天使が宿る場所①
ミンヨウ大陸の某国のとある教会、その一室。
赤いベルベットのカウチソファーにちょこんと座る少女。
年の頃は十歳ぐらいか。高位聖職者であることを示す金色のラインが入った白い修道着をふわりと纏っている。だが……最近流行の超ミニ丈にアレンジされた修道着の裾は無造作に組まれた足に大きくめくりあげられ、細い太腿から鼠径部まで、幼い体がすっかりとあらわになっていた。産毛さえ見当たらぬその肌は陶器のように白い。そして――
「ぷんすこ」
淡い金色の長い髪にふちどられた幼い顔の小さな口はへの字に結ばれ、ほっぺはぱんぱん、腕は平らな胸の前でガシッと組まれていた。だが、両の瞼はまるで眠っているかのようにおろされている。
「……申し訳ございません、カトレア様ッ!」
怒れるカトレアの前で片膝をつき頭を下げる赤毛の女、サザンカ。豊満な体を包む修道着は普段から張り裂けそうなのだが、屈んだ姿勢で張り出した尻に引っ張られ、いまにもビリリと音を立てそうだ。だが、そんなことを気にしている状況ではない。
「わたし、怒ってるんだけど」
「ハッ!」
サザンカはカトレアの言葉を噛みしめるかのようにもう一段、頭をさげた。心から反省している神妙な面持ち。自責の念で奥歯を噛みしめている。
カトレアは腰に手を当てて平らな胸を張りピシャリと言い放つ。
「いい? アデッサはわたしのものなの! サザンカは手を出しちゃだめッ!」
「ハハッ!」
カトレアはサザンカの歯切れの良い返事に瞼を閉じたまま、満足そうな笑顔をうかべた。
そしてソファーからぴょんと立ち上がり、サザンカの赤毛の上にそっと手をのせる。
サザンカの体が硬くこわばった。
「よしよし、しかたないですね。こんどだけは許してあげる」
まるでお姉さんきどり。子供の遊びに大人が付き合っているような絵面だ。だが、小さな手のひらが髪に触れたとき、生きた心地がしなかったのであろう。サザンカの額は冷や汗が流れ、体は極度の緊張から解放されてなお小刻みに震えていた。
「そんで、アデッサは? 今はどこ?」
「――は、はい。いまはチョイトに。なぜか宿屋には泊らずに街外れで野宿をしています」
「ふーん、チョイトかぁ……」
カトレアは瞼を閉じたまま宙を仰ぎ見た。
◆
ここはミンヨウ大陸トップクラスの高級リゾート地、チョイト。
サザンカがアデッサにちょっかいを出したことがバレて、カトレアにお説教される、数日前。
アデッサとダフォディルはメインストリートのなかほどにある見晴らしの良い公園でさわやかな風に吹かれながら、眼下に続く真っ白な街並みと、その向こうに広がるミンヨウ大陸最大の湖、チョイ湖の青く澄んだ水面をながめていた。
白と青との鮮やかなコントラストに、二人の口からおもわず『わあ』という声がもれる。
風にそよぐアデッサのブロンド。冒険者風にアレンジされた白いビキニと革のホットパンツはセクシー……なのだが、ブロンドの下の憂いを含んだ凛々しい眼差しと長いまつ毛、引き締まった口もと、全身からあふれる『王子様オーラ』が道行く女性たちの視線を強烈に惹き付けている。
一方、アデッサに寄り添うダフォディルの口もとに、少女の無邪気な笑みがあふれる。風に揺れる黒髪を細い指で軽くかきあげると、色白な耳もとがあらわになった。バックレスのホルターネックとミニスカートの組み合わせは、後ろから見れば体が隠れている面積の方が少ない。往来の男たちの視線が次々とその白い肌に吸い寄せられていた。
さすがは高級リゾート地だけあり、派手な服装をしているのは二人だけではない。公園を行き交う人々の服装もみな洒落ている。
だが――そんな、お洒落な旅人たちの合間をチョロチョロと走りまわる、小さく、薄汚ない影。
アデッサはその影の行方を寂しそうな眼差しで追った。
「アデッサ。もうお節介はやめてちょうだい」
ダフォディルが冷たい声でポツリとつぶやく。
アデッサの視線の先の小さな影。それは、ボロ服を着た物乞いの子供たちだ。富む者がいれば貧する者もいる。どうやらここチョイトではその落差が激しいようだ。
子供たちはみな首から募金箱のようなものをさげ、行き交う裕福な旅人に小銭をせがんでいた。要領がいい子もいれば、少しどん臭い子もいる。足が悪いのか、びっこを引いている子もいた。
