隠遁者の森⑤
「ぎやああああああああ! アデッサぁ!」
ダフォディルはアデッサにピタリと飛びついた。泣きはらした目と真っ赤な頬、わなわなと震える唇。やっと親を見つけたギャン泣き迷子のようなその姿。
「ぞ、ぞ、ぞ、ゾンビ! ゾンビ! 爺さんたちはゾンビだったのよ!」
ダフォディルは背後から迫る爺さんたちを指差し、アデッサを激しく揺さぶりながら絶叫した。ただでさえ意識を失いかけていたアデッサは激しく揺さぶられて白目をむく。
「ぐおおおぉぉぉ……」
二人に迫る爺さんと村人たち。ダフォディルの言うとおりゾンビ化していた。いちばんマトモな爺さんは一見普通の人間に見えるものの、その目は既に白濁し始めている。その後ろにつづく村人のなかにはすでに腐敗が進んでいる者もいた。
「ぎゃあああああ!」
パニックに陥ったダフォディルは、意識が朦朧としているアデッサをつかむとぶるんと振り回し、爺さんたちへ向かって投げつけた。
アデッサが叫びながら飛んでゆく。
「うわぁぁぁ! しゅ、しゅんさつー!」
ストライク!
アデッサの体に押し倒されたゾンビの一行がバタバタと瞬殺されていった……。
悲鳴が止み、しんと静まりかえった地下聖堂、最奥。
ダフォディルは恐る恐る目を開けて周囲の状況を確認し――
「あ、アデッサ! しっかり!」
ぐったりと横たわるアデッサへ駆け寄った。
アデッサが薄っすらと目を開く。
「だ、ダフォディル……」
「酷い怪我……」
ダフォディルはアデッサを抱きかかえたままくるりと振り返ると、タイミングを逸して成り行きを見守っていたサザンカを睨みつけた。
「アデッサに、なんて酷いことを!」
「……」
サザンカが忌々しそうにダフォディルを睨みかえす。
アデッサは意識が朦朧としながらも、ダフォディルの肩につかまり、よろよろと立ち上がろうとした。
「ダフォ……」
だが、立ち上がると同時にアデッサはついに意識を失ってしまう。アデッサの体がぐらりと揺れ、ダフォディルへと倒れかかった。
すると――倒れこむアデッサの唇が一瞬だけ、ダフォディルの唇に触れた。
ダフォディルの青い瞳がきらりと潤み、左肩から黒いブラジャーのストラップがはらりと落ちる。どこからか吹き込んできた風が二人の周囲へ白い花びらを舞い散らせた。
「アデッ……サ」
ダフォディルは自分の腕の中で静かに目を閉じている凛々しい顔をみつめた。
「ねぇ! 今のわざと!? 偶然!? ねぇ、どっちなのよぉ!」
ダフォディルはアデッサの体を揺すったが、反応はない。
「茶番は終わりだッ!!」
サザンカが声を張りあげる。
その声を背中で聞いたダフォディルは、腕の中のアデッサへ向けた優しい目をそっと閉じ、ゆっくりとサザンカを振り返えるとキッと瞼をひらいた。
その鋭い眼差しに、サザンカは微かにたじろぐ。
ダフォディルはサザンカを睨み付けたまま、アデッサの左手を右手で握り指を絡めた。左腕の【鉄壁の紋章】から青い古代文字の帯が噴き出し、二人の周囲に舞う。
「フッ、【鉄壁の紋章】か。防ぐ力はあっても攻める力は皆無。しかも、その防御力さえ完璧ではない……」
サザンカは余裕の笑みを浮かべた。
「もとより貴様らが二人揃ってここへ侵入してくることも想定済み。知っているぞ、その【鉄壁の紋章】の弱点を!」
サザンカは開いていた修道着の胸を閉じた。【審判の紋章】が隠されると同時に、黒い古代文字の帯が消え開かれていた【冥界の扉】が霧散する。
代わりにサザンカは左手をダフォディルへ向け、短い呪文を唱えた。サザンカの勝ち誇った笑いと共に、その数歩前にどす黒い靄がただよいはじめる。
次の瞬間、靄のなかから巨大な腕が突きだした。赤黒い肌。鋭い爪を持つ腕はサザンカの身長ほどもある。その巨大な腕に続き、圧し潰された牡牛のような顔、固い毛に覆われた背むしの体、いびつな山羊の足が靄の中から現れる。
「ブオオオオオぉぉぉ!」
黒い靄をくぐり抜けて現れた化け物が巨体を震わてせて雄叫びを上げると、その醜い体が黒いオーラにつつまれた。
「ふははは! 心理攻撃特化型の悪魔『ウシエテル・ヤッサ―』を召喚した! どうだ、【鉄壁の紋章】はアンデッドの攻撃は防げても心理魔法は防げないのであろう? 悶え苦しみながら死――」
「内向的悪魔爆裂!!」
ぼん!
