落ちた。


 それからルーカスとはたまに見つめ合うようになった。ルーカスはいつも、何もかも許すような優しいまなざしを向けてくれていて、私に安心を与えてくれる。そのことがきっかけで人と目が合わせられるようになり、家族たちとも少しずつ打ち解けていくことができるようになったのだった。

 ルーカスはその頃からずっと私の唯一だ。


 ***


 これは後日ルーカスから聞いた話である。

 その日、ガスパールはいつものように男爵令嬢や取り巻きたちと密会していた。

 ガスパールは男爵令嬢を苛めた卑劣な婚約者を卒業パーティで派手に振って、そのままの勢いで告白するつもりだった。(そのサプライズ好きな部分だけは私の共感できないところである)

 その卒業パーティの計画について話し合っているところにルーカスは乱入した。


「ルーカス兄さま!? なぜここに!?」


 ガスパール・ルグランはルーカス・ルグランを見て驚いた声をあげた。

 ルーカスはあくまでも穏やかにガスパールに語りかける。


「不肖の弟が、か弱い女性を晒しものにしようとしているという噂を聞いてね」

「なにを……」

「調べたところ、どうもジゼル嬢を主犯とする苛めを主張しているのは君たちだけのようだが……、この件は父にも報告済みだ。我が家の汚点になるところだったと大層なお怒りだったよ。一方的な主張で他人を断罪できるわけがないだろう。君たちがやろうとしたことは正義ではなく、不名誉なレッテルを叩きつける卑劣な行為だよ」

「そんな、まさか、レッテルではない、事実だ!」

「……ああ、君たちの主張も聞こう。公平な第三者と共に、内密にね。ジゼル嬢ともその場でよく話し合うと良い」


 おそらくジゼル嬢には別の婚約者ができることになるだろうが、とぽつりと付け足すと、ガスパールは目を剥いた。


「――兄さまはジゼルを奪うつもりですか!?」


 思いもよらない言葉にルーカスが目を丸くしているうちにガスパールはまくしたてる。


「父を言いくるめて自分がジゼルの婚約者に成り代わるつもりなんでしょう!」

「何を言い出すんだ、僕にはシャルリーがいる」

「シャルリー? ああ、あのジゼルの影のような……! 血筋こそジゼルより良いが、それ以外は遠く及ばない娘だ!」


 きゃんきゃんとまくしたてるガスパールの傍らで、可憐な男爵令嬢も驚いた表情をしている。ジゼルを持ち上げるようなことをガスパールが言うとは思わなかったのだろう。それでいて、ガスパールはしっかりと男爵令嬢の肩を抱いているのだ。

 ルーカスは目を細めた。


「おまえの心はどちらの令嬢にもないか、彷徨っているのだね。けれどシャルリーは違う。僕にとってはそれがすべてだ」


 ――その後、ガスパールたちの主張は結局認められず、卒業パーティへの参加すら許されずに各々罰を受けているという。そして従姉には別の婚約者が選ばれることになったようだ――


 ***


「ルリ、本当にありがとう!」


 騒動がひと段落した頃、私はまた従姉とお茶会をしていた。従姉の顔は晴れやかで、従姉の心を反映するように胸元の宝石が輝き、フリルやレースも一段と華やかに盛り立てられている。


「私はルーカスさまに話しただけです」

「まあ、何を言うの。ルーカスさまはルリのためにしたのだと言っていたわよ」

「ルーカスさまは誰にでも優しい方ですよ。妙な噂を広められないように私の顔を立ててくれたのでしょう」

「わたくしを麗しのルグラン兄弟が取りあったのだという噂ね。まったくはしたないこと」


 従姉はころころと無邪気に微笑む。私も微笑みを返したが、べつだん従姉のように晴れやかな気持ちではなかった。以前のお茶会のときと変わらない平坦な気分だった。


 実のところ、従姉に同情するような気持ちは私にはまったくなかった。実際に婚約破棄されようが、冤罪により罰をくだされようが、私の心はまったく揺らがなかっただろう。私にはそういう思いやりが欠落している。従姉に力を貸したのは、ルーカスならそう望むだろう、と思ったからだ。

 彼は私の良心だ。他人のことを想うことができない私の唯一の例外。

 この優しさに欠如した、温かみのない灰色な私の世界で、唯一輝ける他人。

 彼が望むなら私はどんな善行も積むし、どんな愚かしいこともするだろう。――なにせ私はざまぁされる側に感情移入するような人間だし、恋ときたらキラキラ輝いているのだから。

良心が外付け回路系の悪役を書きたかったのですが、主人公が小心者になったので、悪役になりませんでした。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

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