ボロを着た子供を見ると、どうしてもソイヤとのことを思い出してしまう。それはアデッサも、ダフォディルも、同じことだ。ダフォディルだって鬼ではない。人を思いやる優しい心も持っている。ソイヤのことは残念でしかたない。
だが、旅先で見かけるすべての不幸な子供たちをいちいち救っていたのでは埒が明かない。民草への慈悲の心が厚いアデッサとバランスを取るには、これくらい冷たい態度を取らねばならないのだ。
「……うん、わかってる」
アデッサの気のない返事にダフォディルはフッと小さくため息をついた。そして、重くなってしまった空気を変えようと、上機嫌の顔を取り戻し――
「ねえ、あそこの屋台で売ってる『ドラゴン・チュロス』いま流行ってるのよ! 食べてみない? 買ってくるからちょっと待っててね!」
と、軽い口調でアデッサに言い残して屋台へと走っていった。
ダフォディルが去ると、アデッサの視線はふたたび、ボロを着て駆けまわる子供たちへと吸いよせられてゆく。白い家々と爽やかな青い空と不潔な生活を余儀なくされている子供たち。余裕がある強者と困窮する弱者。悲しい現実の対比がアデッサをやりきれない気持ちにさせる。
すると――『おまえジャマなんだよ!』と、一人の体格がよい男の子が、小さな女の子をはじきとばすのが見えた。
男の子はすぐに、つぎの旅行者へ向かって走りだす。
女の子はよろよろと立ちあがった。稼ぎが悪いのか募金箱はからっぽで、その表情は消えいりそうなほどに弱々しい。これからどうすれは良いのかわからずに、迷子のように不安げで、目からは涙がこぼれそうになっている。
首から下げられた粗末な募金箱には『ママ』と書かれていた。
女の子の心のなかに悲しい気持ちが満ちてゆくのが見てとれるようだ。
ふわりと、その頭をなでる優しい手。
「大丈夫か?」
アデッサは女の子の前にしゃがみ、笑顔でそう言った。
女の子はびくっとおどろいて顔をあげる。
そして、目のまえの優しい笑顔に安心して、いままで堪えていた涙がひとすじこぼれてしまう。その涙をボロ着の袖でぬぐうと、気丈にも声をあげて泣きだすのをこらえ、首からさげた募金箱をアデッサへと差しだした。
「ママが病気なの。ママが……ママが病気なの」
声をあげまいと必死にこらえながらも、伏せた目からは大つぶの涙がぽたぽたとあふれていた。
次の瞬間。じゃらりという音とともに、女の子がかかげた募金箱がズシリと重くなる。
突然のできごとに、女の子は軽くよろけた。
募金箱に入れられた財布をみて、女の子は目を丸くする。涙はぴたりと止まっていた。
「そのお金でママをお医者さまへ診せるんだ」
女の子が募金箱から顔をあげると、目に涙をうかべるアデッサの優しい笑顔があった。
「……おねえさん、天使さま?」
アデッサは涙をそっと拭きながら『ふふっ』と笑い、こたえる。
「いいや、普通の人間だよ。いいかい、世の中には悪くて意地悪な人間もいるけど、優しい人間もいるんだ。もし、誰かに優しくされたら、すぐじゃなくてもいい。いつか君ができるときに、誰かに優しくしてあげるんだ。いいね?」
女の子はだまってうなずいた。
そしてあえてまわりに聞こえるように、大きな声でこういった。
「いいかい? 悪い大人や意地悪な男の子にそのお金をとられないように注意をするんだよ。もし、お金を取られそうになったらこういうんだ。『このお金に手を出したら瞬殺姫が黙っていない』と。そして私のところに来なさい」
女の子はもう一度うなずくと、人混みの中を走りさっていった。
女の子の背を見まもるアデッサ。さっきまで曇っていたその顔は、チョイトの青い空のようにスッキリと晴れわたった――のも束の間。
「ほほう……」
アデッサは背後に悪魔の殺気を感じてピクリと固まる。
振り返らなくても誰だかわかる。
名物スイーツの『ドラゴン・チュロス』を両手に持ったダフォディルだ。
「いや、ダフォ! これには理由が……そのぉ、ママが病気で……!」
「いくらあげたの?」
「え?」
「あの子にいくら恵んであげたの、って聞いているの」
「……ぜんぶ」
「……」
「持ってたお金、全部あげちゃった」
「……」
「……」
「いやあああああああ!」
チョイトの澄みわった青い空にダフォディルの悲鳴が響いた。