サザンカの口上が終わるよりも早くダフォディルが呪文を唱え終わると、『ウシエテル・ヤッサ―』の体が内側へ向けて爆発し、内臓や骨や体液を盛大に撒き散らせながら粉々に千切れて崩れ落ちた。
「……!? ……!?!? …………!?!?!?」
サザンカはなにが起きたかわからずに、今まで『ウシエテル・ヤッサ―』が立っていた場所と崩れ落ちた肉片と、ダフォディルを交互に見る。
そして、これは多分なにかの間違いに違いないという結論に至り、もう一度『ウシエテル・ヤッサ―』を召喚した。
「ブオオオオオぉぉぉ!」
「内向的悪魔爆裂!!」
ぼん!
傍らに散らばる悪魔二体分の内臓や骨や体液を見て、サザンカはしばらく呆然としていた。
「……き、貴様ッ! その技、ソーラン家、ソーラン家の退魔師か!」
「いかにも! ソーラン退魔道後継者、ダフォディル・ソーランハイハイ!」
「……いや、嘘を付けッ!」
「なッ! 嘘とはなによッ!」
「ソーラン家の人間がアンデッドを恐れるわけがない! 貴様、偽物だな!」
「ウチは悪魔払い専門よ!! アンデッドと悪魔は別モノよ、べ・つ・も・の! アンタそれでも聖職者なの!?」
「………………いや、同じようなも――」
「別よ!!」
「……」
これ以上ないほどの忌々しさを顔に表すサザンカ。
反対に、ダフォディルはニヤリとサディスティックな微笑みをうかべる。
「――ところで、わたしのことをうたがっている時間なんてあるのかしら? ソーラン退魔道には『悪魔と契約した者』を滅ぼす技があるのを、御存知?」
――ふん、アホ聖職者め。悪魔に心を奪われてしまった人間は何人も見てきたけど、自分から悪魔と契約した聖職者なんて初めて見た。観念なさいッ!
ダフォディルは呪文の詠唱を始めた。
「灰は灰に 水は水に 穢れし契りの歪は炎となりて――」
「クッ!」
身の危険を感じたサザンカは咄嗟に修道着の胸元を開き【審判の紋章】を発動させた。
紋章から噴き出した黒い古代文字の帯が宙に魔法陣を描く。魔方陣の内側はまるで空間を切り取ったかのような闇に染まる。サザンカが急いでその中へ飛び込んだ。すると、闇の空間と魔方陣はフッと掻き消えてゆく。
サザンカの気配が消えた事を確認し、ダフォディルは長い呪文の詠唱を止めた。
「ダンチョネ教。【審判の紋章】……【冥界の扉】って、そんな使い方もできるのね……」
ダフォディルは我に返り腕の中のアデッサへと視線を戻した。
まだ気を失っているアデッサを崩れた祭壇の前に座らせ、血と埃に汚れた頬を拭う。
「アデッサ……」
ダフォディルの目から熱い涙がじわりと溢れた。アデッサの頭を胸へ強く抱きしめ、傷だらけの腕と身体を優しくなでる。そしてブロンドをかき上げ、こめかみへそっと唇を寄せた。
◆
地下聖堂でサザンカを退けたダフォディルは気絶をしているアデッサをかつぎ、村へもどった。
無人となった村。いや、もしかしたら、二人がこの村を訪れたときにはすでに、村人はサザンカの手により殺害され、【審判の紋章】の力で操られていたのかも知れない。
ダフォディルの脳裏にゾンビに追い回された嫌な記憶がよみがえる。本当ならばこんな村には二度と近づきたくはない。だが、アデッサの手当てが優先だ。
