天使が宿る場所④
暗黒の空間。カトレアは一瞬、ダフォディルに気圧されそうになるが、ぷるぷると首をふって持ち直すと平らな胸の前で腕を組み、不敵の笑いを浮かべた。
対峙するダフォディルも負けじと強気の姿勢を見せる。
しかし、その隣のアデッサはぐったりとダフォディルへ寄りかかり、顔はうつむき、瞳は焦点を失っていた。立っていることさえやっとの状態だ。ダフォディルはアデッサの体を軽くゆすり声をかける。
「アデッサ!」
「ダフォディル、私は、私はもう……」
すべての自信が抜け落ちて灰のようになってしまったアデッサを目の当たりにし、ダフォディルの目が潤み表情は悲しみに曇った。そして、いくばくか想いを巡らせたのちに意を決し、ふたたびカトレアを睨みつける。
「許さない!」
ダフォディルは【鉄壁の紋章】を発動させた。
噴き出した青い古代文字の帯が二人の周囲に舞う。
「ふん。お前なんかに許しなんぞ乞わんわ!」
カトレアはつまらなそうに吐き捨てた。すると、その背後の闇の中から、金属同士が擦れる音と、重々しい足音が近づいてくる。やがて鉄灰色の鎧をまとい、禍々しい黒いオーラを放つ鞭を手にした騎士が現れた。
「くっくっく。アデッサの記憶から呼び出した魔王の衛兵だ。コイツの前では【鉄壁の紋章】など無力。じーっくり、なぶり殺してくれるッ!」
ダフォディルはうなだれるアデッサをしっかりと抱き寄せ、腰の短剣を抜いた。最低限の剣の心得はあるが、魔王の衛兵と戦えるほどの腕は持ち合わせてはいない。使える魔法はすべて悪魔払いに特化している……。
◆
――もう、なにも考えたくない。
カトレアの言うとおり。
考えなければ、苦しむことなどないのだから。
遠くから、音が聞こえる。
聞こえてくるのは、なにかが空を切る音と、小さな悲鳴。
自分に、覆いかぶさっている、柔らかいもの。暖かいもの。
もう疲れた……このまま、この暖かいものに包まれて眠ってしまいたい。
眠るまえにもう一度、少しだけ目を開く。
ぼんやりと霞む目の前に、見慣れた顔。
なんだ、ダフォディル。
そばに居たんだね。
一緒に、このまま一緒に眠ろう……。
ダフォディルの…………苦しそうな顔!?
「ダフォディル!」
空を切るのは魔王の衛兵が放つ鞭の音。
その、黒いオーラが放つ鞭に打たれダフォディルが声をあげた。
「クッ!」
床に伏したアデッサを庇い覆いかぶさるダフォディルへ、魔王の衛兵は容赦なく黒い鞭をふるう。鞭が空を切るたびにダフォディルの悲鳴があがり、その体が痛みに耐えて震えた。
アデッサの瞳に輝きが戻る。
「私のダフォディルに触るなッ!」
アデッサは傷つくこともかえりみず、放たれた鞭を右腕で掴むと膝をついて立ち上がった。一瞬で周囲の状況を把握すると、傷つき痛みに体を震わせながら尚も繋いだ手を離さないダフォディルをそっと腕の中に抱く。
アデッサは鞭から手を離し【瞬殺の紋章】を発動させた。
紋章から赤い古代文字の帯が噴き出し、傍らに放り出されていた【王家の剣】を絡め取るとアデッサの前へとかかげる。剣を手にしたアデッサの眼差しに、すでに人間らしい温かみは欠片も残されてはいない。
魔王の衛兵は再び鞭を振るうが――
「瞬・殺!」
――赤い一閃のもとに崩れ落ちる。
「カトレアァ!」
アデッサは返す刀をカトレアに向けて叫んだ。
その尋常ではない眼差しに気圧され、カトレアがたじろぐ。
「私は私の目の前で民を苦しめる者を許さない!」
【瞬殺の紋章】から噴き出した赤い古代文字の帯がアデッサの声に反応し、歓喜するかのように激しくうねる。
「平和を夢見る苦しみは私が背負おう!
殺すことしか出来ぬ罪は私が背負おう!
我が名は瞬殺姫アデッサ!
悪辣どもの屍の上に正義を築く、呪われし王女だ!」
アデッサの口上に、いままで余裕の表情をしていたカトレアが感情をむき出しにして地団駄を踏んだ。
「へーんだ! アデッサのばーか! ばーーか!! ばーーーか!!! 【絶望の紋章】の空間でアタシに勝てるわけなんかないんだからねッ!」
そして淡い金色の髪をふわりとかきあげ、アデッサをピタリと指さす。
「覚悟なさい! 何度も何度も絶望を味あわせて、骨抜きのボロボロにして、アタシの奴隷にするんだからッ!」
その声に応じ、カトレアの背後の暗闇がにわかに騒がしくなる。闇の中からあらわれたのは、アデッサが今まで屠ってきた魔王の衛兵たちや、過去に倒したモンスターの数々。何千もの亡霊たちが、口々にアデッサへ呪いの言葉を吐きながら押し寄せてくる。
「おまえたち、やっておしまい!」
カトレアの声を合図に、怪物どもは一斉にアデッサへと押し寄せた。
アデッサは気を失っているダフォディルをきつく抱きしめながら迎え撃つ――
「うおおおぉぉぉ! 瞬ッ殺ッ!」
どれぐらいの時が流れたであろうか。もしこれが、現実世界での出来事であったならアデッサの周囲にはどれほどの屍が連なっていたであろう。
アデッサは押し寄せる敵を鬼神の強さで蹴散らし続けた。倒された敵はまるで霧のように消えてゆく。だが再び、カトレアの背後の闇から姿を現す。カトレアの軍勢は数に限りがない。気を失っているダフォディルを抱きしめたままでの戦いに、アデッサは徐々に傷つき、押され、追い詰められていった。
「あはははは! さあアデッサ、自分の無力さに絶望するがよい! でも、真の絶望への道のりはまだまだ始まったばかり。無限に続く責め苦に、何度も絶望を味わうがよい! 心が折れわたしの下僕となるまで、何度も、何度でもッ! あはははは!」
そのとき、カトレアの左目の上を一筋の光線が横切った。
「ん? ――ぎあああああ!!」
カトレアは悲鳴をあげてその場へ倒れ込み、顔をおさえてじたばたと暴れる。
同時に、アデッサを囲っていた敵たちがフッと消え失せる。
暗闇の空間が消え周囲に光が満ちた。
「――これは!?」
アデッサは眩しさに目を細める。