ダフォディルは爺さんの小屋へ入ると昨夜のベッドにアデッサを寝かせ、服と下着を脱がして裸にした。そして井戸水を汲んでくると血と泥で汚れた体をくまなく拭き清めてゆく。汚れの下から顕わとなったアデッサの女神のような曲線美にダフォディルはしばし見入る。
アデッサの体は擦り傷だらけで、体のアチコチには大きな切り傷が開いていた。命に別状はないはずだが、よほど疲れたのか、いまだに目を覚まさない。ダフォディルは治癒魔法が仕込まれた絆創膏で次々に傷口をふさいでいった。
その途中、毒刃で斬られた傷が数か所見つかり、ダフォディルは小さく舌打ちをする。手持ちの毒消しでは数がまったくたりないのだ。アデッサの背中を走る毒刃の傷を毒消し魔法のパッチでふさいだだけで手持ちの毒消しが尽きてしまった。
【鉄壁の紋章】に頼りきりで薬の備えをおろそかにしてきたことを、そして、その紋章からアデッサを引き離し一人にしてしまったこをダフォディルはふたたびび悔やんだ。
ダフォディルはためらわなかった。
消毒で口を清めるとアデッサの首筋の毒刃の傷に唇をつける。傷口が沁みたらしく、アデッサは逃げるように体を反らせてうめき声をあげた。ダフォディルはかまわずに汚れた血を吸い取っては吐き捨て、絆創膏で傷口をふさぐ。
腕、手の甲、腹、腰……ダフォディルは毒刃の傷へ順に唇をつけ、毒を吸い出していった。アデッサはダフォディルの唇が傷に触れるたびに痛みに体をゆがませ、うめき声をあげる。
内腿の深い傷に唇を寄せるとアデッサは腰をそよがせた。ダフォディルは体が逃げないようにアデッサの両手を取り、指をからめる。そっと、傷口へ唇をつけると、アデッサはびくりと反応し、強張らせた両脚でダフォディルの頭を強くはさんだ。そのまま優しく吸い上げると、アデッサは背を反らせ、うめき声をもらす。ダフォディルは絡めた指をほどき、アデッサの腰に手を回して傷口を吸いつづけた。
手当てを終えたダフォディルは寝息もたてずに眠るアデッサの額に浮いた汗をそっと拭う。やれるだけのことはやったが、手当てが遅れてしまった。今夜はうなされるかも知れない。
「でも、もう大丈夫……よく頑張ったわ」
ダフォディルはアデッサの髪を優しくなで、額へ小さくキスをした。
そして自分も服を脱ぎ、アデッサの隣で横になる。
――疲れた。でも、次の街はチョイト。チョイトに着けば……高級宿屋、温泉にエステにスイーツが待っている……。
久しぶりの『自分へのご褒美』を夢見て目を閉じた瞬間、ダフォディルは深い眠りへ落ちた。
◆
二日後。昼なお暗い森の中。
アデッサの体調ももどり、次の街チョイトを目指し旅を再開した二人。
「でも……あの爺さんたち。いつからゾンビになってたんだろう」
アデッサはあっけらかんとそう言った。
体のアチコチにはまだ絆創膏が貼ってある。
「もうその話はやめて。思い出したくもない」
ダフォディルは澄まし顔でこたえるが、その体はピッタリとアデッサの腕に貼り付けている。
「ダフォ……歩きづらい」
アデッサがそう言ってもダフォディルは一向に動じない。
「わたしのいう事を聞かなかった罰よ。森を抜けるまで、しっかり私を守りなさい」
ダフォディルはそう言うとアデッサの手を取り、指と指とを絡ませた。




